わがまま娘はやんごとない!~年下の天才少女と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~
一話「奇妙な獣人を探しましょう」下
しかしその考えはあまりに単純すぎて、平間は口に出すのをためらう。
もし違っていたら、なかなかに恥ずかしいことになるだろう。
だが、目の前に座っている尊大で年下で自信家の少女に、何も答えられないのは平間の意地が許さなかった。
おそるおそる、平間は口を開く。
「もしかして、森に入らない?」
その答えに、壱子は意外そうに眼を見開くと、小さな手でぱちぱちと拍手をしてみせる。
「正解じゃ。よく分かったのう」
「……どうもありがとう」
「まさか分かるとは、正直お主を見くびっておった。いやはや、大したものじゃ」
ほとんどやり過ぎなくらいに、壱子は平間を褒めたたえる。
なせ彼女にそんな風に褒められなければならないのか、平間にも少し思うことがある。
が、ややこしくなりそうなので黙っておいた。
すると壱子は、難しい顔をする平間に、畳み掛けるように問いかける。
「で、入ったら死ぬ森を調べたいとき、考えられるもう一つの手段はなんじゃ?」
「え? それは……」
「それは?」
「……」
平間が答えに窮していると、壱子は得意げにニヤリと笑う。
目鼻立ちの整った壱子がやると、かわいらしい反面、腹立たしいことこの上ない。
が、平間の思考回路は有効な答えを導き出してはくれなかった。
「降参だ、答えを教えてくれ」
「ふむ、これも単純じゃが、要は『森に入っても死ななければ良い』」
「死ななければって……いや、何を言ってんの、君」
平間は、呆れたような口ぶりで言う。
壱子の言うことが理解しかねたのだが……、梅乃の反応は違った。
「その意気よ壱子ちゃん。成長したわね」
そう言って、嬉しそうに壱子の頭を撫で始める。
壱子の方も少し驚いたようだったが、まんざらではないらしい。
平間は混乱した。
死ななければ良い?
そんなことが出来るなら、死ぬ人間がいなくなってしまう。
「……すみません梅乃さん、言っている意味が分からないので教えていただいていいですか」
「よろしい、私が愚昧なるお主に教授してやろう。そう、この私が!」
平間は梅乃に言ったのだが、壱子は勢いよく立ち上り、腕を組んで言い放つ。
どうしてそんなに楽しそうなんだ、と平間は心の中で突っ込むが、当の壱子にはもちろん聞こえていない。
壱子は目を輝かせ、座っている平間のそばをてくてくと往復し始める。
「まず『森に入ったら死ぬ』と言う文言を考えるにあたって必要不可欠な情報が欠けておる」
「必要な情報?」
「そう、それは『なぜ死ぬのか』ということじゃ」
「それはまあ、そうだね」
特に異論も無いので、平間は素直に頷く。
壱子は嬉しそうに微笑んで、それを見た平間は思わず目を逸らした。
不思議そうな顔をしながら、壱子は再び口を開く。
「『森に入ったらなぜ死ぬのか』が重要なのは、これから森に入らざるを得ないからに他ならぬ。仮に森に入ったら死ぬのが本当であったとしても、それが獣人に襲われるのが、凶悪な呪いにかかって死ぬのか、はたまたどこか知らない異世界に飛ばされたりして死ぬのか、その死に方は様々じゃ。そして、それによって対処の仕方も変わってくる」
「はい、質問良いですか」
「許す!」
「獣人も呪いも異世界も、どれもあまり現実的じゃなくない?」
首をかしげる平間に、壱子は呆れ顔で人差し指を振ってみせる。
「何を言うておる。そもそもお主がが調べようとしているヌエビトそのものが非現実的な存在じゃ。今更そんなこと気にするでない」
「え、信じているわけじゃ……?」
「たわけ。そんなの信じているのは子供くらいじゃ」
「子供くらい」
「そうじゃ。私はただ『存在しないと断定することは出来ない』と言っただけで、信じているわけではない。子供ではないからな」
