紅葉のいろは忍ぶれど

きー子

 武蔵国むさしのくに石浜の殿はたいそう酔狂好みの男で、端的にいって暗愚であった。それがため、かの城主マクワリ・ツネタケは名無しをうたう女田楽を平然として食客に迎え入れたのである。それはむしろ楽しげでさえあった。臣下のいさめる声はむろんあったが、幼き娘子ひとりになにが出来ようものぞと呵々大笑。おんなこどもとて使い走りはたやすく、諜報活動においていうならば大の男よりもはるかに長けているだろう。そのような道理にさえもツネタケはおよばないのだ。

 女田楽はいまだ十にも満たない齢に見えた。冗談のようにあだっぽく着崩された赤い着物は帯解き前の童女に等しい。艶を帯びた黒髪はかむろめいて短く、必要とあらば鬘をした。当然のように化粧もやった。探るように年をたずねられたときは「二十をこえてから数えてはおりませぬ」など、にこりともせず答えたものである。

 少女は幼いながらに一目見てそれとわかる器量よしで、だから彼女の表情の薄さはいたく惜しまれた。その情緒がいわおのように頑然としているものだから、下女たちからは"イワナガ"などとおもしろおかしくあだなされる始末であった。言うまでもなく古代の姫神磐長姫いわながひめにあやかったものであったが、これがなんともいやに似合った。幼い一人身にして芸事をよくし、その演戯は「お美事」の一言であったが、平時はまるで愛想というものが無いのである。下女たちとすれ違えども礼と会釈を残すばかりで、お上の殿様にさえ媚びを売るところがない。「あれは姫神の化身であるまいか」「しかし口伝では醜女しこめというではないか」「本物はさらなる器量よしで、そしてたえがたいほどの仏頂面であったに違いあるまい」────など、噂されることしきりである。

 このころはじめは殿をいさめていた臣下も、すでに少女を見張るのは最小限にとどめていた。居室を出ることさえまれで、城内のものと私語を交わすことなどそれに輪をかけて珍しい。物盗りの線などは捨てられていなかったが、監視のたぐいは平時のそれと変わりないまでに落ち着きを見せるようになったことは、ごくごく自然のなりゆきといえよう。

 一月も過ぎ、すっかり少女も城の生活に慣れたふうであった。その日もまた城主の間にて舞と管楽をあわせ演じてみせ、上座を感嘆させたものである。場の中心には城主であるツネタケが座し、それにならうように家臣団が並ぶ。襖のきわには見張りの兵も立たせているのだが、そのかげに隠れ様子を見守るものの方が多いような有り様であったから、すでに誰が見張りかさえ判然としないのだ。まことにいちじるしい賑わいであった。

 かような満座にてツネタケは柏手を打ち、少女をねぎらうと、不意にこういったものである。「ときに娘よ。今宵、衾所ふすまどころに參られぬか」すなわち、閨への誘いであった。誰も彼もが仰天した。家臣団など目を剥く始末であった。

 古今の歴史をひもといても、傾国の悪女というものは枚挙にいとまがない。そのような例の中にはしおらしい女であったものも珍しくないが、それらは地位というものを得ると、途端に自儘に振るまい始めるのである。過去に学べば、家臣たちが主人の暴挙に黙っていられるわけはない。

 かたや武士たちの驚きも凄まじいものがある。ひそやかに少女を嫁御にと目論んでいたものは決して少なくないのだ。農村や貴族社会ではありえぬことだが、東夷地とういちに送られた若者にとり、婚姻に難儀するのはままあることではあった。なにせ少女は食客といえど名も知れぬ浮浪の身、よもや上からかっ攫われようとは思いもよらないことである。今となっては、元よりそのつもりであったのかとさえ考えられようものだが。

 下女たちの興味はといえばただ一点。少女がいかに応じるか、ということである。ところが少女は応とも否とも、これといった反応を見せないものだから、ツネタケは鷹揚に立ち上がった。ゆっくりと歩み寄り、少女のかぼそい肩に手をかけようとする。家臣たちが後ろから制止の声を飛ばしたが、すでに遅い。

 瞬間、マクワリ・ツネタケの身体は畳の上に転がされていた。

 少女はツネタケの肘を引っ張り重心を崩し、不意を打たれ倒れこんだところを押さえ、同時に首根っこをつかまえて引きずり倒す。まことにあざやかな手際であった。衆目はなにが起きたかさえ気づかなかった。一瞬、止まってしまったような時間を自覚してなおもわからないのだった。まるで狐に化かされたかのごとき心地なのだ。少なくとも、男への情熱的ないらえでないことは確かだった。

「おぬし────何を」「しずかに」疑問をさえぎる少女の声は、まるで常のそれと変わりない。涼やかで揺らぐことがなく、他を気圧するような威圧感はない。少女はとまどう周囲に視線をめぐらせて、いった。「わたしは、これをつれてゆきます」敢然たるさまであった。

