寵愛の精霊術師
最終話 しあわせのかたち
「ラルさまーっ! おーきーてーくーだーさーいー! 朝ですよーっ!」
心地よいまどろみの中に、聞きなれた声が響いてくる。
いまだに半分ほど寝ているオレの身体を、誰かがゆさゆさと揺らしていた。
……せっかくの休みなんだから、もう少し寝させてほしい。
そんなオレの内心など知る由もなく、声の主はオレの身体を揺らし続けている。
「……ほんとに起きてないんですか?」
やがて全く起きる気配のないオレに向かって、声の主は囁くようにそう尋ねる。
わからん。
たぶん寝てるんじゃないだろうか。
「……えい」
「むぐ」
そんな可愛らしい声が聞こえると同時に、オレの唇に何やら柔らかくて温かいものが押しつけられる。
とても心地よい感触だ。
「ちょ、なにしてんのカタリナ!」
「えへへ……おはようのちゅーですよー」
「あっ、カタリナちゃんだけズルい。私もラルくんとする!」
彼女の行動に興奮したのか、近くにいたらしい他の気配が声を上げる。
そんな慌ただしい様子に、さすがに目を開けざるを得なくなったオレの視界に飛び込んできたのは、どアップになったキアラの顔だった。
「あ、起きた」
「あ、ああ。おはよ――むぐぅ」
朝の挨拶を言い終わらないうちに、キアラの唇がオレの唇を塞ぐ。
カタリナのそれとは微妙に異なる温かさと柔らかさに、心臓の動悸が速くなるのを自覚する。
そんな心臓の鼓動を確かめるかのように、キアラの左手がするりとオレの胸に伸びてきた。
「むふー」
――こいつ、わかってやってやがる。
「んー!」
「はい、終わり」
調子に乗っていらっしゃるキアラさんの顔を両手で挟みこみ、オレの唇から引き剥がした。
名残惜しそうに唇を伸ばしているキアラの顔が、まるでタコのように見える。
せっかく可愛らしい顔をしているのに、なんかもう色々と残念だった。
「……ラル」
「はいはい。クレアもおいで」
「うん!」
その様子を一歩引いて見ていたクレアが、少し躊躇しながらも、オレの胸に飛び込んでくる。
少し顔を赤くして、オレの唇に自分の唇を重ねてきた。
「ん……」
クレアのキスはとても優しい。
深い愛情を抱いてくれているのがわかって、とても愛おしく感じた。
「あー! クレアさんずるいです! カタリナもしますぅ!」
「カタリナちゃんは最初にやったでしょ! 私なんて途中で無理やり引き剥がされたんだよっ!?」
オレとクレアのキスを見て、ケモミミの少女とアホ幽霊がギャーギャー騒ぎ始める。
ああ、いや、キアラはもう幽霊じゃなかったな。
じゃあただのアホだ。
「ったく、しょうがないな……おいで」
「はーい!」
「えっ! 私は!? 私はダメなの!?」
「誰もそんなこと言ってないだろ……」
勝手に泣き出しそうになっているキアラの様子に苦笑しながらも、オレはカタリナとキアラを抱き寄せる。
オレの身体に寄り添うと、二人ともさっきまでの様子が嘘だったかのように大人しくなった。
「えへへ、ラルさまぁ……」
「よしよし。カタリナはかわいいな」
すり寄ってくるカタリナの頭を撫でてやると、彼女はくすぐったそうに目を細める。
なんとなくキツネっぽい。
「……ラ、ラル」
「はいはい、クレアもおいで」
「……うん」
少し恥ずかしそうにしながらも、クレアはオレの隣にぴったりと寄り添う。
右にカタリナ、左にクレアが陣取っている感じだ。
そしてそんな状況で、キアラが大人しくしているはずもなく。
「ラルくんっ!」
「ちょ、キア――」
また最後まで言い終わる前に、唇が塞がれた。
温かい感触がオレの唇を包みこむ。
「あー! キアラさんズルいです! カタリナもしますー!」
……そうやって大騒ぎしている中で、他の部屋にその声が聞こえていないわけがなく。
「……こんな朝っぱらから何をやっとるんじゃ」
呆れ顔のアミラ様がオレの部屋にやってきてくれたおかげで、オレたちは正気を取り戻したのだった。
「申し訳ありませんアミラ様……。お見苦しいところをお見せしてしまって……」
「いや、構わんのじゃがな……。ワシが泊まっておることを忘れとるんじゃないかと思うたわい」
「いやー、あはは……」
ジト目でオレを眺めるアミラ様に対して、オレは愛想笑いを浮かべることしかできない。
ぶっちゃけ忘れていた。
朝食を済ませたオレたちは、リビングでくつろいでいる。
もっとも、妻三人とダリアさんはそれぞれの家事や仕事に勤しんでいるが。
