終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第五章37 砂塵の試練ⅩⅩⅥ:過去と未来を繋ぐ姫
「さぁ、準備はいい? 新たな時代の剣姫として、私を倒してみせなさいッ!」
アケロンテ砂漠に存在する砂塵の壁。
その中でライガたち一行は過酷な試練に挑むこととなった。
「…………」
『臆するな。今の主ならば、リーシアを倒すことも不可能ではない』
「本当かなぁ……絶対に強いよ……あの人」
『それを否定することはないが、彼女が全盛期だったのは遥か昔の話。その力は今、主に受け継がれているのだ』
砂塵の中で佇むのは、白銀の甲冑ドレスを風に靡かせた少女が二人。
一方は初代剣姫として、過去の時代において世界を守護するために剣を振るった少女であり、ハイラント王国の王族としてその名を轟かせたリーシア・ハイラント。
もう一方は現代の剣姫であり、ハイラント王国の貧民街で育ち、神谷 航大と出会うことで剣姫としての力を覚醒させたシルヴィア・アセンコット。
砂塵の試練はシルヴィアに初代剣姫であるリーシアを倒すことを要求しており、シルヴィアは対峙する彼女を己の剣で打ち倒さなければならなかった。
『剣を愛し、剣に愛されよ。それがこの試練を突破する、最後のピースだ』
「剣を愛し……剣に愛されよ……か」
『これまで共に戦ってきた剣を信じろ。そうすれば、その剣は必ず主の要求に応えてくれるだろう』
「分かった……やってみるよ……」
シルヴィアが両手に持つのは『緋剣』と『蒼剣』と呼ばれる赤と青の両刃剣である。
それぞれ、炎と氷の属性を持つ二対の剣は、これまでもシルヴィアを窮地から救ってきた。シルヴィアは改めて剣を強く握りしめると、その表情に険しい色を浮かべて対峙するリーシアだけに集中していく。
「うん、いい表情だね。今度は期待できそうじゃない」
「――さっきまでとは違うからッ!」
小さく呟きを漏らし、シルヴィアは地面を蹴って跳躍を開始する。
「はああぁああああぁぁあッ!」
砂塵の中で咆哮が響き渡り、止まっていた時が動き出す。
「少しは冷静になって、動きがよくなったね」
リーシアと瞬時に距離を詰めるリーシア。まずは小手調べと言わんばかりに両手に持った二対の剣を振るっていく。
風を切って自らの身体を切り裂こうとする剣に対して、リーシアも楽しげに笑みを浮かべて身体を左右に振るうことでその全てを躱していく。
シルヴィアが振るう緋剣がリーシアの髪の毛先を切り落とし、更に蒼剣が甲冑ドレスの先端を裂いていく。先ほどと同じで、リーシアは必要最低限の動きをもって、シルヴィアが放つ斬撃の全てをギリギリのところで回避していく。
「まだまだぁッ!」
「おっとっとッ!?」
ここまでで攻撃が終わっていたのが先ほどまでのシルヴィアであった。しかし今の彼女は泥臭く、貪欲に勝利を求めて足掻き続ける。
『主、焦るんじゃない。しっかりと、リーシアの動きを見て動け』
「簡単に言ってくれるけどッ……それ、結構難しいんだってッ!」
「あはッ、神竜に色々と言われてるでしょ?」
「まぁねッ……!」
「竜の言うことはちゃんと聞いておくんだよ? 時々、うるさい時はあるけど、そんなに間違ったことは言わないから」
『…………』
こうして会話をしている間にも、シルヴィアの剣がリーシアを襲う。
シルヴィアの脳内に直接聞こえるように、神竜がため息を漏らしたのだが、それを知るのは主であるシルヴィアだけであり、彼女は戦いに集中しているために神竜が見せる希少な行動に対して何かしらの言葉を投げることはない。
「でも……ずっと一緒に居て、一緒にいることが当たり前で……うるさいなぁーって煩わしかった時もあったけど……こうして本当に居なくなっちゃうと寂しいものがあるね」
剣を躱し、シルヴィアが振るう精度の高い斬撃に対して、時に自らの聖剣を使うようになったリーシアは、穏やかで、どこか寂しげな表情を浮かべる。命を落とし、剣姫としての役目を全うした今のリーシアに神竜の姿を見ることができず、更にその声すら届かなくなってしまった。
『人間とは寿命というもので縛られ生きていくものだ。それが世界の理であり、変えがたいものであるのは誰もが承知しているのに……どうしてもそれを目の当たりにすると、物悲しい気持ちにさせられる』
「……神竜はずっと、ずっと永い時を生きてるんだよね?」
『……生きている。我に対してその表現が正しいのかは分からない。我は世界を守護する存在としてこの世界と共に生まれ、時間を過ごしてきた。その間に、数多の人間が命を散らす場面を見て、感じてきた。最早、感情などと言うものは薄れて消えてしまった』
「でも、リーシアと……彼女と離れることに寂しさは感じないの?」
『…………』
過去のハイラント王国を襲った悲劇の歴史。それは初代剣姫であるリーシアと神竜が出会った物語でもある。
