終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章17 永久凍土の賢者

第二章17 永久凍土の賢者

 雪崩に飲み込まれた航大は、目を覚ませば不思議な空間に横たわっていた。
 そこは洞窟と呼べる内装をしていたが、驚くのは洞窟を形勢する全てが淡い輝きを放つ結晶で出来ていることだった。

 雪崩に飲み込まれた自分がどうしてここにいるのか。
 この洞窟はどこなのか。
 どうして自分は無事なのか。

 あらゆる疑問が脳裏を駆け巡りながらも、航大ははぐれてしまったライガを探すため、洞窟内を探索する。

「なんじゃ? 儂の顔に何かついてるか?」

「えっ、いや……」

「なんじゃなんじゃ。煮え切らない返事じゃのぅ」

 小首を傾げて航大に話しかけてくるのは、水色の髪を肩下まで伸ばし、白いレースが印象的なドレスに身を包む少女だった。老人口調を使ってはいるが、その背丈は航大の胸くらいまでしかなく、口調と見た目のギャップに航大は戸惑いを隠せない。

「えっと……君は……?」

「さっき自己紹介したじゃろ? 儂はリエル・レイネル。このアルジェンテ氷山を守護する者じゃ」

「守護……?」

「そのままの意味じゃよ。悪しき目論見を企てようとする輩から、この山を守っておるのじゃ」

 そこまで話すと、リエル・レイネルと名乗った少女は誇らしげに小さな胸を張る。
 自慢げに身体を反らしてみせる少女だったが、悲しいかなその胸は航大が不憫に思うくらいに凹凸がない。それはまさしく、絶壁と呼ぶのにふさわしく、そこについて触れないのが正解である、と航大は瞬時に理解した。

「…………」

「ど、どうした?」

「今、なにか失礼なことを考えておったじゃろ?」

「えッ!? いや、そんなことは……」

「……ところで、儂の胸を見てどう思う?」

「いや、見事なまでの絶壁だなと――ッ!?」

 絶壁と口にした瞬間だった、航大の眼前に巨大な両剣水晶が落ちてきた。
 それは祭壇の上で浮遊している結晶とは二回りくらい小さな結晶であったが、音もなく飛来してきたその結晶は、航大のつま先に着弾すると、派手な音を立てて地面に突き刺さった。

 目の前で仁王立ちするかのような結晶は、眼前で怒りを露わにしている少女が生成したのは間違いなく、彼女はいつでも航大を殺すことができると、暗に示唆しているようでもあった。

 あと少し軌道がずれていたら、自分の身体に結晶が突き刺さっていたと思うと、航大の背中には瞬く間に冷や汗が流れるのであった。

「二度と、儂の前でその言葉を口にしないことじゃ。さもなければ――次はないぞ?」

「はいッ」

「うむ、分かればよろしい」

 終始、少女のペースで話が展開されている感覚に苛まれながらも、肝を冷やしたことで冷静さを取り戻すと航大は山ほどある聞きたいことを一つずつ消化していく。

「えーと、色々と聞きたいことがあるんだけどいいか?」

「本来なら、人間ごときと話をする暇などは無いのじゃが……」

「こんな場所で忙しいことがあるのか……?」

「コホンッ! コホンッ! 儂はこう見えても忙しいのじゃッ!」

「……例えば?」

「そ、それは……えーと……そのぉ……山を見張ったりッ!」

「それって、ぼーっとしてるだけと違うのか?」

「うぐッ……うっ……ううぅッ……と、とにかく普段は忙しいのじゃッ! しかし、儂は優しいからな、少しくらいだったら話をしてやってもよいぞ?」

 ふんすと鼻息を漏らし、腕を組んで少女はチラチラと航大の方を見てくる
 その様子が明らかに構って欲しそうな態度が垣間見えていて、偉そうな口を漏らしながらも年相応な少女に航大は内心で笑みを浮かべてしまうのであった。

「それじゃ、まずはさっき……客人が二人とかって言ってたけど、もう一人はどこにいるんだ?」

 色々と聞きたいことがある中で、まず最初に問いかけた内容がこれだった。
 この少女が賢者であるかどうかは不明だが、今の航大には賢者に会うのと同時に、共に氷山へ立ち入ったライガを探すという目的が存在していた。自分が生きているのだから、ライガがそう簡単に死ぬはずはなく、更に航大が洞窟の中で横たわっていたことを考えれば、彼もまた同じようにこの洞窟内に居るかもしれない。