そういう壱子は、先ほどまでと比べて鼻息が荒い。
何度も「子供じゃない」と強調するあたり、十分に子供だと平間は思う。
「では、話を続けるぞ。さっきも言ったとおり、一概に死ぬと言ってもその死に方は様々じゃ。であれば、まず『なぜ死ぬのか』を明らかにすればよい」
「……それで?」
「そうすれば、いくらでも対策が立てられる。獣人に襲われるのなら武装すれば良い、とかな。それが『森に入っても死ななければ良い』と言った意味じゃ」
「なるほど……」
言われてみればその通りだ。
壱子は、漠然と「森に入ったら死ぬ」という情報を扱うのではなく、その裏にあるものを見抜こうとしている。
それにしても、この壱子という少女は、なかなかに頭の回転が速い。
それに先ほどつらつらと並べていた知識も、十二かそこらの少女のものとは思えない。
平間とて、大学寮という皇都の教育機関に六年ほど身を置いてきたが、壱子ほど明晰な頭脳を持っている者はごく僅かしか知らない。
――これが貴族と庶民の差なのだろうか。
そう思うと、平間の胸の奥でまがまがしいものが浮かんで、消えた。
一通り言い終えて満足したのか、壱子は再び梅乃の隣に腰を下ろして尋ねる。
「それで梅乃、その勝未村の情報はもっと詳しくわからんのか?」
「ええと……六年前に、行商人の夫婦が村人の何人かと森に入って、行方不明になっているわ。それから、四年前の夏に勝未村の有志で十名ほどの村人が森に入ってる。こっちは全員無事に村へ帰っているけど、半年以内に全員が命を落としているわね。それ以来、森に入る人間はいないみたい」
「ふむ……。梅乃、その死んだ村人の状態については何か書いておらんか」
「原因不明、とだけ。あとは実際に村に行って、村の人に話を聞くしかないわね」
「……そうか」
そう呟くと、壱子は再び俯いてしまった。
何か考え込んでいるのだろうか。
そんな壱子を横目に、梅乃が平間に向き直る。
その表情は、先ほどまでの微笑みではなく、いつに無く真剣なものだった。
「そういうことだから、平間君。明日から勝未村に向かって欲しいの」
「明日から、ですか」
「難しいかしら」
「そんなことは無いんですが、あまり自信が……」
「あら、大学寮でも中々の成績だと聞いているけど?」
「座学だけです。実際に足を動かして調べるのとは、訳が違います」
平間がそういうと、梅乃は悲しげに目を伏せる。
「……そうよね、こんな危険な仕事を見ず知らずの相手に頼まれても困るわよね」
「いえ、そんなことは!」
「良いのよ、無理しないで。ごめんなさい、また別のお仕事を充てることにするわ」
「だ、大丈夫です! やります!」
勢いで言ってしまった。
うつむきがちだった梅乃が、目だけ上向かせて平間に視線を向ける。
「……本当に?」
「はい! 任せてください!」
無理に明るい声を作る平間だったが、梅乃はその表情をぱぁっと明るくする。
その横で壱子がうんざりとした顔でそっぽを向いているのが気になったが、男に二言は無い。
梅乃は腰を浮かし、平間の手を取った。
驚くほど滑らかな肌の感触。
それと同時に、手を握るだけで人をやる気にさせられる美人は、やはり得なんだなあ、と平間はぼんやり思った。
「ああ、やっぱり平間君に来てもらって良かった!」
「それは……どうも」
「じゃあ、お願いするわね。要点は二つ。まず、勝未村周辺に現れると言う『ヌエビト』の正体を明らかにすること。そして、出来れば『森に入ったら死ぬ』と言われる所以も調べて欲しい」
「分かりました、最善を尽くします」
平間は絵巻物の主人公のような心地で、大きくうなずいた。
それを見た梅乃も満足げに頷いて、平間の手を放して腰を下ろす。
名残惜しさに襲われる平間だったが、ふと横を見ると、壱子と目が合った。
眉をひそめ、いわゆるジト目でこちらを睨んでいる。
