終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第五章42 砂塵の試練ⅩⅩⅩⅠ:舞い散るは鮮血
「街をこんなにした責任……取ってもらうッ!」
魔獣の襲撃を受けた氷都市・ミノルア。
航大が異世界にやってきた時代よりも、剣姫の少女が世界を守るために戦った時代よりも遥か昔の時代。世界を守護する女神の存在もなく、世界が魔竜によって支配された暗黒の時代。
バルベット大陸の北部に存在する田舎街・ミノルア。他の地域と比べて魔竜による支配の影響が少ないこの土地にも魔竜と魔獣の牙が伸びようとしていた。突如として姿を現した魔獣たちによって、それまで平穏な生活を送っていたミノルアの住人たちは一瞬にして地獄へと叩き落されることとなる。
戦禍のミノルアで生まれ、育ってきた瑠璃色の髪を持つ姉妹シュナとリエル。
二人の少女もまたミノルアの戦禍に巻き込まれてしまう。
「――――ッ!」
人々の悲鳴、遠くから木霊する轟音。
地獄絵図と化した氷都市・ミノルアでシュナが対峙するのは屈強な巨体を誇る魔獣。二本足で立つ狼のような外見をしており、口元からは鋭利に尖る牙と、両腕には鮮血で濡れた凶悪な爪が存在している。
魔獣はアルジェンテ氷山へと逃げようとするシュナとリエルを発見するなり、その前に立ち塞がり少女たちの命を散らそうとする。しかし、シュナはこんな状況であっても、妹・リエルの安全を最優先に考え、自らが一人で残ることでリエルを逃した。
「あの子が居ないのなら……私は全力を出せる……」
瑠璃色の髪を腰まで伸ばした少女・シュナ。
彼女はミノルアで生まれ、ミノルアで育ってきた。物心ついた時から両親の存在はなく、雪と氷で覆われたこの街に住まう人々の善意によって、貧しいながらもここまで生きてくることができた。
そんなシュナには類稀なる魔法の才能があった。
大人顔負けであり、騎士隊にも引けを取らない天才的な魔法の才能。それは神がシュナに与えた唯一無二のものであり、彼女は今までその才能を解放することはなかった。しかし、ミノルアを襲った悲劇が彼女の怒りを極限にまで増幅させ、そしていよいよ避けられない戦いに己が持つ魔法の才能を解放させることとなる。
「――――ッ!」
「――ヒャノアッ!」
シュナが戦う姿勢を全面に押し出したことを確認するなり、魔獣は鼓膜を引き裂かんばかりの咆哮を上げて動き出す。シュナもまた、それに負けじと同タイミングで魔法の詠唱を終えていく。
瑠璃色の少女が繰り出すのは両剣水晶を生成し、対象へ飛翔させる数ある氷魔法の中でも最も基本的な魔法だった。しかし、そもそもまだ幼い少女が魔法を使うこと事態が異例であり、大人顔負けの拘束詠唱を可能とするシュナの才能が垣間見える瞬間であった。
「――――ッ!」
地面を蹴って跳躍していた魔獣は、突如として視界を埋め尽くす両剣水晶に眉を顰める。生まれながらにして戦い、己の意志が赴くままに殺戮を繰り返してきた魔獣は、シュナが放つ魔法に驚く様子すら見せずに的確に対応していく。
自らを奮い立たせるために咆哮を上げ、人間の鮮血で染まった爪を飛翔する両剣水晶へと振るっていく。
「…………」
周囲に甲高い音が響き渡り、それと同時にシュナが放った水晶が粉々に砕け散る。
自らが放った氷魔法をいとも容易く破壊する魔獣を見て、それでもシュナは表情ひとつ変えることなく次なる魔法の準備を整えていく。
「数多の氷粒よ、立ち塞がる全てを破壊せよ――ヒャノア・レイッ!」
次にシュナが繰り出していくのは、先ほどと同系統の氷魔法である。
