終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章11 氷都市ミノルア防衛戦4

第二章11 氷都市ミノルア防衛戦4

 戦いは終盤戦に差し掛かろうとしていた。

 ヒュドラの毒によって、戦線を離脱したナイチンゲールに代わってやってきたのは、ハイラント王国騎士のライガ・ガーランド。全身をボロボロにしながらも戦い続ける英雄・グレオの息子である。

「カッコつけて出てきたはいいんだけどさ、コイツ何なんだ?」

「知らん。俺もこんな魔獣の存在については、一切知らない。戦って分かるのは、今まで戦ってきたども魔獣よりも強いってことだけだ」

「親父が言うなら、間違いないんだろうな……」

 三階建ての民家の屋上、そこに降り立つグレオとライガの視線が魔獣・ヒュドラに注がれる。ヒュドラは獲物を取り逃したことに怒りの咆哮を上げ、視線を彷徨わせてグレオたちを探す。

 九つあった首はその数を七つまでに減らしていた。

 グレオとナイチンゲール合わせて、十本の首は落としているのだが、復活する事実を目の前に見ているグレオにとっては、この戦いがいつ終わるのか見当もつかない。

「どういう理屈か分からないが、コイツは首を回復させることができる」

「……はっ?」

「俺と少女によって、一回は首を一つまで減らした。しかし、その後に復活したんだ」

「なんだよそれ、回復魔法が使えるってことか?」

「魔獣が魔法を使う……そんなことが可能だというなら、そうなんだろうな」

 額に脂汗を浮かばせてグレオがその目で見た事実を伝える。これから大型の魔獣と戦うにあたってライガに基本情報を伝えなければならない。

「最後に、この魔獣が放つ緑の液体……それに気をつけろ」

「毒みたいな奴ってことか?」

「触れたら命が危ない。説明は以上だ。これ以上はこの魔獣も待ってくれないみたいだ」

 ここまでグレオが説明すると、ヒュドラの首が屋上で立ち尽くすグレオたちを発見する。すると、残った七つの首全てが咆哮を上げてこちらへ突進してくる。

「ライガッ、死ぬなよ!」

「あいよッ……!」

 グレオの言葉を合図に二人は再び闇夜が支配する街の中を跳躍する。
 二人が立っていた場所にヒュドラの首が殺到し、仕留め損ねたことを理解すると、すぐさまグレオたちの姿を探す。

「おりやああああああぁッ!」

 空高く飛び上がったグレオは、自由落下に身を任せつつ大剣をヒュドラの首に向かって振り下ろしていく。

「――ッ!」

 グレオの剣がヒュドラの首を切断しようとする直前、彼の存在に気付いた首の一つが口を大きく開けて、落下してくるグレオをその剣ごと飲み込もうとしてくる。グレオの視界には、ヒュドラの開かれた口が巨大な穴のように見えていた。巨体を誇るグレオであってしても、ヒュドラにとっては一口で丸呑みできるくらいの大きさしかないのだ。

「こっちを忘れんなよッ!」

「――ッ!?」

 グレオの落下を待っている首の一つが、横から与えられた強い衝撃によって悲痛な声を上げて吹き飛んでいく。最も注意すべき人物であるグレオに注意が集まっている中、ライガは自分の存在を誇示するかのように、首の横顔に強烈な一撃を見舞う。

「ライガッ、後ろだッ!」

「うおおおぉッ!?」

 グレオの声が響き、ライガが背後を振り返る。そこには、怒りに満ちた瞳でライガを見つめる首が一つ。こちらを見る首は口を大きく開くと、灼熱の火球を吐き出そうと準備を始める。

「舌を噛むなよ、ライガあああぁッ!」

「おいおい、嘘だろ親父ッ!?」

 グレオは一度、地面に着地するとすぐさま弾かれたように跳躍する。
 ライガの横を風を切りながら通過すると、開かれた口の奥から見える灼熱の炎に対して剣を振るう。

「――ッ!」

 ヒュドラの首から火球が飛び出すのと、グレオの剣がその火球を真っ二つに切り裂くのはほぼ同時だった。
その場所を中心に強烈な暴風と、轟音が響き渡る。火球はその内部に強大な力を内包しており、グレオに叩き切られたことで、その力をこれでもかと爆散させていた。