あの後、リーシアと神竜がどんな日々を送り、どんな戦いの時を過ごしたのか、それをシルヴィアが知ることはない。しかし、二人が共に過ごした時の長さは想像がつくものであり、無言を保つ神竜が前の主に対して何か感じることがない……というのは、あまりにも寂しいものであるとシルヴィアは感じてしまう。
「ふふっ……あまり、神竜を困らせちゃダメだよ?」
「えっ――きゃああぁッ!?」
神竜と言葉を交わす間、シルヴィアは休む暇もなく剣を振るっていた。
決して気を抜かず、少し手段を誤れば即死に繋がる連撃の中で、リーシアのそんな声音が響き、次の瞬間にはシルヴィアの身体が後方へと吹き飛ぶ。
「今はもう神竜の姿も見えないし声も届かない。だけどね、今のシルヴィアを見ていれば色々と神竜に聞いて、そして困らせてるんだろうな~って分かるんだよね」
「そんな馬鹿な……」
「でも、間違ってもないでしょ?」
「くッ!?」
シルヴィアに考える時間を与えないと言わんばかりに、今度はリーシアの連撃がシルヴィアを襲う。右に左に、上から下からと絶え間なく繰り出される連撃。シルヴィアはそれを二対の剣によって実現していた連撃だったが、リーシアは両手に握るたった一本の剣でそれを上回ってくる。
速く、重い剣が迫ってくる中でシルヴィアはその対応に集中せざるを得ない状況へと追いやられてしまう。少しでも気を抜けば、リーシアの剣がシルヴィアの身体を切り裂くのは間違いなく、この状況にシルヴィアも舌打ちを漏らす。
「神竜は真面目だからねぇ……変なこと聞くと、すーぐに黙っちゃう」
「そう、みたいねッ……!」
「色々と聞くのはまた後で……今は、私との戦いを楽しもう?」
「こんな一方的な戦いッ……楽しい訳がないでしょッ!」
めまぐるしく変化する戦況において、二つに人影が一つに交わって弾ける。
互いの連撃に一休みが訪れ、息を切らすシルヴィアと息一つ乱さないリーシアという対照的な二人の姿が存在していた。
「うーん、一方的……って訳でもないと思うけどね?」
「はぁ、はあぁ……どこを見たらそんな言葉が出てくるんだか……」
「ふふふ……今、互角かそれ以下だって感じているのなら、それは単純な経験の差って奴だよ。それもそうでしょ? 私は剣姫になって、何年も何十年も世界各地の戦場で戦ってきた。それに比べれば、シルヴィアはまだ経験がない。剣姫の力とか関係なく出てしまう力量差って奴だよ」
「…………」
「でもね、それでもシルヴィア……貴方は越えなくちゃいけないの。先代の剣姫であり、初代剣姫である私を……」
「簡単に言ってくれるけど、それができたら苦労はしないっての……」
「あれ? 神竜はまだ、力を与えてくれないのかな?」
「……神竜が?」
ここからどうやってリーシアを崩そうか……そう考えていたシルヴィアは、リーシアが放つ言葉に首を傾げる。
『……新たなる主よ。我は先ほどの問いかけに答えよう』
「えっ……?」
『我が主を持つということが、これまでの歴史においてただ二人しか存在しない』
「…………」
『一人は王国という鳥籠に捕らわれし純粋な少女。一人は生まれながらにして複雑な運命を背負い、誰よりも悲劇的な運命を歩んできた少女』
神竜が語る少女の話。
それがリーシアとシルヴィアを指していることは間違いない。
『我は永い時を世界と共に歩んできた。その中で感情というものが消失している……と、考えてきた。しかし、改めて問いかけられ、自分の中にある心へ問いかけることで、主が放つ問いかけの答えを見つけることができた』
「……聞かせて?」
『目の前で戦う少女は、我が初めて邂逅した時と何も変わらない。あるはずのない紛い物と呼べる存在であるのに、我の心は確かな穏やかさを感じていた。そして、その存在と別れを告げなければならないことに……寂しさを感じているのだ』
「……神竜って生き物は心がないのかと思ってた。でも、それは違うみたいだね」
『しかし、いつまでも感傷に浸っている時間はない。我々は前へ、未来へ歩まなければならない』
「…………」
『新たなる主、シルヴィアよ。今こそ、剣姫の力を解き放てッ!』
「――――ッ!」
脳裏で神竜の声音が響き、それに呼応するようにシルヴィアの体内から強大な力が奔流となって溢れ出てくる。
白銀の甲冑ドレスが眩い輝きを放ち、シルヴィアの身体を瞬く間に包み込んでいく。
「あはっ、すっごい力だね」
「…………」
白き輝きがシルヴィアの身体を覆ったのも一瞬であり、瞬きをする次の瞬間にはあれほどにまで溢れていた光は少女の体へと収束して消えていた。輝きに包まれたシルヴィアの姿は劇的に変化しており、その美しい姿を見てリーシアは嬉しそうに感嘆のため息を漏らす。
「これが……剣聖姫……?」
『剣を愛し、剣に愛される。そして、真に守りたいと願う少女が到達する、一つの最終型が剣聖姫である。かつて、リーシアが世界を守護した力が今、新たな主へと受け継がれた』
「力が漲ってくる……これなら、戦えるッ!」
剣聖姫としての力はシルヴィアの姿を大きく変え、身に纏う甲冑ドレスがより豪華に、そして背中からは純白の翼が生えている。その姿は、かつてハイラント王国を守ったリーシアが見せた剣聖姫としての姿そのものである。
