終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章6 災禍の氷都市

第二章6 災禍の氷都市

 ヨムドン村での帝国ガリア騎士による襲撃。
 突如現れた、帝国ガリアによって村は壊滅した。
 帝国騎士を名乗った青年は、去り際に意味深な一言を残して姿を消す。航大たちハイライト王国騎士隊は急ぎ北方の大都市・ミノルアを目指す。

「航大、見えてきたぞッ!」

「あれが、ミノルア……」

 ヨムドン村を出てから数時間。
 大陸の北へと向かえば向かうほど、打ち付けてくる大粒になった雪の量は増していき、土竜が持つとされる風の加護が無ければ、目を開けることすら困難な状況だ。

 遠くの方に街が見えてきた。
 北方の田舎街といっても、ハイライト王国の城下町と同等かそれ以上の大きさを誇っているのが遠目からでも判断できた。吹雪舞う荒れた気候の中でも、街の明かりが確認できる。

「炎上してる……」

「おい、マジかよッ……」

 土竜を操縦するライガが、震える声で呟く。
 それは航大が最も危惧していたことであり、ヨムドン村の悲劇が再び繰り返されようとしていることに間違いなかった。

「街のあちこちで黒煙が上がってる……こりゃ、急がないとやべぇぞ……」

「くそッ……やっぱり魔獣の方が早かったか……」

「悔やんでる暇はねぇぞ、一人でも多くの人を助けるんだッ……」

 ライガは唇を噛む航大の背中を叩いて鼓舞してくる。
 そう、今は悔やんでいる場合ではない。
 ヨムドン村のように、誰も助からない悲劇を繰り返してはいけない。

「グリモワールが、光ってる……ッ!?」

「……航大、これなら私……戦えるよ」

 ミノルアがすぐそこまで迫ってきた中、航大の懐にしまわれていたグリモワールが輝き出した。待ち侘びた英霊召喚の時間である。

「うおぉッ!? なんだそれ、前に森で見たやつかッ?」

 航大が持つ輝く本を目にして、ライガにも少なからずの動揺が広がる。しかし、ライガは森の中で魔獣と対峙した時のことを思い出し、すぐにその表情を笑みに変えていく。

「よし、ヨムドン村ではどうなるかと思ったけど、航大たちも準備万端……って、ことでいいなッ!?」

「おうッ、絶対に悲劇は繰り返させないッ!」

 騎士隊がミノルアの正門を通過するのと同時に、航大はグリモワールを開き、現世の英霊をこの異世界へと召喚する。

「英霊召喚――フローレンス・ナイチンゲールッ!」

◆◆◆◆◆

 フローレンス・ナイチンゲール。
 かつて現実世界において、フランス、オスマン帝国、イギリスを中心とした同盟軍とサルデーニャ、ロシアが激突した近代戦争の一つであるクリミア戦争によって、戦場に舞い降りた天使と形容された人物である。

「はぁ、私はまた……戦場に召喚されたようだな」

「おぉッ!? ユイのお嬢ちゃん、なんかキャラ変わってねぇか?」

「まぁ、そうなるよな……」

「ユイ? それは誰だ。私の名はフローレンス・ナイチンゲール。人々を癒やし、救う者だ」

 この度、異世界へと召喚されたのはフローレンス・ナイチンゲール。
 ユイの服装は英霊召喚と共に様変わりしており、現在はネクタイにボタンの付いた赤と黒のジャケット、膝よりも短いスカート、そして汚れのない白髪の上には黒を基調として赤のラインが走った現実世界のパイロット帽に近い形をした帽子が乗っかっていた。
 ジャケットの両肩には黄金色に輝く肩章が備え付けられており、剣と魔法のファンタジー世界では目立つ、現実世界でも軍に所属しているタイプの看護姿をしていた。

「……おい、お嬢ちゃんは大丈夫なのか?」

「史実をしっかりと反映している……って、意味なら大丈夫だろうな……」

「誰がお嬢ちゃんだって?」

「ヒイイィッ!?」

 見慣れない服装に身を包み、見えるもの全てを睨みつけるような険しい顔つきをしているナイチンゲールを見て、ライガが動揺した様子で航大に耳打ちをする。
 ライガにとっては、ユイが全くの別人に突然変わったように見えたのだろう、動揺するのも無理はない。

