闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百二四節/蟻地獄】

 カナン率いる難民団は、パルミラ管区外縁部まで街道警備隊に護衛された。

 無論、護衛とは名ばかりで、本音は闇渡り達の反乱や逃亡を阻止することが目的だ。

 だがパルミラ領内から出ればその必要性も薄れる。後は指導者であるカナンや、隣のラヴェンナに任せてしまえば良い。

 口に出すことはなかったものの、街道警備隊の騎兵達が鮮やかな手並みで転進していく様は、彼らの思惑を如実に語っていた。

 そして拘束が緩んだ瞬間を狙って、反対派の闇渡り達が動き出すのも自明の理であったのだ。



◇◇◇



 ラヴェンナ管区内では、街道の近くであっても旧時代の遺跡を頻繁に見かける。遺跡と言ってもウルクのような実用品が発掘されることはほとんど無く、過去の人々の生活の名残だけが沁みついてる。それも、長い年月の中で少しずつ雨風に削られ、時折何の前触れもなく倒壊するのだ。

 それでも街道上に闇渡り達を置くわけにはいかないため、カナンは少し離れた所にある町に難民たちを逗留させることにした。かつては木造建築が主流だったこともあり、ほとんど石やレンガしか残っていないのだが、それでも天幕の布を広げれば通常よりも多くの人間が夜風を凌げる。

 カナンもまた、難民団の中心に天幕を張らせて、その中で一夜を過ごすことにしていた。

 闇渡り達との旅が始まってから、カナンは必ずその位置に天幕を張ることにしている。そしてその事実は闇渡り達も知るところだった。時々、病人や怪我人が恐々と天幕を訪れるため、誰かが調べなくとも簡単に分かるのだ。


 襲撃者たちにとって、これ以上ないほど有難い話だった。


 カナンの天幕の近くまで忍び寄った闇渡り達は、天幕の明かりが消えるのを待ちながら各々の武器を手繰り寄せていた。

 先程、頭まで茶色い外套を被った人物が天幕に入っていくのが見えた。女性にしては味気ない恰好だが、それがカナンの目印であることは難民全員の周知するところだ。もちろん襲撃者たちも知っている。

 皆、若い。
 というより、あの戦いに参加しなおかつ生き延びたのは、極端に若い者か、老練を極めたごく一部の者だけなのだ。

 経験者が生き延びたのは運と技術が備わっていたからだが、若年者が生き延びたことには理由がある。

 イスラがサウルの作戦を潰した際、坑道から湧き出してきた夜魔の対応に充てられたのが彼らなのだ。

 進撃する際にまごつかれては邪魔だし、夜魔など倒したところで意味が無いので、ほとんど使い潰すために差し向けられたようなものである。結局三百人程度では防ぎきれなかったため、最終的には坑道から押し出されたのだが、その時には都軍に包囲されて継火手達の法術が飛び交っているような状態だった。
 もっとも、戦場の最後尾にいたおかげで法術に巻き込まれなかったことも確かであり、結果的にサウルの命令が彼らを生かしたことになる。

 闇渡りのサロムは、そんな生き残り達のまとめ役だった。

 闇渡りにしては珍しく、精悍というより耽美な雰囲気の青年だが、程度としては「そこそこ」といったところだろうか。ただ本人の自己評価は不相応なほど高く、自分が誰よりも美しいと信じてやまなかった。
 さしずめ、かの「水面に映った顔に見惚れて溺れてしまった少年」のごとく、漁や狩りを手伝わずに鏡を見ていることが多かった。

 それでも何故か、そこそこ伐剣の扱いが上手く、生来の高飛車な性格からか人を動かすのも得意だったため、サウルにまとめ役を任されたのだ。その事実もまた、サロムを増長させる一因となった。

 そんな自己愛の塊のような彼にとって、自分が継火手の少女に良いように扱われているのが気にくわなかった。まるで弱々しい羊を飼うかのように領導するカナンが妬ましく、どこかで仕返しがしたいと考えていた。

 しかしそれ以上に腹立たしいのが、同じ闇渡りでありながらカナンの守火手を務めているイスラの存在だ。何をする役目なのか良く知らないが、何となく「特別」な感じがする。あんな人相の悪い青年が特別扱いされるなど、あってはならないと思った。

 そんな私怨混じりの思惑を引っさげて、サロムは同調する仲間達を集めていた。もちろん本音は言わず、カナンに対する反乱の名目で、だ。

 そういうわけで、最終的に三十名ほどの戦力が集まった……難民全体の二百分の一程度の勢力だが、サロムはあまり気にしなかった。

 代わってその点を追求したのが、彼の幼馴染であるプフェルだった。闇渡りの少年にしては珍しく読み書きや算術が得意で頭も良いのだが、無気力で主体性が無い。
 もっとも、そんな性格だから、無駄に自意識のあるサロムと相性が良いのだろう。