「うんうん、準備は完了したみたいだね。それじゃ、試練の続きを始めよっか?」
「……今度は負けない」
「手加減はいらないよ。今の私を倒せないようじゃ、これから先、何も守ることはできないからね――ッ!」
リーシアは自らの言葉を言い終えるのと同時に素早く跳躍を開始する。
極限まで姿勢を低くし、大地が抉れるほどの跳躍を見せたリーシアの表情に笑みはなく、その表情は対峙するシルヴィアを倒すことにのみ集中している。
『主、剣聖姫となったからと油断はするな。相手は全盛期とは程遠いとは言っても、初代剣姫だ』
「あの人の強さはよくわかってる。油断はしないッ!」
対するシルヴィアもリーシアに遅れること数秒。両手に持った二対の剣を強く握りしめると、彼女もまた鋭い跳躍を見せることでリーシアと真っ向からぶつかっていく。
「「――――ッ!」」
砂塵の中心部。
そこで二つの人影が激しく衝突する。
凄まじい衝撃波が砂塵の中を駆け巡っていき、シルヴィアとリーシアを中心にして巨大な砂埃が巻き上がる。
「正面から逃げずにぶつかる……その意気や良しッ!」
「押し切るッ!」
砂塵の中心で互いの剣を重ね合わせ停止するシルヴィアとリーシア。
時が止まるのも一瞬で、次の瞬間には全くの同タイミングで互いの剣を弾くと次なる行動へと移っていく。お互いの剣が届かないギリギリの距離感で両足を地面につけ、再びの跳躍。
今度は正面からぶつかるのではなく、シルヴィアとリーシアは時計回りに回転するように左右斜めに跳躍し、対峙する敵が見せる一瞬の隙を伺い、剣を振るっていく。
砂塵の中に剣戟の音が幾度となく響く。
一回や二回ではなく、その音は何重にも連鎖するようにしてシルヴィアとリーシア、それぞれの鼓膜を震わせていく。
「――――ッ!」
「――――ッ!」
最早、二人の少女に言葉なんて必要なかった。
命を刈り取る剣の応酬でシルヴィアとリーシアは会話をしているのだ。
赤の他人であるなんて思うことができない、互いの考えていることが剣を通して伝わってくる。
「…………ッ!」
リーシアと剣を重ね合わせる度に、シルヴィアの胸中には複雑な感情が渦巻くようになっていた。決して剣を鈍らせるものではなく、しかしその違和感は確かにシルヴィアの中で存在感を強くしている。
言葉を発することはない。
表情に出すこともない。
振るう剣に動揺を見せることもない。
ただ無心に、ただただ貪欲に勝利を求めて剣を振るうシルヴィアは、胸中で大きくなる違和感に心内で動揺する。
『今は何も考えるな。ただ、剣にだけ集中するんだ』
「……分かってるッ!」
一段とシルヴィアが振るう剣の精度が上がる。
両手に持つ二対の剣を振るう度に、リーシアの身体へと少しずつ、少しずつと近づいていく。華麗に舞うリーシアの甲冑ドレスは気付けば、あちこちに切り傷が発生しており、それはシルヴィアが振るう剣によって生まれたものである。
「すごい……これが貴方の力ッ……!」
リーシアの剣はシルヴィアの連撃に対応することで精一杯の状況である。
決して手を抜いている訳ではない。剣聖姫としての力を失っているとは言っても、彼女は初代剣姫であり、数多の戦場を駆け抜けてきた歴史に名を残さぬ英雄である。
剣姫の力がなくとも、世界の頂点に君臨するにふさわしい力を有しているのは間違いない。しかし、そんなリーシアの力を持ってしても、剣聖姫として覚醒したシルヴィアの剣を越えることはできないのだ。
シルヴィアが剣聖姫として覚醒しただけではない。かつてハイラント王国で忌み嫌われた金色の髪を持つ新たなる剣姫・シルヴィアは、リーシアと剣を交える度に驚くべき速度で成長しているのだ。
リーシアが振るう剣術を吸収し、即座に応用して繰り出してく。
目にも留まらぬ速さで繰り出される連撃を前にリーシアが敗れ去るのも時間の問題であると、誰よりもリーシアが理解していた。
「あはッ……」
油断した訳ではない。
互いの息遣いが分かるほどの接近を幾度となく繰り返し、ついさっきまでひよっこだと思っていた少女が急速に成長していく姿に、リーシアは心の底から笑ったのだ。
それは馬鹿にした笑いではない。
成長する娘を見守る親心のようなものでもあり、リーシアは自分が戦いの最中に笑った事実に少なからず驚いていた。
「……シルヴィア、貴方は本当に成長した。剣姫であること受け入れ、貪欲に自分が果たすべき使命に邁進している」
「…………」
剣を振るいながら語りかけてくるリーシアの言葉に、しかしシルヴィアは答えない。
真剣な表情が崩れることはなく、シルヴィアはただリーシアを倒すためだけに剣を振るい続ける。
「……そろそろ、私の出番は終わり、かな?」
「――ッ!?」
シルヴィアの剣が聖剣・ハールヴァイトをリーシアの手から弾き飛ばした。
その瞬間、剣姫による戦いの決着はついた。
「シルヴィアッ!」
「――――」
「最後までッ……最後まで戦いなさいッ!」
リーシアの手から剣が失われたのを見届けたシルヴィアは、そこで戦うことをやめようとしていた。それもそうだ、リーシアの手から剣が消えたことによって、勝負は決したのだから。
