雨模様の終礼、隠されたスピリット

些稚絃羽

2.“探偵”気分で乗り出します

 言われるがまま来た道を戻り、更に角を曲がるとやや小さな校門が見えた。サイズからして裏門だろうか。閉ざされた校門はペンキで白く塗られていて、それが無理やり清潔感を出そうとしているようであまりいいとは思えなかった。
 そこから見えるのは一棟の校舎のみ。窓が幾つも並んではいるが、半分以上が黒いカーテンを引いていてどことなく閉鎖的に見える。今日は大して太陽も出ていないのに、意味があるのだろうか。
 そんなことを考えていると、その校舎の中央に誂えられた引戸から先程のふたりが出て来て、こちらへと向かってくるのが見えた。ひとりの女性を引き連れて。

「お待たせ!」
「香田さん、こちらの方が?」
「うん、探偵なんだって」

 正確には探し物探偵ですが、と訂正すると珍しいものを見るようなきょとん顔を向けられた。そんな反応も今更もう何とも思わない。
 女性は校門の鍵を開けると、僕が通れる分だけ門を開けて入るよう促す。そして僕が入るとすぐに鍵を掛け、何度も締まっていることを確認している。かなり神経質な人なのかもしれない。 

「改めまして、探し物探偵の神咲歩と申します」
「国語教諭で彼女達のクラスの副担任をしています、伊岡恵美いおかめぐみと申します。校内に居る間はこの許可証を下げておいてください」

 伊岡さんはそう言って、黒いストラップの来校許可証なるものを渡してくれる。僕がそれを受け取るとやっと笑顔を見せてくれた。まだ若そうだが黒のパンツスーツ姿に落ち着いた雰囲気があって、好感が持てる。小柄で礼儀正しいところも。
 彼女は赤が好きらしい。眼鏡のフレームと、ジャケットの下に着ているカーディガンが鮮やかな赤色だ。それが首が隠れる程度のショートヘアとよく似合っている。
 とりあえず話を聞かせてもらうことになり、伊岡さんの先導で奥へと進んでいく。三人が出てきた引戸から入るときちんとスリッパが用意されていて、学校に入るのは随分久しぶりだなんてしみじみと思う。リノリウムの廊下、教室のプレート、壁に付けられた掲示板。通ったことのない学校なのに、そんな些細なことで懐かしさを感じてしまうのだから、不思議だ。

 三人は脇目も振らず正面の引戸から出てしまった。最初の校舎をただの通路のように過ぎればそこからずっと廊下が伸びていて、その両側に校舎が等間隔に並んでいる。廊下は最後の最後で丸くカーブしているため、最終地点は分からない。廊下には少し高い位置に屋根が設けられていて、不思議な光景だ。
 後を追いながら、空から見ればムカデのように見えそうだと、どうでもいいことを考えていた。実際に歩けばどこも綺麗に維持されていて壁の剥がれや色落ちもなさそうだから、虫に例えるのは失礼かもしれないが。

 幾つかの校舎を過ぎてから右に折れたのに続くと、最初のドアを開けて伊岡さんが入っていく。生徒のふたりもそれに倣ったが、もえさんは僕の方を何か言いたげにちらりと振り返り、けれど結局黙ったまま先へと進んだ。
 指導室と書かれた教室はこじんまりとしていて、ここで身体の大きな先生に怒られたらより恐怖を味わうことになるだろうと思う。学生時代、指導室とは無縁な学生だったから全ては想像でしかないけれど。
 引かれた椅子に腰掛ける。机を挟んだ向かいに生徒のふたりが座り、伊岡さんは少し離れたところに立った。彼女はあくまで保護者のような立場らしい。僕はコートからメモ帳を取り出すと、目の前のふたりに尋ねる。

「まず、お名前から伺っても?」
「あたしは香田楓こうだかえで。この子は新垣萌乃にいがきもえの。二年C組でっす!」

 快活少女、もとい香田さんがふたり分の自己紹介をしてくれる。新垣さんは会釈するだけ。これが彼女達のスタイルなのかもしれない。
 今からふたりは僕の依頼人だ。できるだけ疑問を差し挟まず、敬意を示した応対をしなければ。