しかし新たに繰り出した魔法は先ほどとは違い、虚空に生成される両剣水晶の数が違う。一つ一つは小振りであるが、数えることすら億劫になるほどの無数の水晶が生成されると、それらが魔獣めがけて飛翔していく。
「――――ッ!」
視界を埋め尽くす両剣水晶を前に、ここで初めて魔獣の表情に変化が現れた。
ピクリと眉が反応を示し、忌々しげに咆哮を上げると魔獣は一度後退すると、自分を襲う両剣水晶へ対応を余儀なくされる。
雨のように降り注ぐ水晶を躱し、時に打ち砕いていく魔獣。
シュナに近づくことすらできない魔獣へ、シュナは更なる追い打ちを仕掛けていく。
「――ヒャノアッ!」
間髪入れずに魔法を繰り出していくシュナ。
彼女が持つ天性の才能。それが可能にする高精度な氷魔法の連発。
普通の少女がこれほどまでに魔法を使うことは難しく、対峙する魔獣も彼女がここまで魔法を使えるとは予測していなかった。連続して水晶が襲う中で魔獣も簡単に倒される訳にはいかないと反撃に転じようとする。
「――――ッ!」
「くッ……!?」
魔獣の咆哮が周囲に轟き、しかしそれは今までの咆哮とは少し違っていた。
大きく息を吸って放たれた咆哮は目に見えない衝撃波を生み、シュナが生成した全ての両剣水晶を破壊していく。水晶を破壊した衝撃波はシュナの小さな身体にも到達し、彼女の身体をいとも容易く吹き飛ばしていく。
軽く小さなシュナの身体がミノルアの冷たい地面を転がっていく。
「くそッ……」
「――――ッ!」
地面を転がるシュナはその勢いのまま立ち上がると魔獣の姿を探す。
「どこに……ッ!?」
「――――ッ!」
「上ッ!?」
魔獣が視界から消え、すぐさま周囲を確認するシュナ。魔獣の姿は見えず、一瞬の静寂が場を支配した後にシュナの頭上から魔獣の咆哮が響き渡る。
「ちッ……氷剣ッ!」
「――――ッ!」
魔獣は遥か高くジャンプすることでシュナの視界から消え、そして彼女が気づかない内に接近を果たしていた。
今から魔法を放っても間に合わないと判断したシュナは、右手に魔力を集中させると氷でできた両剣を生成する。
「きゃああぁッ!?」
魔獣が振るう爪を氷剣で受け止めようとしたシュナだが、しかし魔獣が振るう威力は凄まじく、シュナの魔力によって生成された氷剣は瞬く間の内に砕け散ってしまう。
「――――ッ!」
自らが生成した氷剣によって致命的な一撃を回避することができたシュナ。
爪に手応えがないことを判断した魔獣は再びの咆哮を上げると、爪を使ってシュナの身体を引き裂こうとする。
「氷剣生成ッ……くっ!」
再び接近してくる魔獣に対して、シュナは氷剣を生成して応戦する以外の選択肢がなかった。魔獣が振るう爪に対して、シュナは氷剣をもって対応する。絶え間なく繰り出される連撃を、シュナは歯を食いしばりながらも何とか耐える。
「――――ッ!」
必死の抵抗を見せるシュナだが、次第に劣勢な状況へと追いやられてしまう。
魔獣の爪がシュナの白い肌に裂傷を生み、しかしシュナの氷剣が魔獣の身体を傷つけることはない。
「――――ッ!」
「きゃあああああぁぁぁッ!?」
氷剣にヒビが入り、シュナが咄嗟に後退しようとした瞬間だった。魔獣は大きく口を開けると咆哮と共に衝撃波をシュナの身体にぶつけていく。
至近距離で衝撃波を受けたシュナは、再びミノルアの地面を土埃を上げながら転がっていく。
「くっ……」
全身を切り傷と土埃で汚したシュナ。
息を切らしながらも立ち上がり、彼女はまだ戦う意志を見せている。
「…………」
対峙する魔獣は息一つ切らすことなく、立ち上がるシュナだけを見つめて次なる攻撃に備える。
「負ける訳にはいかない……絶対にッ……!」
劣勢であることに間違いはない。しかしそれでも、シュナは倒れる訳にはいかなかった。
