雨模様の終礼、隠されたスピリット

些稚絃羽

3.降りかかる謎

 表情を動かさず、端的に発っせられたのは明らかに僕への問いだった。望月君は隣に並んだその生徒を一瞥すると、そこで僕を思い出してはっとする。今頃思い出したのだろう、その様子が僕の心を随分と和ませてくれた。こちらも随分と対照的なふたりだな。
 いつも通り名乗れば、不可解そうに首を傾げられる。この学校までは僕のことは伝わっていないようだ。

「探し物、探偵? が、何でここに居るんだ?」
「……もしかして、体操服の?」

 見た目通り知性的な彼は、視線を新垣さんに向ける。その目は僕を見た時とは全く違う。当然だろうが、しかしただのクラスメイトを見る目にも思えなかった。彼の言葉に答えるように彼女は頷くが、ほとんど目線は下に落ちていた。強い視線から逃れるように。
 望月君も合点がいったらしく、声を上げた。

「あーはいはい、そういうことね。でもそこまでしなきゃいけないのか?」
「どういう意味よ?」
「だって、いらない体操服だったんだろ。誰かが捨ててくれたって思えば良くね?」

 彼が言うことも分かる。絵の具が付いてしまっているのだからこの先の用途も絵を描く時に使うしかないだろう。それをわざわざ探すというのもあまりない。まぁ、正確に言えば無くした本人ではなく香田さんに引き入れられたんだけど。
 香田さんは彼の言い分を聞くと、机をドンと叩く。その横顔はむすっと不機嫌そうだ。

「だって気分悪いじゃん! 誰かが勝手に持って行ったんだよ、もえが居ない隙を狙って。何を思ってかは分かんないけど、もえが騒がないからって調子乗ってんだ。そんな奴最低じゃん!」

 あたし教室に居たのに、と最後に吐き出した言葉がその表情の理由だと分かる。友達のものが盗られた場に居たのに止められなかった悔しさ。彼女から感じるのは正義感というよりも、新垣さんへの友情だ。彼女にとって重要なのは何を盗まれたかじゃない、新垣さんのものが盗まれたということ。だからきっと本人よりも躍起になるんだろう。
 その様子に気圧されて、彼も小さく謝る。香田さんはふっと息を吐いてわざとらしくにかっと笑う。

「だからお願いしたの。丁度ね、外で見つけたから」
「え、知り合いとかじゃないのかよ?」
「うん、初めまして」

 ね? と見上げられて曖昧に笑って返す。
 初めましての割に距離が近すぎやしないかと思う。今思えば新手のナンパのようだった。せめて、ですますは使ってくれないだろうか、僕は年上だぞ?
 大人なので言わないことにして、続いている会話の後ろで新垣さんに聞いてみる。

「クラスの人全員にもう話したんですか?」
「いえ、ここに居る皆だけです」

 体操服を無くしただけだから大事にしたくなかったのだと説明されて、僕は頷いた。それもそうだろう、他の人にしてみればただの汚れた服。望月君と同じ反応をされるのがオチだと思う。
 それは抜きにしても賢明な判断だった。彼女がこの三人のクラスメイトにだけ話したということは、それだけ他の生徒より関わりが深いのだと分かる。捜索は効率が命だ。新垣さんの周辺についてクラス中に聞くよりも断然手間が省けるし確実なはず。それにもしも犯人がクラスメイトやそれに近い人物だとしたら、話が広まれば広まるほど警戒心は強くなる。知られるのを恐れて捨ててしまうならまだいい。動機が強い悪意や行き過ぎた好意なら、今度は彼女自身が標的にされる可能性だってある。
 ――こういう時の末路は、何故だか最悪のものしか思い浮かばない。


 教室の時計は十一時二十分を過ぎた頃。授業が終わるにしてはあまりに早いが、おかげで話を聞くべき人が集まった訳だ。事情を知らない生徒が戻ってくる前に内部事情を掴んでおきたい。
 男子生徒ふたりにも無くなった時の状況を聞いたが、教室には居たもののやはり分からないと言う。それぞれ居た場所は、香田さんが新垣さんの前の自席、望月勝平もちづきかっぺい君が前の入口の辺り、そして渡瀬了わたせりょう君が後ろの窓際だと言う。三人とも新垣さんが出て行ったのは見たが、それから彼女の席に誰かが近付いたのには気付かなかったらしい。
 つまり教室の各方面からの目があったにも関わらず、犯人はまんまと盗んでいったということだ。犯人は怪盗の素質が……真面目にやろう。
 僕はここに居る全員に向けて、単刀直入に本題を切り出した。

