ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
11-082.破魔の剣
「こちらです」
赤ローブがゆっくりと茶色の瞳をヒロに向けた。
ホール脇通路の階段を登ったヒロ達は、とある部屋に案内された。ツンと鼻を突くアルコール臭がする。
部屋には木のベッドが五つばかりあり、そのうちの三つに人が横たわっていた。先程の臙脂色のローブを着た精霊少女が、ぱたぱたとシーツを取り替えたりしている。医療施設か何かのようだ。
赤ローブに促され、ヒロ達はゆっくりとベッドに近づく。見覚えのある顔だ。寝ていたのはスティールメイデンの三人だった。
奥のベッドから、ミカキーノ、ロッケン、ハーバーが横臥している。三人はみな白い貫頭衣を着ていた。彼らの脇には、それぞれ片膝をついた黄色のローブを着た人物が寄り添い手を握っている。握った手の周りがほんのりと飴色に輝いていた。フードを被っていたため、顔はよく見えなかったのだが、細くてしなやかな指が女性であることを窺わせた。
「治癒魔法による治療処置です。特に真ん中の方はオドの消耗が激しくて……。快復には時間が必要です」
赤ローブがそっと説明した。
オドとは体内に蓄えられているマナの事だ。この世界では大気からマナを集めることで魔法を発動させるのだが、大気のマナからその一部を体内に取り込み、放出している。体に蓄えたマナを使って魔法を発動させることも可能だが、それが枯渇すると命の危険に晒される。故に、オドを使った魔法を使うことは原則ないとされている。ヒロはモルディアスからそう教わったことを思い出していた。
何か思うところでもあったのだろうか、赤ローブの言葉にロンボクがぴくりと反応した。
「命は助かりますか?」
「なんとか。我々が駆けつけた時には、彼らには軽くですが回復魔法が掛かっていました。どなたが掛けたのでしょう? 適切な判断です。もしそれが無かったら危ないところでした……」
ロンボクの問いに赤ローブが静かに答える。
「面会してもいいのか?」
命こそ助かったとはいえ、体内マナの消耗が激しいのなら、危ない事には変わりないのではないか。ヒロが念を押した。
「短時間であれば。ただしお休みになっている方は、起こさないであげて下さい」
赤ローブはオールバックの髪型で大きな額を持つ男に視線をやった。ハーバーだ。ヒロには、寝ている患者を起こす積もりは毛頭なかった。ロンボクがどう思っているかは分からなかったが。
ロンボクは真ん中のベッドに寝ているロッケンに近づいた。ヒロ達も後に続く。ロッケンの足下から腰の辺りまでシーツが掛けられ、両腕はシーツの上にあった。彼の指は、外されてしまったのか指輪の類は一切見あたらない。瞼を閉じてはいるが、時折開けては周りの様子を窺っている。寝てはいないようだ。黄色ローブは、握っていた彼の手をそっとベッドに戻してから二、三歩後ろに退いた。
「ロッケン……」
ロンボクの言葉に、ロッケンがゆっくりと目を開けた。そのまま視線だけをロンボクに向ける。
「……ロンボクか」
ロンボクの見舞いに、弱々しく掠れた声でロッケンが応える。
「ロッケン、どうして……。もう一度やったら命の保証がないことくらい君だって分かっていた筈なのに」
ロッケンは視線を戻し、天井を見つめたまま乾いた唇を動かした。
「……。ミカキーノは、俺、の恩、人だ。それだけ、だ」
「だからといって……」
ロンボクは声を詰まらせた。その場で片膝をついて、ロッケンの手を握る。ヒロはロンボクの表情から、この二人にしか分からない絆のようなものを感じた。
「自分でやった、ことだ。後悔はして、ない」
ロッケンが目を細める。
「君程の術者が体内マナを使わなければならなかったなんて……。一体、犬山で何があったんだ?」
ロンボクの問いに、ロッケンは再び視線を彼に向けた。
「黒衣の不可触……」
ロッケンはゆっくりとその名を告げた。
「君達が黒衣の不可触とやり合ったというのは噂になっている。黒衣の不可触は凄腕の風使いだとは聞いているけど、君達三人を一人で退けることが出来る程なのかい?」