「年下相手に、なんとえげつないを……」
「壱子ちゃん、何か言った?」
「……なんでもない」
「それは良かったわ。さて、と……」
そう言って梅乃は、小さく折りたたまれた和紙を平間に手渡した。
「平間くん、実はね、あなたに新しく家を用意しておいたの」
「家、ですか?」
「そう。今まで通りに大学寮の中で寝泊まりするのは、何かと不都合でしょう? ここに住所と簡単な地図を書いておいたから、これからはそこで寝泊りするといいわ」
「はあ……」
平間は受け取った紙を開き、目を落とす。
いきなり家を割り当てられるとは、ずいぶんと待遇が良い。
こういう話は周囲でもあまり聞いたことが無かったが、自分が寡聞なだけなのかもしれない。
そう平間は勝手に納得した。
「それともう一つ、祓魔係の四人目もそこで合流することになっているから、壱子ちゃんも一緒に親睦を深めるようにしてね」
「分かりました」
「なら、話は以上よ。必要なものを買い揃えるなら、陽の落ちるまでに済ませないと。いくら皇都といっても、夜は物騒だから……」
「そうですね、気を付けます」
「最近、皇都の北の方で強盗が多いとか、囚人が牢から消えるとか、妙な話も聞くわ。用心するに越したことは無いでしょう」
心配そうに言う梅乃に平間は頷くと、荷物を持って立ち上がった。
不意に壱子が口を開く。
「いや少し待て。梅乃、私の勘違いかも知れぬが……“四人目と合流する”と言ったか」
「ええ、言ったわ」
「であれば、その四人目と、平間と、梅乃と……一人足らぬな。もしかして、私も行くことになっていないか?」
「そうだけど……言ってなかった?」
「言うてない!」
わめくように言うと、壱子は平間をビシッと指差した。
「どうして私がこんな『冴えないやつ』と一緒に行かねばならんのじゃ!」
ぐさり。
壱子の言葉が矢のように平間に突き刺さる。
口をぱくぱくさせる平間に変わって、梅乃が壱子を窘める。
「壱子ちゃん、そんなこと言ったら……」
「そもそも、私が一緒に行く意味があるか?」
「もちろんよ。平間くん一人では、この仕事はこなすのは難しい。でも、壱子ちゃんが一緒にいればきっと大丈夫。でしょう?」
「それは、間違いなくそうじゃが……」
うなずいて言葉を濁す壱子に、相変わらず自信たっぷりだな、と平間は顔をしかめる。
それを知ってか知らずか、梅乃は壱子の肩に手を置いて、諭すように言う。
「それに壱子ちゃん、これはあなたにとっても悪い話じゃないわ」
「……どういうことじゃ」
「もしこの事件を解決出来たら、あなたは平間君からたくさん学ぶことが出来ているはずよ」
「学ぶこと? 今までの会話でそんなものがあるとは思えぬが」
ぐさりぐさり。
実際、壱子との会話では平間は形無しだった。
腐っても大学寮の出である平間は、自分の能力に少しは自信があったのだが……壱子の前では有象無象に過ぎない。
平間が密かに傷ついていると、梅乃は人差し指を立てて壱子に提案する。
「ではこうしましょう。壱子ちゃんは今日一日、平間君と一緒に『森を調べるのに必要そうなもの』を用意してきて。その上で、何も学ぶものが無いと思えば帰ってきて良い。その代わり、何か一つでも自分に足りないところがあると思ったら、この件が解決するまでちゃんと平間君の言うことを聞くこと。どう?」
「……ふん、たった一日じゃ。良いじゃろう。どうせ明日には、ここにまた座っていると思うが」
壱子はそう言いのけて、自信たっぷりにうなずく。
完全に自分抜きで話が進められていることに、平間はただただ苦笑した。
すると壱子は立ち上がり、とたとたと平間の前に歩いてくる。
「せいぜいよろしく頼む、平間。……ん」
そう言うと壱子は、不敵な笑みを浮かべながら右手を差し出す。
握手をしようとしているのだろうか。
平間は半笑いで、壱子に応じてその手を取る。
小柄な彼女に相応しい、小さな手だ。