 それを聞いてまず奮起したのが主君第一の家臣らであった。傾国の種を憂慮なく摘みとるまたとない好機なのである。彼らを押さえつけていた蓋が飛んでいってしまったかのごとくであり、少女がごくごく幼い女に過ぎぬことなどまったく二の次であった。

 意気をあげてひとりの壮年の臣が刃を抜き、襲いかかったが、全くの無駄であった。少女は振り落とされる一閃をさっとかわし、駄賃とばかりにその手首をねじり上げた。呻き声をあげて取り落とされる刃。とても幼子とは思われぬ膂力であった。しかしそれ以上に、技が並ではない。少女がこめた力は大したものでないにも関わらず、まるで自然の道理をわきまえているかのように利用してみせる。それはさながら何度ともなく少女が男達の前で披露した舞にさえ似ていた。

 少女の脚が刃を蹴りあげ、取り上げた刀の柄を対手の脇腹に、放りこむような勢いで叩きつける。苦悶の声を上げながら崩れ落ちるさまは、一時の勢いをくじくに十分な無残さであった。そしてすぐさまツネタケを逃さぬよう、彼の首をふみつけにして見渡したものである。

「つぎ」少女が小さくつぶやいた。戦慄であった。

 それでも怯まず向かう男たちは、三者三様の手管で積みあげられた。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ──というにふさわしい。ひとりひとりと重なる身体が五を数えたとき、ついには子ども相手に二人がかり──果てに三人がかりとなる始末である。もっとも、結果はより悲惨である。流れる水のように自然な体運び、足運びに幻惑されて同士討ちに追いやられるのだから世話はない。かくなる大立ち回りを演じ、おそろしいことに少女は息ひとつ上がってはいないのだった。

「もう、おりませぬか」少女はさっと襖に目配せした。若武者たちがいまだとどまっているが、かといって目の前の娘をどうにか出来るものとは微塵も思えなかった。尻ごみするさまをあからさまに見て取ったツネタケは、押さえつけられたままであれど肩をいからせ業を煮やす。

 マクワリ・ツネタケという男は暗愚である。暗愚であったが、不思議と人の心の隙を突いた。人の弱さ、というものをよくよく知り得ているのだった。「おまえたちよ──こやつを捕らえたものは、これを"もの"とするが良い!」だから彼らを焚きつける程度のこと、わけはない。

 武士たちはそれぞれ目配せし、城主の間へと踏みこんだ。そして誰からともなく、少女を包囲したものである。無様極まりないが、ほかに手はあるまい。刃を抜くものはなかった。得物を手玉に取られてやり返されたものが少なくないからだった。いっそ素手で押さえつけにしたほうがよい。所詮は子どもの矮躯なのだ。彼らは包囲をじりじりと狭めてゆく。いよいよ手が届く距離も近い。

 不意に、包囲の一角が派手に転げた。少女の蹴り足が足元の畳をすくい、跳ね上げたのである。にわかに浮足立つが、それでも一人の男が少女の着物をつかみあげた。「観念せよ!」必死の形相で言いつのる男の視界は、すぐに天地がさかさまになった。少女は掴まれた着物をさっさと脱ぎ去っていて、手元を滑らせたその隙をまんまと突かれたのであった。想定外のことが重なるとあとは総崩れで、しょせんは欲に焚きつけられた烏合の衆に過ぎない。すぐにおとなしくなった。

 少女は動くものがなくなった部屋を見回すと、まずは肌小袖姿であったところを着つけなおす。そしててごろな布地で手早くツネタケを縛り上げた。なにかをわめこうとするので、轡もはめた。後はこれを持っていけばいい。それが少女の仕事であった。体重が最小限にしかかからぬようにして担ぎ、彼女は早々に退散すべく歩みだした。

「待て」だが、さえぎる声があった。言葉のみならず、それはまるで開かれた襖に蓋をするかのごとくして戸口に立ちふさがっているのだった。それは大変な巨躯をほこる大男で、室内でさえも影を落としそうなほどである。「拙者の目があるところ、これ以上の御勝手はまかり通らぬ」と、男は部屋の惨状を見てもなお大見得を切って見せたのだった。

「拙者はロウザン・イットウ。かくなる手前、さる高名な武術者とこころえる。それともぬしは鬼か、あやかしか」「名は持ちあわせておりませぬが、人でございます」「にわかには信じがたいが、そうか。"イワナガ"の化身ではあるまいか」イットウは大口を開けて笑った。「せんない噂にございますれば」「左様か」頷いて刃を抜いた。いかにも好漢めいているロウザン・イットウは、巨躯でありながらにおごるところのない武人肌の男で、それによくよく似合っている油断のない構えを取った。