「これはどう考えても誰かに盗まれたとしか思えません。無くなったのが絵の具の付いた名前入りの体操服ということと、誰にも目撃されていないということから明白です。
 では誰が盗みを働いたのか。どなたか心当たりはないでしょうか?」

 新垣さんの周りの席に座った彼等は考え込むように視線をあちこちに向ける。その中で一番に反応を示したのは、香田さんだった。

「あれじゃない? B組の小池。あいつ、もえにぞっこんじゃん」
「ぞっこんって……。でもあんな身体のでかい奴が入ってきたら気付くだろ」
「そっか、じゃあ木下は? 振られた腹いせとか。あれ、めっちゃ足早いよ」
「でも木下は」

 望月君が異議を唱えていくが、その度香田さんから新たな名前が出てくる。それもすべて男。この様子だと、新垣さんは嫌がらせを受けるような対象ではないのだろう。しかし、かなりの人数から好意を寄せられているらしい。恋愛絡みの線一本で考えてよさそうだ。
 彼等の話の中で有力そうな人物が居れば、本人にカマをかけて揺さぶるというのが最も有効かもしれない。だが今のところ望月君によって否定されてばかりだから、なかなか踏み切れない。ひとりくらい怪しい人物は居ないだろうか。
 ずっと発言していた香田さんが腕を組んで溜息をつく。

「あんたさ、却下ばっかしてないで誰か出したらどうなのさ」
「えー。新垣、最近変なこととかなかったのか?」

 新垣さんは、何も、と首を振った。確かにそんな心当たりがあるのなら一番に話してくれていることだろう。
 頭を抱えた彼の隣で渡瀬君は黙ったままだ。この和やかなメンバーの中で、無表情を貫く彼の姿は浮いて見えた。賢そうな彼は今回のことをどんな風に考えているだろう。意見を聞いてみたくなった。

「渡瀬君は何か思い当たることはないですか?」

 彼は僕の方へ視線を上げると、睨みつけるようにじっと見つめてきた。その強い視線にはどんな感情が込められているのだろう。その瞳に宇加治という男のそれが思い出された。
 誰もが彼の言葉を待つ。そこには信頼と微かな期待が漂っていた。やがて彼が口を開く。

「捕まえられるなら、もうやってます」

 その声は攻撃的で、けれどどこか諦めているように沈んで聞こえた。
 どういう意味だろう。心当たりがあるなら既に自分が犯人を見つけている、ということだろうか。それにしては「捕まえられるなら」という表現は少し、飛躍しすぎているような気もする。校内での盗みを犯罪として持ち出すのは難しいだろう。――彼にとっては、それほど重大だということなのか?

「あーと、そうだ! あのさ、美術部の人ってことはないのか?」

 立ち込める空気を払うように望月君が声を上げる。それによって、今朝美術室から体操服を取ってきた時に美術部の数人に会ったという話が出た。
 この学校では文化祭を終えると部活動は停止し、冬休み明けまでないのだそう。自身の持ち物はすべて持ち帰らなくてはいけないという規定のため、美術部員以外の生徒も多くが今朝部室の片付けをしていたらしい。放課後は学年集会が入っているとかで、今朝しか時間がなかったからだとも教えてくれた。

「他の部の奴にも会っただろうけど、袋の中身が体操服だってのは美術部の奴しか知らないだろ? 今日持って帰るとのを知って……とかってのはどう?」
「どしたの、今日冴えてるじゃん!」
「おい、これが俺の実力な」

 このふたりを見ていると和む。こんな友達が居たらもっと楽しい学校生活が送れた気がする。今更そんなことを考えても意味はないのだけれど。
 望月君の案を受けて香田さんが何かを思い付いたようだ。自分のひらめきに感動したのかほくほくした顔をしている。

「ねぇねぇ、一年の大倉って子は? ちょっと暗いしさ、何かやりそうじゃない?」
「雰囲気で決めつけるのはどうかと思うけど……俺もそいつしか浮かばない。了はどう思う?」

 ありえなくはないんじゃない、という曖昧な返答だったがふたりにとっては太鼓判だったらしい。最高潮に盛り上がって、犯人を捕まえたも同然と思っているようだ。聞いていた新垣さんは困った顔をしながら黙ったままだった。
 幾らか挙がった中でその大倉という子だけは調べてみる価値がありそうだ。情報としては一年生で美術部、暗そうというのしかないが隠し場所の候補は上げられる。
 僕は美術室に連れて行ってほしいと願い出た。新垣さんがもう立ち寄らないことを知っているのだから、隠しておいて最も気付かれにくい場所は美術室だろう。日中ずっと自分の手元に置いて何かの拍子で知られるよりも、あってもおかしくない場所に隠している方が安全だ。そういったことを話すと、予想通りの反応を返してくれた。