しかし、初代剣姫であるリーシア・ハイラントはそんなシルヴィアの想いを一蹴する。
「でもッ!」
「でもじゃないッ! 本当の戦いでは、その油断が命取りになるのッ! 命を賭けて戦ったのなら、最後まで戦いなさいッ!」
「――――ッ!」
リーシアの鋭い声音がシルヴィアの鼓膜を震わせる。
その言葉がシルヴィアの迷いを打ち払い、彼女に剣を振るわせる。
次の瞬間、砂塵の中で繰り広げられた壮絶なる戦いが終局を迎えた。
「うん、完敗だねッ!」
右肩から左腰にかけて、シルヴィアの剣がリーシアの身体を切り裂いた。
彼女は既に現世に存在しないため、傷口から鮮血が噴出することはなかった。
「だ、大丈夫なの……?」
「うーん、普通に考えたら大丈夫じゃないけどね。私はもう死んでるから……自分の役目を終えて、また眠るだけ」
「…………」
シルヴィアの眼前には剣すら持たないリーシアが立ち尽くしている。
その表情には穏やかな笑みが浮かんでいて、シルヴィアは戦いの最中に感じていた違和感が急速に肥大化し、隠し切ることができなくなっていた。
「そんなッ……私、まだ……聞きたいことがたくさんあってッ……」
「そうだね。本当はもっと色んなお話がしたかった」
シルヴィアが伸ばす手は虚空を掴むだけ。
手を伸ばせば触れられる距離にリーシアが立っているはずなのに、彼女の身体は小さな光球へと姿を変えようとしていて、シルヴィアは彼女の身体に触れることすらできなくなっていた。
「……本当は、こうして貴方の前に立つことすら許されないと思ってた。だって、貴方に過酷な運命を背負わせたのは、私のせいなのだから」
「…………」
「自分が幼い頃に受けていた仕打ちを……私は貴方にも強いてしまった。王国という巨大な平和を守るために……私は貴方の運命を歪めてしまったの」
リーシアの口から語られるのはシルヴィアの知らない過去の懺悔。
彼女の口から語られる言葉を、シルヴィアは理解することができない。
「ごめんなさい。シルヴィア……」
リーシアの瞳から一筋の涙が零れる。
そして、彼女の身体が一歩近づいてくると、シルヴィアの身体を優しく包み込む。
「貴方の本当の名前……それはシルヴィア・ハイラント……」
「――――ッ!?」
「そして、貴方には妹が居る。その子の名前はシャーリー・ハイラント……」
リーシアの言葉に目を見開いて驚きを隠せないシルヴィア。
しかし、彼女の口から語られることは全て真実である。
「ごめんなさい、シルヴィア。貴方たちに何も語ることなく、私は死んでしまった。そのせいで、辛い人生を歩ませてしまった」
「…………」
「どれだけ謝っても許されることではないのは分かってる。この言葉が貴方を混乱させてしまうことも分かってる。だけど、これだけは伝えたかった……私は、貴方を愛している」
これでシルヴィアにかける言葉は最後であると言わんばかりに、リーシアは無言を保とうとする。
「……そんなの、ずるいよ」
リーシアの言葉を聞いて、シルヴィアが返した言葉。それは彼女が心から漏らした言葉であった。
「全部一方的に喋って……混乱させて……そして、居なくなっちゃうんでしょ……」
「…………」
「私には母親なんて居ないって思ってた。そう思って生きてきた。だけど、貴方と剣を交えて、本気でぶつかって……どうしても、他人だなんて思うことができなかった」
「…………」
「もっと前から分かってたのかもしれない。でも、確信が持てなかった……」
シルヴィアの声音が震える。
その瞳から涙が零れていることは、リーシアだけが見ている。
「私は剣姫になるよ。そして、全部を守る……」
「…………」
「大好きな街も守る。王女の妹だって守る。貴方が……お母さんがしたように、私も守りたいものを全部守る」
「……うん」
「こうやって話すことができて良かった。これで私はまた……先へ進める」
シルヴィアの瞳から涙が零れるのも一瞬で、次の瞬間には彼女の表情には強い決意と穏やかな笑みが浮かんでいた。
「見てて、お母さん。私はきっと、最高の剣姫になるから」
「私の可愛い娘なんだから、そんなの当たり前でしょ」
もう、リーシアの身体は上半身部分しか残されてはいない。
「じゃあ、私はもう行くから。貴方たちのこと、ずっと……ずっと見守ってる」
「…………」
「――さようなら、愛しい愛しい愛娘」
その言葉を最後に、リーシアは砂塵の中から完全に姿を消した。
暴風が吹き荒れる砂塵の中。そこにはシルヴィアがただ一人で立ち尽くすだけ。
『……大丈夫か?』
「…………」
神竜の言葉にしばしの無言を保つシルヴィア。
「うん。頭の中はまだごちゃごちゃしてるけど……あの人が私のお母さんだって……信じることはできる」
『…………』
「これから剣姫として生きていく中で、心の整理はつけていくつもり。今は自分の心よりも先にやらなくちゃいけないことがあるから」
寂しげな表情をひた隠し、シルヴィアは強い決意をその顔に浮かばせて一歩を踏み出す。
守りたいものを守る。