「――ヒャノアッ!」
再び氷魔法を使っていくシュナ。
しかし、魔獣は二度目の魔法に対して驚くことはなく、完璧に対応していく。
「――ヒャノア・レイッ!」
跳躍してシュナの魔法を回避する魔獣に対して、間髪入れずに追撃を入れていく。
無数の両剣水晶が魔獣を襲うのだが、それでも致命打には程遠く、魔獣の屈強な身体に傷を入れることすら難しい。それでも、シュナは休む間もなく魔法を打ち続ける。
「――――ッ!」
魔獣に反撃の隙を与えない魔法の連発。
シュナの狙い通り、魔獣は咆哮を上げながらも彼女に近づくことができず、少女の身体から放たれる氷魔法の冷気によって霧が発生していく。魔獣は自分の身体を貫こうとする両剣水晶に集中しており、自らの周囲が濃霧に覆われようとしていることに気付くのが遅れてしまう。
「今だッ!」
タイミングを見計らい、シュナは鋭い声音を漏らすと生成した両剣水晶を魔獣に向けて射出するのではなく、魔獣とシュナのちょうど中間点へと着弾させていく。すると、激しい轟音と共に地面を覆っていた雪が爆ぜて周囲一帯に舞い散る。
「――氷獄を支配せし、輝きを放つ聖剣よ」
一瞬の間、魔獣とシュナの二人は舞い散る雪に視界を奪われる。
魔獣もシュナの行動を予測することはできなかったのか、身動きを取ることができず混乱を隠せない。そんな状況の中で、どこからか魔法の詠唱が聞こえてくる。
「我に力を貸し、立ち塞がる全てを氷獄へ誘えッ!」
「――――ッ!」
視界を奪っていた雪が消失する。
すると、魔獣は立ち尽くすシュナの姿を発見し反射的に飛び出していく。
「――無限氷剣ッ!」
それは氷魔法の中でも最上位の最上級魔法。
周囲に猛吹雪を発生させ、対象の自由を奪い、そして無数の氷剣を生成して対象を切り刻むというものだった。シュナと魔獣を取り囲むようにして氷で作られた両刃剣が出現すると、シュナの手を借りることなく魔獣の身体を切り裂こうと跳躍する。
「――――ッ!?」
ここで初めて魔獣の様子に明確な変化が現れる。
風を切って飛翔する無数の氷剣。
それら全てを完璧に対応しようとする魔獣なのだが、しかし時間が経過するごとにほころびが生まれてしまう。一撃。また一撃と魔獣の身体を氷剣が切り裂いていく。
一度、体勢を崩してしまえば魔獣に接近してくる氷剣に対して反撃する術は残されていない。身動きが取れなくなった魔獣の身体へ、数えることすら億劫になる数の氷剣が殺到し、そして屈強な身体を串刺しにしていく。
「――――」
度重なる生々しい音が響きシュナの鼓膜を振るわせる。
氷剣が殺到する場所から魔獣の悲痛な咆哮が木霊して、それもすぐに掻き消えてしまう。
「はぁ、はあぁ……くっ……や、やった……?」
魔獣の咆哮が上がった後、シュナが立つミノルアの裏路地に静寂が訪れる。
冷気を放つ氷剣は刀身を鮮血に染め、魔獣の身体へと余す所なく突き刺さって制止している。その様子を見て、シュナは息を切らしながらも勝利を確信する。
「よかった……なんとか、勝てた……」
天性の才能をもったシュナでも、一匹の魔獣を殺すのが精一杯であった。
全身から力が抜け、身体のあちこちから零れる鮮血に立っていることすらやっとな状態であるシュナ。しかし、まだ歩く体力は残されている。先に進んだリエルを追いかけて、アルジェンテ氷山に避難することは可能だ。
「急がなきゃ……リエルが……待ってる……」
一歩。また一歩と歩き出すシュナ。
そんな彼女の鼓膜が愛する者の声音を拾ったのは、シュナが歩き出してすぐのことだった。
「お、お姉ちゃんッ!」
「リ、リエル……? どうして、ここに……?」
