闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百十節/燈台落とし】

 イスラは隊列を離れ、天井から吊るされた天火アトルに向かい一直線に駆けた。

 だが、その動きはすでに察知されていた。

「やはり裏切ったかァ!!」

 イスラの行動にいち早く気付いたアブネルが怒号とともに彼の後を追う。

 双方の唐突な行動に突入寸前の闇渡り達は戸惑ったが、大半は事前の命令に従い坑道へと入っていく。
だが、アブネル直属の部下ともなると、さすがに上司を置き去りにするようなことは無かった。

 アブネルを含め、計六人の闇渡りが階段を駆け上がって来る。だが、イスラは一瞥もくれずに天火の元へとたどり着き、それを吊るす鎖の一本めがけて剣を振り上げた。
 伐剣が閃くのと同時に鎖が断ち切れ、支えを失った台座が多きく揺れる。鉄同士がガシャガシャと音を立て、驚愕した闇渡り達の声が壁に反響した。

「貴様、正気か!?」

 アブネルだけでなく、居合わせた全ての闇渡りが目を見張った。イスラの行動の意図は明白。だが、この世界にあって何よりも神聖なものを奈落に叩き落とすなど、正気の沙汰ではない。

 そんな批難など歯牙にもかけず、イスラは残った五本の鎖を落としにかかる。返す刀でもう一本切ったところで、硬直が解けたアブネルが切りかかってきた。

「これ以上はやらせんぞ!」

「チッ」

 伐剣に伐剣がぶつかり火花を散らす。アブネルの怪力は凄まじく、イスラですら押し負けそうになるほどだ。靴がじりじりと滑り、踵が奈落の側に向かってはみ出る。

 だが、そんな力任せの攻撃など今のイスラにとっては問題にもならない。
 刀身を傾けて刃を滑らせ、アブネルの力を真横に受け流す。鍔迫り合いの状態から抜けるのと同時に態勢を低くし、アブネルの脇下をすり抜ける。

「っと」

 すかさず剣の柄でアブネルを突き飛ばし、奈落に向かって押し出す。

「なんだと……!?」

「……!」

 イスラは振り返らない。勢いを殺さず、アブネルの部下達に襲い掛かる。狭い石橋の上であることも手伝って、敵は数の利どころか身軽ささえ満足に活かせない。ほふるのは簡単だった。

 まずは一人。低い態勢のまま斬り掛かり、片膝を潰す。崩れ落ちるところに拳を叩き込み、後ろに続いた二人目、三人目に激突させる。その隙に乗じて一人叩き斬り、三人目の反撃を回避する。

「ぬああッ!!」

 立ち直ったアブネルが背後から斬り掛かってくる。前後から挟まれる形になるが、イスラは慌てなかった。

(攻撃線を読めば……!)

 アブネルは大上段から真っ直ぐに斬り下してくる。

 その軌道が見える。

 振り返りざま、伐剣の刀身に片手を添え衝撃に備える。轟音と共に一瞬、腕が痺れるほどの重量が掛かったが、そのまま刀身で刀身を滑らせる。斬撃と突進の勢いもそのままに、アブネルの剣は味方の身体に吸い込まれた。

「馬鹿な、二度も同じ手を!」

 味方を斬ったことよりも、全く同じ返し方をされたことの方が衝撃的だった。それはすなわち、アブネルの攻め手がイスラに通じないことを意味する。戦士として名を挙げてきた彼にとっては、これ以上無いほどの屈辱だった。

 イスラの隙を突くかのように残った一人の闇渡りが斬りかかってくる。しかし、剣を使うまでも無い。振り下ろそうとする腕を直接掴み、関節を捻り潰す。骨の折れる音ととも伐剣が手から離れ、零れ落ちる寸前でイスラが拾いなおした。
 斬る。一刀のもとに敵を斬り捨て、もう片方の伐剣でアブネルの左肩を刺す。うめき声が上がるが、浅かった。左肩に出来た血の染みもさして大きくはない。

 だが、アブネルの顔には、驚嘆と畏怖の感情がないまぜになって浮かんでいた。

(俺とて場数は踏んできたつもりだ。だがこいつは……まるで……!)

 長考を許すほどイスラは甘くなかった。二刀を振るい次々とアブネルに傷をつけていく。
 他の闇渡りも、アブネルの劣勢を理解してはいたが、手出し出来る状況ではなかった。イスラはあえてアブネルと密着し、弓を撃たせないように立ち回っている。かといって剣で斬りかかったところで、あの狭い足場では数の差など活かせない。アブネルの部下たちのように斬り捨てられるのがオチだ。

「ぐっ、貴様!」

 アブネルは良く耐え忍んでいたが、それだけだった。劣勢を覆そうにも、イスラの苛烈な攻撃の前では斬り返すことさえおぼつかない。何とか剣を弾き飛ばされないよう立ち回っていたが、足元に隙が出来た。

「そこ!」

 アブネルの膝頭を蹴りつける。砕くには至らないが、姿勢が傾く。斬撃を警戒して剣をかざすアブネルの腹に、イスラは強烈な蹴りを見舞った。

「うおおっ!?」

 完全に態勢を崩されたアブネルは階段を転がり落ちていく。とどめを刺すことも出来なくはなかったが、イスラは鎖の切断を優先した。

 アブネルが脱落したため、控えていた弓兵達が次々と矢を射かけてくる。それを避け、時には切り払いつつ、イスラは最後の一本を断ち切った。

 天火アトルを戴く台座は、聖なる炎を宿したまま暗闇の中へと吸い込まれていく。この世界の一部を数百年にわたって照らしてきた光は、あっという間に瘴土の闇の中に消えて見えなくなってしまった。

 感慨も罪の意識も無い。イスラにとって、燈台の価値などその程度のものだ。

 煌都の人間にしてみれば、傷つけずに回収したかったことだろう。恐らく、あの小さな光が無くなっただけで様々な問題が噴出するに違いない。
 それを考えるのは自分の仕事ではない。考えるべき者が考えれば良いと思う。そして、この戦いを制せなければ悩むことさえ出来ないのだ。

 暗闇に包まれた坑道に、地の底から異形の者達が這い上がってくる。最早進軍どころの騒ぎではない。誰もが、橋桁に取り付いて登ってくる夜魔と戦うのに必死になっていた。もう誰もイスラの姿を見ていない。

 イスラは橋の上に向かって飛び降りると、先発した闇渡り達を追って坑道に姿を消した。

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