雨模様の終礼、隠されたスピリット

些稚絃羽

6.彼の自白

 広い室内にふたりきり、僕達は向かい合っている。一言目をまだ発せずにいた。
 他の皆には席を外してもらった。昼は購買に行くつもりだったと言うからそれぞれ昼食を取ってもらい、彼の分も用意してきてくれるよう話した。しぶしぶ出て行った彼等は当然のことながら、渡瀬君の答えを問い質したい気持ちを全身から溢れ出していた。特に望月君は実際に冗談だろ、と何度も口にしていたが渡瀬君は一度もそれに答えなかった。顔を向けることもせず、聞こえているのかさえ怪しい程に微動だにしなかった。

 理性的な彼がどうしてと思うものの、攻撃的なあの眼光と発言はそうした顔を垣間見せていたのではないかと考えてしまう。やったのだと言われてしまえば、見た全てがそれを裏付けようと僕の頭を駆け巡る。ひとつひとつの言葉を思い返しては、耳にした時よりも冷淡で邪悪な声で再生されて、何が本当か分からなくなる。
 本当に彼がやったのだろうか。堀靖二を、殺害したのだろうか。何をそこまで我慢してきたのか。どうして、どうやって……?

「何も聞かなくていいんですか?」

 逆に問われて、はっと我に返る。同じ目線で見つめた瞳に大した強さはなく、寧ろ優しさの色をそこに垣間見る。声も落ち着いていて、柔らかさと温かさが感じられる。これが本来の彼なのだろうか。望月君が話していた昨年の彼というのはこんな風だったのかもしれないと思う。
 彼の様子が一変したのは何故か。隠していた事実を告白できたからか。それとも、堀氏を排除することができたからなのか。――想像して、背中を何かが這うような感覚がした。
 乾いた口で唾を飲み込んで僕の方が追い詰められたように息を吐く。

「動機は、何だ?」
「簡単に言えば嫉妬と、ナイトを気取ったってとこですしょうか」

 事も無げにそう言う。
 嫉妬。彼にはあまり似つかわしくない感情に思えたが、実際彼の強い警戒心に宇加治を感じた瞬間がある。奴は想われない不安から強い嫉妬を抱いていた。目の前の彼もそんな風に誰かを想っているのだろうか。だとしたら相手は彼女としか思えない。

「……新垣さん、か?」

 返された微笑みは明らかな肯定だった。目映く星が散るような、目を奪われる彼の笑みはその深さを伝える。彼はゆっくりと視線を外して天井を仰ぎ見た。

「恋と呼ぶには、僕のはもっと重いかもしれないですけどね」

 自嘲気味に小さく笑い声を上げて、喉仏がひくつく。ストーブの方で何かが爆ぜる音がした。
 彼は蛍光灯の光に眩しそうに瞼を閉じると、そのまま話始めた。

「好きなのに今以上には近付けなくて、だけどあいつは嫌がる新垣に平気で近付いて。触れそうになった時には頭の血管が切れるかと思いましたよ。
 ナイトだなんて言ったら格好良くなるかなって思ったけど、要は醜い嫉妬の末の犯行です」

 巻き込んですみませんでした、と彼は頭を下げる。
 流れるニュースに痴情の縺れ等の男女間のトラブルは確かに多い。これもそうなのだと彼は言う。しかし本当に制御できないものだったのだろうか。手を止めることがどうしてできなかったのか。それだけ明確な意志と深い憎悪が彼に宿ってしまったということなのだろうか。
 殺意を実行してしまった要因がきっとあった筈だ。今のままでは、探偵役の僕が自白を納得することができない。

「何があったんだ。君達の間に、何が?」
「別に今日じゃなくても良かった、でもあいつが新垣の体操服を盗んだから今日になっただけ。殺意はいつだってありました」
「彼が盗んだと知っていたのか?」
「たまたま三限目が始まる前に、袋を持ったあいつを見かけて」

 それが彼女のものと踏んで、図書室に行った後すぐに堀氏の元を訪ねて口論になったらしい。始めは取り返すつもりで行ったが話している内に挑発され、それに乗ってしまったのだと。その挑発の内容は言いたがらなかったが、新垣のことだとだけ話した。

 その光景を想像してみる。ありえないことはないだろう。嫉妬が増幅していた上に恐らく彼女に関する発言をされれば、怒りと憎悪に頭が白くなることもあるのかもしれない。恋愛や想いの形はそれぞれで、彼は罪を犯してしまう程に新垣萌乃という女性を愛していた、ということなのだろう。
 ……犯行動機として妥協することはできそうだが、未だ渡瀬君が犯人だと納得はできない。彼がそこまで衝動的に行動してしまうのかどうかが僕には分からない。まだ知り合って二時間程度しか経っていない僕は知る由もないが、友達の反応を見るにありえないと言ってしまえそうな気もした。勿論周りの評価がいつだって正しいとは限らないし、友達であっても他人には分からない胸の内があるのも確かだ。しかしそれで片付けてしまうには彼は純粋すぎるように見えるのだ。

