ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
10-072.ロッケンの覚悟
ロッケンの魔法が全く通用しない。まさかこれほどとは。スティール・メイデンの三人に焦りの色が浮かぶ。
黒衣の不可触は、静かに右手を上げて呪文を唱えた。黒衣の不可触を守っていた風のスクリーンが速度を落とす。咄嗟にスティール・メイデンは各々防御の姿勢を取るが、特に何も起きる様子はない。だが、ロッケンだけは異変を感じ取っていた。
黒衣の不可触がゆっくりと右手を振り下ろす。指先から青い光球が飛び出した。ロッケンの「魔法弾」を撃ち落とした魔法、「迎撃琉」に少し似ているが、サイズはもう一回り大きい。だがその色合いといい、輝きといい、魔法だと知らなければ宝珠か何かと見間違える程だ。その球の動きはゆっくりとしたものだったが、確実にミカキーノに向かっていた。
「ミカキーノ!」
ロッケンが珍しく叫んだ。魔法弾の呪文を唱え迎撃しようとするが、何故かその発動は遅く、杖の先のオレンジの光球は、先程のものと比べても酷く小さなものだった。
ロッケンが必死の形相で杖を振る。小さな魔法弾は、杖を離れ、黒衣の不可触の青い光球と衝突した。だが、ロッケンの魔法弾は、易々と砕かれ、散り散りになって消滅した。
青い光球はそのままミカキーノに向かうと思われたが、黒衣の不可触は、振り下ろした右手を顔の辺りまで持ちあげ、パチンを指を鳴らす。それを合図に青球は霧散して消えた。
「なんだぁ?」
ミカキーノが訝し気な表情を浮かべる。先程の大魔法同士のぶつかり合いと比べると、やけにしょぼい応酬だ。何か罠でもあるのか。ミカキーノは手にした大剣を正眼に構え直した。
「……ミカキーノ」
ロッケンがミカキーノに顔を向け、彼を愛称で呼んだ。戦闘中にそう呼んだのは初めてだった。このとき、ロッケンの瞳に浮かんだ覚悟をミカキーノは見落としていた。
ロッケンは杖を掲げ天を指した。頭上の空気が僅かに揺らぎ、ゆっくりと渦を巻かんとしていた。先程小悪鬼どもを一気に片づけた雷魔法だ。だが、今度は発動までにも至らなかった。渦は雲にはならずその速度を落とし、拡散して消えた。先程まで、鮮やかに空を染めていた夕焼けは、まるで紫色の膜でも被せたかのような濁った色になっていた。
ロッケンの杖が小刻みに震える。息が荒い。彼の顔は苦痛にゆがみ、額に脂汗が滲んだ。様子がおかしい。
やがてロッケンは片膝をつき、頭を押さえてうずくまる。手から離れた杖が地面を軽くノックしてカランと乾いた音を鳴らした。ロッケンはそのまま倒れ込み動かなくなった。
「手前ぇ、何しやがった!」
ミカキーノが叫ぶ。正眼に構えた切っ先が僅かに震えている。
黒衣の不可触は、ミカキーノの問いに答えるどころか反応すらしない。ただ其処に立っているだけだ。それが一層の不気味さを漂わせる。
ミカキーノは倒れたロッケンに一瞥を呉れると、顔を上げて叫ぶ。
「ハーバー。予定変更だ。黒衣の不可触はぶっ殺す!」
「ミカキーノ、それは……」
「関係ぇねぇ」
ハーバーの反駁をミカキーノは切って捨てた。ロッケンを倒されたことへの復讐なのかその瞳は怒りに染まっていた。
ミカキーノは剣を再び左脇に流すとそのまま黒衣の不可触に踏み込んだ。それを合図にハーバーも大きく枝からジャンプした。ハーバーは自らのジャンプによる放物線軌道の頂点で、二本の矢を同時につがえ、三連射する。それは、黒衣の不可触の真上だった。黒衣の不可触の風のスクリーンは竜巻のようにその身を守っていたが、真上だけには何もなかった。ハーバーはそれを見抜いていたのだろう。黒衣の不可触の真上にジャンプして矢を放ったのだ。
正面からはミカキーノ。真上からはハーバーの放った都合六本の矢が黒衣の不可触を襲う。二人の同時攻撃だ。
と、正面のミカキーノが突如ステップして左に位置を変えた。最初のミカキーノの剣戟を黒衣の不可触は真後ろに引いて躱していた。おそらく仮面のために視界が悪いのだろう。視野を確保するためには、距離を取るしかない。ミカキーノはその動きを見逃さなかった。正面から行くと見せかけて、左横にステップし、黒衣の不可触の死角に回り込んだのだ。
「仕舞いだ!」
ミカキーノは大きく踏み込んで胴を薙ぐ。今度は本気の斬戟だ。
真上からハーバーの矢が、風のスクリーンに妨げられることなく降り注ぐ。背中からのミカキーノの剣が風のスクリーンを切り裂いた。だが、黒衣の不可触はそれでも微動だにしなかった。
――ガキィィィン!