そう決めた人生なのだから、それを貫き通す。
それが新世代の剣姫たる姿なのであった。
アケロンテ砂漠に存在する砂塵の壁。
その中でライガたち一行は過酷な試練に挑むこととなった。
「…………」
『臆するな。今の主ならば、リーシアを倒すことも不可能ではない』
「本当かなぁ……絶対に強いよ……あの人」
『それを否定することはないが、彼女が全盛期だったのは遥か昔の話。その力は今、主に受け継がれているのだ』
砂塵の中で佇むのは、白銀の甲冑ドレスを風に靡かせた少女が二人。
一方は初代剣姫として、過去の時代において世界を守護するために剣を振るった少女であり、ハイラント王国の王族としてその名を轟かせたリーシア・ハイラント。
もう一方は現代の剣姫であり、ハイラント王国の貧民街で育ち、神谷 航大と出会うことで剣姫としての力を覚醒させたシルヴィア・アセンコット。
砂塵の試練はシルヴィアに初代剣姫であるリーシアを倒すことを要求しており、シルヴィアは対峙する彼女を己の剣で打ち倒さなければならなかった。
『剣を愛し、剣に愛されよ。それがこの試練を突破する、最後のピースだ』
「剣を愛し……剣に愛されよ……か」
『これまで共に戦ってきた剣を信じろ。そうすれば、その剣は必ず主の要求に応えてくれるだろう』
「分かった……やってみるよ……」
シルヴィアが両手に持つのは『緋剣』と『蒼剣』と呼ばれる赤と青の両刃剣である。
それぞれ、炎と氷の属性を持つ二対の剣は、これまでもシルヴィアを窮地から救ってきた。シルヴィアは改めて剣を強く握りしめると、その表情に険しい色を浮かべて対峙するリーシアだけに集中していく。
「うん、いい表情だね。今度は期待できそうじゃない」
「――さっきまでとは違うからッ!」
小さく呟きを漏らし、シルヴィアは地面を蹴って跳躍を開始する。
「はああぁああああぁぁあッ!」
砂塵の中で咆哮が響き渡り、止まっていた時が動き出す。
「少しは冷静になって、動きがよくなったね」
リーシアと瞬時に距離を詰めるリーシア。まずは小手調べと言わんばかりに両手に持った二対の剣を振るっていく。
風を切って自らの身体を切り裂こうとする剣に対して、リーシアも楽しげに笑みを浮かべて身体を左右に振るうことでその全てを躱していく。
シルヴィアが振るう緋剣がリーシアの髪の毛先を切り落とし、更に蒼剣が甲冑ドレスの先端を裂いていく。先ほどと同じで、リーシアは必要最低限の動きをもって、シルヴィアが放つ斬撃の全てをギリギリのところで回避していく。
「まだまだぁッ!」
「おっとっとッ!?」
ここまでで攻撃が終わっていたのが先ほどまでのシルヴィアであった。しかし今の彼女は泥臭く、貪欲に勝利を求めて足掻き続ける。
『主、焦るんじゃない。しっかりと、リーシアの動きを見て動け』
「簡単に言ってくれるけどッ……それ、結構難しいんだってッ!」
「あはッ、神竜に色々と言われてるでしょ?」
「まぁねッ……!」
「竜の言うことはちゃんと聞いておくんだよ? 時々、うるさい時はあるけど、そんなに間違ったことは言わないから」
『…………』
こうして会話をしている間にも、シルヴィアの剣がリーシアを襲う。
シルヴィアの脳内に直接聞こえるように、神竜がため息を漏らしたのだが、それを知るのは主であるシルヴィアだけであり、彼女は戦いに集中しているために神竜が見せる希少な行動に対して何かしらの言葉を投げることはない。
「でも……ずっと一緒に居て、一緒にいることが当たり前で……うるさいなぁーって煩わしかった時もあったけど……こうして本当に居なくなっちゃうと寂しいものがあるね」
剣を躱し、シルヴィアが振るう精度の高い斬撃に対して、時に自らの聖剣を使うようになったリーシアは、穏やかで、どこか寂しげな表情を浮かべる。命を落とし、剣姫としての役目を全うした今のリーシアに神竜の姿を見ることができず、更にその声すら届かなくなってしまった。
『人間とは寿命というもので縛られ生きていくものだ。それが世界の理であり、変えがたいものであるのは誰もが承知しているのに……どうしてもそれを目の当たりにすると、物悲しい気持ちにさせられる』
「……神竜はずっと、ずっと永い時を生きてるんだよね?」
『……生きている。我に対してその表現が正しいのかは分からない。我は世界を守護する存在としてこの世界と共に生まれ、時間を過ごしてきた。その間に、数多の人間が命を散らす場面を見て、感じてきた。最早、感情などと言うものは薄れて消えてしまった』
「でも、リーシアと……彼女と離れることに寂しさは感じないの?」
『…………』
過去のハイラント王国を襲った悲劇の歴史。それは初代剣姫であるリーシアと神竜が出会った物語でもある。
あの後、リーシアと神竜がどんな日々を送り、どんな戦いの時を過ごしたのか、それをシルヴィアが知ることはない。しかし、二人が共に過ごした時の長さは想像がつくものであり、無言を保つ神竜が前の主に対して何か感じることがない……というのは、あまりにも寂しいものであるとシルヴィアは感じてしまう。
「ふふっ……あまり、神竜を困らせちゃダメだよ?」
