終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第三章20 狂気の果てにあるもの
「――貴方は何者ですか?」
自分の身体を治癒するため、航大が訪れたのはアステナ大森林の中にひっそりと佇む洋館だった。そこは治癒大国と呼ばれるアステナの筆頭治癒術師が住まう場所であり、航大は自分の身体を蝕む不純な魔力を取り除くために再び洋館を訪れていた。
「何者って、どういうことだよ……」
「――ここは部外者が立ち入っていい場所でも、立ち入れる場所でもありません。答えによっては容赦しません」
洋館を訪れた航大たちは目の前から姿を消した屋敷の主を捜索していた。
アステナ王国が誇る治癒術師は極度の人見知りであり、しかも男性恐怖症だった。応接間に姿を現したのは全身をローブマントで覆った女性であり、この屋敷の主であると紹介された彼女は航大たちの姿を見るなり、激しく取り乱して眼前から姿を消してしまった。
「容赦しないって言われても、俺だって来たくてこんな場所に来たんじゃないッ!」
「……もし、そうだったとしてもこの場所は国家機密に関わる情報が封印された場所。タダで済ませる訳にはいきません」
航大は今、洋館の地下に隠された秘密の部屋でローブマントに身を包んだ女性と対面している。その特徴的な外見を見間違うはずがない。彼女こそがこの屋敷の主だった。
初めてその顔を見合わせた時の動揺した様子は影を潜め、松明の灯りのみが照らす薄暗い部屋の中で、彼女は険しい表情を浮かべて航大を睨みつけていた。
「さぁ、答えてください。貴方は何者ですか?」
「答えろって言われても……」
「私の名前はプリシラ・ネポル。何も話さないと言うのなら……アステナ王国が誇る治癒術師として、貴方を拘束します」
プリシラ・ネポルと名乗ったローブマントを羽織った女性は、いつの間にか右手に魔法の杖を持っており、少しでも航大が動きを見せようものなら魔法を行使すると忠告している。
肌をヒリヒリと焦がすプリシラの圧力を前にして、航大は背中に悪寒が走るのを感じていた。圧倒的な力を前にして、航大は身動きすら取ることができない。
既に魔法が発動しているのかと錯覚するほどに、自分の呼吸が荒くなっているのを感じていた。プリシラが放つ膨大な魔力が航大の身体を縛り付け、少しでも気を抜けばその瞬間に航大の意識は途絶えてしまうだろう。
「はぁっ、くっ……はあぁっ……俺はッ……ハイラント王国の使者でッ……アステナには親書を届けにきたッ……」
「ハイラント王国の使者……?」
見えない魔力に縛り付けられる航大は、口を開いて言葉を発するのも一苦労だった。精神をすり減らしながらも、航大は何とかしてプリシラに身の潔白を証明しようとする。
「……なるほど。確かに、王女から知らせはありましたが、貴方がそうだと言うのですね」
「ぐッ……ああぁッ……!」
全身を焼き焦がす魔力の本流に航大は苦しげな声を漏らし、眼前に立つ少女・プリシラを睨みつける。
――どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。
――どうして自分はこんなにも苦しめられなければならないのか。
――どうして自分はこんなにも怒りを覚えているのか。
――どうして自分はこんなにも彼女に憎しみの感情を覚えているのか。
――どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?
「はぁっ、くッ……ぐあああぁッ……あああぁッ!」
「……ッ!?」
内から溢れ出る禍々しい力を感じる。
それは航大の感情と繋がっており、溢れ出る負の感情と共に『異形の力』は具現化を果たそうとしていた。
『――セ』
「――ッ!?」
脳裏に響く声。
それは夢の中で何度も聞いた声だった。
「どうしてッ……この声がッ……」
『――全テガ憎イノダロウ? ナラ殺セ』
身体が禍々しい力に汚染され、航大は自らの自我が失われていくのを感じていた。
抗いようもない感情の渦に、抵抗することもできない。
「ど、どうしたのですか……?」
「や、メロッ……来る、ナッ……!」
突然苦しみ出した航大の様子を見て、プリシラの声が動揺に震えている。
尋常じゃない様子を察したのかその瞳は僅かに揺れていて、疑いを持った相手であっても彼女は治癒術師としての責務を果たそうとする。
ローブマントから出てきたプリシラの手は病的なまでに白く、そして細かった。
『――サァ、早クッ!』
「ううぅッ、ああぁッ……!」
怪訝な表情を浮かべながらも、プリシラは航大を救おうとしていた。
「ダメダッ……コレ以上ハッ……!」
「動かないで、私が治療しますから――ッ!?」
プリシラの細く、白い手が航大の身体に触れた瞬間だった。
これまでギリギリの所で保っていた自我が崩壊した音が脳裏に響いた。
「そ、そんな……どう、して……?」
「――ッ!?」
眼前に立つプリシラの目が驚愕に見開かれる。身体は小刻みに痙攣しており、驚愕に染まる瞳は僅かに震えていた。フードが外れ、どこか艶のある黒髪が外気に晒される。
プリシラは航大から視線を外すことなく、その唇の端からは一筋の鮮血が垂れ落ちていた。
「……何が、どうなって?」
さっきまであれほど荒れ狂っていた狂気の力が航大の身体から消え失せていた。
正気を取り戻した航大は頭をフル回転させて状況の把握に努める。