しかし平間は、その小さな手の持ち主が完全無欠の何かに思えてならない。
家柄もよければ、容姿も素晴らしい。
頭は回るし、性格は……少し傲慢なところがあるが、それも愛嬌だろう。
かたや平間は、家柄は無いに等しいし、学業もそこそこ、容姿だってパッとしない。
武術だって遊び程度にしかやったことが無いし、何か得意なことがあるわけでもない。
やはり、平間には自分が壱子に勝てるところがあるとは思えなかった。
ましてや壱子が何かを自分から学ぶなど、見当もつかない。
梅乃は自信ありげに言っていたが……。
――でも、考えていても仕方ないか。
平間は半ば諦めて、得意げに笑う壱子に目を向ける。
「こちらこそよろしく。ええと……壱子ちゃん?」
「子供扱いするな。壱子でいい。あるいは壱子様でもいいぞ」
「……ああ、だったらやっぱり『壱子』にするよ」
顔立ちは可愛らしいのに、やたら背伸びしたがる尊大な態度は何とかならないものか。
平間が内心苦笑していると、壱子はぽつり、と不満そうに呟いた。
「ところで、私の手を握っても顔をニヤケさせはしないのじゃな」
「……何の話?」
「梅乃に手を握られたときはあんなにデレデレしておったじゃろ」
「……顔に出てた?」
「バッチリじゃ」
どうも、自分は異性が相手だと表情に出やすいらしい。
苦々しい事実だったが、次から注意しようと平間は決心した。
平間が壱子の手を離すと、梅乃が嬉しそうに口を開く。
「二人とも打ち解けたみたいで嬉しいわ。この調子で頑張ってね。それと……」
梅乃は平間に近づいて、壱子には見えないところで小さな何かを平間に手渡した。
「これは……?」
「さっきの壱子ちゃんの羊羹よ。折を見て返してあげて。あの子、これを食べるのをすごく楽しみにしていたみたいだから」
小声で耳打ちする梅乃に、内容とは関係無く、それだけで平間は思わず胸が高鳴ってしまう。
強くなった己の拍動を隠すように、平間は大げさに頷く。
その二人を見ていた壱子が、訝しげに言う。
「梅乃、もう良いじゃろう」
「そう? 壱子ちゃんもしっかり平間君を支えてあげてね」
「良かろう。今日中に、ここへ帰って来ることにならなければな」
ふふん、と壱子は無い胸を張って、さっさと祓魔係の部屋を出て行ってしまった。
その小さな後ろ姿に、平間は気が重くなる。
少なくとも今日一日、平間は壱子と過ごさなければならないらしい。
梅乃は壱子に平間を同行させたいようだが、反骨精神たくましい壱子と一緒にいて、うまくやる自信も無かった。
それゆえ、どうせなら一人で行ったほうが……という気持ちの方が強い。
だからといって、梅乃の言うとおり一人でやり遂げる自信もないが。
ため息を吐いた平間に、梅乃が申し訳なさそうに声をかけた。
「やっかいな話に巻き込んでごめんね、平間君。ああ見えて、根は素直でいい子だから……」
「それは何となく分かります。でも――」
「でも?」
「……僕があの子に勝っているものなんて、無いと思うんです」
絞り出すような平間の言葉に、梅乃は即座に首を振る。
「いいえ、必ずある。私が保証します」
「どうしてそう言い切れるんです?」
「それは、私があの子のことを大好きだからよ」
梅乃はよどみなく言うが、正直なところ平間には何を言っているのか分からない。
それを察したのか、梅乃は少し考え込んでから口を開いた。
「あの子は私が与えられるだけの知識を全て吸収しているけど、頭でっかちで危なっかしいし、生意気で、人見知りだわ。たしかに生まれ持った素質は凄まじいものがあるけど、それくらいで全てを知ることが出来るほど、この世界は狭くない。それを、私はあの子に知って欲しいの」
「……なるほど、分かりました」
「平間! 遅いぞ!」
平間がうなずくと、廊下から壱子の不機嫌そうな声が響く。
思わず平間は苦笑し、梅乃に振り返って言った。