「それで、何をお探しでしょう?」
「ほら、もえ。言わなきゃ」
「う、うん……あの、私の体操服が無くなったんです」

 おっと、これは。単に落としたと片付けられないものだぞ。最も有り得るのは盗られた、だろうか。聞けば、半袖の体操服上下でどちらにも苗字の刺繍が入っていて、教室に置いていた鞄の中に入れていたとのこと。しかも中の見えない白い紙袋に入れた状態で。つまり彼女の体操服だと知った上で持ち出された可能性が高いということだ。
 すぐに思いつく要因はふたつ。――いじめか、好意か。メモする手が躊躇う。
 問題の核心にはまだ触れず、内容をもう少し掘り下げてみよう。

「間違えて持っていかれた、ということはないのですね?」
「体操服と言っても、無くなったのは部活の時に使っているものなので、誰も間違えないと思います。絵の具で汚れているので」

 新垣さんは美術部だと答えた。確かに絵の具が付いている体操服なら、間違えることはないと断定していいだろう。万一手に取ったとしても絵の具の臭いで気付くはずだ、あの独特な臭いなら。
 でももし同じように汚れた体操服を持っている人が居るとしたら、間違えることもあるかもしれない。それは深読みすれば、何らかの感情を持たれている対象が新垣さんではないということも考えられる。その場合、事がもっと複雑になってしまう。
 僕は質問を続ける。

「その体操服は絵を描くときにはいつも使っていたんですか?」
「いいえ、文化祭の展示用に使ったキャンバスが大きくて、制服が汚れたら困るので余っている体操服を使いました」
「例えば他の部員の方が同じように体操服を着ていたりは?」
「なかったです。皆はいつも通り制服にエプロンで描いていました」

 ということはやはり間違えられたという線は完全に消していいだろう。恐れていた事態は免れた訳だ。
 けれどそれを喜ぶことはできない。犯人――とあえて呼ぶが――は確実に新垣さんのものであることを認識していて盗みを働いている。そこに生まれた感情は悪意か好意か、一体どちらだろう。しかしどちらにしても、この場合の感情としては決していいものではない。彼女を不安にさせているのだから。
 彼女の、鈍い痛みを堪えるようなふとした眉根の歪みが、見ているだけで僕を苦しくさせる。部外者だし探す以上の立ち入ったことはできないけれど、問題解決の糸口になるのならば助けてあげたい。――悪い結果を招く前に。

 探すためにはまず、実物を知りたい。そう思い、誰のでもいいから体操服を見せてほしいとお願いしたところ。

「いいよ!」

 それまで静かに座っていた香田さんが、勢いよく立ち上がる。取りに行ってくるとでも言うのかと思いきや、おもむろに自身のブレザーを脱ぎ去った。真っ白なカッターシャツに青のネクタイが眩しく、スカートのウエスト部分の巻き上げられ方に女子高生の気合いを感じていると、強引にネクタイを解きにかかったので僕は慌てた。

「こ、香田さん?」
「え、何?」
「どうして脱ごうとしてるんですか!?」

 触って止める訳にもいかず、手を前に突き出してやめるよう叫ぶ。カッターシャツの第一ボタンを外したところで彼女の手が止まって、それでもこれ以上動かないようにと浮かした腰を下ろせない。
 彼女の隣でポカンとしていた新垣さんもやっと事態を飲み込めたらしく、素早く乱れている制服を直しにかかる。されるがままの香田さんはと言うと、何で止めるのと言いたげに新垣さんを見下ろしている。……一体どういう状況だ。

「体操服見たかったんでしょ? あたし、下に着てるのに」

 ということらしい。いや、十分大問題だ。

「わざわざ楓ちゃんが着ているものじゃなくても、教室に行けば私のがあるよ!」
「あ、そうなの?」

 ブレザーまで着せ終わった新垣さんがほっと息をついた。僕もやっと椅子に座り直す。
 幾ら下に着ている服を見せるためとはいえ、男の前で制服を脱いでいくというのは如何なものか。危機感がないというか、ある意味では彼女っぽい気もしないでもないが、やはり女性として恥じらいはあるべきだろう。
 部屋の隅に立ったまま黙って傍観していた伊岡さんを不思議に思ってちらと見ると、神妙な面持ちで生徒ふたりを眺めている。香田さん、と呼び掛けた声は幾らか硬かった。

「指定のベストは着なさいって言っているでしょう? セーターを着ないのは自由だけどせめてベストは着ていないと」
「今日は忘れちゃったんだって! 明日はちゃんと着てくるから、ね?」

