寵愛の精霊術師
第68話 常闇の蔓
巨大な漆黒の球体から、黒い触手が何百本も生えてきている。
よく見るとそれは真っ黒ではなく、触手の黒色の中に小さな白っぽい色の点が、ぼんやりと光を発していた。
まるで、その触手の内に満点の星空が広がっているかのような、そんな錯覚すら覚える。
そんな不可思議な模様をした何百本もの触手が、地面のところまで垂れ下がり、
「――っ!!」
次の瞬間、オレの目の前に迫っていた。
あともう少しでぶつかりそうなところで、慌ててそれを回避する。
回避した触手は、そのまま広場の地面にずぶずぶとめり込んでいった。
石とレンガで造られているその地面を、なんの抵抗もないかのように。
「なんなんだよ、これはっ!!」
黒い触手たちは、ものすごく嫌な気配を醸し出している。
それに直接触ってしまえばどうなるのか、オレにはなんとなく想像がついてしまうのだ。
「――『常闇の蔓』じゃな」
「知ってるんですか、アミラ様!?」
険しい表情で迫り来る触手を回避したアミラ様の呟きが、オレの耳に入ってきた。
「うむ……。『常闇の蔓』は、闇属性の神級魔術の一つじゃ。その触手が触れたが最後、たとえそれがどんなものでも世界から削り取ってしまうという。もっとも、ワシも直接触れたことは無いがな」
「神級!? いや、それよりも、キアラはそんな恐ろしいものを振り回してるって言うんですか……!?」
だが、神級魔術と言うのならば、あの破壊力も頷ける。
あれは削り取るなどというやさしい表現は似合わない、どちらかと言えば消失という言葉がふさわしいものだった。
「『常闇の蔓』の維持には、相当な量の魔力と精霊を必要とするはずじゃ。それにもかかわらずあれほどの量と持続時間……なるほど、あそこに浮かんでいるのは『終焉の魔女』に間違いあるまい」
そう言いながらアミラ様がキアラのほうを睨みつける。
黒い球体に包まれたキアラには、こちらの声は届いていないようだ。
相変わらず上空に浮かんでいるキアラの前に、小さな緑色の球体が出現し――、
「……ぁ?」
途端、オレは強烈な倦怠感に包まれた。
いや、オレだけではない。
隣に立つアミラ様、近くにいるクレア、カタリナ、さらに迫り来る『常闇の蔓』を捌いているカミーユやエーデルワイスすら顔をしかめている。
「なんなの、これ……」
あまりの倦怠感に耐えられなくなったのか、クレアは膝をついてしまった。
カタリナも、その場に座り込んでしまっている。
広場全体を見ると、二人と同じような症状に見舞われている人間が大勢いた。
「……これ、は……『吸収』じゃな……。あやつ……ここにいる、すべての人間の……生命力を、吸い尽くす……つもりじゃぞ」
『吸収』は、土属性の下級魔術だ。
その名の通り対象の生命力を奪うものだが、本来その量は微々たるもので、習熟しても戦闘で使うのは難しい。
それをキアラは、少なくともオレが見渡せる範囲全体を対象に使っているようだった。
「は、は。さすがに無茶苦茶すぎるだろ……」
あまりにも規格外すぎて、渇いた笑いしか浮かんでこない。
だが、そんな感想を抱くだけの時間を過ごしている余裕もなかった。
「とにかく、この場から離れないと……!」
本来『吸収』は生命を脅かすことはほとんどないが、キアラのこれはもはや『吸収』と呼ぶのに違和感を覚えるレベルのものだ。
このまま皆を放っておけば、生命力を失いすぎて衰弱死することも十分あり得る。
しかし、何故かオレはアミラ様たちほど『吸収』が効いていないようだ。
まさか今の状態のキアラがオレに対して手加減をしてくれているとは思えないが、まあいい。好都合だ。
「ひゃっ!? ちょ、ラル!?」
「ラルさまっ!?」
「悪い、ちょっと苦しいだろうけど、しばらくじっとしててくれ。たぶん、キアラから離れたらマシになるはずだから」
……キアラから離れる。
自分のその言葉に心苦しさを覚えながら、無属性魔術の身体強化を使い、カタリナとクレアをひょいと担ぎ上げる。
アミラ様はなんとか一人で移動できそうなので、頑張ってもらうことにした。
時々こちらにも飛んでくる『常闇の蔓』を避けながら、なんとか王都にあるガベルブック邸までやってきた。
警戒しながら中に入ったが、特に誰かがいるというわけでもなく、荒らされた形跡もない。
「倦怠感はどうだ? マシになったか?」
「カタリナは大丈夫です、ラルさま」
「うん、私もだいぶよくなった。やっぱり、あれの近くに行けば行くほど『吸収』の力が強くなるんだと思う」
クレアの様子を見る限り、オレの推測は当たっていたようだ。
広場の方向の上空には、相変わらず巨大な黒色の球体が浮かんでいる。
その下部からは『常闇の蔓』が伸びており、時々そのさらに下の方が光ったりしていた。
戦闘はまだ続いているのだろう。
王都の人たちも、騒ぎを聞きつけて家や仕事場から出てきているようだ。
辺りには怒号や何かが破壊されたような音がひっきりなしに飛び交っている。
もしかすると、王都全体で同じような騒ぎが起きているのかもしれない。
だが、今はそんなことを気にかけている余裕はない。
「とにかく、これからどうするか決めないと」
今は正気を失いながらもキアラがエーデルワイスとカミーユの相手をしてくれているが、いつ均衡が崩れるかわからない。
