闇渡りのイスラと蒼炎の御子
【第百三八節/風読みの秘奥義 中】
風の結界に向けて、影の軍勢が殺到した。トビアは自分の正面に暴風の壁を張り、負傷したゴドフロアやギスカールを下げさせる。
「ペトラさんも下がって!」
「あたしを除け者にする気かい!?」
ペトラは咄嗟に怒鳴り返すが、「もう護符だって残ってないんじゃないですか?」と言われると、何も言い返せなかった。
術の発動媒体である鉄片は、すでに底をついている。動けるゴーレムもほとんどいない。これ以上この場に留まっても、先ほどのヒルデのように人質に取られるのが関の山だ。
「……一人で大丈夫なんだね?」
「持ち堪えて見せます!」
それ以上、何も言うことは無かった。生き残っていたゴーレムに負傷者を抱えさせ、その場を離れた。
二人の様子は、対峙しているサラの目にも映っていた。そしてますます、トビアに奇異の視線を向けるようになった。
サラには、トビアという少年のことがよく分からない。考え方や行動原理は簡単に把握出来るのだが、彼が何故ここまで自分を気に掛けるのかが理解出来ないのだ。
「……放っておいてくれたら良いのに」
本音が言葉となって漏れていた。
自分は怪物だ。憎まれ、排除されるのが当然の役割である。あの小さく窮屈な檻に閉じ込められていた時のように、畏怖と好機の目で見られることに慣れきっていた。
だが、トビアは違う。何度も恐ろしい姿を見せたし、罵倒や拒絶も幾度と無く行った。実際に傷を負わせてしまったこともある。
それでも彼は、決して諦めようとしない。傷つけられても、拒絶されても、絶対に諦めず対話しようとする。今もほとんど防戦一方で、決して自分から攻めようとしない。
トビアがありのままに振る舞い、真っ直ぐさを見せつけられるたびに、自分の歪みや醜さを再発見させられる。サラにとって、それは明確に不愉快な事柄だった。
「わけが分からないっ!」
影の軍勢を一点に集中させ、巨大な牡牛を創造する。足場は戦闘の名残で滅茶苦茶になっているが、戯画化された牛は破城槌のように猛然と突進し、トビアの展開していた気流の壁を粉砕した。
無論、トビアはすでにその場を離れている。上空に逃れても油断はしていなかった。名無しヶ丘の戦いで、サラの持つ夜魔憑きの力の恐ろしさは身に染みて分かっている。
案の定、サラは即座に牡牛の形を崩し、無数の蛇へと変化させた。蔦のように絡まりながら空を目指す。が、遮蔽物の無い空中はトビアの独壇場だ。
風術は気流や大気を操る旧時代の魔術。触れるか触れないかといった微かなそよ風であっても、術の力によって鋭い風の刃へ変えることも出来る。
トビアは右手に集中させた風を開放し、剣のように真横へと薙ぎ払った。噛み付く寸前のところまで来ていた蛇の影法師は、灰と化して地面へと振っていく。サラはその様子を苦々し気な表情で見ていた。
「……強くなったね、トビア。これだけ大きな力があるなら、何だって出来るんじゃないの?」
ふと、ベイベルと同じようなことを言っているな、とサラは思った。
力のある者は、持たざる者を支配することが出来る。戦いの勝者が、敗者にあらゆることを強要出来るように。
サラも、やろうと思えば「強者」として君臨出来ただろう。だが、そうなりたいとは思わなかった。欲望や不満よりも、劣等感や罪悪感の方が強かったからだ。
だから、自分のように不要な劣等感を持たない者は、それこそ好き勝手に振る舞えば良いと思う。闇渡りのサウルのように、ひたすら欲望のために力を用いれば良いし、それが正当な使い方だと思う。
「それは違うよ」
しかし、トビアは澱むことなく異論を述べた。
「力なんて、僕のほんの一部だけだよ。本当にやりたいことだって……まだ出来てないんだから」
「出来てないことって、わたしを助けたい、とか?」
「……そうだよ」
その答えを聞いた瞬間、サラはけたたましい笑い声をあげた。誰も干渉出来ない二人きりの戦場のなかで、その哄笑は虚しく響き渡る。だが、本当に虚しいのはトビアの甘っちょろい考えそのものだ、とサラは思った。
「生意気だよ、トビア! やっぱりきみは何もわかってない!」
再び無数の蛇が地面から湧き出す。「ッ!」トビアは飛行したまま風術を操り対抗するが、先程とは違い頭上以外の全方向から襲い掛かってくる。そのうえ、一部は彼の頭上にまで伸びて退路を塞いでいた。
