終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章13 戦いの果てにあるもの

第二章13 戦いの果てにあるもの

 氷都市・ミノルアを舞台にした史上最大の戦いは幕を下ろした。
 魔獣の討伐は程なく完了し、ミノルアの街は静寂を取り戻していた。

 この戦いによって生まれた被害は甚大であり、街の住人の多くが魔獣に襲われ傷を負い、ヒュドラの毒によって生死を彷徨っていた。
 負傷者以上に、命を落とした人間が多いのが現実である。ハイラント王国の騎士隊にも被害が生まれている。

 その事実がこの戦いの激しさを物語っており、静寂が包み込む街の中心部で、航大は悔しさに拳を握りしめるのであった。

「航大、そう落ち込むなって言っても無駄だろうな……」

「こんなにたくさんの人が……くそッ……」

 人の死について、経験があまりにも浅い航大は、眼前に突きつけられる現実に唇を噛む。
 死を悲しむことしか出来ず、自分はこの戦いにおいて何の力にもなっていない。
 その事実が彼の心に大きな傷を刻み、肩を落とさせるのであった。

「グレオ隊長、そちらの様子は?」

「……想像以上に酷いな。いくつかの避難場所にも魔獣が到達していたらしい。この街のおよそ半分の住人が命を落とし、残った住人たちもあの魔獣の毒にやられている」

「……最悪、だな」

 騎士隊の隊員と隊長としての関係性を取り戻したライガとグレオが言葉を交わす。
 その内容の中には一つも明るいものは存在しておらず、事態は最悪の一途を辿っていることだけが伝わってきた。

「毒はなんとかなりそうなんですか?」

「……それもこのままでは厳しいだろう。時間が経つに連れて、苦しむ様子が強くなっている」

「マジかよ……」

「そんな……ユイ……ナイチンゲールは……?」

「あの少女は……今は眠っている。彼女も毒にやられていて、身体に浴びた毒の量で言えば圧倒的に多いからな」

「大丈夫なんですかッ!?」

 グレオの言葉に航大は語気を強める。
 しかし、航大の問いかけに対してグレオは表情を歪めるだけ。

「今は何とも言えない。彼女の力を持ってしても、あの毒を完全に消し去ることはできないようだ」

「そんなッ……」

 グレオの言葉に絶望し、航大は無我夢中で走り出す。
 行く先はナイチンゲールが眠っていると言われている簡易的な救護場所だった。

「ユイッ!」

 救護場所の扉を開け放ち、中に踏み入る。

「うッ……」

 空き家となっていた小さな木造の小屋は――地獄と化していた。

「おいッ、早くこっちにも何か布をッ!」
「待ってろッ! 数が足りてないんだッ……今、取りに行ってるッ!」
「ダメだッ、出血が止まらないッ……このままじゃッ……」

 救護場所には夥しい数の人間が存在していた。簡易的なベッドが存在していて、そこには全身を黒く変色した血で汚した人間が横たわっている。
 所狭しと並べられたベッドの間を忙しなく行き来するのが騎士隊の隊員だった。
 治癒に自信がある隊員が集められ、彼らは目の前で命の灯火を消そうとする住人の治療に全力で当たっていた。

 思わず顔を顰めてしまう異臭に小屋は満たされており、航大は眼前の光景と相まって、胸から込み上げてくる嘔吐感を抑えるのに必死だった。

「す、すみませんッ……」

「な、なんだッ!? 俺たちは忙しいんだッ!」

「ユイ……髪の白い女の子……居ませんか……?」

「あっ、君はあの少女と一緒に居た……すまない、言葉が強くなってしまって。女の子は奥の部屋にいる」

 騎士隊員はそれだけを告げると、再び治療現場へと戻っていく。
 航大は込み上げる嘔吐感を我慢して、小屋の中へと一歩踏み出していく。

「やだッ……やだよぉッ……」
「死にたくないッ……」
「あっ、あああぁッ……!」

 小屋に足を踏み入れる度に、航大の鼓膜を悲痛な声が震わせていく。
 これが戦いの痕だとでも言うのだろうか。

 勝利したというのに、そこには笑顔なんてものは存在しておらず、ただただどこまでも地獄が広がっているばかり。
 なるべく視線を下ろして、航大は周囲の様子が視界に入らないように務める。

「――ッ!?」

 そんな航大の視界に全身を包帯でグルグル巻きにした人間が映る。
 それはミイラというにはあまりにも生々しく、しかし、とても生きているとは思えない格好をしていた。
 事実、床に寝かせられている包帯巻きの人間はピクリとも動いていない。
 右腕は肩から先が存在しておらず、左足も太腿から先が存在していない。

 身体のあちこちを欠損している人間は、もう助かる見込みがないと治療の優先度を下げられているのだ。治癒する人間にも限界がある。少しでも助かる確率の高い人間を優先するのは間違ってはいないが、そんな光景を目の当たりにして、航大が正常でいられるはずがない。

「――ッ!」

 これ以上、この場に留まっていることはできない。
 航大は目を閉じて小走りに小屋を歩くのであった。

◆◆◆◆◆

「……ユイッ!」

 しばらく歩いた先、そこは野戦病院と化している場所とは違い、ユイ専用の個室となっているようであった。清潔感ある個人部屋に存在するベッドに眠るユイは、目立った外傷もなく、しかし眠る表情は苦しげに歪んでいた。

