終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章22 凍土を焼き尽くす業炎

第二章22 凍土を焼き尽くす業炎

「――英霊憑依」

 その言葉がトリガーだった。

 その言葉を発した瞬間、航大の懐で眠っていたグリモワールが、歓喜の声を上げるかのように眩く、そして強く輝き出した。その輝きは航大の身体で隠しきれるような強さではなく、漆黒の装丁をしたグリモワールから漏れる光は、あっという間に航大の身体を包み込む。

 暴力的なまでの力が航大の身体に取り込まれていく。それは大地を巡るマナと呼ばれるものであり、『英霊と一つになった』ことで、その力は行き先を航大に求め、身体の許容量を遥かに超える力が止め処なく流れ込んできている。

「ぐっ……あああぁッ……!」

 身体が熱い。
 心臓の鼓動が早い。
 力が溢れてくる――ッ!

 それは航大が今まで経験もしたことがない苦しみだった。
 異形の力が自分の身体に取り込まれていく感覚。細胞の一つ一つが作り変えられていく感触に、吐き気を催す。

 神谷 航大という存在の深層に眠っていた『闇』が産声を上げ、流れ込んでくる力と融合を果たしていく。
 決定的な変化だった。英霊をその身に宿すという行為は、ただの人間である航大にとっては劇薬であり、それは夢見ていた平凡な生活に別れを告げるのと同一の意味を持っていた。

「ははっ、ははははッ! すげぇ、すげぇよ、この力ぁッ……!」

「はぁっ、ぐっ……ああぁッ……!」

「まさか、まさかまさかッ、お前ッ……あの力を使ったな?」

 苦しみ、藻掻く航大を見て、ライガもリエルも想像を絶する様子に唖然とする中、帝国ガリアの騎士・アワリティア・ネッツだけが一人歓喜の声を上げていた。それは、侮蔑するようなものではなく、敵として見ていた航大をまるで自分の『仲間』であるかのように、歓迎の念すら込められた瞳と声音で嬌声を上げる。

「狂ってるぜ、お前? その力を取り込むってことは、どういう意味を持つのか知ってるのか? それは人間が手を出していいもんじゃねぇんだよ。お前は力を欲し、その力に破滅する――ッ!?」

 歓喜の狂乱を見せたり、感情を押し殺した冷静な様子を見せたりと感情の起伏が激しかった彼の言葉が、不意に止まる。

 その目は大きく見開かれており、信じられないものを見たと言わんばかりに身体を僅かに震えさせている。

「おいおいおいおいおいおいおいおいおい、マジかよ……マジなのかよッ……」

「はぁ、はあぁ、はぁ……」

「安定してる、だと……?」

「くっ、はああぁ……はぁっ……」

 ネッツが驚愕の目で見る先、そこには全身を使って乱れる呼吸を落ち着かせようとする航大の姿があった。彼の身体を包み込んでいたグリモワールの光は、いつしかその勢いを消していて、航大はしっかりと地に足をつけてそこに存在していた。

「こりゃ、予想外。まさか、あれだけの力を取り込むことができるなんてなぁ……」

「…………」

「こ、航大ッ!」
「おぬし、大丈夫なのかッ!?」

 暴風が吹き荒れていた大聖堂が静寂を取り戻し、ライガとリエルの声が響き渡る。その声には僅かに震えが混じっていて、彼らが航大の姿を見て心配しているのは明白だった。

「はぁ、はぁっ……これが……力……」

 ようやく意思を持って言葉を漏らした航大は、自分の身体に起きた変化を実感し、何度もその手を握りしめる。

 今の航大を見て、驚かない人間は居ないだろう。

 何故なら、彼は異形の力をその身体に取り込んだことによって、外見が大きく変化していたからだった。
 短く切り揃えられていた髪は、今では腰まで伸びており、その色も薄茶色から美しい水色へと変貌を遂げており、それは永久凍土の賢者と呼ばれるリエルと全く同じ色をしているのが特徴的だった。

 航大と共に時間を過ごしていたライガは、その変貌に生唾を飲み、劇的な変化を見せた航大に、彼の思考は全くと言っていいほど追いついていなかった。

「……いけ、魔獣」

「――ッ!」

 ネッツの冷めた声が響いた。
 主の声を聞き、魔獣ケルベロスが咆哮を上げて跳躍する。
 全身の筋肉を躍動させ、三つ首の魔獣は両側の首から火球を吐き出し、航大を焼き尽くそうとする。