「お姉ちゃんが……心配だったから……」
「そんな……先に行ってって――危ないッ!?」
「――えっ?」
シュナと魔獣の亡骸の先。アルジェンテ氷山へと続く一本道の先に現れたのは、瑠璃色の髪を肩上で切り揃えた少女・リエルだった。彼女は中々追いかけてこないシュナを心配して道を引き返してきてしまった。
まさか、妹がこのタイミングで現れるとは思っていなかったシュナは、呆然と立ち尽くしてしまう。
その瞬間だった。
「――――ッ!」
無数の氷剣に身体を串刺しにされた魔獣が突如として動き出し、鼓膜を破らんばかりの咆哮を上げてリエルめがけて走り出す。
「危ないッ!」
魔獣が取った行動の意味を理解したシュナは最後に残された力を振り絞って駆け出す。
こちらへ向けて走ってくる魔獣とシュナを見て、リエルは状況を理解できずに呆然と立ち尽くす。
「――――ッ!」
次の瞬間。
氷都市・ミノルアに静寂が訪れる。
「お、お姉……ちゃん……?」
「よかった、無事で……」
リエルの身体を抱きしめるシュナ。
そんな二人のすぐ近くでは完全に事切れて倒れ伏す魔獣の身体があった。
自分の身体を抱きしめるシュナのぬくもりに、しかしリエルは目を見開いて驚きを隠せないでいた。腹部を中心にじわりと広がる液体の感覚を、リエルは嫌というほど鮮明に感じていた。
「もう……お姉ちゃんの言うことは守らないと……ダメ……じゃない……」
「お姉ちゃん……私……どう、しよう……」
「泣かないで、リエル。貴方だけでも……逃げて……助かって……」
リエルは恐る恐るといった様子で視線を下に向ける。
リエルとシュナの間に見えるのは、魔獣の爪。
魔獣が見せた最後の悪あがき。それがリエルに届く前にシュナは、自らの身体を差し出して守ったのだった。
シュナの身体を貫く魔獣の爪。
そこから溢れ出てくるのは、愛する姉の鮮血なのであった。
魔獣の襲撃を受けた氷都市・ミノルア。
航大が異世界にやってきた時代よりも、剣姫の少女が世界を守るために戦った時代よりも遥か昔の時代。世界を守護する女神の存在もなく、世界が魔竜によって支配された暗黒の時代。
バルベット大陸の北部に存在する田舎街・ミノルア。他の地域と比べて魔竜による支配の影響が少ないこの土地にも魔竜と魔獣の牙が伸びようとしていた。突如として姿を現した魔獣たちによって、それまで平穏な生活を送っていたミノルアの住人たちは一瞬にして地獄へと叩き落されることとなる。
戦禍のミノルアで生まれ、育ってきた瑠璃色の髪を持つ姉妹シュナとリエル。
二人の少女もまたミノルアの戦禍に巻き込まれてしまう。
「――――ッ!」
人々の悲鳴、遠くから木霊する轟音。
地獄絵図と化した氷都市・ミノルアでシュナが対峙するのは屈強な巨体を誇る魔獣。二本足で立つ狼のような外見をしており、口元からは鋭利に尖る牙と、両腕には鮮血で濡れた凶悪な爪が存在している。
魔獣はアルジェンテ氷山へと逃げようとするシュナとリエルを発見するなり、その前に立ち塞がり少女たちの命を散らそうとする。しかし、シュナはこんな状況であっても、妹・リエルの安全を最優先に考え、自らが一人で残ることでリエルを逃した。
「あの子が居ないのなら……私は全力を出せる……」
瑠璃色の髪を腰まで伸ばした少女・シュナ。
彼女はミノルアで生まれ、ミノルアで育ってきた。物心ついた時から両親の存在はなく、雪と氷で覆われたこの街に住まう人々の善意によって、貧しいながらもここまで生きてくることができた。
そんなシュナには類稀なる魔法の才能があった。
