寵愛の精霊術師
第90話 Chiara’s memory 3
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アリス様。朝食の支度ができております」
「……ありがとう。すぐ行くわ」
優雅な礼をして退室するメイドをぼんやりと眺めながら、私はベッドの上で伸びをする。
夢の影響なのか、身体全体が痛むような気がした。
痛みなどない。あるはずもない。
懐かしくも不快な夢を見た。
ただ、それだけのことだ。
私は、もう見慣れた室内を見渡す。
部屋に置かれた家具や調度品は、その一つ一つが一級品であることを疑わせない。
前世の基準から言っても、それらの評価は変わらない。
……そう。私は生まれ変わっていた。
しかも、地球とは異なる世界に。
――アリス・シェフィールド。
それが私の新しい名前だ。
異世界などという不思議の世界に迷い込んでしまった私のような女には、ぴったりの名前だと思う。
無論、気に入ってなどいない。
どうやら自分は、シェフィールド皇国という大国、その皇国の長女として生を受けたらしい。
国のシステムや情勢などはあまりよくわかっていないが、とにかく高貴な生まれということはわかった。
新しい両親は、私のことを愛してなどいなかった。
内面は酷かったが、両親の外見が良かったのは唯一の救いだろう。
私はその外見をしっかりと受け継いでいた。
鏡の前に立った少女は、美の女神と見紛うほどの容姿をしている。
腰のあたりまで伸びた深緑色の髪は、朝の光を浴びて輝いていた。
寝巻きのままでも、その美しさは色褪せない。
幼さと妖艶さを兼ね備えた、まさに魔性の女というのが相応しい姿だ。
もっとも、鏡に映される翡翠色の瞳だけは、いつもどんよりと濁っていたが。
「……やっぱり、思い出せない」
鏡の中の少女は、そう言って顔をしかめる。
夢に出てきたはずの人物の名前を記憶の中から手繰り寄せる作業を、私はこの夢を見た日は、いつも行っている。
――■■。
私を殺したのは、私の弟だ。
名前は思い出せない。
まるで記憶の中にあるはずのその名前が、黒く塗りつぶされてしまったかのように、思い出せる気配すらなかった。
沸き上がってくる感情は、憎悪だ。
「……ふぅ」
その感情を、私は抑え込む。
これは今はまだ、必要のないものだから。
私は、壁際にある机に目を向けた。
その引き出しの中にしまってあるノートには、自作の小説の他に、この十一年間をかけて行った実験のデータの全てが詰まっている。
実験というのは、この世界における魔術の実験のことだ。
――魔術。
こんな非力な私でも、人間を簡単に殺せる力。
幸いなことに、私には魔術の才能があった。
それがわかるや否や、両親はすぐに教育係として名のある魔術師たちを城に招いたのだが……正直言ってあまり役には立たなかった。
教本に書いてある以上のことは教えようとしないし、はっきり言って私のほうが魔術に対する理解は深かったからだ。
自分で言うのも何だが、天才という奴なのかもしれない。
いま私は十一歳だが、十二歳になればロミードという国に留学することになっている。
シェフィールドから離れれば、それだけ人の目から遠ざかることができる。
人の目が無ければ、城の中で行うには少し難しい類の実験も行うことができるだろう。
……そもそも、なぜここまで魔術に傾倒しているのかと聞かれれば、答えは一つしかない。
もう一度、ラルくんに会いたいからだ。
そう。私は諦めていなかった。
だって、本当にラルくんのことが好きだったから。
私は一度弟に惨殺され、そしてこの異世界に転生してきた。
異世界に転生することができるなら、異世界に転移することもできるのではないか。
そう考えた。
短絡的な思考だということはわかっている。
馬鹿げた考えだということもわかっている。
でも、やるしかないのだ。
私がもう一度ラルくんに会うためには、そうするしかない。
「よしっ」
頬を軽く叩いて、気合いを入れ直す。
まずは、着替えて朝食を食べに行くことにした。
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