闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第八十九節/エステルの誘い】

 都営銀行の一室、商人会議の面々が着座した円卓には、重々しい沈黙が垂れこめていた。難民団の責任者であるカナンとペトラ、事件の発見者であるイスラと現場の指揮官だったサイモンも召喚され円卓を囲んでいる。

 一同の視線は、円卓の中心に置かれた折れた権杖に向けられていた。亡き継火手に対する敬意を表して白い布の上に置かれているが、焼け焦げ真っ二つに折れた無残さは隠しようもない。

「この杖の持ち主……継火手ベルニケは、紛れもなく善人でした」

 最初に口を開いたのは倉庫貸しのニカノルだった。普段は紳士的な彼でさえ、その口調は怒りに震えている。

「少なくとも、そのような死に方がふさわしい人ではなかったはずだ」

 わざわざ辺境の村まで出向き、継火をするような祭司だったのだろう。カナンは出会ったことさえない継火手に親近感を抱いた。だが、彼女がどのような人間だったのか、自分の目で確かめることはもう出来ない。

「……村を襲ったのは闇渡りで間違いないのだろうな?」

 両替商のアナニアがイスラを睨みつける。まるで「お前が犯人ではないか?」と言わんがばかりの視線だ。だが、イスラは臆することなく「そうだ」と答えた。

「村の家からは家財が根こそぎ消えていた。闇渡りが集落や部落を襲う時の手口とそっくりだ。最初に大規模な攻撃があって、そのあとにおこぼれを拾おうとして出てきた連中を俺が殺した……こんなところだろうな」

「救助した娘からも裏付けは取れている。まあ、ずっと地下に隠れてやり過ごしていたそうだから、決定的な場面は見なかったそうだがな」

 補足を入れたサイモンは、ガシガシと頭を掻いた。せめて彼女が直接現場を見て入れば、こんなにややこしい事態にならなかったものを。もちろん、そんなことを考えても仕方が無いのだが。

「いやはや、にわかには信じられませんな。闇渡りが継火手を襲うなど……」

 穀物商バラクは、例によって昼食を食べながら会議に参加していたが、今はさすがに手も止まり勝ちだった。

 闇渡りは継火手を襲わない。襲撃の対象として、あまりに危険過ぎるからだ。

 常人を超えた身体能力に、武術の心得。そして敵を焼き尽くす天火アトルの力……いくら接近戦が得意な闇渡りでも、遠距離から法術を撃ち込まれては為す術がない。
 おまけに、たいていの場合彼女たちは守火手や衛兵を引き連れている。万一彼らを撃破し、継火手本人を殺害したとしても、今度は彼女らを擁していた煌都から徹底的に追撃されることになる。殺したところで、良いことが何一つ存在しないのだ。

「そう、確かにこの事件は奇妙です。彼ら闇渡りが継火手を殺したところで、良いことは何もない……そうなると、継火手を殺すことそのものに意義があったのではないでしょうか?」

 カナンの発言は至極最もだった。それに異を唱える者はいない。
 だが、その「意義」が何であるか説明することは、カナンにも出来なかった。

「意義、と言えば、村の天火が燈台ごと奪われていたことも気になります。台座が破壊されていたとか、そういうことはなかったのですね?」

「ああ。間違いなく台座ごと奪われてた。村の周りも探してみたけど、どこかに放り出されてるってことも無かったな」

「そうですか……」

 デメテリオは片手を頭に当てた。

 継火手が殺され、天火ごと燈台が盗まれる……パルミラとその周辺を預かる者としては、頭が痛いどころでは済まない問題だ。他の商人たちも全く同じ思いだった。

「このままでは埒が明かん! 今すぐ都軍を派遣し、周辺の闇渡りを一掃するのだ!!」

 アナニアが立ち上がり叫んだ。それに対して、すぐにニカノルが「それは時期尚早です」と諫めに入る。

「あまりに情報が少なすぎる。連中がどうやってベルニケ殿を殺したのかも分からないし、燈台を奪っていった理由も、住民の安否も、そもそも行き先自体全く不明ではないですか!」