「ロンボク、一つ教え、ておく事が、ある。黒衣の不可触の強さは風魔法では、ない。黒衣の不可触は、青の珠を、使う……。お前も気をつけ、ろ」
「だから、体内マナまで使って魔法発動しようとしたのか、ロキ」
「……あそ、こで、魔法を使、わなかったら、ミカキーノは死んでい、た」
「だからって……」
言葉を続けようとしたロンボクを制するかのように、先程から治癒魔法を掛けていた黄ローブが割り込んできた。黄ローブの女は一度ロッケンに静かな視線を向けたあと、ロンボクに向かって小さく首を振った。これ以上は駄目だということだ。
「……分かったよ。ロッケン……」
立ち上がったロンボクはそう言って退き、黄ローブに礼をする。次いでヒロ達はミカキーノが寝ているベッドに行く。
ミカキーノも同じく黄ローブに治療を施されていた。黄ローブはヒロ達に気づくとそっと脇に避けた。
ミカキーノは上半身を裸にしていた。腹と肩から袈裟懸けに巻いている包帯が痛々しい。赤ローブは、オドの消耗はそれ程ではないものの、肋骨にヒビが入り、内蔵にもダメージがあるといった。治癒魔法によってかろうじて命は助かったものの、昔のように動くことは無理だろうと付け加えた。それは、冒険者としてはもう復活できないことを意味していた。
無様に横たわるミカキーノを前に、ロンボクは素直な思いを口にしていた。
「ミカキーノさん、貴方程の人がここまでやられるなんて……。信じられない」
「嗤いに来たのか? ロンボク」
先程のロンボクとロッケンの会話が耳に入っていたのだろう。ミカキーノは目の前に立ったロンボクに視線を送ることさえせず、天井を見つめたままだ。
「話すことは出来るんですね。ミカキーノさん。嗤う積もりなんて毛頭ありませんよ。ただ、どうしてもお聞きしたいことがあったから来たんです」
ミカキーノを見つめる彼の瞳には、哀れみに少しの非難をブレンドした光が宿っていた。
その言葉を受けて、漸くミカキーノは続きを促すように目線をロンボクに向けた。
「ミカキーノさん、黒衣の不可触は、こちらから手を出さなければ、何もしないことは皆知っています。そして、冒険者ギルドにも、黒衣の不可触の討伐なんてクエストは無かった。黒衣の不可触に手を出す理由はなかった筈」
「……」
「これは結果論ですが、ミカキーノさんが手を出さなければ貴方も、ハーバーも、そしてロッケンもこんな目に遭うこともなかった。何故なのですか?」
「……」
「裏の依頼だったのですか?」
「……さぁな」
ミカキーノはそれだけ答えると、それ以上の返答を拒否するかように目を閉じた。
「そうですか。ではお大事に……」
ロンボクは小さく息を吐くと、ゆっくりと首を振った。そして、ありがとうと黄ローブに伝え、ヒロに向かって踵を返した。ヒロはロンボクに目でもういいのかと問いかけたが、ロンボクは無言で軽く頷くだけだった。
ヒロ達が部屋を出ようと一歩踏み出したとき、ミカキーノが独り言のようにぽつりと呟いた。
「黒衣の不可触を捕まえれば、『破魔の剣』が手に入る筈だった。そうすれば、小悪鬼騎士に……」
その言葉に足を止めたロンボクは、ミカキーノに振り返り一言だけ返した。
「そういうことだったのですね。……ありがとうございました」
ロンボクは哀し気な表情を浮かべ、ヒロに戻りましょう、と告げた。
「ロンボク……」
ヒロ達三人は、部屋から出て階段を降り、ホールに戻った。少し沈んだ表情のロンボクにヒロは声を掛けた。それでどうにかなるわけではないことは分かっていたが、居たたまれない気持ちが先に立った。
無論、ヒロには、先程のロンボクとロッケン、ミカキーノとの会話に興味が無い訳ではなかった。何か複雑な事情があるらしいことは言葉の端々から分かった。だが、こちらから根掘り葉掘り聞くわけにもいかない。
「ヒロさん、そうですね。話を聞いていただけますか?」
聞き役に徹しようとしたヒロに、ロンボクは自分から切り出した。
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