夢見まくら

触手マスター佐堂@美少女

第十三話 当惑する少年

「は?」
 目の前の光景に、頭の処理が追いつかない。
 だが、それも一瞬。
 いつまでも惚けている訳にはいかない。事態は一刻を争うものだ。
 ……まさか、もう死んでるんじゃ――。
「服部! おい、しっかりしろ! 服部!」
 俺は大声で服部に呼びかけるが、返事はない。服部の瞼は、依然として閉じられたまま微動だにしなかった。
 そうだ、呼吸は!?
 俺は服部の口元に左手をあてる。手のひらが服部の顔に付着していた血で濡れた。まだ出血し始めてからあまり時間は経っていないようだ。
 ……一応、呼吸はしている。
 だが、顔色はかなり悪い。服部が今どのくらい危険な状態なのか、俺には見当もつかなかった。
「どうしたんだ、かい……服部!?」
 俺の声を聞きつけた二条が、服部の姿を見て、驚愕に顔を歪める。
「ああ、二条、服部が――」
「海斗、落ち着け。救急車は呼んだか?」
「あ、すぐに呼ぶ!」
 そんな基本的なことを忘れてしまうほどに、俺は動揺していたらしい。
 立ち直りが早い分、二条のほうが落ち着いていた。
「服部、聞こえるか?」
 服部に呼びかけながら、二条はポケットから携帯電話を取り出して、何かをやり始める。
「海斗、ここの住所だ。聞かれるだろうから持っておいてくれ」
 そう言うと、自分の携帯を俺に渡してきた。画面を見ると、このキャンプ場の情報が表示されている。さすが二条だ。頼りになる。
「服部、俺の声がわかるか? 聞こえていて声が出ないなら、腕を動かしてくれ」
 二条は服部への呼びかけを続けている。
 俺もすぐに、119番に電話をかけた。
「もしもし……はい、救急です……はい、住所は……」
 さっき二条に渡された携帯のおかげで、素早くここの住所も伝えることができた。
 俺が救急車を呼んでいる間に、二条は服部の頭部を調べているようだ。
「……はぁ!? 陥没してんじゃねーのか、これ……何でこんな……くそ……」
 陥没?
 俺が電話を終えると、二条は怒りを堪えるように言った。
「呼吸は安定しているが、意識はないな。素人目には、今の服部が本当に危険な状態なのかどうかわからん」
 俺なんかよりもよっぽど手際が良かったように思うが、二条も素人だったらしい。
「頭から血が出てたけど、何であんなことになってたんだろう?」
「金槌が近くに落ちていたから、多分それで殴られたんだろう。あと、頭蓋骨が少し陥没してるかもしれない。圧迫するのはマズい気がするな……動かさずに、血を拭き取るぐらいしか、できることはなさそうだ」
「そんな……」
「大丈夫だ、海斗」
 二条は言った。
「服部は死なない。こんなところで死ぬような奴じゃないさ。大丈夫……」
 その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。


 ◇


 病院特有の濁ったような重い空気が俺を包んでいた。待合室の雰囲気は暗い。この辺では一二を争う大きさの病院だそうだが、人の気配はあまりない……単純に、早朝だからかもしれないが。
 服部を救急隊員の人に任せた後、俺と二条は服部の車で病院に向かった。
 勝手に車を使うのもどうかと思ったが、緊急事態だ。止むを得ないだろう。
 二条とはさっきまで一緒にいたが、知人から電話がかかってきたらしく、病院の外に出ていった。つまり、ここにいるのは俺一人だけだ。
 結局、佐原はトイレから戻って来なかった。俺が佐原が向かったトイレまで確認しに行ったが、佐原の姿はなく、個室も全て開いていた。
 やはり犯人は佐原で、服部を半殺しにした後、逃走したのだろうか?
 信じたくはないが、状況からして佐原を庇いようがない。
 動機は、さっぱり分からない。
 あの二人の間に、何があったのか。それを教えてくれる人間はここにはいない。
 そういえば服部が叫んだとき、佐原、と言っていたような気がする。太陽、と呼ばずに。
 いつも友人を名前で呼ぶ服部が、佐原のことを苗字で呼んだ時点で違和感に気付いていれば、服部があんな目に遭わずに済んだかもしれない。それどころか、佐原だって捕まえられたはずだ。
 ……俺がここで悩んでいても仕方ないことだと頭では分かっているものの、どうしても割り切れなかった。
 だが、それだけではない。
 俺は恐怖していた。
 そう、恐怖だ。
 服部が半殺しにされたという出来事は、お姉さんの言葉の重みを俺に思い知らせるのに十分過ぎるほどの役割を果たした。
『海斗さん。このままだと、あなたは明日、死にます』
 夢の中での俺の聞き間違いだった、と信じたいが、そんなわけはない。
 昔、皐月が死んだと聞いたときは、正直実感があまり湧かなかったが、今こうして目の前で服部に命の危険が迫っている状況では嫌でも実感が湧いてくる。
 自分の命もまた服部と同じく、危険に晒されているのだと。とてもじゃないが、今朝のように楽観視はできない。
 血塗れの服部の姿が、どうしても頭から離れなかった。
 ……変な汗が出てきたのは、この部屋の温度が高いから、という理由だけではないだろう。
 二条が戻って来るまで、俺はそんなことを考えながら周囲を警戒していた。