「うああぁッ!?」

「ちぃッ!」

 少し離れた位置に居るライガも、己の剣を杖代わりにすることで、なんとかその場に留まる。身体が持って行かれそうな衝撃を感じながら、ライガの瞳は父親で英雄であるグレオの姿を探していた。

 尋常じゃない衝撃を、最も近くでその身に受けた英雄は未だに粉塵の中に姿を消したまま。
 粉塵の中からは魔獣ヒュドラの苦痛に染まった咆哮が聞こえてきている。しかし、肝心のグレオの姿はまだ見えない。

「おいおい、まさかやられちまったってことはないよな……?」

 そんな最悪の想定をライガが口にした瞬間だった、巻き上がる粉塵から一つの人影が飛び出してくる。大剣を引きずりながら飛び出してきた人影は全身に重度の火傷を負いながらも、四肢が健全な状況で再びライガの隣まで舞い戻ってきた。

「ふぅ、これは中々に効いたな……」

「効いたな……じゃねぇよ! なんでこんな危険なことをッ!」

 身体中から出血が目立つ状況で、グレオはそれでもその表情に笑みを浮かべていた。

「ちょっと考えがあってな。自分の考えが正しいかを確かめたかったんだ」

「……考え?」

「あぁ、あの魔獣を攻略することが出来るかもしれない……」

「マジかよッ!?」

 片膝を付いていたグレオは、確かな手応えを確信して立ち上がる。

「あいつは炎に弱いようだ。さっき、自分が吐き出した炎が違う首に当たった時、異常な反応を見せてたんでな、まさかとは思ったが」

「炎に弱い? 自分でも炎を吐き出すのにか?」

「理屈は分からん。でも、炎が有効な攻撃であることは間違いない」

 そんな会話をしていると、目の前を覆っていた粉塵が少しずつ姿を消していく。
 それと共に巨大な魔獣の影も見えてきて、まだ炎に悶え苦しむヒュドラの姿がそこにはあった。グレオが叩き切った火球の影響を至近距離で受けた首は、白目を剥いて絶命しており、まだ息がある六つの首は炎が延焼しないように、粉塵から距離を取って苦しげな声を上げている。

「はぁ、はぁ……そうか、ヒュドラは英雄・ヘラクレスに倒された魔獣だった……」

「航大ッ!?」

 終局を迎えようとしていた場面で、ライガは聞き慣れた声に振り返る。
 すると、そこにはナイチンゲールに抱えられて民家の屋上にやってきた航大の姿があった。

「どうして逃げなかった?」

 航大と先ほどよりかは僅かに顔色がよくなったナイチンゲールの姿を見て、グレオは険しい表情を浮かべる。グレオにとって、今のナイチンゲールは戦力にならないと判断した。だからこそ、逃げるように指示をしたのだが、航大たちはその指示に背いた。

 その事実に対して、グレオは険しい顔で問いかけを投げる。
 その問いかけに対して、一歩も引かないのがナイチンゲールだった。

「逃げろ? 誰に向かって口を利いている?」

「おい、ナイチンゲール……あまりそういう言葉は……」

「ふんッ、少し休憩すればこれくらい何ら問題はない」

 ハイラント王国の騎士たちが恐怖する、グレオの怒り顔を見てもナイチンゲールは一歩も引かなかった。強大な敵を前にして、ナイチンゲールは自分だけが安全な場所へ逃げるようなことはできなかった。
 それはクリミア戦争において地獄と化した戦場から逃げることなく、医療者として従事した史実通りの性格をしていた。

「それに、アレを倒すなら私の力が必要だろ?」

「はぁ……君はこんな性格じゃなかったと記憶していたんだが?」

「あはは……それにはちょっとした事情がありまして……」

 ナイチンゲールとしての人格に戸惑いを感じながらも、グレオはそれ以上の追求はしてこなかった。ヒュドラに勝つためには、満身創痍といってもナイチンゲールは戦力として大きなものであることは間違いない。

「それで、攻略法を見つけることができたのか?」

「あぁ、あの魔獣はどうも炎に弱い。その弱点を突けば……勝てるやもしれん」

「確かに、グレオさんの言葉は間違ってない。あの魔獣はヒュドラ。ギリシャ神話において、英雄ヘラクレスに倒された怪物だ」

「ギリシャ神話……? ヘラクレス……?」

 航大の言葉にライガが小首を傾げる。
 異世界に住まう彼らにとって、現実世界の単語は意味不明だろう。
 そこを説明すると長いので、ライガは放っておいて航大は話を続ける。