「あぁ、もう一人は……どこにいったかの?」

「えっ、そんな適当な感じなのッ!? 客人って言ってたのに?」

「確かにあやつもおぬしと同じように客人であることには間違いないのじゃが、いかんせん、ずっと眠っておってな。どんなに悪戯をしても起きないのじゃ」

「寝てるって……」

「しかも寝相が悪くてのぉ……さっきまでそこら辺に居たんじゃが、今はどこにいるのやら…………おぉ、あんなところにおった」

「うわ、マジだ……」

 少女が指差す先、そこは広い大聖堂の端っこの方で、遠目でよくは見えないが、そこに横たわっている人影を確認することは出来た。背負う大剣を布団にしている様子が分かり、それがライガであることを確信する航大。

「はぁ……なんか、心配して損した気がする……」

「まぁ、とりあえず無事が分かっただけでもよかったの」

「それじゃ、次の質問なんだけど、君が永久凍土の賢者……って、ことでいいのかな?」

「君、などと固く呼ぶな。儂のことはリエルでよいぞ」

「……それなら、リエルって呼ぶことにするよ」

「うむ。それで、質問の答えじゃが……儂が賢者と呼ばれる者なのかということじゃな?」

「あぁ。街の人から聞いたんだ。この氷山には、あらゆる魔法を使いこなす賢者と呼ばれる人が居るって聞いたんだ」

「かっかっかッ! そうかそうか。儂はいつの間にか、賢者などと呼ばれるようになっておるのか。それは愉快愉快!」

 自分が賢者と呼ばれていることが面白いのか、リエルはお腹を抱えて笑い転げる。
 結晶で出来た床をゴロゴロと転がっていくリエルを見て、航大は自分が直前に放った言葉を無かったことにしたい衝動に駆られていた。

 もし仮にリエルが賢者だとしても、どこか不安を感じずにはいられない……リエルと言葉を交わし、その行動を見て航大はそんなことを考える。

「はぁ、はあぁ……笑い死ぬかと思ったわい。そうじゃな、質問の答えじゃが……その問いに対する答えを、儂は持ち得ておらぬ」

「なんだよそれ……」

「儂は永い間、この氷山で生活をしておる。自我を与えられ、自分という存在を認識した時から、ずっとこの山で生活をしているのじゃ。確かに、この永い時の中で何度か人間と邂逅を果たしたこともある。困っている人間を見たら助けろ……それは儂が生まれた時から教えられている言葉でもあったからの」

 航大の問いかけに、予想外に真面目に答える少女。
 リエルの口からも語られている通り、彼女は見た目とは相反して相当長い時間を生きているようだ。ここは航大が住んでいた世界ではなく、剣と魔法の異世界である。そういった人間が居てもおかしくはない……と、考えるくらいには航大は異世界での生活に馴染んでいた。

「ここまでの時の中において、儂と邂逅を果たした人間が賢者などと呼称するようになったのじゃろう。まぁ、そやつらが言うておることも間違ってはおらん。確かに、儂はあらゆる魔法を使いこなすことはできるぞ」

 リエルはそう言うと自慢げに胸を張る。その際に、視線が彼女の胸を見てしまうのだが、航大は慌てて視線を逸らすことで、命の危機から脱出を図る。

「……それなら、街の人を助けて欲しいんだッ!」

「街の人……?」

 航大の言葉にリエルは眉をピクリと動かすことで、この話に興味があることを示してくる。正直、リエルのこの反応には航大もほっと胸を撫で下ろしていた。もしこれで、話も聞かずに門前払いだったらと考えると、航大の背中には再び冷や汗が流れてしまうところだった。

「あぁ。魔獣たちの毒にたくさんの人が苦しんでるんだ。そんな人を助けたい。頼むッ!」

 正直、リエルと名乗るこの少女が賢者であると確信を得た訳ではない。話をしてても、見た目相応の言動や行動が目立つのも事実。しかし、ここまでやってきて、手ぶらで帰る訳にはいかない。これ以上の手掛かりが絶望的なのであるなら、少しでもあるかもしれない可能性に賭けるしかない。

「ふむ。その様子を見るに、のっぴきならぬ状況であるようじゃな。氷山を覆う結界を破ってまで会いにきたのじゃ、その想いは本物なのじゃろう」

 先ほどのふざけた雰囲気とは一変して、頭を下げて懇願する航大を見て、リエルはその表情を真剣なものに変えて静かに言葉を紡ぐ。航大の少ない言葉で様々な事情を察したリエルは、しばしの時間を沈黙した。

「……儂にこの身体を授けた人は言った」

「…………」

 沈黙を破ったのはリエルだった。
 祭壇の上で浮遊する両剣水晶を複雑な感情が込められた瞳で見つめると、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぎ出していく。

「永遠の眠りにつく自分の分まで、困っている人を救って欲しいと。しかしそれは、この氷山に立ち入った者にのみ向けられた言葉なのじゃ」

「それって……」

「儂はこの氷山から出ることを許されてはおらぬ。儂という存在はこの身体を自由に使役することは出来ぬのじゃ。定められた使命に従い、来たるべきその日までこの山と時を共にしなければならぬ」