「えっ――きゃああぁッ!?」
神竜と言葉を交わす間、シルヴィアは休む暇もなく剣を振るっていた。
決して気を抜かず、少し手段を誤れば即死に繋がる連撃の中で、リーシアのそんな声音が響き、次の瞬間にはシルヴィアの身体が後方へと吹き飛ぶ。
「今はもう神竜の姿も見えないし声も届かない。だけどね、今のシルヴィアを見ていれば色々と神竜に聞いて、そして困らせてるんだろうな~って分かるんだよね」
「そんな馬鹿な……」
「でも、間違ってもないでしょ?」
「くッ!?」
シルヴィアに考える時間を与えないと言わんばかりに、今度はリーシアの連撃がシルヴィアを襲う。右に左に、上から下からと絶え間なく繰り出される連撃。シルヴィアはそれを二対の剣によって実現していた連撃だったが、リーシアは両手に握るたった一本の剣でそれを上回ってくる。
速く、重い剣が迫ってくる中でシルヴィアはその対応に集中せざるを得ない状況へと追いやられてしまう。少しでも気を抜けば、リーシアの剣がシルヴィアの身体を切り裂くのは間違いなく、この状況にシルヴィアも舌打ちを漏らす。
「神竜は真面目だからねぇ……変なこと聞くと、すーぐに黙っちゃう」
「そう、みたいねッ……!」
「色々と聞くのはまた後で……今は、私との戦いを楽しもう?」
「こんな一方的な戦いッ……楽しい訳がないでしょッ!」
めまぐるしく変化する戦況において、二つに人影が一つに交わって弾ける。
互いの連撃に一休みが訪れ、息を切らすシルヴィアと息一つ乱さないリーシアという対照的な二人の姿が存在していた。
「うーん、一方的……って訳でもないと思うけどね?」
「はぁ、はあぁ……どこを見たらそんな言葉が出てくるんだか……」
「ふふふ……今、互角かそれ以下だって感じているのなら、それは単純な経験の差って奴だよ。それもそうでしょ? 私は剣姫になって、何年も何十年も世界各地の戦場で戦ってきた。それに比べれば、シルヴィアはまだ経験がない。剣姫の力とか関係なく出てしまう力量差って奴だよ」
「…………」
「でもね、それでもシルヴィア……貴方は越えなくちゃいけないの。先代の剣姫であり、初代剣姫である私を……」
「簡単に言ってくれるけど、それができたら苦労はしないっての……」
「あれ? 神竜はまだ、力を与えてくれないのかな?」
「……神竜が?」
ここからどうやってリーシアを崩そうか……そう考えていたシルヴィアは、リーシアが放つ言葉に首を傾げる。
『……新たなる主よ。我は先ほどの問いかけに答えよう』
「えっ……?」
『我が主を持つということが、これまでの歴史においてただ二人しか存在しない』
「…………」
『一人は王国という鳥籠に捕らわれし純粋な少女。一人は生まれながらにして複雑な運命を背負い、誰よりも悲劇的な運命を歩んできた少女』
神竜が語る少女の話。
それがリーシアとシルヴィアを指していることは間違いない。
『我は永い時を世界と共に歩んできた。その中で感情というものが消失している……と、考えてきた。しかし、改めて問いかけられ、自分の中にある心へ問いかけることで、主が放つ問いかけの答えを見つけることができた』
「……聞かせて?」
『目の前で戦う少女は、我が初めて邂逅した時と何も変わらない。あるはずのない紛い物と呼べる存在であるのに、我の心は確かな穏やかさを感じていた。そして、その存在と別れを告げなければならないことに……寂しさを感じているのだ』
「……神竜って生き物は心がないのかと思ってた。でも、それは違うみたいだね」
『しかし、いつまでも感傷に浸っている時間はない。我々は前へ、未来へ歩まなければならない』
「…………」
『新たなる主、シルヴィアよ。今こそ、剣姫の力を解き放てッ!』
「――――ッ!」
脳裏で神竜の声音が響き、それに呼応するようにシルヴィアの体内から強大な力が奔流となって溢れ出てくる。
白銀の甲冑ドレスが眩い輝きを放ち、シルヴィアの身体を瞬く間に包み込んでいく。
「あはっ、すっごい力だね」
「…………」
白き輝きがシルヴィアの身体を覆ったのも一瞬であり、瞬きをする次の瞬間にはあれほどにまで溢れていた光は少女の体へと収束して消えていた。輝きに包まれたシルヴィアの姿は劇的に変化しており、その美しい姿を見てリーシアは嬉しそうに感嘆のため息を漏らす。
「これが……剣聖姫……?」
『剣を愛し、剣に愛される。そして、真に守りたいと願う少女が到達する、一つの最終型が剣聖姫である。かつて、リーシアが世界を守護した力が今、新たな主へと受け継がれた』
「力が漲ってくる……これなら、戦えるッ!」
剣聖姫としての力はシルヴィアの姿を大きく変え、身に纏う甲冑ドレスがより豪華に、そして背中からは純白の翼が生えている。その姿は、かつてハイラント王国を守ったリーシアが見せた剣聖姫としての姿そのものである。
「うんうん、準備は完了したみたいだね。それじゃ、試練の続きを始めよっか?」
「……今度は負けない」
「手加減はいらないよ。今の私を倒せないようじゃ、これから先、何も守ることはできないからね――ッ!」
