ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
14-113.私は真実に従います
エルテはアラニス村を出て二十日程をかけて、王都に着いた。安宿で一泊し、翌朝早くリーファ大神殿を訪れた。大司教グラスと会う為だ。
神官に所用を伝え、取次ぎをお願いする。予め手紙で知らせておいたからだろうか、直ぐに部屋に通された。
そこは静謐の間と呼ばれていた。
リーファ大神殿の奥に設けられた聖なる部屋。時には信徒の懺悔の為に使われることがあるが、基本は司教が毎日の祈りを捧げる空間だ。司教以上の格を持つ者の許可がなければ入れないことになっている。
部屋は二十畳程の広さがあり、床一面に赤い絨毯が敷き詰められている。中央奥に女神リーファの白い像が安置されている。
エルテのもとに、復活の儀を終えたばかりの大司教グラスが姿を現した。
◇◇◇
リーファ像を背に、古き友人の訃報に瞑目し、その魂を弔った大司教グラスが静かに立っていた。
エルテはグラスの前に跪づいている。
――うっ、うっ。
エルテの口から、小さな嗚咽が漏れていた。肩が震えている。エルテの深い紺色に艶めく長い髪が、肩の動きに合わせて揺れる。この日、二十歳の誕生日を迎えた彼女は必死で悲しみを堪えていた。それは、養父の死の思い起こしたからではない。グラスがエルテに真実を告げたからだ。
成人した事をグラス大司教が祝ってくれるだけではないだろうとは覚悟していた。養父は本当の父母について自分に語る事なく天に召されたが、二十歳になったら、大司教グラスに会い、真実を聞くようにと言い残した。だから、大司教様が本当の父母について、私に話して下さるのではないかと思っていた。そして、それは間違っていなかった。
エルテはたとえそれがどのような事情であったとしても受け止める積りでいたのだ。だが、知らされた真実はもっと残酷なものだった。
戦災孤児? 経済的事情? そんな通り一遍のものであったらどんなに良かったことか。
自分が貴族の血を引く者であり、実の両親は王位簒奪の疑いを掛けられて命を落としたのだと大司教様は告げられた。
知らないで済めば、その方が良かったのかもしれない。知らなければ、神官を夢見る寒村の村娘で居られたのだ。エルテは自分が何か大きな運命の渦中に放り込まれたような感覚にとらわれていた。
大司教グラスは、エルテが少し落ち着きを取り戻したのを見て取ると、しゃがみこみ、そっと彼女の肩に手をやった。
「エルテ。父君、母君を恨んではなりません。貴方の命を救うためだったのですから……。今日真実を告げたのは、貴方の父君、ウラクトとの約束を果たす為です」
エルテはこくりと頷いた。
「貴方の父君は、貴方が大人になったとき、真実を告げ、その後の人生は貴方自身が選び取るようにと言い残しました……」
グラスは立ち上がると、背後のリーファ像を振り返り、両手を合わせた。
「エルテ。貴方は、今日、二十歳の誕生日を迎えた。これからどうするかは、貴方自身が選ばなければなりません」
エルテは顔を上げ、女神リーファに祈りを捧げるグラスの背を見つめた。彼女の切れ長の青い瞳が潤んでいる。
「あの時、赤子であった貴方を託された私は、我が弟子にして友、そして貴方の父親役を務めたクライファートに貴方を預け、神官教育を施すよう依頼しました。それは貴方の母の遺言どおり、神官として生きる道を残すためです」
エルテの瞳から涙がこぼれた。幼い頃から養父が、厳しい神官修行を自分に課した本当の理由が分かったからだ。当時は元神官であった養父が私に跡を継がせたいのだろうぐらいにしか考えていなかった。だが、そうではなかった。自分が独り立ちしても生きていけるようにとの母の配慮だったのだ。
グラスは再びエルテに向き直り、背筋を伸ばした。
「このままクライファートの娘として、神官になることを望むなら、ここでしばらく修行をして、神官試験を受けなさい。貴方であれば、あと二年、いや一年あれば十分でしょう。慎ましく生きることにはなりましょうが、その代り、安全にその生を全うすることが出来るでしょう」
グラスはそこで一つ深呼吸した。エルテは気づかなかったが、彼の顔は緊張でわずかに強張っていた。
「しかし、もし貴方が我が友、ウラクトの娘として生きる事を望むのなら、貴方はラクシス家の最後の血を引く者として、茨の道を歩むことになるでしょう。ラクシス家を滅ぼした者達はまだ生きています。貴方がウラクトの名誉回復を願えば願う程、彼らは壁となって貴方に立ちはだかる。もしも貴方がラクシス家の血を引くものと知られれば、平和には生きられますまい。……このまま神官となって生きるか、それともラクシス家の世継ぎとして生きるか……」
――選択だ。
このときエルテははっきりと自覚した。さして長くもない人生ではあるが、それでも幾度となく経験し、乗り越えてきた人生の岐路だ。どんな時でも、たとえそれが意に沿わぬ道であっても、自分は常に厳しい道を選んできた。
そんな自分を養父クライファートはいつも褒めてくれた。クライファートの笑顔を見る度に、片親の淋しさは胡散霧消していった。
大司教様もそうだった。エルテはグラスが巡錫でアラニス村に立ち寄る度にいつも話してくれるリーファ神話や魔法の話が大好きだった。大司教様は話の最後に、大地母神リーファに祈りを捧げ、「困難から逃げる者の魂は永遠の眠りに。真実に従う魂にのみリーファの加護は与えられる」と付け加えられた。
エルテは大司教の話に瞳を輝かせ、神官になろうと夢見た。だから養父クライファートが課す厳しい神官修行にも弱音を吐かなかった。困難から逃げないでいれば、神官になれる。そう思って生きてきたのだ。
だが、現実は非情だ。真実が夢といつも肩を並べるとは限らない。
ラクシス家の世継ぎという真実に従って生きるのか。それとも神官になる夢を選ぶのか。目の前に突き付けられた選択。エルテはぎゅっと唇を結んだ。
「直ぐに結論は出ないでしょう。答えは後日……」
そう言い掛けたグラスに向かって、エルテは顔を上げた。
「いいえ。大司教様。大司教様は私にお教え下さいました。真実から逃げない者にのみリーファの加護は与えられると」
エルテは立ち上がり、その綺麗な、そして潤んだブルーの瞳で大司教を見つめる。
「私は、真実に従います。私はクライファートの娘にしてウラクトの子、ラクシスの名を継ぐ者。父の名誉を回復し、ラクシス家の再興を果たしたく思います。きっと養父も喜んで下さる筈ですわ」
「一度選べば後戻りは出来ません。命を掛ける覚悟がありますか?」
「はい」
真実という残酷な事実を前にして、新たな人生を生きる意志の輝きが彼女の瞳を一際、澄んだものにさせていた。真実から逃げない。彼女のブルーの瞳はそう語っていた。
 
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