魔法陣を描いたら転生~龍の森出身の規格外魔術師~

黒眼鏡 洸

サイドストーリー8 夢と、現実と

 ぼーっとしていたわたしは、ふと我に返って今の状況を再確認する。

 まず目につくのは包丁とまな板、それとみずみずしい野菜たち。そして、コトコトと沸騰している鍋。

 そうだ、わたしは朝食の支度をしていたんだった。

 わたしは再び朝食の支度に取りかかる。

 しばらくして野菜を切っていると、わたしの好きな声が後ろから聞こえてくる。

「おはよう、セレーナ」

「おはよう、ユーリくん」

 わたしの愛しい旦那様。

 寝起きで寝癖がピョコンっとなっているのが可愛らしい。いつもはキリリとしている瞳は、まだ眠たそうに見える。

 ユーリくんが子犬のようにクンクンと、台所の匂いを嗅いでいる。

「今日のスープは……ブルーコーンだね」

「アタリだよ、うふふ」

「どうしたの?」

「なんか不思議で……ついこの間までユーリくんがいなかったはずなのに、今は一緒に暮らしているから」

 そう言った自分の言葉に違和感を感じた。

 一緒に暮らしている? いつから?

 もやがかかったような記憶の中を覗き込もうとするわたしを、ユーリくんの言葉が遮る。

「寂しい思いをさせてごめん。もうセレーナを1人にしないから」

「うん……」

 ユーリくんは神に誓いを立てると言ってもいいほどに、真剣で揺るぎない気持ちがその強い瞳から感じ取れた。

 そして、優しくわたしを包み込むユーリくんに身を預けて、少しの間だけ安らぎを補充する。

 幸せだと心から思う。

 愛する人と一緒にいられるなら、もう他に何も望まないと思えるほどに――――

「ん、んっ……おはよう。ユーリ、セレーナさん・・?」

「あ、おはよう、母さん」

「おはようございます! お義母かあさんっ」

 いや、1つ望めるのなら、ユーリくんと2人きりで暮らしたかった、ということは心の片隅にしまっておこう。

「仲睦まじいことはいいことだが、節度をわきまえてだな……」

 流れる川の如く、次々と飛び出す文句の猛襲は止まらない。

 しかしそう言うお義母さんをよそに、わたしたちの愛も止まるところを知らない。

「ユーリくん……」

「セレーナ……」

 再び愛を確かめ合うわたしとユーリくん。

「そこ! 言っているそばから!」

 お義母さんの雷声が家中に轟いた。

 ***

 テーブルに朝食が整い、最後にわたしが席に着いたところで食べ始める。

 今日の献立は7種の野菜を使ったサラダに、焼きたてのパン、そしてブルーコーンのスープだ。

 ユーリくんを見るとスープを口に運んでいた。

 その様子をじっと見つめる。

「美味しい! ブルーコーンの甘みがスープに溶け込んでいて、思わずほほが緩んじゃうよ」

「そう? うふふ、よかったー」

 ユーリくんはこれでもか、というほどにわたしの料理を褒めてくれる。

 それがまた、心地よくて堪らない。次も頑張って作ろうと思える。

「ま、まぁまぁだな」

 悔しそうな顔をしたお義母さんが、歯切れ悪そうに言う。

「えー、美味しいのに」

 悪気のないユーリくんの言葉が、不意打ち気味にお義母さんの胸を射る。

 思わぬところからの奇襲に堪えたのか、お義母さんはそれ以上なにも言わなかった。

 そうして朝食を取り終わると、ユーリくんとお義母さんは武龍団の仕事に向かう。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 見つめるわたしたち。

 少しの間でも、寂しいと思ってしまうのはユーリくんも同じだとわかったら、急に胸がキュッと締め付けられた。

 そしてお約束だというように、いってらっしゃいのキスを……

「行くぞ、ユーリ!」

 横暴なお義母さんはユーリくんの腕を掴み、強引にわたしたちの仲を引き裂く。

「ユーリくん!」

「セレーナ!」

 伸ばし合うお互いの手は、悔しくも届くことはない。

「や、やめろ! 私が悪者みたいじゃないか!」

「セレーナ! すぐに帰ってくるから!」

「うん! 待ってる!」

 わたしを安心させようと、ユーリくんは叫ぶ。

 その優しさに応えるように、わたしは明るく返す。

 それは恋愛劇でいう、切ない別れのシーンのように涙ぐましかった。

「ち、ちがーう!」

 お義母さんの声の方が、切なそうに感じたのは気のせいだろう。

 ***

 2人がいなくなり静かな家で、わたしは不安感を感じずにはいられなかった。

 それは現実を、現実と受け止められない自分への不安だった。

 思い返せば、語りきれないほどの時間をユーリくんと過ごしてきた。それも、わたしたちが赤ちゃんのときからだ。

 どこにいても一緒で、わたしが一緒にいることを一度も嫌がったことがない。

 それって、すごいことだ。普通じゃないよね。

 だからこそ、ありがとうなんて言葉じゃ到底足りない。

 わたしは一生ユーリくんを支え続ける。

 それこそ、この身を全て捧げるつもりだ。

 そのくらいの覚悟がなくちゃ、ユーリくんを支えられない。

 しかし、その覚悟は1人でいるときほど、わたしを苦しめる。

 ユーリくんが成龍の儀を受けて、しばらくの間は1人の時間が多かった。

 その時間は不安で、苦しくて、辛くて、何よりもユーリくんが恋しかった。

「それが今、こんなにも幸せ……な」

 誰に語っているのかもわからない、わたしの目から流れ落ちるものは涙だった。

『ちがう、これは現実なんかじゃない――ただの夢だ』



 理解した瞬間、乾いた泥が崩れとれるように世界は崩壊を始める。

 ほほを叩かれたような目覚めだった。

 それと同時に、自分の弱さと甘さが恥ずかしくなった。

「起きたか?」

「はい、アーテルさん……」

 どうやら、わたしは寝てしまっていたらしい。

「……嫌な夢でも見たのか?」

 アーテルさんが心配そうにわたしを見る。

 心配させてしまったことに申し訳なさを感じた。

「いえ、むしろ幸せな夢でした」

「ならどうして涙目なんて」

「わかりません……でも、きっと本当になる。そう思うだけで、今はいいんです」

「そうか」

 アーテルさんはそっと微笑んで、それ以上何も聞かないでいてくれた。その優しさに救われた気がした。

「続きは始められるか?」

「はい!」

 わたしは今、アーテルさんと修行をしている。

 守られるだけじゃなく、ずっとユーリくんのそばにいるためだ。

「それじゃ、始めるぞ」

「よろしくお願いしますっ!」

 ユーリくん、楽しみにしていてね。うーんと強くなったわたしを見せてあげるから!

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