闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百十五節/夜を征く者共のさだめ 上】

 戦場の喧騒から遠く離れた森の中、二つの影が幾度も交錯する。土の上、枝の上と目まぐるしく場所を変えながら、互いに必殺の隙を狙って剣を振るう。

 イスラは満月に似た金色の目を凝らし、敵の繰り出す攻撃を紙一重のところで回避していた。何しろ彼は、その自分の目と似た色のやいばがいかに鋭いか、身に染みて分かっているからだ。

明星ルシフェル……相手にすると、こんなに厄介なのか!)

 旧時代の遺物に精通したペトラに「伐剣の王」とまで言わしめた剣だ。尋常ではないと分かっているつもりだったが、いざ相手にしてみると「受けることが出来ない」のがいかに脅威か、良く分かる。
 無論、明星自体はただの剣の過ぎないから、使い手によっては本来の切れ味を発揮出来ない。角度が悪ければ弾かれるだろうし、力が入り過ぎればかえって威力を削いでしまう。

 しかし今の明星ルシフェルの所有者は、人を斬った経験に事欠かない。剣としての明星を扱うだけなら申し分のない使い手だ。

「大した代物シロモノだぜ、こいつはッ! まるで……」

 サウルの斬撃から逃れるようにイスラは距離を取り、態勢を立て直す。
 だが、正面に捉えていたはずのサウルの姿が、一瞬後には消えている。

「こいつを振るために……!」

 刃が風を斬る音が聞こえた。イスラは反射的に横に跳ぶ。外套の端が、真上から強襲してきた明星に斬り割かれる。

「生まれてきたみたいだ!!」

 刀身が月光を反射する。手首を返したのだと分かった。避けられない、下から切り上げるしかなかった。

 しかし、それは「詰め手」だ。

(蹴りが来る。胴はがら空き、左腕は駄目だ!)

 咄嗟に身体を丸め、予測していた攻撃を受け止める。イスラは蹴りの威力に身を任せ、頭を守りながら地面の上を転がった。ごつごつとした木の根や石に全身が打ち付けられるが、その類の痛みには慣れている。御蔭で、距離を取ることが出来た。
 その間も、イスラは常に頭を回転させてサウルの動きや手管を検証している。何故、急に姿を消して真上を取れたのか。そもそも何故、満身創痍の癖に自分よりも速く走れるのか。

 心当たりは一つしかない。サウルが明星を引き寄せた時の動きは憶えている。あの張力を移動の補助として使っているのだろう。

「その糸みたいなやつ……便利だな」

 口の中に入った砂を吐きながらイスラは言う。

梟の爪ヤンシュフのことか? そうだな、こいつは拾い物だったぜ。使い方次第でどうとでも化ける良い武器だ。ま、お前の女のおかげで、一個台無しにされたけどな」

「俺に女はいねえよ」

 サウルは口元を歪めた。

「お、話を逸らしたな?」

「……」

 明星の刀身を肩に乗せ、近くの木の幹に背中を預ける。右腕からは依然血を流したままだ。走っている最中に外套を巻いて止血したようだが、肩の傷は位置的に処置が出来ず、そのままになっている。

「そうやって、話をこじれさせているうちに隙を見つけようってのか? それとも俺が失血死するのを待つつもりか?
 あるいは、触れられたくない話題だったんで怒っちまったか。どれだよ」

「……見通しておきながら駄弁ダベるのは、余裕のあらわれってわけか」

「それもある。けどな、お話しするってことは、お前が思っているよりも危険なことなんだぜ? 例えばちょっとした訛りや言葉選び、語彙、あるいは発音の仕方や音の高低、態度、何よりも話の内容そのもの。これだけの手がかりをばらまいちまう。
 分かるか? お前が俺を知ろうとしているように、俺もそうしてるんだよ。何せ、ボロボロなのは隠しようが無ぇからなあ」

 それだけ言ってから、「いってー」と大げさに右腕を振って見せる。

(ふざけた野郎だ。だが……)

 少しでも甘く見たら、その瞬間にサウルは牙を剥くだろう。彼の狡猾さは並外れている。知識は無くとも知恵があり、それに悪意を絡めて繰り出してくる。
 人を欺き、出し抜くことに特化したような男だ。だからこそ、今日まで生き延びてこられた。
 今、こうして挑発的な言動を繰り返しているのも、自分の混乱を誘うためだ……イスラはそう断じた。

「揺さぶりかけようったって無駄だぜ。俺が今考えていることはただ一つ、あんたの首を獲ることだけだ」

「そうかい?」

 イスラはもう答えなかった。今の会話の間に呼吸を整えている。爆発的な加速とともに一直線に飛び込み、剣を振るった。
 しかし、伐剣は空を切る。踏み込んだ時点でサウルは左腕の梟の爪ヤンシュフを使って樹上に身を避けさせていた。

