闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百二一節/「ラヴェンナへ」】

 演説するカナンからやや離れた場所で、イスラは腕を組んで様子を伺っていた。少しでも彼女の身に危険が及ぶようなら、いつでも駆け出せる構えだ。ペトラやサイモンといった難民団の面々も控えている。

 だが大方の予想を裏切り、カナンは順調に支持を集めているようだった。確かに反対している者、否定的な者もいるが、過半数は確実にカナンに賛同している。
 もちろん、今賛同しているからといって、それが永続するわけではないのだが。

「やっぱ凄いヤツだなあ、あいつ」

 頭を掻きながらサイモンが言う。他の面々も呆気にとられたような表情をしていた。

 自分達の指導者だった少女がずば抜けて優秀だということは知っていたが、大勢の闇渡りの前で堂々と語る姿に、改めて実感させられた。
 同じことをやれと言われても、実行出来る者などいないだろう。

「素晴らしい。あれこそ真のカリスマだ」

 そんな中、オーディス・シャティオンだけは純粋な賞讃の言葉を投げかけ手を叩いていた。難民団の構成員だった者達は、皆一様にオーディスに向かって疑惑の視線を向けている。
 彼らの想いを代弁するかのようにペトラがその外套を引っ張った。

「あんた、一体何を考えてるんだい?」

 オーディスはカナンの方を向いたまま手を止めた。振り返ることも見下ろすこともせず、聞き返す。

「何を、とは?」

「とぼけるんじゃないよ。エデン行きをちらつかせて、あの子に何をさせるつもりだい?
 普通に考えりゃ、こんな親切な話なんてあるはずがない。何だってラヴェンナの大貴族様が、闇渡りのために私財をはたくんだよ。
 全部、あの子に何かをさせるための仕込みじゃないのか?」

 オーディスはふと笑い声を漏らした。その姿に、ペトラ達は一斉に身を固くする。

「まるで、私が悪者であるかのような物言いだな。そう邪険にしないでほしいのだが……」

「いいや、信用出来ないな」

 立ち上がったサイモンがオーディスを睨みつける。だが、彼は涼し気な視線でそれを受け流した。
 余裕のある態度に内心苛立ちながらも、サイモンは糾弾を続ける。

「あいつは、俺たち皆にとっての恩人なんだ。お前みたいな訳の分からない男をのさばらせるわけにはいかねえんだよ」

「訳の分からない、か……だが、私の目的はこれ以上無いほど明確だよ。私はエマの意志を継ぐ彼女と共に、使命を完遂したいだけだ。それだけが私の全てだ」

 全て、と言い切ったオーディスの視線には、確かに邪念が混ざっているようには見えなかった。それどころか、何かを悟った聖人のように澄み切っている。強固な決意を秘めた瞳は、それだけで反対者の気勢を削いでしまった。
 ただ一人ペトラだけが、オーディスの決意に対して違和感を覚えていた。

 一口に言えば、危なっかしい。たいていの人間は、心の中に様々な欲求を抱えているものだ。決して一つの物事だけを突き詰めることは出来ない。
 それが出来てしまうということは、何らかの均衡を失っている可能性がある。
 オーディスが何を切り捨てたのかは分からないが、ペトラは彼に対して、胡散臭さや不信感以上の危機感を覚えていた。

 だから、先程から何も言わずに佇んでいるイスラに向かって「あんたからは何も無いのかい」と尋ねていた。


「無い」


 答えは非常に淡泊だった。
 脱力したサイモン達が肩を落とす。

「言い切りやがって……お前はあいつの守火手だろ! 心配じゃないのかよ!?」

「俺たちが口を挟んだところで、結局最後に決めるのはあいつしかいないんだ。それで結論が出たなら、俺が言うことは何も無い」

 戦うことしか出来ない自分が、彼女の考えに口を挟んだところで何の意味も無い。もちろん相談されれば答えるし、迷っているなら背中を押そうと思う。だが、今回彼女は弱音こそ吐いたものの、方針そのものはすぐに決めてしまった。オーディスの提案に乗ることが最善か、あるいは唯一の道であると最初から理解していたのだろう。

 だとすれば、横から何かを言ったところで、彼女の精神的な負担を大きくするだけだ。

「俺はあいつと同じ道を行く。邪魔しに出て来る奴らは片っ端から潰す。もちろん……」

 イスラは、隣に立っているオーディスを見やった。

「あんたがどこかで邪魔をしたら、前言を撤回するよ」

「ああ、それで構わない」

 相変わらず涼し気な表情でオーディスは言った。
 イスラの淡々とした口調と言い、オーディスの余裕のある態度と言い、剣呑な内容にも関わらず異様なほど静かなやり取りだった。

 そんなやり取りを見ていたペトラは、少し意外そうな表情を浮かべた。イスラがカナンについて語る時の妙に穏やかな眼差しが印象的だった。以前のイスラは、カナンとの仲について尋ねても、どこか突っぱねるような態度をとっていた。今はそれが全く見られず、語る言葉にも強い意志を感じる。

 これは何かあったな、と思った。

「……最も、エデン行きというのも、まだ完全に決まったわけではない」

「どういうことだい?」

 急に話題を逸らされ、ペトラは反射的に聞き返していた。第一、こんな話は初耳だ。

「救征軍としてエデンを目指すためには、ラヴェンナの承認を得た上で各煌都の支持を得なければならない。その交渉と説得のためには、カナン様本人にラヴェンナへ行っていただく必要がある」

「つまり、現状ではあんたの口約束に過ぎないってことか」

「そう捉えてもらって構わない。もちろん、ウルバヌス領主として物資面でも支援を惜しまないつもりだ。
 それに、辺獄へ至る経路上にラヴェンナはある。大回りにはならない」

「カナンはこの話、知ってるんだよな?」

「言われるまでもなく、理解しておられるだろう」

「そうか……」

 イスラは頭を掻いた。どうやら、まだ遠回りは続くようだ。

「とりあえずは、ラヴェンナだな」

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