逃げ場は地面しかない。一斉に噛み付かれる寸前で一時的に術を解除し落下するが、サラはその着地点すらも予測していた。
地面に伸びた影が泡立ち、巨大なトラバサミを形作る。先程ゴドフロアの突進を防いだものと同型だが、威力は段違いだ。脚止めどころか、身体ごと真っ二つにするだけの威力がある。
「っ、空に踊る者達、風の眷属よ。契約に従い、我が元に集え!」
落下しながらもトビアは冷静に術を組み上げた。刺青が輝き、右腕に魔力を帯びた風が集中する。筒状の魔法陣のなかで圧縮された空気を、トビアは真下に向けて解放した。
火焔こそ生じないものの、トビアの放った風砲の威力は法術に勝るとも劣らないものだった。圧縮された空気は一瞬間だけ台風のように荒れ狂い、サラの夜魔もろともティヴォリ遺跡の残骸や、術者本人さえも吹き飛ばした。こうなることは分かっていたので、予め発動していた風術で姿勢を立て直そうとするが、それでも強かに地面に叩き付けられた時は息が詰まった。
トビアはよろめきながら立ち上がる。砂埃が月光を覆い隠し、元々不明瞭な視界をさらに暗くしていた。
その煙幕のなかに、いくつもの影が踊っていた。もう一度飛翔する時間もない。
「……空に踊る者達、風の眷属よ。契約に従い、解きほぐれよ!」
巨大な腕が現れ、術を組み立てていた右腕を捻り上げる。過大な負荷に関節が悲鳴を上げ、痛覚がトビアの脳髄を幾度となく殴りつけた。そのまま地面へと押し倒され、泥が顔に擦り付けられる。
ひれ伏した少年の鳶色の頭髪を、サラは思い切り踏み躙った。
「だから言ったでしょ? 生意気だって」
いくつもの影がトビアの身体に絡みつき、締め上げる。呼吸は出来るが、身動き一つとれない状態だ。頭上からは勝ち誇ったサラの声が聞こえてくる。
「ちゃんと戦ってたら勝てたかもしれないのに、へんに手加減なんかするからだよ。
わたしを助ける? そんなの、殺す気にでもならなきゃ無理だって。
ううん、いっそ、本当に殺してくれても良かったんだよ?」
「そんなの……絶対に嫌だ……!」
「っていうか、もう無理だもんね。まじめに戦わなかった自分をうらみながら……死んでいきなよ」
冷酷な口調で、サラはそう言い放った。勝利の余韻のためか、視界が微かにぼやけていた。
羽衣の袖から黒い槍が静かに伸びてくる。首筋に添えられた不気味な冷たさは、トビアの中に嫌が応にも恐怖を呼び起こした。
だが、まだ言い足りない。言いたいことはほんの一部しか言えていない。
「僕はいつだって、真剣に戦ってきたつもりだよ」
「だったら、こんな結果になんてならないわ。遠慮なんかしないで、好きなように力を使えば良かったんだよ。あの大砲みたいな術をもっと撃ってたら、わたしの壁だって簡単に崩せたでしょ?」
「それじゃあサラが死んじゃうだろ!」
サラはまたしても噴き出しそうになった。と同時に、頭痛や吐き気のようなものさえ漠然と感じ始めている。反吐が出る、とはこういうことを言うのだろうか、と思った。
「またそれ? だから、戦うってそういうことじゃない。なんで人殺しをためらうの? しかも……わたしは怪物なんだよ。ふつうの人間のトビアが勝とうと思ったら、ぜんぶの力を出し切るのが当然でしょ。それをしなかったんだから、今さら何を言っても負け犬の遠吠えだよ!」
激情に任せてサラは叫ぶ。頭痛も吐き気も、酷くなる一方だ。他人と考えを共有出来ないことがここまで不快感をもたらすなど、思いもしなかった。
「違う……! いくら僕の術が強くたって、それでサラが死んじゃったら、僕にとっては負けなんだ!」
「それってさ、勝ってる時に言うセリフだよね? 今から死ぬんだから、もう勝つとか、負けるとか、なんて……」
―――違う。
よろけた際、サラの脳内を違和感が満たした。
トビアとの対話に苛立ちを感じていることは事実だ。だが、何かがおかしい。いくら何でも、話しているだけで眩暈や吐き気、頭痛などが起きるわけがない。いつの間にか、身体を動かす力さえ緩んでいるようだった。
それは、夜魔の制御を司る脳の機能とて例外ではない。
(これは……なに!? わたしは、何をされてるの!?)
