ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
0-005.此の世界へ踏み入れし汝に永久の祝福を
「きゃっ!」
小さな声を上げて、メノウが、エレベータの中に入る。ヒロはメノウが、壁にぶつからないように抱き止めた。だが、ヒロの視線はエレベータのボタン群に注がれていた。
メノウが中に入った途端、それまで消えていた数千数百ものボタンの中から百個以上が新しく点灯した。ヒロの視界にほんの一瞬だけ、黒い靄のようなものが過ぎる。だが、ヒロは自分と同期している事を示す二十一個のボタンの中で一つだけが、一際輝きを増したのを見逃さなかった。
――これだ!
ヒロは眩しく輝くそのボタンを押した。ブーンと重低音が鳴ったかと思うと扉が閉まり、ヒロとメノウを乗せたエレベータは動き出した。
◇◇◇
「一体どうしたんですか? カカミさん」
メノウは丸い目を更に丸くさせて訊ねる。いきなりの事なのに、特に動揺している様子はない。気丈な娘だ。
「済まない。手荒な事をする積もりはないよ。ただ君に一緒に乗って欲しかっただけさ。選んだ世界に着くまででいいんだ」
ヒロの行動は、ある思いつきに基づいたものであったのだが、それでも女性の手を取って、エレベータの中に連れ込むという行為は、普通なら憚られる類のものだ。無論、ヒロもそれは分かっていた。だが、それでもそうしたのは、生死が掛かった非常時であったからであるのはいう迄もなかったが、最後の最後にヒロの背中を押したのは、元カノを思い出させ、傍に居て欲しいと思わせたメノウの容姿と仕草だった。
エレベータは直ぐに動きを止めた。扉が開く。眩しい光がエレベータに飛び込む。ヒロは思わず手を翳して光を遮った。だんだんと目が慣れていくヒロが見たのは、緑が広がる大地と山々の世界だった。
「着いた、のか?」
ヒロがメノウに尋ねた。メノウはポカンとした顔をして景色を眺めていた。メノウは、ヒロが見ていることに気づくと、慌てて端末を取り出して叩き始めたが、直ぐに顔を上げ、ヒロに可愛らしい笑顔を向けた。
「おめでとうございます。カカミさん。人の住む世界ですよ。やりましたね」
「本当か」
「はい」
ヒロはメノウの言葉に、目を閉じて大きく息をついた。ベストではないかもしれないが、人が住む世界であれば、足を踏み入れても即死することはないだろう。最悪の選択は避けたといえる。ヒロは安堵した。
――ビーッ。ビーッ。
突如警告音が鳴る。驚くヒロにメノウが告げる。
「カカミさん、急かす様で申し訳ありませんが、この『エレベータ』は直に無くなります。今の内に此の世界に御降りください」
ヒロはメノウの顔をじっと見つめ、気掛かりだった有る事を口にした。
「メノウさん。無理矢理、君を此処に連れてくるようなことをして悪かった。許してくれ。俺は此の世界に行けばいいが、君はどうなる。エレベータが消えても帰れるのか?」
「御心配には及びません。私達には『エレベータ』は必要ありません。いつでも戻れますから」
「そうか。良かった。ならいい」
さすが神様をやっていただけのことはある。ヒロはメノウに別れの挨拶をして、『エレベータ』から降りようとした。
「あ、カカミさん、待ってください」
メノウが呼び止める。ん? と振り向いたヒロにメノウが女神の微笑みを投げかけた。
「目を閉じてください」
メノウはそう言うと、自分の右の鎖骨から左の鎖骨の辺りをスッと指でなぞった。そして、言われたとおりに目を閉じたヒロの額にその手をそっと押し当てる。
「此の世界へ踏み入れし汝に永久の祝福を」
微かな甘い芳香に包まれたヒロは、眉間がほんのりと暖かくなるのを感じた。女神の祝福とはこういうものなのか。ヒロはそのまま身を委ねた。
眉間の暖かい感触が無くなると、ヒロはゆっくりと目を開けた。ヒロの前から、メノウの姿も『エレベータ』も消え失せていた。あるのはただ広大な緑の大地と遠くに連なる山々だけだった。
◇◇◇
――白い部屋。
先程までヒロ達が居た部屋だ。部屋の真ん中に緑の服の男が胡座を掻いて座っている。タガミだ。
カチャリと扉が開く音にタガミが顔を向ける。
「ただいま戻りました」
「遅かったな、何かあったのか」
ヒロを送り届けたメノウが、タガミの前に来て正座した。『エレベータ』の一件とヒロを異世界に送り届けたことを報告する。
「そうか。彼は、結局どの世界にいったんだ?」
「え~と。……八階の枝の一、拡散の五、変化の四、通称名『フライ・リーフ・ドラゴン』です」
メノウは自分の端末を見ながら答えた。
「ん? あれは確か、メノウ君の……」
「はいです」
「そうか」
「三千世界の中でも少ししかない人の住む世界を引き当てるなんて、凄い幸運の持ち主ですね。あの人」
メノウは少し興奮気味に目を輝かせている。
「いや。そうではないだろうな。計算尽くだ」
「え?」
タガミは、ヒロがメノウを『エレベータ』に引っ張り込んだことを指摘した。
「カカミさんは、メノウ君を『エレベータ』に入れることで、自分と君の固有振動を重ねたんだ。異なる周波数でも、山同士、谷同士が重なる場所では波は強くなり、山と谷が重なるところは打ち消しあう。カカミさんは、メノウ君の振動を重ねることで、より強く同期した世界を検索させ、それを選んだんだ。きっと、君が人の住む世界の出身だと読んでいたのだろうな。カカミさんが人の住む世界に転移できたのはその所為だ。偶然じゃない」
「へぇ~。そうだったんですか。凄いですね。カカミさん」
メノウは自分が利用されたのだと分かったにも関わらず、その綺麗な丸い目を更に丸くして、感心している。この屈託の無さが女神の女神らしいところなのかもしれない。
「面白いな。カカミさんは。彼なら、本当に元の世界に帰ることが出来るかもしれないね」
タガミは満足気に頷いたものの、ふと気づいたように呟いた。
「だけど、カカミさん、異世界の言葉なんて知らない筈だよな」
タガミの言葉を引き継ぐようにメノウが答えた。
「きっと大丈夫ですよ。多分。元女神の祝福を授けておきましたから」
メノウがとびっきりの笑顔をタガミに向けた。
「では、仕事に戻りますね」
メノウはそう言って、端末を叩きながら部屋を後にしようとした。が、扉の前で突然立ち止まる。
「どうした? メノウ君」
「あの……」
振り向いてタガミを見つめたメノウの顔には、困惑の色がありありと浮かんでいた。
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