「お、おい……どうしたんだよ……俺は一体……」
「…………」
航大の身体にもたれかかってくるプリシラ。
彼女の黒髪が顔に触れて、女の子特有の甘い匂いが鼻孔をくすぐってくる。
自由になっている左手を持ち上げ、プリシラの肩を掴んで揺らしてみる。しかし、プリシラの瞳は光を失っており航大の問いかけに反応を示さない。
「おいッ……おいってばッ……」
「…………」
何度呼びかけてもプリシラは声を発しようとしなかった。そればかりか全身を脱力させていて、航大が支えていないと立っていることすら出来ない状態だ。
「なんで……何が、どうなって……」
正気を取り戻した航大は自分の記憶が一部、不自然に抜け落ちていることに気付く。
眼前で糸の切れた人形のように動きを見せないプリシラと呼ばれる治癒術師に会いに来て、逃げ惑う彼女を探してこの秘密の部屋へと辿り着いた。そこから彼女と言葉を交わした辺りから、航大の記憶が曖昧になっている。
「…………」
分からないことだらけである。
頭が混乱する中、航大は自分の右手が生暖かい感触に包まれて自由が利かない状況であることに気が付く。手を開閉してみると、生々しい音が部屋に響き不快な感触の中に右手が埋没していることを理解する。
忌々しい感覚の中に手を埋めていることが我慢できず、航大は思い切り右手を引いてみる。すると、高い場所から落下したトマトが奏でる生々しい水音が鼓膜を震わせた。
「――ッ!?」
ようやく自由になった右手を見てみる。すると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
「な、なんだよ……これ……」
眼前に持ってきた自分の右手が鮮血に染まっていた。
手首から手のひらにかけて、余す所なく生暖かい鮮血が付着しており、その瞬間に航大は今の状況を全て理解した。
「俺が……殺したのか……?」
震える声で漏れた言葉に返事をする者はいない。
呆然と立ち尽くす航大は、眼前に突き付けられた光景を前にただ呆然と立ち尽くすことしかできないのであった。
自分の身体を治癒するため、航大が訪れたのはアステナ大森林の中にひっそりと佇む洋館だった。そこは治癒大国と呼ばれるアステナの筆頭治癒術師が住まう場所であり、航大は自分の身体を蝕む不純な魔力を取り除くために再び洋館を訪れていた。
「何者って、どういうことだよ……」
「――ここは部外者が立ち入っていい場所でも、立ち入れる場所でもありません。答えによっては容赦しません」
洋館を訪れた航大たちは目の前から姿を消した屋敷の主を捜索していた。
アステナ王国が誇る治癒術師は極度の人見知りであり、しかも男性恐怖症だった。応接間に姿を現したのは全身をローブマントで覆った女性であり、この屋敷の主であると紹介された彼女は航大たちの姿を見るなり、激しく取り乱して眼前から姿を消してしまった。
「容赦しないって言われても、俺だって来たくてこんな場所に来たんじゃないッ!」
「……もし、そうだったとしてもこの場所は国家機密に関わる情報が封印された場所。タダで済ませる訳にはいきません」
航大は今、洋館の地下に隠された秘密の部屋でローブマントに身を包んだ女性と対面している。その特徴的な外見を見間違うはずがない。彼女こそがこの屋敷の主だった。
初めてその顔を見合わせた時の動揺した様子は影を潜め、松明の灯りのみが照らす薄暗い部屋の中で、彼女は険しい表情を浮かべて航大を睨みつけていた。
「さぁ、答えてください。貴方は何者ですか?」
「答えろって言われても……」
「私の名前はプリシラ・ネポル。何も話さないと言うのなら……アステナ王国が誇る治癒術師として、貴方を拘束します」
プリシラ・ネポルと名乗ったローブマントを羽織った女性は、いつの間にか右手に魔法の杖を持っており、少しでも航大が動きを見せようものなら魔法を行使すると忠告している。
肌をヒリヒリと焦がすプリシラの圧力を前にして、航大は背中に悪寒が走るのを感じていた。圧倒的な力を前にして、航大は身動きすら取ることができない。
既に魔法が発動しているのかと錯覚するほどに、自分の呼吸が荒くなっているのを感じていた。プリシラが放つ膨大な魔力が航大の身体を縛り付け、少しでも気を抜けばその瞬間に航大の意識は途絶えてしまうだろう。
「はぁっ、くっ……はあぁっ……俺はッ……ハイラント王国の使者でッ……アステナには親書を届けにきたッ……」
「ハイラント王国の使者……?」
見えない魔力に縛り付けられる航大は、口を開いて言葉を発するのも一苦労だった。精神をすり減らしながらも、航大は何とかしてプリシラに身の潔白を証明しようとする。
「……なるほど。確かに、王女から知らせはありましたが、貴方がそうだと言うのですね」
「ぐッ……ああぁッ……!」
全身を焼き焦がす魔力の本流に航大は苦しげな声を漏らし、眼前に立つ少女・プリシラを睨みつける。
――どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。
――どうして自分はこんなにも苦しめられなければならないのか。
――どうして自分はこんなにも怒りを覚えているのか。
――どうして自分はこんなにも彼女に憎しみの感情を覚えているのか。
――どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?