「僕達と別れてから合流するまでの行動を、順番に教えてくれないか」
「……嘘をついてるって言いたいんですか?」

 供述を信じられずに質問を重ねているのをそう揶揄されて、子供のように言い訳が口をついて出る。

「だって、おかしいじゃないか。僕は警察でも探偵でもない。探偵役を任されただけの素人なんだ。明かさなければ君には辿り着かなかった、最初から君達は除外していたんだから」

 罪を偽ることは、その罪と同様に重く許しがたい。被害者にも非があるとはいえ、犯した罪をなかったことにはできない。暴かれる前に告白することが何より最善。
 矛盾していることは分かっている。僕がこうしてここに居る意味を根底から覆すような発言だってことも。
 だけど言い逃れなんてきっと簡単だった。ミスリードされれば気付かず素直に従っていただろう。本当に最初から、彼等を疑う気にはなれなかった。思い付かなかった、という方が正しいかもしれない。あんな風に、遺体と対面しても感情を揺すぶられない彼等を見ても、どうしても犯人と結び付けることができなかった。

「まるで隠しておいてほしかったように聞こえますよ。見つけて罪を償わせるんじゃなかったんですか?」
「分からない……。だけど君がするようには思えない」

 自分の宣言を持ち出されて、咄嗟に分からないと口走った。僕は犯人を見つけたかったのだろうか、見つけたくなかったのだろうか。ただの野次馬のように、イレギュラーな出来事を覗いてみたかっただけなのだろうか。
 彼が手を汚してしまったとは考えたくない。まして嫉妬で、なんて。声にはしなかったが彼はそれを感じ取った。

「それは主観でしょう? 二時間程度の付き合いで絶対に犯罪者にならないかなんて分からないじゃないですか。
 世の中には色んな人間が居て、色んな理由で犯罪を犯す人が居る。憎くて、怖くて、好きで、楽しくて……。そういう人間のひとりに僕がなったってだけの話です」

 まるで傍観者だ、静かで感情を抑えた声。自分を擁護するでもなく非難するでもなく、物語の語り部のように事だけを語る。一体どこから自分のことを見ているのだろう。
 こんな真実ならやはり隠していてほしかったと頭の片隅で思う。僕が知っていいものではなかった、僕なんかが見つけようとしていいものでは決してなかったから。
 僕が探し出す死の真実は、どうしてだか哀しくやるせない。だからだろうか、悪の定義が曖昧になる。もっと根本から否定してしまえるような、そんな殺意なら。そんな風に考えてしまう。――薄らいでいく断罪の意識に、いつか自分もその中に入ってしまいそうな予感が僕を手招きしている気がした。

 彼は言った、犯罪者にならないかなんて分からないと。
 そうだ、分からない。しかし絶対に犯罪者になるかどうかも分からない。分からないことを無理やり納得するのは嫌なんだ。だから僕は答えを得ることを諦められない。

「それなら、全部教えてくれ。あったことを最初から最後まで話して、君が罰するべき人間だって思わせてくれよ」
「……変な人。探偵には向いてないですね」
「いいんだ、僕は探し物探偵だから」


 彼が話した一連の行動はこうだ。
 本を返しに行くと言って僕達と別れた後、実際に校舎三階にある図書室へと向かった。本を返しすぐに出てくると、物理準備室へと直行。堀氏が大抵の時間をその部屋で過ごすと知っていたからだ。中には案の定、その人が居た。
 開口一番、恥ずかしくないのかと聞くと、何の話だとしらばっくれる。新垣の体操服のことだと言えば、気味の悪い咳き込むような笑い声を上げた。服のことには触れようとせず、好きなのかと聞いてきたためそれを無視して返すよう求めた。しかし出そうとしない。
 そして、こんな話を始めたと言う。

「卒業するまで俺のすることを黙って見ていられたら、新垣にこれ以上のことはしないと約束してやろう。でももし口出ししたり止めようとしたら」

 ――滅茶苦茶に傷付けて、人前に出られなくしてやる。それも楽しそうだなぁ。
 耳元で煙草臭い息と共に吐き出されたのは、そんな教師はおろか人間とすら思えない交換条件。殺意は一気に膨れ上がり、それを必死で食い止めていた一縷の理性は今にも千切れる寸前だった。

「どうする? 黙っておいて卒業と同時に解放してあげるのがいいか、格好付けて手出しして人生を奪うのがいいか。賢いお前なら分かるよなぁ? 
 まぁ、本当に止めるなら俺を殺すって手もあるけど」

 その言葉が殺意を形にした。手元にある温度計を掴み、蔑んだ視線を向けてくるその顔に思い切り打ち付けた。どうしようもできないと恐れていた相手はあっさりと死に、動かなくなったと溜息混じりに彼が言う。あいつも人間だった、と。

 それから、先生が来ることを思い出し周りに誰も居ないことを確認して部屋を出ると、裏門側のドアから出てそこに身を隠していた。新垣さんが校舎に入り、伊岡さんが入ってきたのを確認して彼も中に入った。 悲鳴が聞こえたが、最初に駆けつけると勘繰られそうな気がして皆が集まるのを待ってから合流したのだった。