それに、ロードも今頃は意識を取り戻してオレのことを血眼になって探していることだろう。
ロードが冷静になった時、この屋敷の存在に思い至らないと考えるほど、オレは楽観的ではない。
「まずは父様とダリアさん、それにヴァルター陛下の洗脳を解かないといけない」
オレの父親であるフレイズ。
クレアの護衛、しかし決してそれだけの言葉では語り尽くせない仲であるダリアさん。
そして、クレアの父親でありディムールの王であるヴァルター陛下。
最低でもこの三人だけは、絶対に救い出さなければならない。
ロードに対しては……正直答えが出ない。
『嫉妬』として覚醒して完全に敵に回ってしまっている以上、説得は難しいだろうが……。
「……む。誰か来たようじゃの」
言いながら、アミラ様が玄関のドアのほうに目を向けた。
その言葉を聞いて一瞬警戒するが、ドアの向こうにおぞましい気配は感じない。
とりあえず、気をつけながらもドアを開けた。
そこにいたのは、
「……かあさま!?」
数人の戦士たちに囲まれた、ヘレナだった。
その戦士たちにも、特に敵意や悪意は感じない。
おそらくガベルブック領から来た、ヘレナの護衛だろう。
「ラル!! 無事だったのね!!」
「うぉっ!? え、ええ、なんとか。母様のほうもよくご無事で」
ヘレナはオレの顔を見た瞬間、勢いよく抱きついてきた。
それを受け止めながら、オレの心は深い安堵感に包まれる。
「よかった。ラルフ様と合流できたのは幸いですね」
ヘレナとは疎遠になっていたはずの、元家政婦のミーシャの姿もある。
オレを抱きしめて安心した様子のヘレナを姿を見て、表情を緩ませていた。
「ミーシャさんも、無事でよかった。ところで、エリシアはいないですよね……?」
「エリシア様はガベルブック領の邸宅にいらっしゃいます。ラルフ様のお話もありましたし、何やら王都で不穏な動きが見られたもので。……しかし、まさかこれほどの事態になっているとは」
目を細めたミーシャが、唇を噛みしめる。
その視線の先には、キアラがその身に纏った混沌の球体がある。
「あれは一体なんなのですか……? 途轍もないほど強大な闇精霊の気配を感じますが……」
「そうですね。それを含めて、母様達にはお伝えしなければならないことがいくつかあります」
とにかく、外で話すのは何かと問題なので、とりあえず屋敷の中に入ってもらう。
彼女らをリビングに案内して、オレは自分が持つすべての情報をヘレナ達に伝えた。
クレアとのこと。
ロードが『嫉妬』の魔術師として覚醒して、オレ達に敵対したこと。
その過程で、オレ達が敵に捕らえられたこと。
なんとか隙を見て脱出には成功したこと。
そして、
「端的に言うと、あの球体の中にいるのは、『終焉の魔女』アリスです」
「……そんな。まさか」
『終焉の魔女』の名前が出た瞬間、ヘレナ達の目が見開かれた。
ある者は恐怖を、ある者は絶望を、それぞれその目に宿している。
「――でも、彼女はオレの大切な人でもあります」
オレがそう言うと、ヘレナはポカンとした表情を浮かべた。
目の前にいる息子が何を言っているのか、わからないのだろう。
「あいつはオレが生まれた時からずっと、キアラという名を名乗ってずっと一緒にいました。幽霊の姿で、オレ以外の誰に見られることもなく、ずっと」
キアラは、ずっと一人だったはずだ。
誰に見られることもなく、誰に触れられることもなく、一切干渉されることなく、そんな中で、たった一人だったはずだ。
「たしかに、キアラが昔恐ろしいことをしたのは間違いないと思います。それは否定しませんし、あいつ自身が絶対に償わなければいけないことです」
エーデルワイスが言っていたことが事実だったとしたら、それにオレが知っている限りの事だけでも、キアラが犯したのは途方もないほどの罪だ。
「でも、今のオレがここにいるのも、キアラのおかげなんです。あいつはオレに、たくさんのものをくれたんです」
時には悪戦苦闘しながら、こちらの世界の言葉を書く練習をしていたとき、キアラにはずいぶん世話になった。
魔術だって、キアラの指南がなければ精霊級まで達していたか怪しいものだ。
それになにより、キアラはオレのことを愛してくれていた。
そして、オレもキアラのことを愛している。
「オレはキアラのことを愛しています。だから、オレはあいつを必ず助ける」
「……ラル」
オレの言葉を静かに聞いていたヘレナが、口を開いた。
「正直、わたしは反対だわ。ラルにはもうカタリナちゃんもクレア様もいるし、ラルが信頼している人と言っても、現に今あんなことになっているわけだし」
「うっ……。お、オレもあれはどういうことなのかわからないんですよ。多分、何らかの原因で暴走状態にあるんだと思いますけど……」
「だから」
ヘレナは、オレの前で人差し指をピンと立てて、
「あなたにふさわしい人なのかどうか、母親であるわたしが見極めてあげる。だから、ちゃんと無事に連れ帰ってきなさい。いいわね?」
「……はい!」
やはり、親にはいつまで経っても敵わないのかもしれない。
こんな時だというのに、そんなことを考えてしまう自分がいた。
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