闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百八節/邂逅】

 応援を率いたカナンが、闇渡り達の潜む鉱山の手前でサイモンらと合流した時、真っ先にイスラの不在が気に掛かった。サイモンはばつの悪そうな表情で彼の独断専行を説明し、謝罪した。

「すまない……止めるべきだったんだが、追いつけなくて……」

 サイモンはイスラから預けられた明星ルシフェルを差し出した。カナンはそれを受け取ると苦笑交じりに労をねぎらった。

「イスラが走り出したら、誰だって追いつけませんよ。気にしないでください」

 イスラが無茶をするのはいつものことだし、それを止められる人間など誰もいない。誰かが止めようと思ったその時には、すでに実行に移しているのがイスラという男だ。

 ペトラに「心配かい?」と尋ねられても、カナンは曖昧な返事しか返すことが出来なかった。
 もちろん心配には違いないが、イスラを信じると決めたのだ。それに、イスラは無思慮に突貫するような阿呆ではない。何か考えがあってそうしたのだ、とカナンは思うことにした。

「今は、ここに居ないイスラの心配より、私たち自身のことを考えるべきですね」

 疲れ果てたエリコの兵士達を横目に見つつカナンは言った。

「……彼らが拠点から動かない以上、私たちも都軍の到着を待つしかありません」

「双方の衝突の合間を縫って、あたしらが王様とやらのところまで突っ込む。そんなところかい?」

「ええ」

 戦乱が長引けば、難民団の被る損害は時間に比例して大きくなる。パルミラのためにも、難民団のためにも、一撃で敵の息の根を止めなければならない。

 出来ればこんな荒事になってほしくなかった。頭を突っ込むなど、カナンにとってはまっぴらごめんだったが、戦争が起きてしまった時点で手を引くという選択肢は消滅している。

「突っ込むのは良いけど、何か案はあるのか? そもそもウドゥグの剣をどうするかだって決まってないのに……」

「手ならあるさ。な?」

 ペトラとカナンはお互いに目くばせを交わした。胡乱気な表情で見ているサイモン達の前に、これまた緊張した面持ちのトビアを連れてくる。

 一斉に自分に注がれた視線に、トビアは一層身を固くした。ペトラは「切り札」という風に紹介してくれているが、誰も信じているようには見えない。

(それもそう、だよね……)

 大図書館でフィロラオスに攻略法を提示してもらい、確かに自分にしか出来ないことだと思った。ウドゥグの剣を破るには、風読みの間で受け継がれてきた風の魔法を用いるしかないのだと。

 イスラが不在の間、少しずつ魔法の練習をしてはいたが、こんな重大な局面で求められるとは思ってもみなかった。

「そんな子供が切り札? 冗談も休み休み言ってくれ」

 一際きつい物言いをしたのは、無論、エリコのマスィルだった。

「貴女は?」

「マスィル。エリコの街の継火手だ。見たところ、お前も継火手のようだが……」

「カナンと言います、どうぞよしなに」

「その名前……そうか、お前が……」

 マスィルは、目の前にいる同じ継火手の娘をじろじろと眺めまわした。
 彼女の名前は良く知っている。パルミラに辿り着いた難民団の指導者であり、闇渡りを守火手に選んで煌都を飛び出した風変りな娘。ずっとエリコの防衛についていたため会う機会は無かったが、噂だけはいくつも耳に入ってきた。

 実際に目にすると、噂以上に奇妙な娘だと思った。旅人のような恰好は妙に板についているが、顔立ちや雰囲気、仕草、話し方に至るまで、野暮ったさとは全く無縁だ。物腰柔らかで、特に意識しなくても人に信頼される……そんな、ある種のカリスマを纏っている。

 闇渡りを守火手にするなど、どう考えても変人の所業だというのに、うっかり気を許しそうになってしまう。

 だが、そんなカナンを前にしても、マスィルの不審は拭われなかった。やはり闇渡りを味方に引き入れたという事実が受け入れがたい。イスラの粗野な振る舞いを知っているだけに、易々と彼女を信じる気にはなれなかった。
 それに、カナン自身も相当奇妙なことを言っている。聞けば難民団の戦力だけで敵の首領を討ち取るだの、魔剣を無力化する切り札があるだの、おまけに肝心の切り札は十三、四程度の小奇麗な少年ときている。これで頭から信じる方がどうかしている。

「これはパルミラ管区内の問題だ。難民団には十分働いてもらった。これ以上、首を突っ込む必要は無い」

「そういうわけにはいきません。戦乱が長引けば、その分私たちもパルミラに居づらくなってしまいます」

「それが本音か」

「ええ。今の私たちには、居場所が必要ですから」

 険しさを隠そうともしないマスィルに対して、カナンはどこまでもやんわりと対応した。強気で、いつもしかめっ面を浮かべているようなマスィルにとってはやりにくい相手だ。

 マスィル本人は気付いていなかったが、同じ継火手であるカナンにまで食って掛かったのは、知らず知らずのうちに宿った嫉妬心のためだった。自分が落ち着きの無い性格であることは自覚しているが、カナンはそれと正反対の性質を持っている。互いに継火手同士であるだけに、余計にその差異が浮き彫りになって見えたのだろう。
 無論、そんなことは誰にも言えないし、彼女自身、自覚する前に感情に蓋をしてしまった。だから、カナンに反発するのはあくまで「胡散臭い余所者の首領」としてである。