「では、行って参ります」
梅乃はその姿を、お決まりの柔らかい笑みで見送った。
もし違っていたら、なかなかに恥ずかしいことになるだろう。
だが、目の前に座っている尊大で年下で自信家の少女に、何も答えられないのは平間の意地が許さなかった。
おそるおそる、平間は口を開く。
「もしかして、森に入らない?」
その答えに、壱子は意外そうに眼を見開くと、小さな手でぱちぱちと拍手をしてみせる。
「正解じゃ。よく分かったのう」
「……どうもありがとう」
「まさか分かるとは、正直お主を見くびっておった。いやはや、大したものじゃ」
ほとんどやり過ぎなくらいに、壱子は平間を褒めたたえる。
なせ彼女にそんな風に褒められなければならないのか、平間にも少し思うことがある。
が、ややこしくなりそうなので黙っておいた。
すると壱子は、難しい顔をする平間に、畳み掛けるように問いかける。
「で、入ったら死ぬ森を調べたいとき、考えられるもう一つの手段はなんじゃ?」
「え? それは……」
「それは?」
「……」
平間が答えに窮していると、壱子は得意げにニヤリと笑う。
目鼻立ちの整った壱子がやると、かわいらしい反面、腹立たしいことこの上ない。
が、平間の思考回路は有効な答えを導き出してはくれなかった。
「降参だ、答えを教えてくれ」
「ふむ、これも単純じゃが、要は『森に入っても死ななければ良い』」
「死ななければって……いや、何を言ってんの、君」
平間は、呆れたような口ぶりで言う。
壱子の言うことが理解しかねたのだが……、梅乃の反応は違った。
「その意気よ壱子ちゃん。成長したわね」
そう言って、嬉しそうに壱子の頭を撫で始める。
壱子の方も少し驚いたようだったが、まんざらではないらしい。
平間は混乱した。
死ななければ良い?
そんなことが出来るなら、死ぬ人間がいなくなってしまう。
「……すみません梅乃さん、言っている意味が分からないので教えていただいていいですか」
「よろしい、私が愚昧なるお主に教授してやろう。そう、この私が!」
平間は梅乃に言ったのだが、壱子は勢いよく立ち上り、腕を組んで言い放つ。
どうしてそんなに楽しそうなんだ、と平間は心の中で突っ込むが、当の壱子にはもちろん聞こえていない。
壱子は目を輝かせ、座っている平間のそばをてくてくと往復し始める。
「まず『森に入ったら死ぬ』と言う文言を考えるにあたって必要不可欠な情報が欠けておる」
「必要な情報?」
「そう、それは『なぜ死ぬのか』ということじゃ」
「それはまあ、そうだね」
特に異論も無いので、平間は素直に頷く。
壱子は嬉しそうに微笑んで、それを見た平間は思わず目を逸らした。
不思議そうな顔をしながら、壱子は再び口を開く。
「『森に入ったらなぜ死ぬのか』が重要なのは、これから森に入らざるを得ないからに他ならぬ。仮に森に入ったら死ぬのが本当であったとしても、それが獣人に襲われるのが、凶悪な呪いにかかって死ぬのか、はたまたどこか知らない異世界に飛ばされたりして死ぬのか、その死に方は様々じゃ。そして、それによって対処の仕方も変わってくる」
「はい、質問良いですか」
「許す!」
「獣人も呪いも異世界も、どれもあまり現実的じゃなくない?」
首をかしげる平間に、壱子は呆れ顔で人差し指を振ってみせる。
「何を言うておる。そもそもお主がが調べようとしているヌエビトそのものが非現実的な存在じゃ。今更そんなこと気にするでない」
「え、信じているわけじゃ……?」
「たわけ。そんなの信じているのは子供くらいじゃ」
「子供くらい」
「そうじゃ。私はただ『存在しないと断定することは出来ない』と言っただけで、信じているわけではない。子供ではないからな」
そういう壱子は、先ほどまでと比べて鼻息が荒い。
何度も「子供じゃない」と強調するあたり、十分に子供だと平間は思う。