酷く硬い金属質の音が辺りに鳴り響く。ハーバーの矢は、黒衣の不可触の頭一つ上の辺りで、見えない何かに弾かれで砕け、ミカキーノの剣は背中に触れることなく手前で動きを止めた。
「くそったれ!」
ミカキーノの額に汗が滲む。ビィィンと音を立て、小刻みに震える刀身を支える右の上腕三頭筋が異常に盛り上がっている。小悪鬼の首を一振りで断ち切るミカキーノの膂力をもってしても、ビクともしない。
黒衣の不可触は、風のスクリーンの更に内側に防御のバリアを張っていた。二重の防壁だ。
黒衣の不可触の不可視の魔法をロッケンが見破った時にミカキーノは気づくべきだったのだ。バリアを張っていたからこそ、地面は濡れていなかったのだ、と。
黒衣の不可触は風のスクリーンを解除すると、軽く右手を振った。その手の動きに合わせて衝撃波が発生する。ミカキーノは咄嗟に身を屈めてギリギリで回避したが、衝撃波の弧は、ミカキーノの後ろの草を薙払い、大木の幹を貫き斬った。
真っ二つにされた木が傾き、葉が隣の木の葉と擦れ、バサバサと音を立てた。続いてバキバキと枝が折れ、ズウンと幹が地に倒れる。その切れ味は煉瓦をも容易く切り裂くだろうと思われた。
起きあがったミカキーノがバックステップして距離を取る間に、黒衣の不可触は頭上の木々の一点を指さした。指先に風が集まり渦を描いたかと思うと、細長い錐揉みとなり、そのまま指先が示す先に打ち出された。魔法の風の矢だ。
風の矢は正確にハーバーを狙っていた。ハーバーが枝に飛び移った瞬間に、その矢が命中する。防御も回避も間に合わない。黒衣の不可触が放った風の矢は、ハーバーの皮の胸当てを、まるで薄い紙を突き破るように易々と穿ち、肋骨を数本圧し折った。ハーバーは口から血を噴いて、そのまま落下した。
黒衣の不可触はハーバーを打ち落とした指をミカキーノに向けた。風が指先に集まる。その量も勢いもハーバーのそれとは段違いだ。ハーバーを打ち落とした何倍もの威力の矢を放とうとしているのは明らかだった。
対峙するミカキーノの顔は硬直していた。ミカキーノは正眼に構えた剣の切っ先を大きく左に倒してみせた。盾のように剣の刀身を黒衣の不可触に見せる。その独特の銀の輝きは、ミスリル製であることを示していた。ミスリル銀には魔法耐性がある。大きく右小手を晒す、実戦ではちょっと有り得ない構えであったのだが、あるいは黒衣の不可触の魔法の矢を、剣で防げないかと期待したのかもしれない。
黒衣の不可触の指先から魔法の矢が放たれる。風の矢は渦を巻いて真っ直ぐにミカキーノに向かった。その速度は人間の目で追えるものではなかったが、ミカキーノは信じられない反応で剣の刀身で防御する。魔法の矢はミカキーノのミスリル剣で弾かれ、霧散するかと思われた瞬間、矢は幾本にも分裂し、刀身を避けてミカキーノに突き刺さった。
「がはっ!」
ミカキーノの銀の鎧が穿たれていた。その色合いから鎧もミスリル製だと思われたのだが、黒衣の不可触の矢は易々とミスリル鎧を貫いた。おそらくミスリル剣でも防ぐことは出来なかっただろう。
蜂の巣のようになったミカキーノの鎧はもう役に立たない。だが、矢が分裂した分、致命には至らなかった。もしも矢が分裂せずにミカキーノに直撃していたら、命はなかっただろう。
「……ぐふっ」
ミカキーノは剣先を地面につけ、手で口を押さえた。押さえた手の隙間から鮮血が滴り落ちる。腰が崩れ片膝をついた。肋骨か内蔵をやられたようだ。
「ごほっ、ごほっ」
ミカキーノの体が小刻みに震える。足に力を込めるが言うことを聞かない。
黒衣の不可触は再びゆっくりと指をミカキーノに向けたが、すぐに下ろす。第二の矢を放つ前に、ミカキーノは地面に崩れ落ちていた。
黒衣の不可触は、ミカキーノに近づくと両手を広げ、小さく呪文を呟いた。手の平から白い光球が生まれ、ミカキーノに吸い込まれていく。ミカキーノは倒れたまま動かない。黒衣の不可触はロッケンとハーバーに同じ事を行った後、くるりと向きを変え、静かに立ち去った。
 
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