「はぁっ、くッ……ぐあああぁッ……あああぁッ!」
「……ッ!?」
内から溢れ出る禍々しい力を感じる。
それは航大の感情と繋がっており、溢れ出る負の感情と共に『異形の力』は具現化を果たそうとしていた。
『――セ』
「――ッ!?」
脳裏に響く声。
それは夢の中で何度も聞いた声だった。
「どうしてッ……この声がッ……」
『――全テガ憎イノダロウ? ナラ殺セ』
身体が禍々しい力に汚染され、航大は自らの自我が失われていくのを感じていた。
抗いようもない感情の渦に、抵抗することもできない。
「ど、どうしたのですか……?」
「や、メロッ……来る、ナッ……!」
突然苦しみ出した航大の様子を見て、プリシラの声が動揺に震えている。
尋常じゃない様子を察したのかその瞳は僅かに揺れていて、疑いを持った相手であっても彼女は治癒術師としての責務を果たそうとする。
ローブマントから出てきたプリシラの手は病的なまでに白く、そして細かった。
『――サァ、早クッ!』
「ううぅッ、ああぁッ……!」
怪訝な表情を浮かべながらも、プリシラは航大を救おうとしていた。
「ダメダッ……コレ以上ハッ……!」
「動かないで、私が治療しますから――ッ!?」
プリシラの細く、白い手が航大の身体に触れた瞬間だった。
これまでギリギリの所で保っていた自我が崩壊した音が脳裏に響いた。
「そ、そんな……どう、して……?」
「――ッ!?」
眼前に立つプリシラの目が驚愕に見開かれる。身体は小刻みに痙攣しており、驚愕に染まる瞳は僅かに震えていた。フードが外れ、どこか艶のある黒髪が外気に晒される。
プリシラは航大から視線を外すことなく、その唇の端からは一筋の鮮血が垂れ落ちていた。
「……何が、どうなって?」
さっきまであれほど荒れ狂っていた狂気の力が航大の身体から消え失せていた。
正気を取り戻した航大は頭をフル回転させて状況の把握に努める。
「お、おい……どうしたんだよ……俺は一体……」
「…………」
航大の身体にもたれかかってくるプリシラ。
彼女の黒髪が顔に触れて、女の子特有の甘い匂いが鼻孔をくすぐってくる。
自由になっている左手を持ち上げ、プリシラの肩を掴んで揺らしてみる。しかし、プリシラの瞳は光を失っており航大の問いかけに反応を示さない。
「おいッ……おいってばッ……」
「…………」
何度呼びかけてもプリシラは声を発しようとしなかった。そればかりか全身を脱力させていて、航大が支えていないと立っていることすら出来ない状態だ。
「なんで……何が、どうなって……」
正気を取り戻した航大は自分の記憶が一部、不自然に抜け落ちていることに気付く。
眼前で糸の切れた人形のように動きを見せないプリシラと呼ばれる治癒術師に会いに来て、逃げ惑う彼女を探してこの秘密の部屋へと辿り着いた。そこから彼女と言葉を交わした辺りから、航大の記憶が曖昧になっている。
「…………」
分からないことだらけである。
頭が混乱する中、航大は自分の右手が生暖かい感触に包まれて自由が利かない状況であることに気が付く。手を開閉してみると、生々しい音が部屋に響き不快な感触の中に右手が埋没していることを理解する。
忌々しい感覚の中に手を埋めていることが我慢できず、航大は思い切り右手を引いてみる。すると、高い場所から落下したトマトが奏でる生々しい水音が鼓膜を震わせた。
「――ッ!?」
ようやく自由になった右手を見てみる。すると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
「な、なんだよ……これ……」
眼前に持ってきた自分の右手が鮮血に染まっていた。
手首から手のひらにかけて、余す所なく生暖かい鮮血が付着しており、その瞬間に航大は今の状況を全て理解した。
「俺が……殺したのか……?」
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