「…………」

「――ッ!?」

 ケルベロスはその時、本能的な恐怖を感じていた。
 自らが放った火球は、確かに前方の標的へ炸裂しようとしていた。狙いは正しい。全てを焼き尽くし、破壊する火球は確かに彼を捉えていた――はずだった。

 かの魔獣が放った火球は確かに航大ヘ向かって飛翔していた。しかし、それも次の瞬間には凍りつき、砕け散る。

 低い知能しか持たないケルベロスには、何が起こったのかを理解することができなかった。
 自分が放った攻撃が一瞬の内に氷の粒となって消えたのだ。
 頭の中が混乱する中、それでもケルベロスは主の命に従い跳躍を続け、今度は眼前に立つ少年の身体を噛み砕こうとする。

「――ッ!」

 ――捉えたはずだった。
 棒立ちとなり、何ら行動を示さない航大の身体を、ケルベロスの牙は確実に捉えていたはずだった。その牙が少年の脳天に到達しようとしていた刹那、ケルベロスは身体中のあらゆる物が瞬時に凍結していくのを感じていた。皮膚も血液も唾液も……その全てが瞬時に凍結し、ケルベロスは痛みを感じる暇もなく、氷の結晶となって砕け散った。

「こりゃ、マジで想定外だな……それじゃ、こっちもちょいと本気出してみるか……」

 瞬時に消えたケルベロスを見て、ネッツはこの日初めてその表情を苦々しいものに変えた。片手に持つグリモワールに光を灯すと、再びその権能を使役する。

「もっとだ、もっと強くなれ――魔獣よぉッ!」

「――ッ!」

 グリモワールから放たれる光がケルベロスの身体を包み込み、再びその姿が変化する。それは限界突破とでも言うのだろうか、新たな力を注ぎ込まれるケルベロスは、その口から苦痛の咆哮を上げながら、身体を変化させていく。全身の筋肉が激しく脈動し、より強靭な物へと作り変えられていく。

 既にケルベロスとしての原型を留めていない状態へと進化を遂げた魔獣は、ただ主の命じるままに、眼前の標的を葬り去ろうと動き出す。

「――ッ!」

 大聖堂の床を破壊しながら、ケルベロスは跳躍を続ける。

「お前を、許さないッ……!」

 落ち着きを取り戻した航大は、自分の身体に宿る力を長く使役できないことを理解していた。強大な力には代償が付きまとう。一瞬でも気を抜けば、航大の身体は膨大な力の前に飲み込まれ、破滅する。それを直感的に感じ、一秒でも早くこの戦いに決着を付けようと跳躍する。

「――ッ!」

「はああぁッ!」

 見上げるほど巨大に成長したケルベロスに怯むことなく、航大は跳躍する。
 それは異形の力と融合したからこそ出来る跳躍であり、一瞬でケルベロスの顔と同じ高さまで飛翔すると、内から溢れる『氷の力』を己の意思のままに具現化していく。

「――絶氷槍ブリザードランス

 虚空に巨大な氷の槍を生成する航大は、それを大きく振りかぶり、ケルベロス目掛けて投擲する。

「――ッ!?」

 緩慢な動きから放たれたとは思えない速度で、氷の矢が大聖堂を飛翔していく。
 正面から跳躍していたケルベロスは、咄嗟にその攻撃を躱そうと試みる。
 しかし、ケルベロスが視界に氷の槍を捉え、攻撃を躱そうと考えた時には――全てが決していた。

「――ッ!」

 音速で接近してくる氷の槍を躱すことが出来ず、ケルベロスの巨体すらも凌駕する氷の槍がその身体を貫き、またもやケルベロスは瞬時の内に凍結し、砕け散る。

「ちッ……さすがに簡単すぎるか……」

 グリモワールから召喚したケルベロスは、瞬く間の内に絶命した。
 自らを守る術を無くしたネッツは、水色の髪を自らの内から溢れるマナによって靡かせる航大を見て、小さく舌打ちを漏らす。

「次はお前だッ……!」

 タイムリミットは刻一刻と近づいている。
 時間が経てば経つほど、航大は自分の身体が得体の知れない『何か』に侵食されているのを感じる。それは流れ込んできた力なのか、それとも彼自身の深層に潜んでいた『闇』なのかは分からない。
 しかし、一秒でも長くこの力を行使することは、航大という存在を文字通り破滅へと向かわせていくことに間違いなかった。