「マ、マスター……か……」

「ナ、ナイチンゲール……大丈夫か?」

「はぁ、はあぁ……少々、無理をしすぎた……毒による影響が今になって……ぐぅッ!」

 航大の声に目を覚ましたユイは、まだナイチンゲールとのリンクが切れてはいなかった。
 苦しげに目を開けたナイチンゲールは、その瞳に航大を映すと苦しげに話し始めた。

「くッ……本来ならば、私が率先して治癒しなければならないのに……はぁ、はあぁ……私自身がこんなザマでは……」

「しょうがない。お前が居なかったら戦いに勝つこともできなかったかもしれないんだ」

「私は一度、死んでいる身……しかし、この身体の持ち主が危険だ……」

「ユイが……?」

「このままでは、毒によって命を落としてしまう……」

 それは航大が最も恐れいた事態だった。
 ユイが死んでしまう。
 それは今の航大にとっては、あまりにも受け入れ難い現実であった。

「くそッ……どうすれば……俺に……俺に力があれば……」

「そうではない。マスターが居るから、私はこの世界に召喚された。そのことによって戦いに勝った……マスターにはマスターだけの力がある」

「それでもッ……みんなを助けられなかったら……意味がないッ!」

「……確かに、誰も彼もを助けることはできなかった。しかし、マスターが居て……私を召喚したことで、被害が少しでも食い止めることができた。それは事実だ」

「でもッ……でもッ……俺は……お前が死んだらッ……どうしたいいかッ……」

 ユイが眠るベッドに両手をつき、航大は苦しげな声を漏らす。
 その両手はシーツを力いっぱい握っていて、力を込めすぎて震えているくらいだ。

「まだ、助ける方法はある」

「……えっ?」

 その言葉に振り返ると、そこにはグレオが居た。
 グレオも身体のあちこちに大きな傷を負っており、普通に立っているのがやっとという状態だ。

「北に聳える氷山……アルジェンテには賢者が住まうとされている。その賢者はあらゆる魔法を使いこなすとされていて、賢者ならばこの呪いを解くことが出来るかもしれない」

「北の氷山……賢者……?」

 脳裏に浮かぶのはハイラント王国での会話だった。
 自分が持つグリモワールについて詳しいとして紹介されたのが、氷山に住まう賢者だった。
 確かに、あらゆる魔法について知っているのであれば、呪いを……ヒュドラの毒を解除する方法を知っているかもしれない。

「そうだ……永久凍土の賢者……そいつに会えれば……」

 どん底に沈んでいた航大の心に光が指す。
 みんなを助けることができるかもしれない。その事実に全身に力が漲ってくる。

「しかし……今まで誰一人として賢者に会えた者はいない。しかも、あの氷山を登るというのはあまりにも危険すぎる……」

「……それでも、やらなきゃいけない」

「そうだな。俺もそう思うぜ、航大」

「ライガ……」

 グレオともう一人、この場に居合わせる人物が居た。それはライガだった。

「グレオ隊長。賢者捜索の任務について、俺と航大が行きます」

「何を言っているッ! 俺の話を聞いてなかったのか!?」

「でもッ、このままここに居ても、何も変わらないッ!」

 自分も行くと言いだしたライガに対して、グレオは語気を強める。
 しかし、そんなグレオの言葉にも怯むことなく、ライガはグレオの視線を真正面から睨み返す。

「一人でも多くの人間を救うことができるかもしれない。それなら、行くしかないでしょ」

「それでもッ……そんな危険な場所にッ……」

「…………行きます、俺」

「航大くん……君までも……」

「ユイを助けたい。みんなを助けたいッ! それが出来るのなら、俺はなんでもやるッ!」

 航大とライガの言葉にグレオの表情が歪む。
 言葉を選んでいるのか、グレオは目を閉じてしばし考え込む。

「……分かった。お前たちがどうしても行くと言うなら、私は止めない」

「隊長ッ!」

「しかし、だ……氷山へ遠征するのはライガ、そして航大くん……君たち二人だけだ」

「……えっ?」

「騎士隊は今、救護活動に手が一杯だ。私も指揮を取り、この場に留まらなければならない。それでも行くというなら、止めない」

 グレオの真剣な瞳が航大とライガを射抜く。
 静寂が部屋を支配して、ライガと航大の返答をグレオは静かに待っている。

「それでも、俺は行くッ!」
「あぁ、俺もだッ!」

 二人の気持ちは一緒だった。
 誰かを助けたい。その想いがあれば、どんな困難でも乗り越えられるんじゃないかという力をくれる。

「……今すぐ、防寒着を準備させよう。それを着たら向かうといい」

「「……はいッ」」

 ライガと航大の声が重なる。
 窓の向こうには遥か高く聳え立つ氷山が見える。

 あの氷山のどこかに賢者がいる。そこに辿り着くまでの間に、どんな困難が待ち受けているか……それは今では想像することができない。

 それでも航大は決意を曲げることはなかった、
 自分を助けてくれたユイのために、航大がしてやれることをやるしかない。
 ここから先は英霊の力を借りることができないかもしれない。異世界に来て、初めて航大が自らの力で何かを成し遂げる時が来た。

「行くぞッ、航大ッ!」
「あぁッ!」

 ライガの声に航大は立ち上がる。
 その瞳に苦しむユイを映し、航大は強く決意を固める。

「待ってろよ、ユイ。すぐに治してやるからな」

 返ってくる言葉はない。
 その現実に目を閉じ、航大はライガと共に歩き出す。

 永久凍土の賢者。
 遥か高く聳え立つ氷山。
 越えなければならない壁はあまりにも高く、そして数が多い。
 どんな困難が待っていようとも、乗り越えなければならない。
 航大の足取りに迷いはなかった。

 氷山での賢者捜索の任務が今、静かに始まるのであった。

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