大人顔負けであり、騎士隊にも引けを取らない天才的な魔法の才能。それは神がシュナに与えた唯一無二のものであり、彼女は今までその才能を解放することはなかった。しかし、ミノルアを襲った悲劇が彼女の怒りを極限にまで増幅させ、そしていよいよ避けられない戦いに己が持つ魔法の才能を解放させることとなる。
「――――ッ!」
「――ヒャノアッ!」
シュナが戦う姿勢を全面に押し出したことを確認するなり、魔獣は鼓膜を引き裂かんばかりの咆哮を上げて動き出す。シュナもまた、それに負けじと同タイミングで魔法の詠唱を終えていく。
瑠璃色の少女が繰り出すのは両剣水晶を生成し、対象へ飛翔させる数ある氷魔法の中でも最も基本的な魔法だった。しかし、そもそもまだ幼い少女が魔法を使うこと事態が異例であり、大人顔負けの拘束詠唱を可能とするシュナの才能が垣間見える瞬間であった。
「――――ッ!」
地面を蹴って跳躍していた魔獣は、突如として視界を埋め尽くす両剣水晶に眉を顰める。生まれながらにして戦い、己の意志が赴くままに殺戮を繰り返してきた魔獣は、シュナが放つ魔法に驚く様子すら見せずに的確に対応していく。
自らを奮い立たせるために咆哮を上げ、人間の鮮血で染まった爪を飛翔する両剣水晶へと振るっていく。
「…………」
周囲に甲高い音が響き渡り、それと同時にシュナが放った水晶が粉々に砕け散る。
自らが放った氷魔法をいとも容易く破壊する魔獣を見て、それでもシュナは表情ひとつ変えることなく次なる魔法の準備を整えていく。
「数多の氷粒よ、立ち塞がる全てを破壊せよ――ヒャノア・レイッ!」
次にシュナが繰り出していくのは、先ほどと同系統の氷魔法である。
しかし新たに繰り出した魔法は先ほどとは違い、虚空に生成される両剣水晶の数が違う。一つ一つは小振りであるが、数えることすら億劫になるほどの無数の水晶が生成されると、それらが魔獣めがけて飛翔していく。
「――――ッ!」
視界を埋め尽くす両剣水晶を前に、ここで初めて魔獣の表情に変化が現れた。
ピクリと眉が反応を示し、忌々しげに咆哮を上げると魔獣は一度後退すると、自分を襲う両剣水晶へ対応を余儀なくされる。
雨のように降り注ぐ水晶を躱し、時に打ち砕いていく魔獣。
シュナに近づくことすらできない魔獣へ、シュナは更なる追い打ちを仕掛けていく。
「――ヒャノアッ!」
間髪入れずに魔法を繰り出していくシュナ。
彼女が持つ天性の才能。それが可能にする高精度な氷魔法の連発。
普通の少女がこれほどまでに魔法を使うことは難しく、対峙する魔獣も彼女がここまで魔法を使えるとは予測していなかった。連続して水晶が襲う中で魔獣も簡単に倒される訳にはいかないと反撃に転じようとする。
「――――ッ!」
「くッ……!?」
魔獣の咆哮が周囲に轟き、しかしそれは今までの咆哮とは少し違っていた。
大きく息を吸って放たれた咆哮は目に見えない衝撃波を生み、シュナが生成した全ての両剣水晶を破壊していく。水晶を破壊した衝撃波はシュナの小さな身体にも到達し、彼女の身体をいとも容易く吹き飛ばしていく。
軽く小さなシュナの身体がミノルアの冷たい地面を転がっていく。
「くそッ……」
「――――ッ!」
地面を転がるシュナはその勢いのまま立ち上がると魔獣の姿を探す。
「どこに……ッ!?」
「――――ッ!」
「上ッ!?」
魔獣が視界から消え、すぐさま周囲を確認するシュナ。魔獣の姿は見えず、一瞬の静寂が場を支配した後にシュナの頭上から魔獣の咆哮が響き渡る。
「ちッ……氷剣ッ!」
「――――ッ!」
魔獣は遥か高くジャンプすることでシュナの視界から消え、そして彼女が気づかない内に接近を果たしていた。
今から魔法を放っても間に合わないと判断したシュナは、右手に魔力を集中させると氷でできた両剣を生成する。