「あっちゃー、こりゃ……やらかしたかもしんねぇなぁ……」

 瞬く間に接近してくる航大を睨み、ネッツは忌々しげに声を漏らす。
 今から新たな魔獣を召喚するには、時間が足りない。
 そんなことをしている間に、絶大な力を得た航大によって、瞬時に命を散らすことになるだろう。

 普段はあまり使わない頭をフル回転させ、ネッツはこの状況を脱する手段を模索する。
 しかし、具体的な案は出て来ず、航大の攻撃がネッツを捉えようとしたえその瞬間だった――。

「やれやれ……遅いと思ったら、何手こずってんの?」

 そんなどこか気の抜けた、小さな声が航大とネッツの鼓膜を震わせ、二人の間に音もなく巨大な炎の壁が生成される。

「なッ!?」

 視界が突如、燃え盛る火炎に包まれ、さすがの航大も空中で一時停止をせざるを得なかった。その炎には凶悪な魔力が込められていることを察し、それは航大も見覚えのある炎だった。

 航大の視線が大聖堂のあちこちを巡る。

 この炎を解き放った人物が居る。それは、目の前で立ち尽くすネッツと同じくらいに、航大の怒りを刺激する人物であり、その存在を大聖堂の隅で発見した少年は、内から込み上げてくる怒りの感情に唇を強く噛みしめる。

「はぁ……命令を無視して先走ったのはいいけど、それでやられそうになってたら世話がないんだけど?」

「あぁッ? うるせぇな、ちょっと面白い奴が居たから、総統への報告も兼ねて遊んでやってたんだよ」

「ふーん、それにしては得意の魔獣たちも居ないし、そこの彼にやられそうになってたように見えたけど?」

「誰がやられそうだ、コラァッ!?」

 ネッツと航大の間で燃え盛り、二人の接触を禁じる炎の壁を生成した人物は、やはりどこか気の抜けた声でネッツ相手に厳しい言葉を投げかける。

 肩の上で切り揃えられた薄紫色の髪を風に靡かせ、感情の篭もらない気の抜けた声が特徴的なその青年は、ネッツと同じように純白の生地に金の装飾が散りばめられた軍服に見を包んでいた。

 ――航大は彼の姿を忘れることが無かった。

 その青年はヨムドンと呼ばれる宿村にて、消えることのない炎を撒き散らし、村民の全てを焼き払った男であるのだから。

「お前ぇッ……」

「……ん? どこかで会ったことあるっけ?」

 思わず、航大の口から憎しみに染まった声が漏れ出ていた。
 罪なき人間をまるでゴミのように焼き尽くした青年は、航大の声に気怠げな様子を見せて小首を傾げる。
 彼にとって、航大という存在は記憶の隅に留めておくレベルにも達していなかった。それはあの村での出来事も同一である。
 初対面だと言わんばかりの態度は、航大の怒りに更なる火をつけていく。

「まぁいいや。覚えてないし。それよりネッツ、ここが女神の祠なんでしょ? それなら、さっさと仕事を済ませて帰るよ」

「ケッ! 言われなくても分かってるってんだよッ!」

「……本当かなぁ?」

「イライラするなぁッ! どっちにしろ、ココをぶっ壊すのはてめぇの役割だろうがよ」

「あぁ、そうだったね。本気を出せば君にも出来ると思うけど、確かにそういう話だったし……それじゃ、パパッと終わらせちゃおうか」

 どこまでも気怠げな様子で言葉を紡ぐ薄紫色の髪をした青年は、面倒くさそうにため息を漏らすと、行動を開始する。

「させんぞッ!」

 そんな青年の行動を阻害しようとしたのが、永久凍土の賢者・リエルだった。
 瞬時に魔法の詠唱を完了させると、両剣水晶を青年に向けて放つ。

「……誰?」

 チラッと横目で小さき少女を捉えた青年は、全身を震わせるような冷たい声音で自分の仕事を邪魔しようとするリエルを睨む。

「――ッ!?」

 青年に睨まれたリエルは、その目を見開き、全身を痙攣させてその場から動くことが出来ないでいた。蛇に睨まれた蛙のような状態と陥ったリエルは、自分と青年の圧倒的な実力差に慄いていた。