「しかしこのままでは被害が広まるばかりだ! ほかの村が襲われない保証などどこにも無いのだぞ!」

「徒に軍を動かせば市民の間にも動揺が……」

 二人の言い争いは次第に加熱し、感情論のぶつけ合いになり始めていた。若手のデメテリオや気弱なバラクでは抑えが利かず、外様のカナンやペトラが割り込むことも出来ない。イスラやサイモンに至っては、顔を見合わせて肩を竦めている有様だ。

 このままでは生産性の無い口論がいつまでも続く……誰もがそう思った時、それまで黙っていたエステルが気だるげな、それでいて芯の通った声を放った。


「黙っておくんなんし」


 場が騒然としていただけに、妓館の主エステルの放った一言は冷水のように場の熱量を引き下げた。互いに指を突き付けて口論していたニカノルとアナニヤも、ばつの悪そうな表情で着座する。それを横目に見ながら、エステルは小さくあくびをした。

「あちきらの仕事は、パルミラにとって一番合理的な方法を決めることでありんす。ましてや、内輪もめを客人に見せるのは、商人としても褒められたことではありんせん」

 エステルの言葉は至極まっとうだった。冷や水を掛けられ、熱くなり過ぎていたことを自覚させられた二人は、ばつの悪そうな表情で腰を下ろす。デメテリオとバラクはホッと息を吐いた。

「確かに、エステルさんの言う通りです。しかし……我々にとって最も合理的な方法とは、一体どういうものなのでしょう?」

 デメテリオが尋ねると、エステルは待っていたと言わんばかりに答えた。

「一つの考えに固執するのは男の悪い癖でありんす。
 なんのことはありんせん。盗まれた天火や村人の捜索に、継火手殺しの手口の調査、両方とも一緒にいたしんしょう。前者は都軍と難民団で連携させて、後者は図書館のフィロラオス博士に依頼すればようござんす」

「ち、ちょっと待ってください! いきなりそんな計画に巻き込まれたら困ります!」

 急に槍玉にあげられたカナンは、慌てて制止の声を上げた。天火の捜索と銘打ってはいるが、実際には継火手を殺した闇渡りを追いかける危険な追跡任務だ。難民団の内部で意思決定もしていないのに、団員たちに命を張らせるわけにはいかない。

 だが、それはどこまでも彼女たちの都合だ。依頼主であるパルミラ側には、そんな事情を斟酌する必要など微塵もない。いや、それどころか都軍に余計な犠牲を出させないという点において、エステルの提案は確かに「合理的」なのだ。

 それに殺されたのではたまったものではないが。

「嫌がるのも無理はありんせん。でも、これはパルミラでの信用を跳ね上げる絶好の機会でありんす。それがどれだけ大切か……お嬢さんもご存じでござりんしょう」

「それは……」

「今度の事件、犯人が闇渡りということは、すでにパルミラ中の人間が知っていることでありんす。当然、闇渡りに対する風当たりも、これからもっと大きくなりんしょう。それを収めるためにも、お嬢さんと難民団に一肌脱いでもらうことは必要でありんす」

「…………」

 カナンは言い返せなかった。闇渡りの排除、ひいては難民団の追放の可能性は、十分考えられるものだったからだ。現に、商人会議の面子の視線は、闇渡りであるイスラの上に注がれている。

「お前がやれって言うなら、俺は一人でもやるぜ?」

 逡巡するカナンに向かって、イスラはぶっきらぼうに言い放った。

「そんな軽々しく言わないでください。私だって、難民団の皆に傷ついて欲しくはありません。それはイスラ、貴方も同じです」

「……そうか。まあ、お前がそう言うならそれで良い」

 イスラはそれ以上何も言わなかった。

「……カナン様。先ほどエステルさんの言った通り、我々からすればあまり都軍は動かしたくありません。それを覚えた上で、一度難民団に戻り審議をしていただけないでしょうか」

 ニカノルの提案に「分かりました」とだけ返すと、席を立った。

「すぐに戻って審議を始めます。では……」

「ちょいとお待ちを。お嬢さん、少しお話ししたいことがありんす。別室までついてきておくれなんし」

 席を立ったエステルは、扉の前に立っていたカナンの手を取る。困惑していると、ペトラに「行っておいで」と促された。

「会議の準備はあたしらでやっておくからさ。ゆっくり帰ってきなよ」

「お願いします」

 エステルに手を引かれるまま、カナンは部屋を出た。

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