「では、話を続けるぞ。さっきも言ったとおり、一概に死ぬと言ってもその死に方は様々じゃ。であれば、まず『なぜ死ぬのか』を明らかにすればよい」
「……それで?」
「そうすれば、いくらでも対策が立てられる。獣人に襲われるのなら武装すれば良い、とかな。それが『森に入っても死ななければ良い』と言った意味じゃ」
「なるほど……」
言われてみればその通りだ。
壱子は、漠然と「森に入ったら死ぬ」という情報を扱うのではなく、その裏にあるものを見抜こうとしている。
それにしても、この壱子という少女は、なかなかに頭の回転が速い。
それに先ほどつらつらと並べていた知識も、十二かそこらの少女のものとは思えない。
平間とて、大学寮という皇都の教育機関に六年ほど身を置いてきたが、壱子ほど明晰な頭脳を持っている者はごく僅かしか知らない。
――これが貴族と庶民の差なのだろうか。
そう思うと、平間の胸の奥でまがまがしいものが浮かんで、消えた。
一通り言い終えて満足したのか、壱子は再び梅乃の隣に腰を下ろして尋ねる。
「それで梅乃、その勝未村の情報はもっと詳しくわからんのか?」
「ええと……六年前に、行商人の夫婦が村人の何人かと森に入って、行方不明になっているわ。それから、四年前の夏に勝未村の有志で十名ほどの村人が森に入ってる。こっちは全員無事に村へ帰っているけど、半年以内に全員が命を落としているわね。それ以来、森に入る人間はいないみたい」
「ふむ……。梅乃、その死んだ村人の状態については何か書いておらんか」
「原因不明、とだけ。あとは実際に村に行って、村の人に話を聞くしかないわね」
「……そうか」
そう呟くと、壱子は再び俯いてしまった。
何か考え込んでいるのだろうか。
そんな壱子を横目に、梅乃が平間に向き直る。
その表情は、先ほどまでの微笑みではなく、いつに無く真剣なものだった。
「そういうことだから、平間君。明日から勝未村に向かって欲しいの」
「明日から、ですか」
「難しいかしら」
「そんなことは無いんですが、あまり自信が……」
「あら、大学寮でも中々の成績だと聞いているけど?」
「座学だけです。実際に足を動かして調べるのとは、訳が違います」
平間がそういうと、梅乃は悲しげに目を伏せる。
「……そうよね、こんな危険な仕事を見ず知らずの相手に頼まれても困るわよね」
「いえ、そんなことは!」
「良いのよ、無理しないで。ごめんなさい、また別のお仕事を充てることにするわ」
「だ、大丈夫です! やります!」
勢いで言ってしまった。
うつむきがちだった梅乃が、目だけ上向かせて平間に視線を向ける。
「……本当に?」
「はい! 任せてください!」
無理に明るい声を作る平間だったが、梅乃はその表情をぱぁっと明るくする。
その横で壱子がうんざりとした顔でそっぽを向いているのが気になったが、男に二言は無い。
梅乃は腰を浮かし、平間の手を取った。
驚くほど滑らかな肌の感触。
それと同時に、手を握るだけで人をやる気にさせられる美人は、やはり得なんだなあ、と平間はぼんやり思った。
「ああ、やっぱり平間君に来てもらって良かった!」
「それは……どうも」
「じゃあ、お願いするわね。要点は二つ。まず、勝未村周辺に現れると言う『ヌエビト』の正体を明らかにすること。そして、出来れば『森に入ったら死ぬ』と言われる所以も調べて欲しい」
「分かりました、最善を尽くします」
平間は絵巻物の主人公のような心地で、大きくうなずいた。
それを見た梅乃も満足げに頷いて、平間の手を放して腰を下ろす。
名残惜しさに襲われる平間だったが、ふと横を見ると、壱子と目が合った。
眉をひそめ、いわゆるジト目でこちらを睨んでいる。
「年下相手に、なんとえげつないを……」
「壱子ちゃん、何か言った?」
「……なんでもない」
「それは良かったわ。さて、と……」
そう言って梅乃は、小さく折りたたまれた和紙を平間に手渡した。