「どうした、首が欲しいんだろ? 追って来いよ!」

 捨て台詞を残してサウルは枝を飛び移っていく。イスラは舌打ちしつつ後を追った。

 再び追いかけっこが始まる。梢を揺らす木枯らしのように、二人は葉と葉、枝と枝の間を駆け抜けていく。

 鉱山から離れたこの森には、オークの樹が数多く植わっている。幹は太く長く、太い枝の上なら立つことも容易だ。イスラにとっても親しんだ樹であり、枝を踏んだ時の感覚も良く知ったものだった。

 アブネルと戦い、その後可能な限り敵の人数を減らしつつ坑道を走り抜け、大回りの果てに戦場へと滑り込んだ。それだけ動いたにも関わらず、イスラはほとんど疲労を感じていない。戦意も高く、まだまだ動けると思った。

 だがサウルとの距離は一向に縮まない。彼我の間隔は一定に保たれているものの、相手は満身創痍かつ疲労困憊のはず。とっくに追いついてしかるべきだ。

「大したもんだ、俺に食いついてこれるとはな! だがなあッ!!」

 黒い外套が翻る。それを認識した時には既に、樹上からサウルの姿は消えていた。「ッ!」木の枝が軋む音が聞こえる。すぐ真後ろから殺気を感じた。イスラは咄嗟に別の枝へと飛び移る。先ほどまでいた場所を明星が通り過ぎていく。

 避けることは出来たが、態勢が崩れた。サウルはその間に位置を変えて再度攻撃を仕掛けてくる。同じように樹の上を移動しているにも関わらず、サウルの足運びは氷の上を滑っているかのように素早く自由だった。

「動きが硬いんだよ!」

 イスラは態勢を立て直そうとするが、足に梟の爪ヤンシュフが絡み引っ張られる。立つどころか枝の上から落とされそうになった。

「糞っ」

 咄嗟に鋼線を引っ張ろうとするが、すでにサウルは回収を終えていた。だが、糸の引っ張られていった先にサウルはいる。イスラはその方向に向けて、懐に忍ばせていたナイフを投げた。

 これで少しは足が鈍るはず……そう思ったが、見通しが甘かった。サウルはナイフを叩き落としてなお減速しない。

 獲物を攫う梟のように、高い枝の上からサウルが飛び掛かってきた。辛うじて枝にしがみついている今の態勢では、迎撃するにはあまりに不利だ。

(今はまだ……だがっ)

 イスラは逃げることにした。枝から手を放し、地面に向けて落下する。無論、追撃を諦めるサウルではない。

「苦し紛れだな、ええ?」

 梟の爪ヤンシュフを放ち、地面から浮き出た根に絡ませる。枝を蹴る加速に鋼線の収縮、さらに途中で樹の幹を蹴りつけることで、自由落下するイスラ以上の速度で降りていく。下は湿った腐葉土で覆われており、闇渡りならそうそう怪我などしない。それでもすぐに動けるわけではなく、必ず硬直が生じるだろう。そうしなければ今度は、落下の衝撃で自分が怪我をするだけだ。

 だが、イスラはこの時が訪れるのを待っていた。

「今ッ!」

 樹の幹を全力で蹴りつけ、空中で方向転換する。向かう先は、自分に先んじて落着しようとしているサウルの横っ腹だ。

 サウルの右腕はすでに使い物にならない。装備している梟の爪ヤンシュフ明星ルシフェルはいずれも左腕……つまり、一度にどちらか一方しか使えない。

 普通に枝の上を走っていたのでは、いつまで経ってもサウルの動きを捉えられないだろう。だが、自分の行動によって相手の動きを誘導出来たなら、隙を突くのも難しくはない。

 まさに今こそ、その瞬間なのだ。

「手前!」

「オオッ!!」

 果たして、空中で二人は衝突した。お互いに剣で斬りつけるような余裕は無い。ただ、お互いの身体を文字通りの肉弾としてぶつけあう。鈍い音と共に弾かれ、両者とも受け身もとれない状態で地面に激突し、ボールのように跳ね転がった。

 敷き詰められた落ち葉や枯草が盛大に巻き上がる。地面にたたきつけられたイスラは、一瞬、肺を踏み潰されるような苦痛を覚えた。耳鳴りが響き、代わりに周囲の自然の音が全く聞こえなくなっていく。

 だが、立ち上がらなければならない。たとえ口から空気を吐き切っているとしても、今立たなければ確実に殺される。自分がこうして意識を保っていられるということは、サウルも同じ状態である可能性が高い。まさかこんな局面で気絶するほど軟弱とは思えなかった。