ちなみに本日のオレの仕事は、客人であるアミラ様に近況を報告することだ。
季節は秋から冬に変わろうとしている。
ダーマントルの紅葉は色付き、綺麗な黄色や赤色の葉が風に舞っているのをよく見かける。
「それにしても、あれからもう一年経つのか。時間の進みというのは早いのう……」
しみじみとそう漏らすアミラ様。
その様子は、まさにおばあちゃんと呼ぶのが適切だろう。
「そうですね。オレにとっても、この一年はあっという間だった気がします」
オレは領地であるダーマントル地方に、屋敷を構えた。
とは言っても、元からあった屋敷を少し改修しただけだ。
今後家族が増えたりしたら手狭になるかもしれないが……しばらくはこのままでいいだろう。
「しかし、まさか三人とも妻にしてしまうとはのう……。昔から、クレアとはそういう関係になるのではないかと思っておったが……」
「いやー、あはは……」
再びジト目を向けてくるアミラ様に、オレは同じような返事を返すことしかできない。
別にアミラ様も本気で怒っているわけではないだろうが、それなりに迫力があるのだ。
アミラ様の言う通り、オレはクレアとキアラとも夫婦の関係になった。
カタリナも合わせると三人の妻に囲まれているわけである。
我ながらとんでもないたらし野郎になったなと思うが……皆が幸せそうなのでよしとしている。うん。
しかし、クレアはともかくとして、キアラの方は正式に婚姻を結んでいるわけではない。
キアラは存在しないはずの人間として、自分の正体を隠して生活しているのだ。
……あの日、オレたちが戻ってきたのは、キアラが開いた扉からは少しだけ離れた場所だった。
そこでオレたちは、一芝居うつことにしたのだ。
アリスが公の場に姿を現し、捕縛されるのに抵抗の意思もないとなれば、間違いなく処刑される。
それはロミードでもエノレコートでも、オレの故郷であるディムールでも変わらない。
キアラが、アリスとして普通に生活することなど、どう考えても不可能だった。
だから『終焉の魔女』アリスは、オレが殺したことになっている。
そして、エーデルワイスも。
大長老様に討伐の結果を報告しに行くときだけは、密かにキアラを護衛として連れて行った。
かつてと全く変わらない姿のキアラを見た大長老様は泣き出してしまうのだが……それはまた別の話だ。
キアラのことは、まだヘレナやフレイズ、エリシアにも紹介していない。
そのうち紹介できる機会を作ろうと思っているが……フレイズもなかなか仕事が忙しいらしく、まだ先のことになりそうだ。
「……ロードの奴は、もう戻ってこんのじゃろうか」
「……どうでしょうね」
アミラ様が漏らした言葉に、オレは曖昧な返事をする。
ロードはディムールには戻らなかった。
エノレコートに戻り、エーデルワイスにめちゃくちゃにされた王国を再建するのだという。
「でも、ロードはあっちで頑張ってるんですよ。きっとそのうち会えます」
あの日以来ロードには会えていないが……状況が落ち着いたら会うこともできるだろう。
人生は長いのだから。
「ふむ……そうじゃな」
オレがそう言うと、アミラ様は納得したような顔をした。 
そして、窓の外を眺めながら、
「少し外を歩いてくる。こんな晴れた日は散歩に限るからのう」
「あ、いいですね。オレが案内しますよ」
ダーマントルには緑豊かな自然が残っている。
それになんというか、村自体の時間の流れがゆっくりに感じるというか。
言うなれば牧歌的な雰囲気だな。
「いや、構わん。ワシもダーマントルに来るのは久しぶりでな、一人で色々と見て回りたいのじゃ」
アミラ様は苦笑して、オレの提案をやんわりと断った。
それならまあ、いいか。
「なるほど、そういうことでしたら。お昼には戻られますか?」
「うむ。昼食は用意してもらえるように伝えておいてくれ」
「わかりました。大丈夫だとは思いますけど、迷子とかにならないでくださいね」
「馬鹿にするでない、まったく……」
偉そうに言うその姿は、完全にその辺にいる幼女にしか見えない。
キアラにホットケーキでも用意しておいてもらおうか。
そういえば、キアラは意外と料理がうまい。
そう、ものすごく意外なことだが、キアラは案外家事スキルが高いのだ。
そんなわけで、今日の昼食はキアラに作ってもらうことになっている。
昼食の予定について尋ねようと思ったが、キアラの姿が見当たらない。