袖口から伸びていた槍が、いつの間にか霧散していた。トビアの頭を押さえつけていた脚から力が抜け、彼の動きに合わせて持ち上げられる。サラは抵抗も出来ないままその場に尻もちをついた。無様だ、と思うだけの余裕も無かった。
最早、形を保っていられる夜魔はいない。全ての戒《いまし》めから解放されたトビアが立ち上がる。その右腕には、大きな青あざと、風術の発動を示す翡翠のような光が宿っていた。
「……風、術……? 一体、何の……」
サラはようやく、頭痛や眩暈の原因が息苦しさに由来することに気付いた。だが、一体どんな理屈や因果が働いているのか考えるだけの余裕が無い。一瞬前まで完全な勝利者の立場にいたのに、それはほんのわずかな時間で逆転されてしまった。
トビアは、痛みの残る右腕を左手で支えた。捻られた際に脱臼したのか、ろくに動いてくれない。そんな状態でも、詠唱さえ成立すれば術を組み上げることは出来る。
「この術は……きみの言う力だけじゃ作れなかったもの。風読みの奥義だ」
「ペトラさんも下がって!」
「あたしを除け者にする気かい!?」
ペトラは咄嗟に怒鳴り返すが、「もう護符だって残ってないんじゃないですか?」と言われると、何も言い返せなかった。
術の発動媒体である鉄片は、すでに底をついている。動けるゴーレムもほとんどいない。これ以上この場に留まっても、先ほどのヒルデのように人質に取られるのが関の山だ。
「……一人で大丈夫なんだね?」
「持ち堪えて見せます!」
それ以上、何も言うことは無かった。生き残っていたゴーレムに負傷者を抱えさせ、その場を離れた。
二人の様子は、対峙しているサラの目にも映っていた。そしてますます、トビアに奇異の視線を向けるようになった。
サラには、トビアという少年のことがよく分からない。考え方や行動原理は簡単に把握出来るのだが、彼が何故ここまで自分を気に掛けるのかが理解出来ないのだ。
「……放っておいてくれたら良いのに」
本音が言葉となって漏れていた。
自分は怪物だ。憎まれ、排除されるのが当然の役割である。あの小さく窮屈な檻に閉じ込められていた時のように、畏怖と好機の目で見られることに慣れきっていた。
だが、トビアは違う。何度も恐ろしい姿を見せたし、罵倒や拒絶も幾度と無く行った。実際に傷を負わせてしまったこともある。
それでも彼は、決して諦めようとしない。傷つけられても、拒絶されても、絶対に諦めず対話しようとする。今もほとんど防戦一方で、決して自分から攻めようとしない。
トビアがありのままに振る舞い、真っ直ぐさを見せつけられるたびに、自分の歪みや醜さを再発見させられる。サラにとって、それは明確に不愉快な事柄だった。
「わけが分からないっ!」
影の軍勢を一点に集中させ、巨大な牡牛を創造する。足場は戦闘の名残で滅茶苦茶になっているが、戯画化された牛は破城槌のように猛然と突進し、トビアの展開していた気流の壁を粉砕した。
無論、トビアはすでにその場を離れている。上空に逃れても油断はしていなかった。名無しヶ丘の戦いで、サラの持つ夜魔憑きの力の恐ろしさは身に染みて分かっている。
案の定、サラは即座に牡牛の形を崩し、無数の蛇へと変化させた。蔦のように絡まりながら空を目指す。が、遮蔽物の無い空中はトビアの独壇場だ。
風術は気流や大気を操る旧時代の魔術。触れるか触れないかといった微かなそよ風であっても、術の力によって鋭い風の刃へ変えることも出来る。