「平間くん、実はね、あなたに新しく家を用意しておいたの」
「家、ですか?」
「そう。今まで通りに大学寮の中で寝泊まりするのは、何かと不都合でしょう? ここに住所と簡単な地図を書いておいたから、これからはそこで寝泊りするといいわ」
「はあ……」
平間は受け取った紙を開き、目を落とす。
いきなり家を割り当てられるとは、ずいぶんと待遇が良い。
こういう話は周囲でもあまり聞いたことが無かったが、自分が寡聞なだけなのかもしれない。
そう平間は勝手に納得した。
「それともう一つ、祓魔係の四人目もそこで合流することになっているから、壱子ちゃんも一緒に親睦を深めるようにしてね」
「分かりました」
「なら、話は以上よ。必要なものを買い揃えるなら、陽の落ちるまでに済ませないと。いくら皇都といっても、夜は物騒だから……」
「そうですね、気を付けます」
「最近、皇都の北の方で強盗が多いとか、囚人が牢から消えるとか、妙な話も聞くわ。用心するに越したことは無いでしょう」
心配そうに言う梅乃に平間は頷くと、荷物を持って立ち上がった。
不意に壱子が口を開く。
「いや少し待て。梅乃、私の勘違いかも知れぬが……“四人目と合流する”と言ったか」
「ええ、言ったわ」
「であれば、その四人目と、平間と、梅乃と……一人足らぬな。もしかして、私も行くことになっていないか?」
「そうだけど……言ってなかった?」
「言うてない!」
わめくように言うと、壱子は平間をビシッと指差した。
「どうして私がこんな『冴えないやつ』と一緒に行かねばならんのじゃ!」
ぐさり。
壱子の言葉が矢のように平間に突き刺さる。
口をぱくぱくさせる平間に変わって、梅乃が壱子を窘める。
「壱子ちゃん、そんなこと言ったら……」
「そもそも、私が一緒に行く意味があるか?」
「もちろんよ。平間くん一人では、この仕事はこなすのは難しい。でも、壱子ちゃんが一緒にいればきっと大丈夫。でしょう?」
「それは、間違いなくそうじゃが……」
うなずいて言葉を濁す壱子に、相変わらず自信たっぷりだな、と平間は顔をしかめる。
それを知ってか知らずか、梅乃は壱子の肩に手を置いて、諭すように言う。
「それに壱子ちゃん、これはあなたにとっても悪い話じゃないわ」
「……どういうことじゃ」
「もしこの事件を解決出来たら、あなたは平間君からたくさん学ぶことが出来ているはずよ」
「学ぶこと? 今までの会話でそんなものがあるとは思えぬが」
ぐさりぐさり。
実際、壱子との会話では平間は形無しだった。
腐っても大学寮の出である平間は、自分の能力に少しは自信があったのだが……壱子の前では有象無象に過ぎない。
平間が密かに傷ついていると、梅乃は人差し指を立てて壱子に提案する。
「ではこうしましょう。壱子ちゃんは今日一日、平間君と一緒に『森を調べるのに必要そうなもの』を用意してきて。その上で、何も学ぶものが無いと思えば帰ってきて良い。その代わり、何か一つでも自分に足りないところがあると思ったら、この件が解決するまでちゃんと平間君の言うことを聞くこと。どう?」
「……ふん、たった一日じゃ。良いじゃろう。どうせ明日には、ここにまた座っていると思うが」
壱子はそう言いのけて、自信たっぷりにうなずく。
完全に自分抜きで話が進められていることに、平間はただただ苦笑した。
すると壱子は立ち上がり、とたとたと平間の前に歩いてくる。
「せいぜいよろしく頼む、平間。……ん」
そう言うと壱子は、不敵な笑みを浮かべながら右手を差し出す。
握手をしようとしているのだろうか。
平間は半笑いで、壱子に応じてその手を取る。
小柄な彼女に相応しい、小さな手だ。
しかし平間は、その小さな手の持ち主が完全無欠の何かに思えてならない。
家柄もよければ、容姿も素晴らしい。
頭は回るし、性格は……少し傲慢なところがあるが、それも愛嬌だろう。
