夢見まくら
第二十一話 予知夢
夢を、見ていた。
――目の前に海斗がいる。
少し長めに整えられた髪に、キリッとした表情。
その顔を見る度に胸が苦しくなって、心が温かくなる。
好きだった。
いつも、わたしを安心させるように柔らかく微笑みかけてくれた、その表情が。
いつも、わたしの頭を優しく撫でてくれた、その手が。
遊び疲れてしまったわたしを家までおんぶしてくれたとき、すごく広くて、あったかくて、頼もしく感じていた、その背中が。
……好きなところをいちいち数え上げたら、きりがない。
わたしは海斗のことが好きだ。大好きだ。
その気持ちだけは、今も昔もずっと変わらない。
――会いたいなぁ。
海斗に、会いたい。
身体が熱い。
頭がボーッとする。
海斗の存在を確かめたくて、海斗に触れたくて、わたしは目の前にいる海斗に手を伸ばす。
「――――あ?」
海斗が不思議そうな表情で、そんな声を出した。
「――――?」
どうしてそんな表情をしているのか、わたしにはわからない。
海斗が、両手を自身のお腹に当てる。
そこでわたしは、初めて気付いた。
何かが、海斗のお腹に突き刺さっていた。
「……なんだ、これ」
呆然とそう呟く海斗の両手は、真っ赤に染まっている。
「――――!」
わたしは叫ぼうとしたが、声が出ない。
海斗の身体が崩れ落ちた。
Tシャツの表面に、赤いシミが広がっていく。
周囲の地面が、赤く染まっていく。
赤が、どんどん地面に広がって、
広がって、広がって、広がって、広がって、広がって、広がって、広がって、
広がって――
◇
「――――ッ!?」
わたしは目を覚ました。
全身が汗でびっしょり濡れている。
珍しく、部屋の明かりはついたままになっていた。
「…………」
とりあえず、額にかいていた汗を右手で拭う。
「…………」
今のは、ただの夢?
それとも――
「いや……この感じは」
これまでに何度か経験したのと同じ、妙にはっきりとした感覚があった。
わたしの本能的な部分が警鐘を鳴らしている。
……久しぶりに、わたしが持つ未来予知の超能力が働いたのだと。
「…………」
つまり、夢に見たあれは近い未来で現実に起こる出来事。
海斗は何者かによって刺され――多分、死ぬ。
「…………っ」
海斗を助けなければ。
海斗が死ぬなんて、わたしには耐えられない。
そんな未来は、絶対に回避しなければならない。
……なんとしても、誰かに、未来で起こるであろう海斗の死を伝える必要がある。
海斗本人か、絶対に海斗の味方であると信頼できる人物に……残念ながら、こちらは咄嗟には思いつかない。
問題は、わたしにはそれを知らせる手段が存在しないということだ。
わたしは動けない。
電話なども無い。そもそも手が動かないので電話を操作出来ない。
誰かに伝えるのも……無理か。
ヨーゼフ以外に、この部屋に入って生きて外に出られた人間は今まで一人もいない。
……そんなことを考えながら、右手の指で額を掻いて、
「――あれ?」
そこでやっと、違和感に気付いた。
今までピクリとも動かなかったはずの右手が、動いている。
「――――!」
右手の指――指というよりは触手に近いが――を動かしてみる。
問題なく動く。
首、肩、腰、右腕、左腕、右足、左足。
思いつく限りの部分を動くかどうか試してみたが、全て問題なく動いた。
その結果から、わたしは確信する。
「……動けるようになった」
何が原因かはわからないが、這ってなら動くことはできそうだ。
そして、動けるようになったことで新しい考えも浮上してきた。
「……今なら、逃げられるんじゃ?」
可能性はある。
今のところ、ヨーゼフの気配はない。
監禁され始めた最初の頃はともかく、最近は四六時中わたしの近くにいるわけではないのだ。
「…………」
わたしの意思が、ここから脱出する方向にまとまりつつあった。
それに伴って、海斗に未来に起こるであろう出来事を伝える、とある方法も頭の中に浮かんできた。
――わたしが海斗に会いに行けばいい。
それは、これ以上ない名案に思えた。
「でも……」
この姿を海斗に見せるのか?
海斗は、今のわたしの姿を見たらどう思うだろう?