リーシアは自らの言葉を言い終えるのと同時に素早く跳躍を開始する。
極限まで姿勢を低くし、大地が抉れるほどの跳躍を見せたリーシアの表情に笑みはなく、その表情は対峙するシルヴィアを倒すことにのみ集中している。
『主、剣聖姫となったからと油断はするな。相手は全盛期とは程遠いとは言っても、初代剣姫だ』
「あの人の強さはよくわかってる。油断はしないッ!」
対するシルヴィアもリーシアに遅れること数秒。両手に持った二対の剣を強く握りしめると、彼女もまた鋭い跳躍を見せることでリーシアと真っ向からぶつかっていく。
「「――――ッ!」」
砂塵の中心部。
そこで二つの人影が激しく衝突する。
凄まじい衝撃波が砂塵の中を駆け巡っていき、シルヴィアとリーシアを中心にして巨大な砂埃が巻き上がる。
「正面から逃げずにぶつかる……その意気や良しッ!」
「押し切るッ!」
砂塵の中心で互いの剣を重ね合わせ停止するシルヴィアとリーシア。
時が止まるのも一瞬で、次の瞬間には全くの同タイミングで互いの剣を弾くと次なる行動へと移っていく。お互いの剣が届かないギリギリの距離感で両足を地面につけ、再びの跳躍。
今度は正面からぶつかるのではなく、シルヴィアとリーシアは時計回りに回転するように左右斜めに跳躍し、対峙する敵が見せる一瞬の隙を伺い、剣を振るっていく。
砂塵の中に剣戟の音が幾度となく響く。
一回や二回ではなく、その音は何重にも連鎖するようにしてシルヴィアとリーシア、それぞれの鼓膜を震わせていく。
「――――ッ!」
「――――ッ!」
最早、二人の少女に言葉なんて必要なかった。
命を刈り取る剣の応酬でシルヴィアとリーシアは会話をしているのだ。
赤の他人であるなんて思うことができない、互いの考えていることが剣を通して伝わってくる。
「…………ッ!」
リーシアと剣を重ね合わせる度に、シルヴィアの胸中には複雑な感情が渦巻くようになっていた。決して剣を鈍らせるものではなく、しかしその違和感は確かにシルヴィアの中で存在感を強くしている。
言葉を発することはない。
表情に出すこともない。
振るう剣に動揺を見せることもない。
ただ無心に、ただただ貪欲に勝利を求めて剣を振るうシルヴィアは、胸中で大きくなる違和感に心内で動揺する。
『今は何も考えるな。ただ、剣にだけ集中するんだ』
「……分かってるッ!」
一段とシルヴィアが振るう剣の精度が上がる。
両手に持つ二対の剣を振るう度に、リーシアの身体へと少しずつ、少しずつと近づいていく。華麗に舞うリーシアの甲冑ドレスは気付けば、あちこちに切り傷が発生しており、それはシルヴィアが振るう剣によって生まれたものである。
「すごい……これが貴方の力ッ……!」
リーシアの剣はシルヴィアの連撃に対応することで精一杯の状況である。
決して手を抜いている訳ではない。剣聖姫としての力を失っているとは言っても、彼女は初代剣姫であり、数多の戦場を駆け抜けてきた歴史に名を残さぬ英雄である。
剣姫の力がなくとも、世界の頂点に君臨するにふさわしい力を有しているのは間違いない。しかし、そんなリーシアの力を持ってしても、剣聖姫として覚醒したシルヴィアの剣を越えることはできないのだ。
シルヴィアが剣聖姫として覚醒しただけではない。かつてハイラント王国で忌み嫌われた金色の髪を持つ新たなる剣姫・シルヴィアは、リーシアと剣を交える度に驚くべき速度で成長しているのだ。
リーシアが振るう剣術を吸収し、即座に応用して繰り出してく。
目にも留まらぬ速さで繰り出される連撃を前にリーシアが敗れ去るのも時間の問題であると、誰よりもリーシアが理解していた。
「あはッ……」
油断した訳ではない。
互いの息遣いが分かるほどの接近を幾度となく繰り返し、ついさっきまでひよっこだと思っていた少女が急速に成長していく姿に、リーシアは心の底から笑ったのだ。
それは馬鹿にした笑いではない。
成長する娘を見守る親心のようなものでもあり、リーシアは自分が戦いの最中に笑った事実に少なからず驚いていた。
「……シルヴィア、貴方は本当に成長した。剣姫であること受け入れ、貪欲に自分が果たすべき使命に邁進している」
「…………」
剣を振るいながら語りかけてくるリーシアの言葉に、しかしシルヴィアは答えない。
真剣な表情が崩れることはなく、シルヴィアはただリーシアを倒すためだけに剣を振るい続ける。
「……そろそろ、私の出番は終わり、かな?」
「――ッ!?」
シルヴィアの剣が聖剣・ハールヴァイトをリーシアの手から弾き飛ばした。
その瞬間、剣姫による戦いの決着はついた。
「シルヴィアッ!」
「――――」
「最後までッ……最後まで戦いなさいッ!」
リーシアの手から剣が失われたのを見届けたシルヴィアは、そこで戦うことをやめようとしていた。それもそうだ、リーシアの手から剣が消えたことによって、勝負は決したのだから。
しかし、初代剣姫であるリーシア・ハイラントはそんなシルヴィアの想いを一蹴する。
「でもッ!」