 ◆


 早朝の病院の周辺は、人通りが極端に少ない。太陽は既に昇っているはずなのに、どこか薄暗い静謐ささえ感じさせる。生き物の気配が希薄だ。夏真っ盛りだというのに、頬を撫でる風は異様なほど冷たかった。
 俺は待合室で海斗と一旦別れて、今、病院の入り口にいる。
 理由は単純。
 海斗に知られたくない人間から、電話がかかってきたからだ。
「はぁ……」
 場所が場所なので仕方ないことなのだが、視界の端に黒っぽいのがチラついて気が滅入る。せめて呻き声だけでも聴こえなければ、いくらか気が楽なのに、と嘆息した。
 しかし、俺が現在進行形でストレスを受けている主な要因は、そんな有象無象ではない。
『いきなり溜め息とは、反抗的だな、たっくん』
 電話越しに、女の澄んだ声が聴こえる。
 今の溜め息は正確にはこいつに向けたものではなかったが、訂正するのも億劫だった。
「……何の用だ、葉月はづき
 単純な話だ。
 俺はこいつが嫌いなのだ。
『そうカリカリするなよ。話は聞かせてもらったぞ。服部君が意識不明の重体なんだって?』
「……何で知ってる」
 服部がここの病院に搬送されてから、まだ二十分も経っていない。
 それどころか、俺の交友関係をこの女に話した覚えもない。
『キミに関することで、私が知らないことなんてないさ』
 盗聴器でも仕込んであるのか。
 無駄だとは思うが、後で持ち物をチェックしておこう。
「相変わらず気持ち悪い奴だな、お前は」
『相変わらずつれないなぁ、たっくんは。私とお前の仲じゃないか。もっと甘えてくれてもいいんだぞ?』
 気持ち悪い。
「俺とアンタの間に、上司と部下以上の関係はないはずだが」
『私を孕ませておいて、よくそんなことが言えるなぁ? え? 琢よ』
 胃がムカムカする。吐き気がしてきた。
「あー分かった。俺の負けだ。わかったから、さっさと用件を言ってくれ」
『……本当につれないな。今日は許してやるが、今度の休みはこっちに顔を出してもらうぞ、たっくん』
「……わかったよ」
 本当に気持ち悪い。
 俺は吐き気を堪えながら、葉月の言葉の続きを聞いた。
『お前に殺して欲しい奴がいる』
「アンタにしてはえらく遠回しな言い方だな。そいつの名前は?」
 早くこいつとの会話を終わらせたい。
 ただでさえ、服部のことがあって神経が擦り減っているのに、厄介事を持ち込まないで欲しい。
 俺はそんなことばかり考えていた。
『……んー』
 葉月は何故か黙り込んだ。
「何黙ってんだ。さっさと教えろ」
 こいつが言い淀むのは珍しい。
『……前橋皐月という女なんだが、今現在どういう姿をしているのかわからない』
 どういう姿をしているのかわからない、とはどういうことだ?
「整形でもしてんのかそいつは」
『前橋皐月は、人間ではない。見た目は完全に化物だろうな』
「……それはまた」
 予想の斜め上の答えが返ってきた。
 あの葉月に化物と呼ばれるような奴か。とんでもないのを押し付けてくれたもんだ。
『元々は兼家君の知人だったらしい。化物になった経緯は大まかにしか知らん』
「海斗の、知人?」
 本当に、この女はたちが悪い。
「俺に、海斗の知人の女を殺せと?」
『何か問題でも?』
「……いや、何も問題ない」
 この女には逆らえないのだ。
 やれと言われたらやるしかない。
『とはいえ、現在、前橋皐月がどこにいるのかもわかっていない。琢には、まず前橋皐月の居場所を突き止めるところから始めてもらわなければならないな』
「大体の場所の見当もついていないのか?」
 だとすれば、かなり骨の折れる仕事だ。
『恐らく、兼家君の近くにいる。だからこそ、彼の友人であり、私の知人の中で、今一番彼の近くにいる琢に頼んでいるのだが』
 知人、か。物は言いようだな、本当に。
 つまり、そいつが海斗の近くにいる可能性が高いということは、俺の近くにいる可能性も高い、ということか。
「なるほど。で、そいつの具体的な特徴は教えてもらえるのか?」

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