気持ち悪いと思うだろうか。
化物だと思うだろうか。
……思うだろうな。
誰よりも、わたし自身が一番そう思っているのだから。
中身はともかく、外見は完全に化物だと。
このままの姿で海斗の前に姿を現すのは、無茶だという結論を出さざるを得ない。
「……でもでも、“夢”を使えば」
わたしは、近くにいる人間が見ている夢を、ある程度操れる超能力を持っている。
夢の中でなら、わたしも本来の姿で海斗と話すことができるはずだ。
……この身体になったことで超能力が失われているかもしれないのは懸念材料ではあるが、超能力が使えなかったら使えなかったで、また新しい手を考えればいい。
まずは、ここから脱出することを優先するべきだろう。
「……よし」
決めた。
逃げよう。
そうと決まれば話は早い。
わたしはすぐに行動を開始した。
「よいしょ……っと」
おま……例のアレから降りる。
少しふらついたが、問題ない。
「冷たっ……」
足――こちらも足というよりは触手に近いが――がコンクリートの床に触れる。
季節的には夏に近いはずだが、コンクリートの床は驚くほど冷たかった。
……思っていた以上に足がしっかりしていたので、這ってではなく二本の足で立って進むことにした。
床には何重にも塗り固められた大きな血痕や、腐った肉片のようなものが転がっている。
それらを無視して、わたしはドアのほうへ進んだ。
ここに鍵がかかっていたら、万事休すだが……。
腕を伸ばしてドアノブを捻る。
「……よし」
鍵は、かかっていない。
ドアを開けた。
「…………」
まず視界に入ってきたのは、ぼんやりとした光に照らされている、わたしの監禁されていた部屋と同じようなつくりのドアだった。
部屋から出たわたしから見て、右は行き止まりで、正面には新しい部屋、左には廊下が続いている。
上を見上げると、剥き出しになっている電球が、天井に一定の間隔で取り付けられているのが確認できた。
「…………」
そこで、わたしは気付いた。
窓らしきものが確認できない。
……ここが地下である可能性が出てきた。
それについては一旦置いておいて、そちらにしか道が続いていないので、左に進むことにする。
ゆっくりと、歩くときの感覚を思い出しながら薄暗い廊下を進んでいく。
途中に同じようなドアがあったが、鍵がかかっていて開かなかった。
多分、わたしのいた所と同じようなつくりになっている部屋だと思われる。
それが出口に繋がっている可能性は否定できなかったが、廊下はまだ先へと続いていたため、それは一旦無視して先へ進むことにした。
「…………」
少し歩くと、廊下の突き当たりに辿り着いた。
ここにもドアがある。
……遠目ではよくわからなかったが、このドアだけは他のものと少し作りが違った。
廊下のつくりからして、おそらくここが他の場所に通じているはずだ。
ドアを開く。
「……階段」
目の前には、上に伸びている螺旋階段があった。
先ほどまでの廊下と同じような雰囲気だ。
光源は電球の光だけなので薄暗い。
日の光らしきものは、まだ見えなかった。
慎重に階段を上がり、その先のドアを開けると、再び同じような廊下が現れた。
わたしは真っ直ぐに廊下を進んでいく。
左右にいくつか、部屋に通じていると思われるドアはあったが、全て無視した。
ドアが開きっ放しになっている部屋が一つだけあったので、そこだけは中を確認したが、めぼしいものは特に何もなかった。
「……ん?」
上のほうから何かが衝突したような音が聞こえてくる。
……上に、ヨーゼフがいるのだろうか。
引き返すべきだろうか。
……いや。
引き返して何になるというのか。
自ら動かなければ、事態は決して好転しない。
進むしかないのだ。
そう自分に言い聞かせ、その音を無視して先に進む。
やがて一番奥のドアに辿り着き、躊躇なくそれを開けた。
「…………」
また螺旋階段がある。
わたしは先に進むために一歩踏み出した。
「…………!」
そこで気付いた。
足の裏に感じる、カーペットのような柔らかな感触。
先程までの冷たいコンクリートの床とは明らかに違う、それは人間の生活圏内に入ったと実感させるものだった。
出口が近い。
はやる気持ちを抑えながら、わたしは階段を上っていく。
一段、また一段と上がるたびに、自由が近づいてくるような気がした。
そしてわたしは、ドアの前に辿り着いた。
「……あ」
ドアの下から、僅かな光が漏れ出ている。
それはつまり、今いるこの場所よりもずっと明るい光に満ちた部屋が、この先にあるということ。
一度深呼吸をしてから、わたしはドアノブに手をかけた。
「――――――!!」
先ほどの音など、比べものにならないほどの爆音が響いた。
その震動で身体が揺れる。
「…………」
一体、この先で何が起こっているというのか。
だが、行くしかない。
「……よし」
わたしは覚悟を決めた。
ゆっくりとドアを開けると、柔らかな光がわたしを包み込んだ。
「――っ」
久しぶりに浴びる、少し強い太陽の光に目を細める。
「……?」
わたしは部屋の様子に戸惑いを隠せなかった。
本来は客間として使用されていたであろうその部屋は、一言で言うと、めちゃくちゃだったのだ。
ソファーやテーブル、高級そうな調度品など、ありとあらゆる物体が破壊され、瓦礫のようなものが散乱している。
窓ガラスも全て破壊されており、絨毯には焦げたような跡も見受けられた。
そして。
「……誰?」
わたしの視線の先に、知らない人が立っている。
白衣に身を包んだ、長身の女性だ。
「ん?」
わたしの声に反応したのか、その女性はこちらを振り向いた。
……知らない人だった。
神経質そうな顔つきだが、その黒髪は乱れ、白衣はところどころ血で汚れていた。
その女性は、わたしの姿を見ても全く動じることなく、
「――皐月?」
たしかに、そう呟いた。
この場にいて、わたしの名前を呼び捨てにする人物など、ヨーゼフ以外では一人しか思いつかない。
「――! まさか、皐月様ですか!?」
「ええ、私です」
白衣の女性――皐月様は、わたしを見て安心したように息を吐いた。
姿は全く違うが、その仕草は見覚えがあるものだ。
――助かった。
そう思わずにはいられなかった。
皐月様も無事に脱出できているのであれば、皐月様と一緒に逃げればいい。
……いや、もうヨーゼフを探し出して倒してしまってもいいかもしれない。
いくらヨーゼフが強大な力を持つ魔術師とは言っても、自由になった皐月様に勝てる道理は無いだろう。
わたしのときに皐月様がやられたのは、ただの不意打ちによるものなのだから。
「それにしても、ちょうど良かった。あなたを探していたところだったんですよ」
そんなことを考えていたわたしに向かって、皐月様がそう言った。
「……わたしを?」
もしかして、皐月様はわたしを連れて一緒に脱出しようと思ってくれていたのだろうか。
「ええ」
皐月様は頷き、その言葉をわたしに告げた。
「死んでください。皐月」
コメント