かたや平間は、家柄は無いに等しいし、学業もそこそこ、容姿だってパッとしない。
武術だって遊び程度にしかやったことが無いし、何か得意なことがあるわけでもない。
やはり、平間には自分が壱子に勝てるところがあるとは思えなかった。
ましてや壱子が何かを自分から学ぶなど、見当もつかない。
梅乃は自信ありげに言っていたが……。
――でも、考えていても仕方ないか。
平間は半ば諦めて、得意げに笑う壱子に目を向ける。
「こちらこそよろしく。ええと……壱子ちゃん?」
「子供扱いするな。壱子でいい。あるいは壱子様でもいいぞ」
「……ああ、だったらやっぱり『壱子』にするよ」
顔立ちは可愛らしいのに、やたら背伸びしたがる尊大な態度は何とかならないものか。
平間が内心苦笑していると、壱子はぽつり、と不満そうに呟いた。
「ところで、私の手を握っても顔をニヤケさせはしないのじゃな」
「……何の話?」
「梅乃に手を握られたときはあんなにデレデレしておったじゃろ」
「……顔に出てた?」
「バッチリじゃ」
どうも、自分は異性が相手だと表情に出やすいらしい。
苦々しい事実だったが、次から注意しようと平間は決心した。
平間が壱子の手を離すと、梅乃が嬉しそうに口を開く。
「二人とも打ち解けたみたいで嬉しいわ。この調子で頑張ってね。それと……」
梅乃は平間に近づいて、壱子には見えないところで小さな何かを平間に手渡した。
「これは……?」
「さっきの壱子ちゃんの羊羹よ。折を見て返してあげて。あの子、これを食べるのをすごく楽しみにしていたみたいだから」
小声で耳打ちする梅乃に、内容とは関係無く、それだけで平間は思わず胸が高鳴ってしまう。
強くなった己の拍動を隠すように、平間は大げさに頷く。
その二人を見ていた壱子が、訝しげに言う。
「梅乃、もう良いじゃろう」
「そう? 壱子ちゃんもしっかり平間君を支えてあげてね」
「良かろう。今日中に、ここへ帰って来ることにならなければな」
ふふん、と壱子は無い胸を張って、さっさと祓魔係の部屋を出て行ってしまった。
その小さな後ろ姿に、平間は気が重くなる。
少なくとも今日一日、平間は壱子と過ごさなければならないらしい。
梅乃は壱子に平間を同行させたいようだが、反骨精神たくましい壱子と一緒にいて、うまくやる自信も無かった。
それゆえ、どうせなら一人で行ったほうが……という気持ちの方が強い。
だからといって、梅乃の言うとおり一人でやり遂げる自信もないが。
ため息を吐いた平間に、梅乃が申し訳なさそうに声をかけた。
「やっかいな話に巻き込んでごめんね、平間君。ああ見えて、根は素直でいい子だから……」
「それは何となく分かります。でも――」
「でも?」
「……僕があの子に勝っているものなんて、無いと思うんです」
絞り出すような平間の言葉に、梅乃は即座に首を振る。
「いいえ、必ずある。私が保証します」
「どうしてそう言い切れるんです?」
「それは、私があの子のことを大好きだからよ」
梅乃はよどみなく言うが、正直なところ平間には何を言っているのか分からない。
それを察したのか、梅乃は少し考え込んでから口を開いた。
「あの子は私が与えられるだけの知識を全て吸収しているけど、頭でっかちで危なっかしいし、生意気で、人見知りだわ。たしかに生まれ持った素質は凄まじいものがあるけど、それくらいで全てを知ることが出来るほど、この世界は狭くない。それを、私はあの子に知って欲しいの」
「……なるほど、分かりました」
「平間! 遅いぞ!」
平間がうなずくと、廊下から壱子の不機嫌そうな声が響く。
思わず平間は苦笑し、梅乃に振り返って言った。
「では、行って参ります」
梅乃はその姿を、お決まりの柔らかい笑みで見送った。
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