「すげぇ、探偵っぽい!」
「ほら、あたしの目に狂いはなかった!」
「……探し物探偵なんですけどね」

 チャイムが鳴り、三限目の終礼を知らせる。そろそろここを出た方が良さそうだ。

「早く行こうぜ! そんでついでに四限目サボ」
「望月君?」
「サボっちゃいけないから早く戻って来ないとなぁー」

 伊岡さんの牽制で望月君は発言を瞬時に変えながら立ち上がる。香田さんは早くも教室から出ようとしていた。あとのふたりも動き出して皆で教室を出た。が、伊岡さんはそれに付いて来ない。不思議に思ったのは香田さんも同じようで、行かないの? と廊下から呼び掛ける。伊岡さんは手元のプリントを掲げると答えた。

「堀先生に持ってきてって頼まれちゃったから」
「うげぇ。あ、でもどうせ物理室でしょ?」
「そうなんだけど、先に職員室寄りたいの。神咲さん、よろしくお願いします」

 僕達は伊岡さんを残して、歩き出した。


 美術室は最初に通った校舎にあるのだと香田さんが教えてくれた。あの校舎は別棟と呼ばれていて、一階に物理室と化学室、二階に視聴覚室と情報処理室、三階に美術室と技術室があるそうだ。選択授業でその教科を選んでいたり新垣さんのように部活動をしている人以外はほとんど立ち寄らないらしく、それならますます僕の予想に信憑性が出てきた。これからは道具の改良もそこまで必要なくなるかもしれないな。
 僕と香田さんの間を歩いていた新垣さんが、向こうの袖を引く。

「楓ちゃん、ちょっとお手洗い行ってきたいから先に行っててくれる?」
「あ、そっか。別棟はトイレないんだよね。いってらっしゃい」

 そんな会話をして新垣さんが来た道を戻っていった。前のふたりはこちらを気にする様子を見せてから、何事もなく先を行く。
 邪推だが、この四人の関係というのはどうなっているんだろう。決して男女の友情がないとは思っていない。しかしただの友達と片付けるには色々と込み合っている気がする。特に渡瀬君のあの目。それ以上は上手く表現できないんだけど。

 別棟が目前に見えた時、渡瀬君が立ち止まる。掲げた手には文庫本があった。

「本返してくる、後で行くから」

 入っていったのはひとつ手前、右手の校舎。そちらに図書室があるのだろう。このまま捜索が終われば、帰る前に覗いてみてもいいだろうか。三人になった僕達はそれを見送って、今度は並んで歩き出す。
 合う話題はないかと探しているとちらちらと視線を感じた。望月君だ。

「何か?」
「あ、すんません。いや、了のこと怒ってないかなって思って」

 怒る? 確かに初対面の人に向けるにしてはかなり刺々しい態度だったものの、初対面なのに友達のように接してきた子もいるから特に気になってはいない。望月君にとってはそれほどのものだったのだろうか。

「怒ってないですが、どうして?」
「了、最近ピリピリしてて。一年の頃はもっと優しい感じだったのに、急に不良モード突入したみたいで」

 何があったのか話してくれないんだけど、と言う彼は拗ねているように見えた。僕を気にしているというよりはその気持ちを聞いてほしかったのかもしれない。彼女もそう思ったのか、彼の背中を軽く叩いている。それがじゃれ合いへと変わった頃、別棟へと辿り着いた。
 中央のドアから入り、ふたりに従って右に曲がる。階段は校舎の両端にあるようだ。

 見上げた窓の外は今にも雨が降り出しそう。本当に降ったら傘はどうしようか。帰るまでもってくれると有難い。
 顔を反対に向けると、そこは物理室だった。僕の通った高校には物理室なんてものはなかったから、どんな風なのか気になるところだ。理科室とどう違うのだろう。

 三階まで階段を上る。一段ずつ近付く毎に、固まっていたはずの確信が不安定になっていく。いつもと勝手が違うからだ。道具を使って目や耳に訴えるものがないと手ごたえが感じられない。美術室にありさえすればいい、それが確認できさえすればいいんだ。


「あ、鍵忘れてね?」

 美術室の前で重大なことに僕達は気が付いた。誰も居ない教室には当然鍵が閉まっており、全員がそのことを忘れていたのだ。

「どうする? 戻った方が早いかな……」
「でも新垣なら持ってるって可能性も……」

 苦い顔でドアを見つめるふたりを見ていると声を出して笑ってしまいそうだ。
 僕は時間があるし、この子達を授業に遅れさせる訳にもいかないから、誰かに鍵を持って来るよう頼んでもらう方がいいだろう。そう思い、その切なげな背中に声を掛ける。