 先生、今の流れで気にするところ、そこではないと思うのですが……。かなり真面目な方なんだろうが、それなら尚更止めるべき行動だったのに、少し抜けているのだろうか。約束よ? と笑ったのが少しだけ不自然に見えた。
 この場に新垣さんが居てくれて本当に良かった。結局名前しか書けなかったメモ帳を閉じると、その新垣さんに聞く。

「どうしましょう、教室までご一緒しましょうか?」
「あ、そう、ですね。教室から無くなったので、場所とかも分かった方がいいですよね」
「どうせ後で聞かなくてはいけないでしょうから、お願いします」

 そう言って立ち上がってから、ふと気になる。授業はいいのだろうか。話をしている間にうっすらとチャイムが聞こえていた。今が十時五十五分。時間的に三限目が始まったんじゃないだろうか。
 でも考えてみると、招き入れられた時に話をつけてきたと言っていたし、伊岡さんも何も言わないということは出なくていいということになっているのかもしれない。

 僕の心配を余所に、今度は新垣さんが先陣を切って指導室から出ていく。その後を香田さんが続き、伊岡さんに促されて僕も外へ出た。
 改めて見てみると、校舎の間のスペースはよく手入れをされているようだ。特筆するほど豪華という訳でもないけれど、片隅にあつらえられた花壇に咲く慎ましいビオラの可憐さがそう思わせた。庭師でも居るのだろうか。もし会うとしたらできれば口調と態度が悪くない人がいいな。
 そんなことを考えながら、廊下を奥へと進んでいくのに従う。ブレザーに手を突っ込んで歩く香田さんの身体で新垣さんの姿はすっかり見えないが、存在感のある先導者が居て助かる。僕は安心して後ろを付いてくる伊岡さんを振り返った。彼女は不思議そうに僕を見返す。

「僕が気にすることではないかもしれませんが、授業の方はいいのでしょうか?」

 気になることは解消しておきたいものだから、やはり聞いてみた。僕の問いに彼女はあぁ、と声を漏らしてから隣に並んで答えてくれる。

「大丈夫です。校長から許可が出ていますし、今の時間は選択授業でふたりは私の授業を取っていますから」
「え、それってもっとまずいんじゃ……」
「皆今頃、必死になって作文書いてますから」

 大丈夫です、と念を押されたら納得するしかなかった。やけに楽しそうな顔でそんなことを言うから、まだ見ぬ生徒達に同情すら覚えてしまうけれど。
 それにしてもこう言ってはなんだが、一生徒の私物が無くなったからと言って、偶然見つけた探し物探偵に依頼することを校長が認めるというのも不思議な話だ。無くなったのも数時間前なのだから、普通は校内で解決するものだと思うが、違うのだろうか。

「校長、変わった人なんですよ。まぁ無関心なだけかもしれませんが」

 僕の募る疑問に気が付いたのか、伊岡さんが言う。こちらを見もせず、顔は行く先を見据えたまま。その顔から感情を読み取るのはとても難しかった。

 気付くと前を歩いていたふたりが見えなくなってはっとしていると、伊岡さんは左手の校舎に向かって曲がる。すぐのところに階段があって、そこを上るらしい。彼女と僕のスリッパの音が合いそうで合わない微妙なテンポで続いていく。
 二階へと上がると左に向かって伸びる廊下を進む。前二つの教室を通り過ぎたが、どちらも空だった。選択授業の時間だと言っていたから、別の教室へと出払っているのだろう。
 三つめ、二年C組と書かれた教室に伊岡さんは入る。初めて入る学校の教室。一瞬躊躇して、僕はもう大人だと言い聞かせて中へと入った。


 きちんと整列した机の数はざっと数えて四十余り。ワックスが綺麗にかけられたフローリングが天井の蛍光灯の光を映す。窓は平均より大きいだろうか、けれど見える大部分は裏に建つ校舎のため、あまり開放的な感じはしない。何だかちぐはぐな学校だ。
 僕達が入っていくと、教室の後方でこちらに背を向けていた香田さんが振り返る。

「あ、来た来た」

 その向こうに新垣さんが立っている。ふたりの間には机があり、その上には黒のスクールバックが置かれている。どうやら彼女の席はそこ、後ろのドアの際らしい。そこならたとえクラスが違う人でもあまり気取られずに荷物を抜くことは可能かもしれない。――"探偵"らしくそんなことを咄嗟に考えた。
 新垣さんが白い何かを手に取ったのを見て、僕もその元へと移動する。開いて見せたのは当然のことながら体操服だった。断ってからそれを手に取る。