「ひゅっ」と、少女のすぐそばを風の音がかすめていく。振るわれたその一刀は、まさしく剛剣と呼ぶに値する一閃であった。相対するのは少女とわきまえながら、一片の容赦もない。しかしただおそるべき敵として見ているのではなく、一人前の武人として見ているところがあった。だが、それでも刃は手応えを得られなかった。少女の姿はすでに大男の背後にあった。少女のか細い指先が男の背筋に沿い、いくつかの点を押さえている。

「娘よ、それはなんの真似だ」「動かないでくださいませ」「なにゆえぞ」「動こうとすれば、脊椎をこわします。二度と立てぬ身体になります」一抹の沈黙があった。そしてほどなく、にぶい音を立てて刃が畳の上に落ちた。さんざんに縛られたツネタケがもがき狂ったが、イットウはゆっくりと両の手をかかげるばかりである。

「参った」イットウは、笑っていったものだった。「この城は、落ちるのだな」「じきに」「左様か」そしてたがいに一歩引いた。「征きたまえ、幼き武人よ。拙者にそれを止めるすべはない」その言葉を聞くともなく聞きながら、少女はツネタケをより厳重に縛った。暴れられると面倒だった。

「娘よ。最後にひとつだけ、聞きたいことがある」少女は向き直り、視線だけでうながした。「なぜ、殺めぬ」「母上の教えゆえ」「母君に、師事したと」「さようにございます」「是非、会ってみたいものだ」「すでに亡くなりました」「……左様であったか」イットウはうなずき、深々と頭を下げた。少女はそれを見て、きびすを返した。もう振り返らなかった。ツネタケを負って、行く。「────去らば」城内の途上では下女たちの目に晒された。畏れられているようでもあり、好奇の目のようでもあった。しかし、ついぞ呼び止められることはなかった。

 少女は野を行き山を行き、半日とたたない内に依頼者と落ち合い、そして早々にマクワリ・ツネタケを引き渡した。「大儀であった。──"雑賀さいがの"」少女は忍であった。依頼を請け負い影働きをなす、傭兵じみた里の忍。「いたみいります」「うむ」男は満足げに頷く。つとめて抑えているようではあったが、あふれんばかりの嬉々とした気配があった。彼はマクワリ・ツネタケを生け捕りにしてどうしようというのか。そういった詮索はなしであるが、予想はたやすい。おおかた、主君の身柄を手中に収めたところで城へと乗り込み、開城を迫るといった筋書きだろう。東夷地の築城は特別、都の皇に許されてのものであるから、この地を押さえるためには城を押さえるのが要諦なのだった。

「時に」そんな思惑も知ったところではないから、少女は早々この場を離れるつもりであった。が、そこに引き止める男の言葉である。「何用か、ございましょうか」「いやなに、堅くなさるまい。しがない話よ」「はい」

「おぬし、"イワナガ"と呼ばれておったとか」「僭越ながら」噂はひとり歩きするもので、無謬に膨れ上がる。この場合、少女の口が少ないのも災いしているだろう。それは大いに少女の神秘性を高めたものだった。「実のところ、我々もおぬしが人であるか、いささか信じかねるところがある。よもや化かされているのではないか、ともな」本気でそう考えているふうではないが、少女を見る目は実際興味津々であった。「すくなくとも、尾っぽはございませぬ。"あざな"も母上より頂いております」「ほう」男が瞳を細める。「構わなければ、お見せいただけるものか?」

 少女は首肯して、着物の襟ぐりをつかみ引き下げた。か細く真っ白な肩があらわになって、きゃしゃな首筋の下にちいさな鎖骨がのぞく。そして更にその下──おおよそ胸の上に、赤い文字が刻みこまれていた。それはさながら不可思議な象形めいて、傷痕のようにくっきりと少女の肌に浮かんでいるのだった。その字はすなわち、"忍"とあった。

「まさしく」男はちょっと驚いた様子であった。あざなとは人から人へ、つまるところ親から子へ受け継がれる一個の象徴的な文字である。それは誰かから生まれて、そしてまた誰かへと継がれていくということだ。それは人であることの証に近しい、天物なのだった。母もまた"忍"のあざなを持つものであった。

「光栄ですな。姫神どののあざなをお目にかかろうものとは」冗談っぽい口ぶりであったが、それで不意に悟った。この男──おそらく反軍の主格であろう彼は、少女に対する噂を利用するつもりかもしれない。神の化身が反軍に与して暗愚の地主を捕らえせしめたのだ、と。そうなれば彼らは賊軍どころか、天意にかなう官軍そのものである。後をどうしようとも少女が知ったことではないが、少し気にかかった。欺瞞の片棒をかつぐのは気持ちのいいことではない。