 そんなライガの言葉が聞こえたのか、ナイチンゲールはキッと表情を険しくすると、両手に持っていた片刃の剣をライガに突きつけ、怒りを露わにする。

「私は誇り高き看護師……ナイチンゲールだぞ? もう二度と、私の前で私をお嬢ちゃん呼ばわりするんじゃないッ」

「ヒイイィッ、わ、わわわ分かりましたああぁッ!」

 おおよそ看護師が放つものではない視線で人間を射殺すようなナイチンゲールの瞳と言葉に、ライガは足をガクガクと震わせ返事をする。

 英霊として異世界に具現化した彼女に驚くのは服装や性格の変化だけではない、その両手に持った鈍色に輝く片刃の剣にもあった。それはよく見れば鋏を分解して二対の剣としたような形をしており、世界的に知名度を誇る看護師としての姿からは、あまりにもかけ離れた『武器』であることには間違いない。

「……誰かの悲鳴が聞こえる」

「そ、そうだ航大ッ! みんなは先に行ってる、俺たちも行くぞッ!」

「あぁ、分かったッ!」

「貴方が私を召喚したマスターか。状況説明は後だ、この街に傷ついた人が居るんだな?」

「あぁ、そうだ。魔獣がこの街を襲ってる」

 そう言うナイチンゲールの険しい視線はあちこちで爆発音が木霊するミノルアの街へと向けられる。ここが戦場となっていることをいち早く理解し、自らの使命を果たそうと決意する。

「魔獣たちの討伐は俺たちに任せろッ、航大たちはなるべく戦闘は避けて、街の人を救助してくれ」

「分かったッ!」

 英霊召喚に動揺していたライガだったが、自らが背負った使命を思い出すと表情を引き締め街へと駆け出していく。

 北方の大都市・ミノルアは魔獣たちの襲撃に遭っていた。
 それはヨムドン村で帝国ガリアの騎士である青年が言っていた通りであり、ミノルアはあちこちから黒煙を立ち上らせながら、戦火に巻き込まれていた。

 航大たちがミノルアの正門を通過したのと同時に他のハイライト騎士たちは駆け出して行き、街中で猛威を振るう魔獣たちの討伐へと走った。人々の悲鳴が様々な場所から木霊してきており、もう少し到着が遅かったらヨムドン村の二の舞いとなっていたことは間違いない。

「ゆくぞ、マスターッ!」

「あ、あぁッ!」

 走り去っていくライガを見届け、次にナイチンゲールが駆け出す。
 彼女に置いていかれないようにと、すかさず航大も走り出す。

「なんだこの街は……獣で溢れかえっている……それに、夥しい数の声が聞こえる……」

「こ、声……?」

「人々の声だ。助けを求める声、苦しみ悶えている声、生を断たれた人の断末魔の声……」

 走りながら、ナイチンゲールの顔が苦悶の表情に歪んでいく。
 航大たちが走っている街中は戦火の中心からはまだ外れているのか、異様な静けさに支配されており、焦燥感もあるがそれと同時に一種の恐怖すらも感じるようになっていた。

「――ッ! 近くに人がいるッ!」

「マジかッ!」

「こっちだッ!」

 街中を疾走する中、ナイチンゲールが何かを感じたのか身体を敏感に痙攣させて、視線で周囲をじっくりと観察し始める。彼女は人間の気配を感じることができるようで、大通りを走っていた身体を急回転させて狭い路地裏へと歩を進めていく。

「……居たッ!」

 航大とナイチンゲールが走る先、そこには確かに人間が存在していた。
 まだ小さい子供のようだ。
 身体中に擦り傷を作り、誰もいない無人の街中を大きな涙を零しながら歩いている。

「魔獣ッ!?」

 子供の姿を確認し、そちらへ急いで駆け寄ろうとするが、泣きじゃくる子供の背後から魔獣の影が迫っていることを認識する。人間二人分くらいの大きさを誇る紅蓮の瞳をした狼型の魔獣は、泣き止まない子供の背後から迫りその命を噛み砕こうとしている。

「――私に救いの力を……フィレンツェッ!」

 ナイチンゲールの凛とした声音が響き、その声に導かれるようにして先ほども見た鋏の形をした二対の片刃剣が具現化する。両手に握られた剣の一つ、右手に握られた刃を振り上げると、彼女はそれを音もなく投擲した。