「……そちらにはそちらの事情があるのだろうが、下手な嘘で引っ掻き回されては困る。どこの誰とも分からないような子供を引っ張ってきて、切り札だと言い張るなんて……常識外れにもほどがある」

「あら、それなら魔剣だって常識外れのものですよ? 現に私たちの常識は通じなかったわけですし、それなら非常識な手をぶつけてみるのも良いと思いません?」

「そんな詭弁を……!」

「やめなよ、マスィル」

 それまで傍観していたヴィルニクが、ようやく彼女を止めに入った。

「君がカナンさんに突っかかってばかりだと、話が前に進まないだろ?」

「でもっ」

「でも、じゃないよ。言い合いをするくらいなら、まずはあちらさんの話を聞いてからでも、遅くはないんじゃないかな?」

 すみませんね、とヴィルニクは頭を下げる。カナンも「いえいえ」とおっとりした口調で返すが、緊張感も何もあったものではない。それまでマスィルの苛立ちにあてられてピリピリしていた空気が、にわかに弛緩してしまった。

 のけ者にされたマスィルは不満げに鼻を鳴らした。

「ヴィルニク、お前は誰の味方なんだ」

「もちろん君だよ、マスィル」

 そう言っておっとりと笑うヴィルニクには苛立ちを覚えるが、良く慣れた感覚でもあった。



◇◇◇



 カナンの口からウドゥグの剣の攻略法を聴いた時、ヴィルニクは誰よりも深く納得していた。
 エリコの攻防戦の折りに感じたいくつもの違和感。カナンの説明には、それらの疑問を解決させる点がいくつも含まれていた。

 あの時、連携も何も考えていないような闇渡り達が、風の動きだけは注意して見ていた。その理由も、ウドゥグの剣の特性から考えれば理解出来る。

「……そんな、信じられない」

 マスィルの声は震えていた。彼女は、魔剣の力を最も近くで見た人間だ。ヴィルニクが助けてくれなければ、他の継火手達と一緒に死んでいたかもしれない。それだけに、種明かしされた魔剣の正体に納得しきれないでいた。

「これはパルミラ大図書館館長の見解です。恐らく、都軍の上層部もこの意見に基づいて動くでしょう。
 我々は都軍の邪魔をすることはもちろん、功を欲する意図もありません。ただ、一刻も早くこの騒動を収めたい一念で動いています。
 マスィルさん。それからエリコの方々も、都軍に合流するならそうしていただいて結構です。でも、もし私たちと共闘しても良いと思うのなら……力を貸していただけませんか?」

 マスィルだけでなく、エリコの兵士達に向かって、カナンは頭を下げた。信頼されないのは仕方が無いと思うが、それなら精いっぱいの誠意を示すしかない。一番大切な目標を見誤らず、それのみを目指して行動出来ることが、カナンの長所だった。

 ここまで謙虚に頭を下げられたのでは、マスィルも邪険に出来なかった。それに、カナンの説明や風読みの少年を信用し切れないものの、突破口に成り得るものはそれ以外に無い。

「いい加減、折れたら良いんじゃないかな。マスィル?」

「……折れるも何も無い。私は最初から、敵の首魁を討つ心づもりだ」

 納得してもいないし、信じ切れてもいない。だが、あのサウルとかいう男の元に一直線に突っ込むなら、この連中と手を組むのも悪くはない。マスィルはそう考えることにした。

「良いだろう、私も協力する。お前たちの策が図に当たるならそれで良いし、失敗したならしたで、斬り倒せば良いだけだ」

「ありがとうございます、マスィルさん」

 カナンはホッと息を吐いた。固い結束、とは口が裂けても言えないが、ともかく味方を手に入れることが出来た。

「あとは地形ですね。サイモンさん、下調べに行きましょう」

「ああ、それなんだがな。ちょうど……」

 サイモンが口を開くのと同時に茂みが揺れた。カナンは反射的に杖を構えたが、現れたのはトビア以上に場違いなくらいの貴公子だった。

「失礼、驚かせてしまったようですね」

 カナンにとって見覚えのある人物だった。見覚えどころではない、あのギデオンと唯一互角に剣を交えた相手だ。

「オーディス・シャティオン卿?」

「いかにも。……私も、こんなところでお会いすることになるとは思いませんでした。八年ぶりですね」

 確かに彼と会ったのは八年前の武芸会だ。だが、ほんの二、三言葉を交わしただけだったため、印象は薄い。
 それ以上にカナンにとっては、彼がその後歩んだ運命の方が、重大な意味を持っていた。


 失敗に終わった救征軍の将として。


 そして、散華した聖女の守火手として。

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