 少し厚手の柔らかな白い生地、V字の首元を縁取る青い羽根のようなライン。胸元には校章らしきマークがあり、その下には金糸で新垣と記されていた。
 対となるハーフパンツは藍色で、左右に白いラインが入っている。名前は左側のラインに沿うようにアルファベットで、こちらも金糸が使われている。
 一見至って普通の体操服だが、通常より金がかかっていることは確実だろう。金のある人のこだわりは僕には分からない。

「ありがとうございます。これと同じものが無くなったのですね?」

 受け取りながら彼女はしっかりと頷いた。前の席に腰掛けた香田さんは椅子の背に肘をついて、すぐに探したけどねぇ、と唇を突き出した。

「今朝美術室から持ってきて、バタバタしていたので鞄を机の上に置いていて」
「気付いたら無くなっていた、と」

 新垣さんはまるで預かり物を無くしたみたいに申し訳なさそうだ。怒られることを恐れているような表情。睫毛を伏せれば泣いているようにも見えてしまう。
 何か特別な思い入れでもあるのかもしれない。もしくは盗んだ人間に心当たりがあるか……。

 どこから探っていこうかと考えて、我に返る。そう、まさに我に返った。だって我を忘れていなければもっと早く気付いただろう。
 体温もなく、金属でもなく、落とした訳でもない。誰かが意思を持って奪い、敷地内に同じものが軽く百枚は優に越えるだろうというこの状況で、僕はどうやって捜索するのか。
 コートの内側の感触で記憶を辿る。今日持って出たものの中に使えそうなものは……ない。臭気測定器もあるが体操服に付いたくらいの絵の具の量では、美術室からの臭いに負けてしまうだろう。性能を上げてばかりいるのも考えものだな、更に改良の余地がありそうだ。
 とにかく道具を使えないとなると、頭脳戦でいくしかない。通常の捜索の場合もある程度目星はつけてから当たるのだから、何とかなるだろう。……多分。不安と動揺をここで悟らせる訳にはいかない。自信は五分五分ってことで。

 そうとなれば、もっと情報を得なくてはいけない。新垣さんの周辺で今回のことに繋がる何かがないか、本人や香田さんから聞き出す。伊岡さんも先生という立場から思い当たることがあるかもしれない。もっと情報提供者が多ければ、個人を特定させるのもそう難しくないかもしれない。その辺りも含めて、まずは彼女達から話を聞こう。
 組んでいた腕を解くと、僕はまるで探偵になったような気分で口を開いた。

「お伺いしたのですが……」
「イッチバー……ん?」

 僕の声を遮る騒がしさに前の入口へと視線を向けると、人懐っこい顔をした男子生徒が大手を広げて入ってきたところだった。女子とお揃いの柄の制服をわざと気だるげに着崩して、短髪をツンツンと跳ねさせているのは童顔から出る幼さを誤魔化すためだろうか。しかし正面に僕を捉えて首を傾げて、そのまま固まっている姿はやはり幼かった。教室に居る異質な存在の正体を考えているのだろうか。

「おーい、一番じゃないから。うちら居るし」

 香田さんが言うと、その生徒は解放されたように動き出す。

「お前ら、まさかサボりかー? めぐちゃん先生に怒られちゃうぞ!」
「めぐちゃんも居るもんね」
「えぇー、俺とリョウが真面目に授業受けてたってのに!」
「望月君、真面目に受けるのが普通なんだから威張らないの」

 教卓の前で出席簿を開いていた伊岡さんが、オーバーに悔しがる彼を注意した。いつものことなのか新垣さんも香田さんも可笑しそうに笑っている。すっかり僕の存在を忘れている彼がムードメーカーなのは間違いなさそうだ。彼女達と仲が良いことも。
 へいへい、と気のない返事をする彼の後ろから、もうひとりの生徒が入ってきた。底抜けに明るそうな望月という彼とは対照的に、制服をきちんと着こなしたいかにも優等生といった雰囲気の生徒だ。黒々とした髪が色白な頬の辺りで揺れていて、男なのにどことなく美しいと感じさせるものがあった。右目の下に泣きぼくろがあり、こちらに向ける警戒するような瞳を強調して見せる。望月君が言ったリョウというのは彼のことだろうか。

「誰?」

 その声は非情なほどに冷たく、肌に刺さるような気がした。それを正面から見返して、僕は唾を飲んだ。


  

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