「きゃああぁッ!?」
魔獣が振るう爪を氷剣で受け止めようとしたシュナだが、しかし魔獣が振るう威力は凄まじく、シュナの魔力によって生成された氷剣は瞬く間の内に砕け散ってしまう。
「――――ッ!」
自らが生成した氷剣によって致命的な一撃を回避することができたシュナ。
爪に手応えがないことを判断した魔獣は再びの咆哮を上げると、爪を使ってシュナの身体を引き裂こうとする。
「氷剣生成ッ……くっ!」
再び接近してくる魔獣に対して、シュナは氷剣を生成して応戦する以外の選択肢がなかった。魔獣が振るう爪に対して、シュナは氷剣をもって対応する。絶え間なく繰り出される連撃を、シュナは歯を食いしばりながらも何とか耐える。
「――――ッ!」
必死の抵抗を見せるシュナだが、次第に劣勢な状況へと追いやられてしまう。
魔獣の爪がシュナの白い肌に裂傷を生み、しかしシュナの氷剣が魔獣の身体を傷つけることはない。
「――――ッ!」
「きゃあああああぁぁぁッ!?」
氷剣にヒビが入り、シュナが咄嗟に後退しようとした瞬間だった。魔獣は大きく口を開けると咆哮と共に衝撃波をシュナの身体にぶつけていく。
至近距離で衝撃波を受けたシュナは、再びミノルアの地面を土埃を上げながら転がっていく。
「くっ……」
全身を切り傷と土埃で汚したシュナ。
息を切らしながらも立ち上がり、彼女はまだ戦う意志を見せている。
「…………」
対峙する魔獣は息一つ切らすことなく、立ち上がるシュナだけを見つめて次なる攻撃に備える。
「負ける訳にはいかない……絶対にッ……!」
劣勢であることに間違いはない。しかしそれでも、シュナは倒れる訳にはいかなかった。
「――ヒャノアッ!」
再び氷魔法を使っていくシュナ。
しかし、魔獣は二度目の魔法に対して驚くことはなく、完璧に対応していく。
「――ヒャノア・レイッ!」
跳躍してシュナの魔法を回避する魔獣に対して、間髪入れずに追撃を入れていく。
無数の両剣水晶が魔獣を襲うのだが、それでも致命打には程遠く、魔獣の屈強な身体に傷を入れることすら難しい。それでも、シュナは休む間もなく魔法を打ち続ける。
「――――ッ!」
魔獣に反撃の隙を与えない魔法の連発。
シュナの狙い通り、魔獣は咆哮を上げながらも彼女に近づくことができず、少女の身体から放たれる氷魔法の冷気によって霧が発生していく。魔獣は自分の身体を貫こうとする両剣水晶に集中しており、自らの周囲が濃霧に覆われようとしていることに気付くのが遅れてしまう。
「今だッ!」
タイミングを見計らい、シュナは鋭い声音を漏らすと生成した両剣水晶を魔獣に向けて射出するのではなく、魔獣とシュナのちょうど中間点へと着弾させていく。すると、激しい轟音と共に地面を覆っていた雪が爆ぜて周囲一帯に舞い散る。
「――氷獄を支配せし、輝きを放つ聖剣よ」
一瞬の間、魔獣とシュナの二人は舞い散る雪に視界を奪われる。
魔獣もシュナの行動を予測することはできなかったのか、身動きを取ることができず混乱を隠せない。そんな状況の中で、どこからか魔法の詠唱が聞こえてくる。
「我に力を貸し、立ち塞がる全てを氷獄へ誘えッ!」
「――――ッ!」
視界を奪っていた雪が消失する。
すると、魔獣は立ち尽くすシュナの姿を発見し反射的に飛び出していく。
「――無限氷剣ッ!」
それは氷魔法の中でも最上位の最上級魔法。
周囲に猛吹雪を発生させ、対象の自由を奪い、そして無数の氷剣を生成して対象を切り刻むというものだった。シュナと魔獣を取り囲むようにして氷で作られた両刃剣が出現すると、シュナの手を借りることなく魔獣の身体を切り裂こうと跳躍する。
「――――ッ!?」
