終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第一章2 異世界、即邂逅
異世界にやってきてしまった。
言葉にするだけなら、なんてことない気がしてしまう。それこそ、漫画やアニメの世界の話であるなら、こんな感じで軽く言い放つこともできただろう。
しかし、それが二次元的な世界の話ではなく、自分の身に降り掛かった現実の話というなら違ってくる。
言わずもがな、航大は普通の学生である。現実世界で剣を振るってたこともないし、魔法が使えたことも勿論ない。ちょっと父親から剣道を習ってたくらいで、真剣が日常として扱われるこの世界において、剣道をちょっと齧ってた程度のレベルでどうにかなる訳がないのだ。
「俺強い展開も期待できない、と……」
「……オレツヨイ?」
「いや、こっちの話ね」
航大の独り言が気になるのか、名前も知らない少女はチラチラとこちらを見つめては、問いかけを投げかけてくる。
「てか、君は誰?」
「……私は、自分が誰なのか分からない」
「分からないって……記憶喪失的な奴ってことか?」
「……きっと、そう」
表情の変化が乏しい少女だった。
顔は整っているので、きっと笑ったりすれば想像を絶する可愛さを持っているに違いない。しかし、少女は航大の問いかけに眉をひそめ、悲しげに俯いてしまう。
「俺と一緒に異世界に来たって訳じゃなさそうだし、どうしてここにいるのか……それも分からないのか……」
「……ごめんなさい。私も、目を覚ましたらここにいて……それで、貴方を見つけたの」
「そうだったのか……」
分からないことだらけである。
それでも、右も左も分からない異世界に一人で放り出されるよりは、誰かが傍にいてくれたほうが何倍もマシであることは間違いない。
「さて、あと持ってきたものと言えば……この本か……」
航大を異世界に飛ばした原因とも言えるものが、ずっと右手に握られていたことに気付く。それは漆黒の装丁が特徴的な分厚い本である。ページを捲ってみるも、やはり本の中には何も記されていない。
この本が一体なんなのか、それを航大は知る由もない。どうして自分を異世界に飛ばしたのか、それを問いかけても答えてくれる者はいないのだ。
少し離れた荒野では、今でも『戦争』が続いている。
航大は荒野から少し離れた小高い森の端にいる。そのため、今すぐに航大の身に危険が迫ることはない。
「……なにか来る」
と、安堵していた航大に少女は張り詰めた声を漏らした。
「なにかって――」
「うおおおおぉっ!」
少女の意味深な言葉を航大が聞き返したのと、森の中から野太い男の声が響いたのはほぼ同時だった。
「うおぉっ!? なんで、こんな場所に一般人が!?」
森から飛び出してきたのは、赤い鎧を身に纏った兵士風の若者だった。
金髪を剣山のようにツンツンと立てた髪型に、航大よりも頭一つ分大きな身長。そして、自分の背丈と同じくらいの大きさはある大剣を背中に背負った男は森から飛び出してくるなり、航大と少女を見て驚きの声を漏らす。
「おいおいおい、こんな戦場で武器も持たないで何してんだよ!」
「いや、俺も好きでこんな場所に居る訳じゃ……」
「……今度は大きいのが来る」
「えっ、大きいの?」
「ちっ……もう追いついてきやがったか」
先ほどと同じように、少女が森の中を睨みつけるようにして声を漏らす。
少女の言葉を聞いて、若い兵士も苦々しい表情で自分が走ってきた方向を睨みつける。
「ちょっと待て、また何か来るのか?」
「来るぜ。めちゃくちゃ厄介な奴がな……」
森全体がざわつき始める。森の木々たちが危険を知らせるかのように蠢き、何者かが迫ってきていることを如実に物語ってくる。
少女と兵士は森の中から視線を外すことなく、その呼吸も驚くくらいに静かである。
森の中から異様な威圧感が迫ってきているのを、時間が経つにつれて航大にも嫌というほど伝わってくる。
「――ッ!」
森全体が揺れた。
暗闇に支配された木々の向こう側から獣の咆哮が轟く。
小鳥やリスたちが森から脱出してくる。遠くから木々を薙ぎ倒す音が聞こえてくる。
その音は凄まじい速度で航大たちの元へと近づいてくる。
最早、逃げることは不可能。今から逃げ出したとしても、迫ってくる圧倒的存在感を放つ『何か』からは逃げ切ることができないのだ。
「やっべぇ……マジで来るぜっ……」
「……気をつけて、航大」
「気をつけてって言われても……」
「来たッ!」
森を切り裂くようにして、『それ』はやってきた。
それが足を踏み出す度に、世界全体が揺れるような錯覚に陥る。事実、航大の足元は何度も揺れているのだから。
獣特有の匂いと、それに混じって漂ってくる不快な血の匂い。それが人間の物なのか、動物の物なのかまでは判別できない。
「なんだよ、これ……」
「なにって、どう見ても魔獣だろうがよ」
魔獣。
なるほど確かに、目の前に存在して殺意と敵意を持ってこちらを見下ろしている三つ首の獣は魔獣と呼ぶのに相応しい外見をしていた。
    三つ首は左から犬、蛇、竜に似た形をしていて、それぞれがおぞましい牙を剥き出しにして、今すぐにでも飛びかかってきそうな気配を解き放っている。
「これ、どうする感じ?」
「どうするって戦うしかないだろうな」
「……勝てるのか?」
この中で唯一、戦うことができそうな若い兵士に、航大は正面を睨みつけたままの体勢で問いかける。
この魔獣からは誰も視線を外すことができない。
外せば最後、命を落とすと本能が警戒しているからだ。
「……まぁ、勝つのは難しいんじゃないかね。勝てるなら、逃げて来てなかった訳だし」
絶望的な言葉である。
    こちらは兵士が一人と、一般人が二人。対するは見るからにやばそうな三つ首の魔獣が一匹。
    しかもこちらの戦力である兵士は早々に諦めの言葉を漏らしている。
異世界にやってきて早々のピンチ。ピンチなんて生温いものではない、ならこの状況を正しく言い表すとしたら――絶体絶命。
これが正しいのであった。
コメント