 奥歯を噛み締めながらイスラは立ち上がった。大きく息を吸い込み、震えている脚に力を込める。巨木の影の向こうに金色の刃がゆらりと蠢くのが見えた。

 それが、渾身の力で投擲される。

 予想外の一手だった。

「ッ!」

 咄嗟に伐剣で斬り払う。甲高い音と共に明星が宙を舞った。それを手に取るべきか、否か。困難な二択が突き付けられる。だが考えずにはいられない。その不可避の思考の隙を突いて、サウルは吶喊した。

 結果としてイスラは迎撃を選んだ。だが、それを決めた時には既に、サウルはイスラの懐へと潜り込んでいる。咄嗟に繰り出した伐剣はサウルの頭をかすめていった。
 腹に拳が撃ち込まれる。イスラは耐えるが、それはサウルも見越していた。

 靴の爪先に仕込んだ隠し刃を飛び出させ、首筋を狙い蹴りつける。イスラが、機構の作動音に反応出来ていなければ、動脈を抉られていただろう。

 暗器による奇襲を最小限の動きで回避したイスラは、退くどころかさらに一歩踏み込み頭突きを叩き込んだ。剣を振るには近すぎる間合いだが、構わず拳や護拳で殴打する。殴り返されることなど覚悟の上だった。

 きわめて短い、だが激しい乱闘が繰り広げられた。荒々しく攻め立てるイスラに対し、サウルも同じくらい野蛮に反撃している。が、さすがに伐剣の動きを見落とすほど熱くなってはいなかった。殴打に斬撃を混ぜても、ことごとく見切られ回避される。その後に待っているのは手痛い反撃だ。

 無論サウルも無傷では済まなかった。右腕が満足に使えない以上、致命打以外の攻撃はある程度甘んじて受けるしかなかった。

 それでも、こんな戦い方を続けるのはサウルにとって得策ではない。猛攻を続けながらも、イスラは敵が何等かの意図をもって動いていることに気付いていた。

(策の起点は……!)

 イスラの意識は自然と梟の爪ヤンシュフに向けられた。そして、その読みは当たった。

 サウルが射出した鍵爪と鋼線はイスラの首を狙っていた。それを寸でのところで回避し、伐剣で逆袈裟に斬り上げる。サウルの胸に切っ先が触れ、血の直線を描いた。額に脂汗が浮いたのをイスラは見逃さなかった。今の一撃は確実に効いたのだ!

「仕留める!」

「甘え!」

 ハッと気が付いた。鋼線が一直線に伸びたままになっている。それが何かに絡まった証拠だ。何に? 一つしかない。

 サウルが腕を引くのと同時に、イスラは距離を取るべく動き出していた。だが、鋼線の動きはサウルの意のままだ。そして、それが絡みついた明星ルシフェルの動きも同様。意志を持った生物のようにのたうちながら、イスラの背後より襲い掛かる。

 ドン、と鈍い衝撃を感じた。濡れた布を叩いた時のような水音、沈み込むような感覚。それはすぐに通り過ぎていく。あとに残ったのは灼熱したかのような痛みを発する傷口だけだ。

(まだ、死んじゃいない!)

 背中……右肩甲骨よりもやや下の箇所に刃創が開いている。もし角度が悪ければ、背骨や肋骨ごと斬り割かれていたかもしれない。そう考えればあながち悪くない状況だ、とイスラは思うことにした。

 だが、偶然こうなったのではない。左腕一本でも精密に梟の爪ヤンシュフを操っていたサウルがしくじったのは、明らかに戦傷が影響している。長時間の追撃に乱打戦、そして胸の傷。超人的な体力を持つサウルとて、それら全てを無視して戦えるほどの力は、もはや残っていないのだ。

 現に、イスラがそうであるように、サウルもまた荒く息を吐いていた。互いに睨み合ったまま、大きく肩を上下させる。

「目の下……隈が出来てるぞ」

「……手前こそ、服が張り付くくらい血が出てるじゃねえか」

「ああ。でも俺はまだ死なない。あんたはどうなんだよ」

「…………」

 サウルは何も答えなかった。明星を握る手に力を込めたのが分かったが、それを振り上げることは無かった。

 そして、何も言わないまま梟の爪ヤンシュフを真上に射出し、枝の上に逃れる。だがイスラは焦らなかった。あの傷では遠くまで行けない。血の流れをたどっていけば簡単に追いつけるだろう。

「……もう少し、あと少しだ……」

 外套の一部を割いて、胸の周りを覆うように巻き付ける。それを一応の止血として、イスラは目を瞑り息を吐いた。「……よし」金色の瞳に意志を漲らせて、イスラは歩き出す。

 決着をつけるために。

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