 もちろん、いくらやる気のない性格とは言え、先の心配くらいはする。天幕の中で息を殺しながら、プフェルはサロムの外套を引っ張った。

「やっぱりヤバいって。継火手をひっ捕らえて、その先どうするか考えてる?」

「フッ、案ずるなプフェル。俺はあのサウル王に一軍を任せられた男、いわば将軍の器である。あんな女の子に出来るなら、俺はもっと完璧に出来るさ」

「や、ただの厄介払いだったと思うんだけど……」

「己の価値を下げるな、プフェル!」

「だいたい、こんな人数でどうするのさ。いくら奇襲するって言っても、向こうの方が護衛の数は多いんだよ?
 それに、サウルを倒した闇渡りだって向こう側に……」

「四対一で戦った後の状態だったんだぞ。それならイスラとやらじゃなくても、そう、俺でも勝てる! むしろ勝ってた!!」

「や、無理だから」

 どこまでも冷めきった態度を崩さないプフェルの頭に、サロムは伐剣の護拳をぶつけた。

「士気を下げるな!!」

「君は声を下げろよ」

 言い争っているうちに、段々と天幕の中の空気が冷めていく。その下がりぶりは、まるで宴会の後の残飯のようだ。

 どんどん白けていく空気にいたたまれなくなった者が、こっそり天幕を出ようとする。だが、サロムは口喧嘩をしつつも見逃さなかった。

「よし、じゃあこうしよう!」

 外に漏れそうな大声でサロムは怒鳴った。居合わせた少年達がびくりと身体を震わせる。


「カナンは殺さない。代わりに……捕まえた奴に、彼女を好きにする権利をやろうではないか!」


 おおっ、とざわめきが起こる中、プフェルはハァと溜息をついた。

 天火を消耗した状態ならともかく、そうでなければ、継火手が大の大人を投げ飛ばすくらいの力を持っていることは常識だ。いくらサロムが無鉄砲とはいえ、それくらいの常識はわきまえているだろうと思っていた。

 ところが、言い出した当の本人が、よからぬ妄想を働かせて涎を垂らしそうな顔をしている。

(これは、いよいよもってダメだな……)

 そう思ったものの、もう手遅れだった。先程までの空気は一転し、いまや性欲を持て余した若い闇渡り達が、カナンがいるはずの天幕に向かって飛び出そうと、今か今かと待ち構えている。一旦連座してしまった以上、こっそり抜け出すわけにもいかない。プフェルも覚悟を決めた。

 やがて、カナンの天幕から明かりが消えた。周囲の天幕も次々と明かりを落としていく。

 サロムは他所と同じように明かりを消すよう命じた。難民団中枢部から明かりが消え、月明りだけが煌々と照っている。それも、雲に隠れるまでの間だった。分厚い雲が光を遮り、あたり一面真っ暗闇に包まれる。

「今だ!」

 そう号令をかけたサロムが真っ先に飛び出す。それに続いた、というか追い越そうと、五人ほどの闇渡りがカナンの天幕めがけて走っていく。夜目に慣れた闇渡りにとって、この程度の暗がりなど暗い内に入らない。

 プフェル達もそれに続く形で天幕から這い出たが、サロム含めた六人はすでに天幕の入り口を押し上げて中に乗り込んでいた。

「退けっ」

 サロムは真っ先に中に潜り込み、後に続こうとした闇渡りを後ろ足に蹴り飛ばした。ほとんど押すような形だったが、入り口に集まっていた闇渡り達はまごついた。

 その隙に、頭まで布団をかぶったカナンの上に覆いかぶさる。

「フっ……へへっ……! き、君がいけないんだからな、こんな、こ、この俺を誘うような、この……!」

 呂律の回らないまま布団に手を掛ける。遅れて入ってきた闇渡り達もベルトに手を掛けていた。


 サロムの悲鳴が響き渡るまでは。



◇◇◇



 夜闇を裂くような悲鳴が聞こえるのと同時に、プフェルは「失敗だ、逃げろ!」と叫んでいた。

 だが、散り散りに駆け出そうとした直前、闇渡り達を取り囲むように地面から石の壁がせりあがってきた。数体のゴーレムが天幕を持ち上げつつ立ち上がり、その足元からサイモンに率いられた護衛兵が飛び出してくる。

「あーあ、ほら。言わんこっちゃない……」

 そうぼやくのと同時に、プフェルの身体はつむじ風に巻き上げられて夜空を舞った。



◇◇◇



 反乱はあっさりと鎮圧された。

 包囲網の中で次々と闇渡り達が取り押さえられていく。中には伐剣を振り回して抵抗する者もいたが、ゴーレムの巨大な手の平で押し潰されて剣を取り上げられた。

「あの、皆さん……くれぐれもやり過ぎないようにしてくださいね?」

 ペトラの天幕から顔をのぞかせたカナンが制止するものの、あまり意味は無かった。いつもなら大声を出してくれるペトラが率先してゴーレムを操っているため、止めに入ってくれる者が誰もいない。

 もともと反乱の予兆や計画が事前に漏れていたため、対処するのはあくびが出るほど簡単だった。おまけに実行前の時点で人数や陣容まで分かってしまったため、剣を抜くほどの危険性さえ見いだせなかった。
 それならいっそ反乱が起きる前に警告すべきだとカナンは思ったのだが、オーディスの「あえて鎮圧することで見せしめにする」という提案の方が効果的だった。

 言ってみれば、カナンの統率力を誇示するための芝居のようなものだ。彼女自身はあまり気乗りしていなかったが、確かに合理的な方法だった。難民の一部に叛意を持った者が残っている以上、そうした連中をけん制しなければならない。そういう意味では、イタズラめいた彼らの叛逆は有難かった。

(まあ、一番の貧乏くじは……)

 微妙な表情を浮かべて鎮圧の様子を見ていたカナンのもとに、命からがらといった様子で逃げ出してきたサロムがすがり付こうとする。思い切り殴られたのか、頬が腫れあがっていた。

「た、助けてくれ! 死にたくない、死……ッ!」

 だが、その脚に鳥を模した鍵爪と鋼線が絡みつき、地面に引き倒した。さながら巻き上げられる錨の如く、逃げ出してきた天幕に向かって引きずり込まれていく。

「あ、ああっ、あああああ……ッ!!」

 サロムは腹ばいの姿勢のまま引きずられ、すぽん、と呑み込まれてしまった。


「イスラー! 歯は治せないから、やり過ぎたらダメですよーっ!」


 果たして、今の怒り狂ったイスラに聞く耳があるかは分からないが、後で治せるだけ治してあげようとカナンは思った。

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