 その話は尤もらしく聞こえた。彼が動機の重要な部分を隠したくなったのも分かる気がする。それを話すだけで彼女を傷付けるように思えるから。
 彼は終始冷静に話していた。堀氏の発言を復唱する時だけは歯軋りするような場面もあったが、僕が納得できるような話し方をしてくれていたと思う。話し終わり、彼はほっと息をついて手を広げて見せる。

「これで分かってもらえましたか?」
「君の言い分を理解はした。後は証拠を探す」

 聞いていく内、少しずつ自分が冷静になっていくのが分かった。向かい合った最初よりずっと頭はすっきりとしていて、必要なことだけを僕に促す。
 探偵役は最後までその役割を全うしなくてはいけないだろう。彼を大切に思う友達が真実を呑み込むためには、本人の言葉以上に証拠が物を語る筈だ。
 僕が答えると、今度は顔を顰めて不機嫌を露わにする。

「何かおかしいところがありますか? 自白が何よりの証拠でしょう」

 何の不満があるのかと言うように、前のめりになって主張する。それは初めて、彼が感情に動かされた瞬間だったと思う。

「そもそも指紋を調べることもできないのに、どうやって証拠を見つけるって言うんですか?」

 彼の言葉は事実だ。僕が探せるものには限りがある、今だけは。
 指紋を調べることができたら随分前に解決していたかもしれないし、彼の告白を疑うこともなかっただろう。実際、証拠を探すとは言ったものの簡単なことではない筈だ。決定的な証拠が見つかるという保証なんて少しもない。だから、彼以外は不可能だと思えるだけでもいいんだ。彼しかいないと思えたら、認めざるを得ないのだから。……悲しみが消えてしまう訳ではないけれど。
 彼の苛立ちが伝わってくる。それから焦りを隠すような翳りも。だから僕は問い掛けた。

「調べられたら困ることがあるのか?」
「ないですよ、何でですか?」
「君は僕が証拠を見つけ出す手段がないことを理解しているのに止めようとしている」
「それはっ、無駄なことだと思ったから」

 口元を隠すように大きな手が頬を撫でる。言葉の詰まりにやはり何か隠していることがありそうな気がする。それが何なのかも分かるだろうか。
 僕は立ち上がり、感情と動作を無理やり制御するように拳を握る彼に言葉を返す。

「無駄かどうかは探す僕が決めることだ。ただ、生憎“探し物”を面倒だと思ったことはないからね」

 目の端に見た彼は、小さく肩を落とし何かを思案しながら視線を彷徨わせていた。背中越しに震える吐息を聞きながらその場を後にする。

 人を信じることは大切にしてきた。疑うよりも信じたい、そう思って今まで過ごしてきた。
 自白した彼の言葉を全て受け入れることも信じることなのかもしれない。話したくなかった感情を晒させたのだからそうすることが誠意なのかもしれない。
 そうだとしても僕はここで終わりにすることはできない。彼は何かを隠していて、それはとても重要なことに思える。隠したものを暴くことによって彼を傷付けるとしても、今だけは心を鬼にして探ろうと思う。
 ――彼が純粋な気持ちでまた彼等と共に笑えるように。

 ドアに近付くと、パタパタと足音が聞こえてくる。

「もえっ!!」

 叫びにも近いその声は香田さんのものだ。新垣さんの名前を呼んでいる。何かあったのかとドアに手を掛けたその時、僕が力を入れるより先にドアが開いた。
 そこには涙を溢しながら白い息を吐く新垣さんが。あちこちに向いた髪と荒い呼吸から走って来たことが分かった。白い頬を僅かに紅潮させて、流れる涙をそのままに彼女は僕を見上げている。
 後を追っていた香田さんが彼女の後ろで立ち止まる。もえ、と呼び掛けるその表情は困惑していて、離れている時間の間に何があったのかと僕まで不安にさせた。やがて目の前の彼女が口を開く。

「渡瀬君じゃ、ないんです、渡瀬君は何もしてない。
 私なんです! 私が先生をっ……!!」

 また、分からなくなった。誰の言葉が真実なんだ?
 新垣さんの突然の告白に、折角正常に働きだした脳が悲鳴を上げる。ややこしくなる状況に思わず頭を抱えた。後ろでガタンと椅子が倒れる音がした。

「何、言ってるんだ……? 何で新垣が」
「渡瀬君は何も悪くないから」
「違う! そんなことを聞きたいんじゃない!」

 声を荒らげた渡瀬君に動揺することなく、彼女は静かに微笑んでみせた。

「最初から全部話そうと思うの。いつまでも渡瀬君に背負わせていたらいけないから」

 泣きながら笑う姿は気丈で、しかしその唇は微かに震えていた。何で、そう返した彼は他にはもう何も言わなかった。ただ何も言えなかったのかもしれないが。
 ふたりの間に何があるというのか。戸惑う香田さんの様子から彼女も何も知らないことが窺える。ふたりの間だけで交わされる無言の会話はどんな思いを交わしているのだろうか。

 どちらかがどちらかを庇い、嘘の自白をしている。そこにはどんな理由があり、どんな意味があるのだろう。
 またひとつ、真実から遠のいた。


  

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