「ここまでありがとう。悪いんですが」
「イヤァァァァァ……」

 その時突然、どこからか女性の悲鳴が聞こえた。ふたりは同時に振り返り、示し合わせたように声を上げた。

「めぐちゃん!?」

 走り出したのは反射的だった。悲鳴の意味を考える余裕もない頭の隅で、何者かがまたかと冷やかに呟いた気がした。
 伊岡さんは物理室に行くと言っていた、恐らくそこで何かを見つけたんだ。階段の途中で新垣さんが立ち止まっていたが焦りで声を掛けることができない。どうか僕の思い過ごしであってほしいと思いながら一階を目指した。

 階段を降りきり廊下を曲がる。物理室はドアも窓も開いていないようだ。ならどうしてあんなにも鮮明に悲鳴が聞こえた?
 隣のドアが、開いていた。プレートには物理準備室と記されている。その開いた隙間から何かが僕を吸い寄せる。
 いや、本当は分かっている。その先に何が待っているかなんて。どうしてだか直観している。この場にいる以上、もう逃れられないということも。
 近付いたドアからは暖気が漏れていた。半開きのドアに手を掛けると静寂を破るように音を立てて開いた。


 瞬間、チャイムが鳴る。その音は授業開始の合図と共に、ひとりの男の終わりの合図になった。


 適度に暖められた小さな部屋の中央。回転椅子に腰掛け、こちらを向いたまま項垂れる男の額に赤い筋が落ちていく。足元に転がっているガリレオ温度計は先端が折れ、破損した部分を補うように赤々とした血がそこを覆っていた。それは液体の中を漂う赤いガラス玉のように透き通ることはない。元の場所より飛び立った透明な鷹は翼を広げたまま床で眠っている。

 入らないよう注意する必要はなかった。誰もそれ以上進んで来ようとしなかったから。
 僕は足を進め、傾いた首に指を添える。消えた脈を確認し、溢れた血液を間近に見て、僕は呆然と初めてだと思った。
 ――こんなに死に顔らしい死に顔は、初めてだ。


 “堀先生”らしき物理教諭は、いかにも死体らしくその最期を遂げた。


 僕の後ろで幾つもの息が短く吸い上げられるのが聞こえる。誰もが目の前の光景に目を背けることなく、ただ沈黙を貫いていた。背中に感じる気配から皆が皆、何かを探っているように思えた。
 そして僕も、その死体から目を逸らすことができなくなっていた。目を瞑って隠すことすら難しい。まるでその光景に虜になっているかのようで、自分が怖かった。そんな自身を置いて、ただ口が動き出す。

「伊岡さん、校長先生にお伝えして警察を呼んだ方がいいでしょう」
「……警察……?」
「これは明らかに、殺人でしょうから」

 うろたえ駆け出した伊岡さんの足音が消え、聞こえるのは時計の秒針の音と、僕のやけに落ち着いた鼓動の音。入口を塞いでいる学生達は瞬きすら忘れているのかもしれない。一番隅の校舎は、どこかに取り残されたようにひっそりと、動きを止めていた。
 そして聞こえてきた最初の声に、僕は背筋が冷たくなった。

「堀も、人間だったんだな」

 笑いさえ含んだ単調な口調で、渡瀬君はそう言った。馬鹿にするように、感心するように。
 恐る恐る振り返った先の彼は、しかし笑ってはいなかった。何かを堪えるように頬を強張らせ、じっと遺体を見据えていた。
 新垣さんは口元を抑えて目を硬く閉じている。香田さんはそれを支えながら、これまで見せなかった怪訝な顔で部屋全体を見渡している。視線を動かさない望月君は、僕を最初に見た時と似た表情をしていた。

 何だか少し、違和感がある。高校生の反応とは思えないと言えばいいだろうか。これまで二度同じような場面に出くわしたが、この子達よりずっと大人の彼等はここまで冷静ではなかった。もっと痛い程に震え、当惑で焦点を定めることもできなかった。なのに。
 心が冷めている、と思った。死に対するというより、目の前の相手への感情が何もない。死んだという事実を受け止めただけ。もしくはそれによって、人間であったことを認めただけ。

 彼等の間に何があるのか。それを知ればこの死の真相は自ずと見えてくるのかもしれない。
 そう思いながら本当に知りたいのは十六、七の彼等の心そのものだ。何がこんなにも彼等を異常に見せるのか。その答えが欲しい。
 並ぶ四人の顔を目に焼き付ける。できるならこの表情を変えてやりたい。そう望んでしまう今の僕は探偵でも探し物探偵でもなく、ただのお人よしかもしれない。


 

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