「夢はいつか覚めるものでございます」襟元を正していう。釘を刺すつもりであった。「まことですな。悪い夢からは覚めるべきです。良き夢を見るためにも」

 少女はただちいさな肩をすくめるばかりだった。そして雑賀の里へと向かった。後から調査にと雑賀のものが石浜の城へおもくようだが、それは少女の仕事ではない。少女の初仕事はこのように終わったのである。


 武蔵国落城。反軍は無血開城を果たして占領。権謀術数のうちに家臣団や将兵を支配下に置き、敗軍の主君マクワリ・ツネタケを刑する。事の次第はそういったものであったが、これは程なくして天下に知れ渡ることになる。しかしこの話はつまるところ、頭がすげかわったという程度のものである。真剣に気にかけるのはお膝元の民ばかりだ。

 だが、この乱の影でうごめいたものがある。雑賀である。彼らはともすれば武蔵の民たちよりもずっと深刻な面持ちを突き合わせていた。里の翁と一人前の男どもが集う寄り合いであったが、表情は一様に重い。

 集会所の篝火を中心にすえて囲う。火の光が男たちの面差しを照らしだす。「あれは」三十路絡みの男が口火を切った。「まだ七つなのだぞ」彼は危惧していた。「七つの子があれをやったのだ」幼子を危険な任につけて送り出すことに、ではむろん無い。「あれは今のうちに始末すべき劇物ではあるまいか!」拳の底が激しく板張りを打った。

「ふむ」と翁のひとりは顎にたくわえた白髪を撫でつける。「あれは飼い慣らせるものでない、と?」「是非はあきらかだ!」男の焦燥は激しい。「……極めて困難な任務であったことは事実よの」二十半ばであろう男がつとめて押さえて言う。動揺が隠せていない。「ゆえにであろう。それが"雑賀の"──はずれものの掟よ」禿頭の翁がいう。幼子であろうと掟に変わりはない。「然様であろうな! そして死ぬべきであった! そのはずではないか!」男は年寄りの悠長さに腹を立てていた。

「あれは生きて帰った。結構なことだ」上座に居する男が落ち着き払っていった。髪は黒々として若くも見え、しかし顔に刻まれた皺は老いもうかがわせた。彼がこの場のまとめ役のようであった。「"雑賀の"──それすなわち名を捨て個を捨て"雑賀の共有物"として雑賀に益をなすためのものだ。まことに結構だ。あれは役目を果たしている」「益だと?」三十路絡みは激しく拳を握る。「あれは必ず害をなすぞ!」「それは私情であろう」「長い目で見てのことだ!」

「働きぶりについては結構なことですな。して、のちの波及はいかがか?」水掛け論になりそうなところで、痩せぎすの翁が水を差し向ける。「死者はひとりとも無し。人的被害は最小限。隠蔽も如才ない」「何?」三十路絡みが眉をひそめる。「隠蔽? つまらぬ冗談を。あれのことを知らぬものは武蔵におるまい」

「その通りだ。あれを噂せぬものはない。姫神の仮の姿であり反軍は神仏の加護ぞ得たりとな。雑賀に追及の手が伸びることはない」意図してのものかは上座の男にもわからない。だが事実としてそうだった。そうなっていた。「そもそも、不殺というのが異常なのだ!」突きつけられて、指弾の言葉もいささか弱い。「あれは師の教えに従っただけのことであるな」「師だと!」忌々しげに床を叩く音。「まさにおしのの生き写しよ! 否、あれと比べればまだしも可愛げがあったやもしれぬがな!」

「ふむ」と上座の男はうなずいて、「異議はあろうか。"雑賀の"」平然と、そういったものである。

「いえ」澄み切った幼い声がして、比較的若い男衆が「ぎょっ」とした。三十路絡みの男も目を剥いている。それは火の照りつけからさえかげるように、夜の闇にひっそりとあった。名無しの少女がそこにあった。「いっそわたしが死すれば話は早い、ということでございましょう」「そうだ。だがおぬしは生きている」「はい」上座の男は当たり前のように言い切る。

「長らえたまえ。道はより過酷なものとなろうが」「はい」ともすればいっとう残酷な言葉に、少女は当たり前のようにしている。「では失礼いたします」そういって場を立った。果たしていつからいたものか、誰もたずねなかった。気づかなかったものがうかつなのだ。自然と寄り合いはそのまま解散となった。今後少女をどうするかは、困難な任務への逐次投入を行いながら経過を観察するということで決まった。

「あれは」三十路絡みの男は最後まで残っていた。まるで立てぬかのごとき様子であった。もうひとり残っていた上座の男もやがて立ち上がる。「かならず禍の種となるぞ」男はうろごとのように呟いていた。


 そして、七年の歳月が過ぎた。

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