トビアは右手に集中させた風を開放し、剣のように真横へと薙ぎ払った。噛み付く寸前のところまで来ていた蛇の影法師は、灰と化して地面へと振っていく。サラはその様子を苦々し気な表情で見ていた。
「……強くなったね、トビア。これだけ大きな力があるなら、何だって出来るんじゃないの?」
ふと、ベイベルと同じようなことを言っているな、とサラは思った。
力のある者は、持たざる者を支配することが出来る。戦いの勝者が、敗者にあらゆることを強要出来るように。
サラも、やろうと思えば「強者」として君臨出来ただろう。だが、そうなりたいとは思わなかった。欲望や不満よりも、劣等感や罪悪感の方が強かったからだ。
だから、自分のように不要な劣等感を持たない者は、それこそ好き勝手に振る舞えば良いと思う。闇渡りのサウルのように、ひたすら欲望のために力を用いれば良いし、それが正当な使い方だと思う。
「それは違うよ」
しかし、トビアは澱むことなく異論を述べた。
「力なんて、僕のほんの一部だけだよ。本当にやりたいことだって……まだ出来てないんだから」
「出来てないことって、わたしを助けたい、とか?」
「……そうだよ」
その答えを聞いた瞬間、サラはけたたましい笑い声をあげた。誰も干渉出来ない二人きりの戦場のなかで、その哄笑は虚しく響き渡る。だが、本当に虚しいのはトビアの甘っちょろい考えそのものだ、とサラは思った。
「生意気だよ、トビア! やっぱりきみは何もわかってない!」
再び無数の蛇が地面から湧き出す。「ッ!」トビアは飛行したまま風術を操り対抗するが、先程とは違い頭上以外の全方向から襲い掛かってくる。そのうえ、一部は彼の頭上にまで伸びて退路を塞いでいた。
逃げ場は地面しかない。一斉に噛み付かれる寸前で一時的に術を解除し落下するが、サラはその着地点すらも予測していた。
地面に伸びた影が泡立ち、巨大なトラバサミを形作る。先程ゴドフロアの突進を防いだものと同型だが、威力は段違いだ。脚止めどころか、身体ごと真っ二つにするだけの威力がある。
「っ、空に踊る者達、風の眷属よ。契約に従い、我が元に集え!」
落下しながらもトビアは冷静に術を組み上げた。刺青が輝き、右腕に魔力を帯びた風が集中する。筒状の魔法陣のなかで圧縮された空気を、トビアは真下に向けて解放した。
火焔こそ生じないものの、トビアの放った風砲の威力は法術に勝るとも劣らないものだった。圧縮された空気は一瞬間だけ台風のように荒れ狂い、サラの夜魔もろともティヴォリ遺跡の残骸や、術者本人さえも吹き飛ばした。こうなることは分かっていたので、予め発動していた風術で姿勢を立て直そうとするが、それでも強かに地面に叩き付けられた時は息が詰まった。
トビアはよろめきながら立ち上がる。砂埃が月光を覆い隠し、元々不明瞭な視界をさらに暗くしていた。
その煙幕のなかに、いくつもの影が踊っていた。もう一度飛翔する時間もない。
「……空に踊る者達、風の眷属よ。契約に従い、解きほぐれよ!」
巨大な腕が現れ、術を組み立てていた右腕を捻り上げる。過大な負荷に関節が悲鳴を上げ、痛覚がトビアの脳髄を幾度となく殴りつけた。そのまま地面へと押し倒され、泥が顔に擦り付けられる。
ひれ伏した少年の鳶色の頭髪を、サラは思い切り踏み躙った。
「だから言ったでしょ? 生意気だって」
いくつもの影がトビアの身体に絡みつき、締め上げる。呼吸は出来るが、身動き一つとれない状態だ。頭上からは勝ち誇ったサラの声が聞こえてくる。