「かの英雄ヘラクレスは、ヒュドラとの戦いにおいて俺たちと同じ状況に陥った」

「首の復活についてか?」

「はい。ヒュドラは中央に存在する首が不死となっていて、必ず最後まで生き残る。そして切り落とされた他の首を全て復活させるんだ」

「……やはりか」

「そこで、あの魔獣を倒したヘラクスっていう英雄は、イオラーオスと呼ばれる甥に助けを求めて、ヒュドラに対する攻略法を見つけた……それが、ヒュドラの首を切り落とした傷口を炎で焼いて潰すってものだ」

 ヒュドラ単体の知識については、思い出すことができなかった航大だが、ヒィドラと紐付いているヘラクレスについての知識なら少しは持ち得ていた。そこから導き出した物語の結末を、航大は言葉にする。

「……なるほど。そうすればあの魔獣は首を復活させることができなくなる。しかし、不死と言われる真ん中の首はどうする?」

「ヘラクレスたちは、あの首の上に巨大な岩石を敷くことでヒュドラを押し潰し、行動の自由を奪い、実質無力化した……」

「巨大な岩石……」

「そんなもん、今から取りに行ってる暇はないぞ……」

 神話上の物語を全てなぞることはできない。ヒュドラを討伐する上で、最も大事なのが最後の首をどうするか。
 そこの答えさえ出すことができれば、この戦いにも終止符を打つことができるかもしれない。

「……あの消えない炎。あれを使うってのはどうだ?」

「消えない炎って……ヨムドン村を焼いたあれか?」

「あぁ、あの炎には不思議な魔力が存在してた。騎士隊として魔力について調査をするためにちょっとだけ持ってきてるんだよ」

「それを使って、ヒュドラに消えない炎を植え付ける……それならいけるかもしれない……」

この絶望的な戦いにも希望が見えてきたかもしれない。確かに、ヒュドラが復活を果たす前にその身体を常に炎で焼き尽くせば、ヘラクレスが倒した時と似た状況を作り出すことが出来る。

「……それしかなさそうだ」

「よし、そうと決まれば俺が炎を取ってくる」

「それまでの間に、私とグレオであいつを弱体化させればいいんだな」

「いけるか?」

 ナイチンゲールの言葉にグレオが真剣な瞳で問いかけてくる。

「ふん、誰に問いかけている。私はフローレンス・ナイチンゲール。あらゆる物を治癒する存在。目の前に存在する悪を滅するためなら、どんな死力も尽くす覚悟だ」

「……わかった。その目に偽りはないようだ」

 答えるナイチンゲールの嘘偽りのない言葉に、グレオは小さく頷く。
 それと同タイミングで、ヒュドラの何度目かわからない咆哮が街中に轟いた。
 炎によるダメージから脱したのか、ヒュドラは何度も咆哮を上げると、航大たちの方を憎しみの篭った瞳で睨みつける。

「――ッ!」

 大地を揺さぶるヒュドラの咆哮に、全身にピリピリとした熱気を航大は感じていた。
 この場にいる全員が決着を前に緊張の表情を浮かべている。

「さぁ、これで終わりにしようぜ」

 航大の声は震えていた。
 しかしそれは、恐怖からくるものではない。
 彼もまた、眼前で英雄たちの戦いを見て、感じることで恐怖心を克服しようとしていた。

 異世界にやってきて、戦いを経験して挫折して、屈辱に表情を歪めて、自分の無力さを痛感して、彼は少しずつ成長しようとしていた。

 一人では何も出来ない。
 それはこれまでも、これからも変わらないかもしれない。
 それでも、航大は自分に力を貸してくれる人たちに恥ずかしくないように、自分にできることだけに集中して、持てる知識を余すところ無く使っていく。

「――絶対に勝つ」

 異世界は航大に厳しい現実を突きつけてくるだろう。
 それでも彼は歩むことをやめられない。
 この戦いはそんな終末を迎える世界での一歩に過ぎないのだ。

 氷都市・ミノルア防衛戦。
 戦いは終局へと少しずつ歩む速度を高めていく。

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