「あれ。カタリナ、キアラがどこ行ったか知らねえか?」
「キアラさんですか? キアラさんなら洗濯物を干しに庭のほうに行ったはずですよー」
「そっか。ありがとな」
「えへへ、どういたしましてです!」
オレがカタリナと話している間に、アミラ様の姿は消えていた。
行動が早すぎる……。
そんな感想を抱きながら、オレは庭のほうへと向かった。
キアラは庭でボーッと突っ立っていた。
洗濯物を片手にぶら下げながら、どこか遠くの方を見ている。
「……なにしてんの?」
「ひゃっ!? ら、ラルくん?」
オレが話しかけると、キアラは飛び上がった。 
なぜ話しかけただけでこんな反応をされなければいけないのか。
「あ、えーと……ちょっとボーッとしてただけなの」
「そっか。半分逝きかけみたいな感じだったから心配になったぞ」
「えっ。私そんなにヤバかった……?」
キアラが、無自覚だった自身の状態に危機感を抱き始める。
実際は言うほどヤバくはなかったのだが、こう言っておいたほうが面白い。
キアラは少し気にしている様子だったが、その件はひとまず置いておくことにしたようだ。
「アミラ様と話してたの?」
「ああ。色々と積もる話をな」
とは言っても、大した話をしたわけでもない。
それより今はキアラの状態が少し心配だった。
「……一人になると、色々と考えちゃうのか?」
オレがそう尋ねると、キアラは黙り込む。
どうやら当たっていたらしい。
「……時々ね、不安になることがあるの。これは全部夢で、本当の私は、今もあの黒い球の中でひとりぼっちでいるんじゃないか、って……」
キアラは震えていた。
彼女の心の隣には、いまだに暗い闇が口を開けているのだ。
「ラルくんが私の隣にいてくれて、毎日がこんなに幸せで、こんなことが、本当にあり得るのかなぁって……」
「あり得るに決まってる。だいたいキアラは、こんな夢を見れるほど自分のことを許してないだろ」
「……うん。そうだね」
オレの言葉を肯定し、キアラは寂しそうに笑った。
「私ね。やっぱり自分のことが許せないの。ラルくんにどれだけ言われても、慰められても、抱きしめられてもダメなの。……でもね、最近はその方がいいのかもしれないって、思い始めてる」
「……ああ」
「たとえ何をしたとしても、罪は消えない。絶対に消えない。だから、私は私のやり方で、みんなを幸せにしていこうと思ってる」
「そのために、村の子どもたちに色々教えてるのか?」
キアラは最近、村の子どもたちと交流することが多くなった。
もちろん正体を隠してではあるが、素のキアラは割と人から好かれる性格をしている。
外見はオレたちより幼いし、子どもの面倒見もいいため、村のお姉さん的なポジションを確立しつつあるのだ。
「……そうだね。あの子たちには、幸せになってほしいから」
「そっか」
キアラはキアラなりに、自分のできることを探している。
一人でも多くの人を幸せにできる方法を考え続けている。
それはとても大きな一歩だと、オレは思った。
そんなキアラのことが愛おしくなり、オレはキアラをそっと抱き寄せる。
「愛してるぞ、キアラ」
「もう、どうしたのラルくん……」
口ではそう言いつつも、キアラの顔は少し赤くなっていた。
頭を撫でてやると、くすぐったそうに目を細める。
「ちゃんと生きようね、ラルくん」
「ああ。ずっと一緒にな」
「うん!」
キアラの頭が、俺の胸に触れている。
ちゃんとそこにいる。たしかな温もりを感じる。
もう、誰にも認識されないなんてことはない。
見上げると、どこまでも澄み渡る青空が広がっていた。
キアラが創り望んだ、紛い物の世界の空ではない。
オレたちが今生きる世界の、綺麗な空だ。
この世界で、オレたちは生きていく。
寵愛の精霊術師 了
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コメント
ノベルバユーザー601714
ランキングから拝見しました。サクサク読めて面白かったです。とても気に入りました。
ヘンゼルとグレテル
ランキングで紹介されてたので拝見しました。
内容がとても面白く読み進めました!
続きが楽しみです!
ノベルバユーザー258112
とても面白かったです!
ノベルバユーザー243337
とても良い作品だと思いました!
次の作品でも頑張ってください!
カシト
若干リゼロ要素含んでるけど、これこれで面白い