「ちゃんと戦ってたら勝てたかもしれないのに、へんに手加減なんかするからだよ。
わたしを助ける? そんなの、殺す気にでもならなきゃ無理だって。
ううん、いっそ、本当に殺してくれても良かったんだよ?」
「そんなの……絶対に嫌だ……!」
「っていうか、もう無理だもんね。まじめに戦わなかった自分をうらみながら……死んでいきなよ」
冷酷な口調で、サラはそう言い放った。勝利の余韻のためか、視界が微かにぼやけていた。
羽衣の袖から黒い槍が静かに伸びてくる。首筋に添えられた不気味な冷たさは、トビアの中に嫌が応にも恐怖を呼び起こした。
だが、まだ言い足りない。言いたいことはほんの一部しか言えていない。
「僕はいつだって、真剣に戦ってきたつもりだよ」
「だったら、こんな結果になんてならないわ。遠慮なんかしないで、好きなように力を使えば良かったんだよ。あの大砲みたいな術をもっと撃ってたら、わたしの壁だって簡単に崩せたでしょ?」
「それじゃあサラが死んじゃうだろ!」
サラはまたしても噴き出しそうになった。と同時に、頭痛や吐き気のようなものさえ漠然と感じ始めている。反吐が出る、とはこういうことを言うのだろうか、と思った。
「またそれ? だから、戦うってそういうことじゃない。なんで人殺しをためらうの? しかも……わたしは怪物なんだよ。ふつうの人間のトビアが勝とうと思ったら、ぜんぶの力を出し切るのが当然でしょ。それをしなかったんだから、今さら何を言っても負け犬の遠吠えだよ!」
激情に任せてサラは叫ぶ。頭痛も吐き気も、酷くなる一方だ。他人と考えを共有出来ないことがここまで不快感をもたらすなど、思いもしなかった。
「違う……! いくら僕の術が強くたって、それでサラが死んじゃったら、僕にとっては負けなんだ!」
「それってさ、勝ってる時に言うセリフだよね? 今から死ぬんだから、もう勝つとか、負けるとか、なんて……」
―――違う。
よろけた際、サラの脳内を違和感が満たした。
トビアとの対話に苛立ちを感じていることは事実だ。だが、何かがおかしい。いくら何でも、話しているだけで眩暈や吐き気、頭痛などが起きるわけがない。いつの間にか、身体を動かす力さえ緩んでいるようだった。
それは、夜魔の制御を司る脳の機能とて例外ではない。
(これは……なに!? わたしは、何をされてるの!?)
袖口から伸びていた槍が、いつの間にか霧散していた。トビアの頭を押さえつけていた脚から力が抜け、彼の動きに合わせて持ち上げられる。サラは抵抗も出来ないままその場に尻もちをついた。無様だ、と思うだけの余裕も無かった。
最早、形を保っていられる夜魔はいない。全ての戒《いまし》めから解放されたトビアが立ち上がる。その右腕には、大きな青あざと、風術の発動を示す翡翠のような光が宿っていた。
「……風、術……? 一体、何の……」
サラはようやく、頭痛や眩暈の原因が息苦しさに由来することに気付いた。だが、一体どんな理屈や因果が働いているのか考えるだけの余裕が無い。一瞬前まで完全な勝利者の立場にいたのに、それはほんのわずかな時間で逆転されてしまった。
トビアは、痛みの残る右腕を左手で支えた。捻られた際に脱臼したのか、ろくに動いてくれない。そんな状態でも、詠唱さえ成立すれば術を組み上げることは出来る。
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