「投げたッ!?」

「――ッ!?」

 ぐるんぐるんと大回転した一振りの刃は、子供の直ぐ側を通過して魔獣へと飛翔していく。
 子供しか見ていなかった魔獣は、突如目の前に現れた飛翔する刃の対応に致命的な遅れを生んでしまった。身体が咄嗟に回避行動を取ろうとするよりも早く、投擲された刃は魔獣の左目へと突き刺さった。

「――――ッ!!」

 静かな街に魔獣の咆哮が木霊し、剣が突き刺さった魔獣の左目からは夥しい量の血が噴出する。

「はあああぁぁぁッ!」

 ナイチンゲールの行動はそれだけに留まらない。
 怒号を上げた彼女は右足で強く踏み込むと、夜闇に支配された街を飛ぶ。
 一飛びで子供を飛び越え、魔獣の頭上へと到達する。そして左手に握られた唯一の刃を苦しむ魔獣の頭へと無慈悲にも突き立てていく。

「――ッ!!」

 左目の苦しみに苛まれる中、脳天に突き刺される刃の感触。
 それはしぶといと有名な魔獣でさえも一瞬で絶命する、致命傷となる。

「す、すげぇ……」

 今までこの異世界に召喚した英霊は二人。
 その二人も常軌を逸した力を持って、航大の期待に応えてきた。しかし、そのどれにもない残虐さと一瞬で絶命させる剣の腕前。現実世界において医療分野で世界的な功績を残した偉人だとは思えない、大胆で強烈な光景に航大は驚かずにはいられない。

「ふん、本来であるならば獣である貴方も私が救うべき対象の一つ。しかしそれは、人間に牙を向いた時点で変わってしまった。私も人間、まず救うべきなのは人間である。それらの命を脅かす存在であるのなら、私は容赦なく切り伏せる」

 ピクピクと身体を痙攣させ、やがてその命を断った魔獣の元へと優雅に歩くナイチンゲールは、そんな言葉を残して鮮血に染まる刃を回収する。

「すげぇな、ナイチンゲール……」

「すごくなどない。私は人々を治癒する力しか取り柄のない、しがない看護師。本来であるなら、戦いの場に私がこうして前線に出ることなど有り得ない」

「取り柄がないって……そんな馬鹿な……」

「ふん。私のことはどうでもいい。それよりも先にまずは治療だ」

 両手に持った刃を持ったまま、ナイチンゲールの瞳は泣きじゃくる子供へと向けられる。
 子供は女の子だった。長い髪を三つ編みにして、泥で汚れたワンピースを着た少女は航大とナイチンゲールを見ると、静かに泣くのをやめた。

「……大丈夫か?」

「ひく、ひっく……お姉ちゃんが、助けて……ひくっ……くれたの……?」

「あぁ、もう大丈夫だ。お姉ちゃんが助けた。もう安心していいぞ」

 先ほどまでとは一変して、ナイチンゲールの声音には慈愛が満ちていた。
 ナイチンゲールの優しい声に少女は涙と泥で汚した顔で満面の笑みを浮かべてくれる。その姿を見て、航大は人を救うことが出来たと安堵する。

「怪我をしているな?」

「……うん。さっき、転んじゃった」

「よしよし、それならば私が治してやろう」

「治すって、包帯とか持ってきてないぞ? それよりも、早く騎士隊の後方支援に連れて行った方が……」

「そんなことをしている暇はない。今ここで治療する」

 どうやって……と、航大が問いかける前にナイチンゲールは右手に持った刃を強く握り直す。そして、少女の視線の高さになるように屈んでいた身体を再び立ち上がらせる。

「おい、ナイチンゲール……?」

「大丈夫。痛みはない。全ては一瞬で終わる」

 何か不穏な気配を感じて、航大は一歩を踏み出す。
 どうして彼女はその手に持った剣をしまわない?
 航大がナイチンゲールの肩を掴もうとしたその瞬間――彼女が持つ刃が少女の身体を貫いていた。

「――ッ!?」

 驚きで声も出ない。
 航大の目はこれ以上無いくらいに見開かれ、胸から背中にかけて刃が貫通し、鮮血の花を咲かせる少女だけが映る。
 少女が大事に持っていた熊のぬいぐるみ。それが無情にも地面に落ち、少女はその身体から力と呼ばれる物を手放したのであった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品