「何をする気かは知らないが、させないッ!」

 リエルが恐怖に身体を震わせ、身動きが取れない中、航大だけが違っていた。
 身体に宿した強大な力を怒りで更に増幅させ、飛翔すると、先ほどケルベロスを一瞬の内に葬り去った氷の槍を再び生成する。

「……?」

 その様子を見て、さすがに薄紫色の髪をした青年も足を止める。
 自分の力に匹敵する魔力の流れを感じ、この時初めて青年は航大という存在を完全に認識した。

「すまねぇな。これ以上、てめぇの好きにはさせてやれねぇんだわ」

「――ッ!?」

 航大の瞳は新たに現れた青年に釘付けとなっていた。しかしそれも、そんなネッツの背筋を震わせる声に振り向かざるを得なかった。

「――召喚」

 この時、航大は自分の判断を呪った。
 ヨムドン村を焼き付した青年が登場したことで、彼の意識は完全にそちらへと向いてしまっていた。薄紫色の髪をした青年と同等の力を持つネッツを放置し、結果、彼を自由にさせてしまった。

 ネッツの冷たい声音が響き、三度グリモワールに光が灯る。
 しかしそれは、今までとは明らかに異質なものであると理解する。
 白く輝いていた光は黒く淀んでいて、グリモワールから召喚される異形の魔獣に、航大は生唾を飲む。

「……冥王、ハーデース」

 ネッツのグリモワールから召喚されし『それ』は、ヒュドラやケルベロスとは比べ物にならない力を秘めていた。それは元世界において、冥府の王として語られる絶対の悪神であった。

「もうちょっと遊びたかったんだけどよ、ちょっとそこでジッとしててくんねぇかな?」

「何を――ッ!?」

 ふざけるな、と航大は怒りたかった。
 数多の命を葬り去り、自分という存在すら無視して話を進める彼らに対して、航大は今までにない怒りを覚えていた。新たに得た異形の力を用いれば、彼らと戦うことができる。もしかしたら、倒すこともできるかもしれない。

 そんな淡い想いを抱いた航大が仕掛けようとした瞬間だった。

 冥王ハーデースを召喚したネッツは、その圧倒的な力を持つ冥王を従えると、航大の身体に冥府の槍を突き刺した。

「ぐふッ、かはッ……!?」

 自分の身体を貫く漆黒の槍。
 それは航大が身に纏っていた異形の力を瞬時に無効化し、冷たい大聖堂の床に磔にする。

「なんか、ちょっとはやれるみたいだったけど、所詮はその程度って感じだね」

「ちッ……いいから、早く終わらせろ」

「はいはい」

 ネッツに急かされ、薄紫色の髪をした青年は懐から一冊の本を取り出す。

「――それ、はッ!?」

 その本を航大は嫌というほど知っていた。
 それはグリモワール。漆黒の装丁をした魔導書であった。

「さぁ、憤怒のグリモワールよ、僕に業炎の力をッ!」

 青年の呼びかけに応じるかのように、グリモワールから夥しい量の炎が生成されていく。
 消えることのない炎は瞬く間に大聖堂を包み込み、美しい結晶で形成されたこの場所を焼き尽くそうとしていた。

「これくらいすれば……いいかな?」

 炎を雨のように降らせるだけでは物足りなかったのか、青年は更なる炎を本から生み出すと、巨大な火球を形成していく。それはまるで、小さな太陽だった。
 灼熱の炎を身に纏う火球を、青年は大聖堂に解き放っていく。

「全員ッ、儂の後ろに隠れるんじゃッ!」

 リエルのそんな声が響いた。
 気付けば、航大の身体を貫いていた漆黒の槍は消えていて、しかし、航大は全身から力が抜けているため身動きが取れない。

「今から、儂の全力を持ってお前たちを守るッ!」

「もう何がなんだか……」

「リ、リエル……」

「お主は黙っておれッ! 大丈夫、命に変えてもおぬしらは守るッ」

 リエルのその声が響くのと同時だった。
 大聖堂の虚空に形成された巨大な火球が破裂し、鼓膜を突き破らんばかりの轟音が響き渡る。激しい横揺れが航大たちを襲い、瞬く間にして航大たちの視界は灼熱の炎で包まれていくのであった。

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