「でもじゃないッ! 本当の戦いでは、その油断が命取りになるのッ! 命を賭けて戦ったのなら、最後まで戦いなさいッ!」
「――――ッ!」
リーシアの鋭い声音がシルヴィアの鼓膜を震わせる。
その言葉がシルヴィアの迷いを打ち払い、彼女に剣を振るわせる。
次の瞬間、砂塵の中で繰り広げられた壮絶なる戦いが終局を迎えた。
「うん、完敗だねッ!」
右肩から左腰にかけて、シルヴィアの剣がリーシアの身体を切り裂いた。
彼女は既に現世に存在しないため、傷口から鮮血が噴出することはなかった。
「だ、大丈夫なの……?」
「うーん、普通に考えたら大丈夫じゃないけどね。私はもう死んでるから……自分の役目を終えて、また眠るだけ」
「…………」
シルヴィアの眼前には剣すら持たないリーシアが立ち尽くしている。
その表情には穏やかな笑みが浮かんでいて、シルヴィアは戦いの最中に感じていた違和感が急速に肥大化し、隠し切ることができなくなっていた。
「そんなッ……私、まだ……聞きたいことがたくさんあってッ……」
「そうだね。本当はもっと色んなお話がしたかった」
シルヴィアが伸ばす手は虚空を掴むだけ。
手を伸ばせば触れられる距離にリーシアが立っているはずなのに、彼女の身体は小さな光球へと姿を変えようとしていて、シルヴィアは彼女の身体に触れることすらできなくなっていた。
「……本当は、こうして貴方の前に立つことすら許されないと思ってた。だって、貴方に過酷な運命を背負わせたのは、私のせいなのだから」
「…………」
「自分が幼い頃に受けていた仕打ちを……私は貴方にも強いてしまった。王国という巨大な平和を守るために……私は貴方の運命を歪めてしまったの」
リーシアの口から語られるのはシルヴィアの知らない過去の懺悔。
彼女の口から語られる言葉を、シルヴィアは理解することができない。
「ごめんなさい。シルヴィア……」
リーシアの瞳から一筋の涙が零れる。
そして、彼女の身体が一歩近づいてくると、シルヴィアの身体を優しく包み込む。
「貴方の本当の名前……それはシルヴィア・ハイラント……」
「――――ッ!?」
「そして、貴方には妹が居る。その子の名前はシャーリー・ハイラント……」
リーシアの言葉に目を見開いて驚きを隠せないシルヴィア。
しかし、彼女の口から語られることは全て真実である。
「ごめんなさい、シルヴィア。貴方たちに何も語ることなく、私は死んでしまった。そのせいで、辛い人生を歩ませてしまった」
「…………」
「どれだけ謝っても許されることではないのは分かってる。この言葉が貴方を混乱させてしまうことも分かってる。だけど、これだけは伝えたかった……私は、貴方を愛している」
これでシルヴィアにかける言葉は最後であると言わんばかりに、リーシアは無言を保とうとする。
「……そんなの、ずるいよ」
リーシアの言葉を聞いて、シルヴィアが返した言葉。それは彼女が心から漏らした言葉であった。
「全部一方的に喋って……混乱させて……そして、居なくなっちゃうんでしょ……」
「…………」
「私には母親なんて居ないって思ってた。そう思って生きてきた。だけど、貴方と剣を交えて、本気でぶつかって……どうしても、他人だなんて思うことができなかった」
「…………」
「もっと前から分かってたのかもしれない。でも、確信が持てなかった……」
シルヴィアの声音が震える。
その瞳から涙が零れていることは、リーシアだけが見ている。
「私は剣姫になるよ。そして、全部を守る……」
「…………」
「大好きな街も守る。王女の妹だって守る。貴方が……お母さんがしたように、私も守りたいものを全部守る」
「……うん」
「こうやって話すことができて良かった。これで私はまた……先へ進める」
シルヴィアの瞳から涙が零れるのも一瞬で、次の瞬間には彼女の表情には強い決意と穏やかな笑みが浮かんでいた。
「見てて、お母さん。私はきっと、最高の剣姫になるから」
「私の可愛い娘なんだから、そんなの当たり前でしょ」
もう、リーシアの身体は上半身部分しか残されてはいない。
「じゃあ、私はもう行くから。貴方たちのこと、ずっと……ずっと見守ってる」
「…………」
「――さようなら、愛しい愛しい愛娘」
その言葉を最後に、リーシアは砂塵の中から完全に姿を消した。
暴風が吹き荒れる砂塵の中。そこにはシルヴィアがただ一人で立ち尽くすだけ。
『……大丈夫か?』
「…………」
神竜の言葉にしばしの無言を保つシルヴィア。
「うん。頭の中はまだごちゃごちゃしてるけど……あの人が私のお母さんだって……信じることはできる」
『…………』
「これから剣姫として生きていく中で、心の整理はつけていくつもり。今は自分の心よりも先にやらなくちゃいけないことがあるから」
寂しげな表情をひた隠し、シルヴィアは強い決意をその顔に浮かばせて一歩を踏み出す。
守りたいものを守る。
そう決めた人生なのだから、それを貫き通す。
それが新世代の剣姫たる姿なのであった。
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