ここで初めて魔獣の様子に明確な変化が現れる。
風を切って飛翔する無数の氷剣。
それら全てを完璧に対応しようとする魔獣なのだが、しかし時間が経過するごとにほころびが生まれてしまう。一撃。また一撃と魔獣の身体を氷剣が切り裂いていく。
一度、体勢を崩してしまえば魔獣に接近してくる氷剣に対して反撃する術は残されていない。身動きが取れなくなった魔獣の身体へ、数えることすら億劫になる数の氷剣が殺到し、そして屈強な身体を串刺しにしていく。
「――――」
度重なる生々しい音が響きシュナの鼓膜を振るわせる。
氷剣が殺到する場所から魔獣の悲痛な咆哮が木霊して、それもすぐに掻き消えてしまう。
「はぁ、はあぁ……くっ……や、やった……?」
魔獣の咆哮が上がった後、シュナが立つミノルアの裏路地に静寂が訪れる。
冷気を放つ氷剣は刀身を鮮血に染め、魔獣の身体へと余す所なく突き刺さって制止している。その様子を見て、シュナは息を切らしながらも勝利を確信する。
「よかった……なんとか、勝てた……」
天性の才能をもったシュナでも、一匹の魔獣を殺すのが精一杯であった。
全身から力が抜け、身体のあちこちから零れる鮮血に立っていることすらやっとな状態であるシュナ。しかし、まだ歩く体力は残されている。先に進んだリエルを追いかけて、アルジェンテ氷山に避難することは可能だ。
「急がなきゃ……リエルが……待ってる……」
一歩。また一歩と歩き出すシュナ。
そんな彼女の鼓膜が愛する者の声音を拾ったのは、シュナが歩き出してすぐのことだった。
「お、お姉ちゃんッ!」
「リ、リエル……? どうして、ここに……?」
「お姉ちゃんが……心配だったから……」
「そんな……先に行ってって――危ないッ!?」
「――えっ?」
シュナと魔獣の亡骸の先。アルジェンテ氷山へと続く一本道の先に現れたのは、瑠璃色の髪を肩上で切り揃えた少女・リエルだった。彼女は中々追いかけてこないシュナを心配して道を引き返してきてしまった。
まさか、妹がこのタイミングで現れるとは思っていなかったシュナは、呆然と立ち尽くしてしまう。
その瞬間だった。
「――――ッ!」
無数の氷剣に身体を串刺しにされた魔獣が突如として動き出し、鼓膜を破らんばかりの咆哮を上げてリエルめがけて走り出す。
「危ないッ!」
魔獣が取った行動の意味を理解したシュナは最後に残された力を振り絞って駆け出す。
こちらへ向けて走ってくる魔獣とシュナを見て、リエルは状況を理解できずに呆然と立ち尽くす。
「――――ッ!」
次の瞬間。
氷都市・ミノルアに静寂が訪れる。
「お、お姉……ちゃん……?」
「よかった、無事で……」
リエルの身体を抱きしめるシュナ。
そんな二人のすぐ近くでは完全に事切れて倒れ伏す魔獣の身体があった。
自分の身体を抱きしめるシュナのぬくもりに、しかしリエルは目を見開いて驚きを隠せないでいた。腹部を中心にじわりと広がる液体の感覚を、リエルは嫌というほど鮮明に感じていた。
「もう……お姉ちゃんの言うことは守らないと……ダメ……じゃない……」
「お姉ちゃん……私……どう、しよう……」
「泣かないで、リエル。貴方だけでも……逃げて……助かって……」
リエルは恐る恐るといった様子で視線を下に向ける。
リエルとシュナの間に見えるのは、魔獣の爪。
魔獣が見せた最後の悪あがき。それがリエルに届く前にシュナは、自らの身体を差し出して守ったのだった。
シュナの身体を貫く魔獣の爪。
そこから溢れ出てくるのは、愛する姉の鮮血なのであった。
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