「そ、そんな……」

「氷山……いや、厳密に言えばこの場所には巨大で複雑な結界が施されておる。普通の人間であるなら、この場所にすら辿り着くことはできぬ。結界は部外者を寄せ付けない力を持つのと同時に、儂のような守護者を外に出さない結界でもあるのじゃ」

 どうして自分が航大の懇願を聞くことが出来ないのか。
 その理由を説明するにつれて、リエルの表情は暗く、沈痛な物へと変わっていく。

 ここまで笑みを隠さなかった彼女が浮かべる、重苦しい表情。そんな顔を見せられて、航大はリエルが嘘をついていないことを確信する。それは同時に、航大が背負う大きすぎるあらゆる物を手放すことと同義であった。

「例えば、その救って欲しいという人間を氷山に連れてくることができるのなら、儂は力を貸すことができるじゃろう。しかし、おぬしのその様子からして……猶予はないんじゃろ?」

「……あぁ」

「偉そうなことを言った手前、本当に申し訳ないと思う……」

 リエルは悔しげに唇を噛み締め、それっきり俯いて再び沈黙してしまう。

「まだ、他に方法があるかもしれない。それを探してみるよ」

「…………」

 ここで立ち止まっていてもしょうがない。
 今、航大には果たせばならぬ使命がある。それは一人の少年が背負うにはあまりにも重いものではあるが、それを果たさなければ、両手に抱えきれない大切なものを失ってしまうのだ。

「最後に一つ聞いてもいいか?」

「……うむ、儂に答えられることなら何でも聞くとよいぞ」

「その女の子についてなんだけど……」

 航大の指差す先。そこには両剣水晶の中で眠る少女が居た。
 その少女は自分の身体を抱くようにして、水晶の中に存在していて、その外見はリエルと酷似しているような気がした。

 簡単に言うのならば、リエルが成長した姿と言えるだろう。

 美しい水色の髪は背中まで伸びていて、目を閉じて入るがその顔つきもよく見ればリエルと似ている。身体の凹凸もハッキリとしていて、リエルが小学生ならば、水晶の中で眠る少女は航大と同い年くらいの年齢に見えた。

 航大の問いかけに、リエルの表情には暗い影が落ちていた。
 それは悲しいといったものではなく、より正確に言うのならば寂しいといった感情から来るものであった。

「さっきも言ったじゃろ、儂はこの氷山を守護する者であると」

「お、おう……」

「厳密に言えば、儂はただこの山を守っているのではなく、そこに眠る人を守っておるのじゃ」

「この人を……?」

「この人は……大陸の北方を守護する女神・シュナ。世界の均衡を保つ四人の女神の内の一人じゃ。女神は自らの身体をこの場に封印し、その身に宿す膨大な力を注ぎ込むことで、この世界を保っているのじゃ」

「世界を守護する女神……」

「そう。東西南北にはそれぞれ女神が存在していて、それぞれが膨大なマナを大地に注ぎ込むことで、この世界は均衡を保っておる」

 結晶の中で眠るのは世界を維持するために眠りについた女神だった。

 シュナと呼ばれる少女はこの異世界を維持、構築するために必須な存在であり、彼女を守護するためにリエルは存在する。異世界にやってきて、航大は初めて世界の有り様の片鱗を垣間見ることができた。

 どれくらいの時間をこうして過ごしているのか、彼女が女神としての力を失うようなことがあればどうなってしまうのか……聞きたいことは山ほどある航大だが、今は時間がない。

「もっと詳しく聞きたい気もするけど……とりあえず今は行くよ」

「そうじゃな。街までなら儂が送り届けよう。それくらいのことなら、力を貸すことはできる」

「マジかよ。それは助かるッ!」

「さぁ、一旦外に出て――」

 リエルの身体がピクッと小さく跳ねて、言葉が途中で止まる。
 そんな彼女の様子に違和感を感じた航大は、リエルの顔を見つめて同じように制止する。

「はぁ……本当に今日は客人が多い日じゃな。とはいっても、今度の気配は客人と呼ぶには――あまりにも邪悪すぎるがの」

 リエルの視線は大聖堂の奥……航大がやってきた場所へと向けられていた。
 その顔つきは険しい物に変わっていて、それは航大と話している間でも一度も見たことが無かったものだ。明らかに敵意を持って、大聖堂の奥を睨みつけるリエルは、無意識なのかその身に冷気を纏って、一瞬にして臨戦態勢へと移っていく。

「おーおー、ようやく見つけたよー」

 そんな間延びした男の声が大聖堂に響き渡った。
 それと同時にコツコツと足音を響かせながら大聖堂に人影が現れた。

「とりあえずさ、俺って面倒なのが嫌いだからさ、サクっと死んでくれない?」

 その声はそんな狂人じみた一言を突然に投げかけてくるのであった。

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