闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百六節/裏道】

 王の宮殿へと招かれたイスラは、周囲から突き刺さる様々な視線を物ともせずに酒杯を傾けていた。あえてがっつくように食べ物に噛り付き、次の皿を持ってくるよう横柄に命じる。
 サウルは気前の良さを見せることが出来て満足なのか、気分良さげにイスラを眺めていた。

 食事の合間をぬいながら、サウルはイスラについての質問を次々と投げ掛けた。部族を失ったのはいつか、どうやって生き抜いて来たか、どんな敵と戦ったか……。

「女はどれくらい抱いた?」

「三人」

「少ないな。箔をつけるためにも、そこらで一人二人買って来い。何ならここにいるのを貸してやってもいいぞ」

 そんなサウルの言葉に、娼婦達はくすくすと笑い声を漏らした。皆若く美しい容姿をしているが、世慣れした印象を与える娘ばかりだ。男を楽しませる術も心得ているのだろう。

 だが、長くカナンと過ごしたせいか、今のイスラにはさして魅力的と映らなかった。

 相当入れ込んでいる……それを自覚するのは悔しかった。

「いや、遠慮しておく。それより戦の方が興味がある。早く戦いたい」

「頼もしいな。だがちょっと待て。今はまだ仕込みの段階だ」

「仕込み?」

「貴様、図に乗るなよ」

 興味深い話だったが、アブネルがそれを阻んだ。サウルが油断している分、彼が脇から目を光らせている。
 だが、これは是非とも知らなければならない情報だ。もしサウル達に秘策があるのなら、都軍が到着してもあっけなく敗北する可能性がある。そうなれば、パルミラまで闇渡りの軍勢を止めるものは存在しない。難民団の居留地など真っ先に狙われるだろう。

 ここは退けない。イスラは腹をくくった。元より多少の無茶は覚悟の上だ。

「そう言うなよ。俺は最初から、自分の腕試しがしたくて仲間になったんだ。あんたらに策があるのなら、一番危険な仕事を任せてくれ」

「……だ、そうだぜ? 良いんじゃねえか、教えても」

「頭、戯れはほどほどにしてくれ。こんな新参者に策を教える必要は無い。万一、敵の間者だったらどうする?」

 内心冷や汗をかいたが、イスラは逆に食ってかかった。

「おいおいおいおい、あんたこそ冗談言うなよ! 煌都の連中が、闇渡りに密偵をさせるわけ無いだろうが。そういうのは一番信用されてる奴の仕事だろ?」

「貴様は黙っていろ!」

だね。あんな連中と一列に並べられるなんざ反吐が出る」

「お前らそこまでにしておけ。せっかく新しい身内を迎えたんだ、喧嘩ばかりじゃつまらねえ。
 それに、ギデオンもこう申し出ているわけだし、例の通路の事なんざほとんど筒抜けになってら。教えたところで害は無ぇよ」

 酒が入っているせいか、あくまで楽天的なサウルに対してアブネルはなお不服そうな表情を浮かべていた。だが、ことさらに王と意見を戦わせるのも良くないという計算もあった。彼は無言のまま首を垂れると、半ばやけ気味に酒杯をあおった。

「さて、と。うるさ方も黙ったところで、一丁見学と行くか」


◇◇◇


 宮殿を通り抜け、松明の灯された通路を進むこと数分、イスラの目の前に広大な縦穴が表れた。
 とはいえ、大坑窟の桁違いの縦穴を見た後では、さすがに衝撃も薄れる。形だけは驚いて見せたが、内心イスラには別のことを考えるだけの余裕があった。

(ここも似てるな……)

 大坑窟に足を踏み入れた時、アラルト山脈の大発着場と似たような印象を受けた。底の見えない巨大な縦穴の途中に、何本もの橋や横穴が掘られている……地底の暗闇はどんよりと澱んでいて、足元から言いようの無い悪臭が立ち上っている。


 すぐ真下に、瘴土がある。


 まるで示し合わせたかのようだ。以前このような構造の場所を二度も見たというのに、よもや三度も出会うことになるとは思わなかった。

 これは偶然なのか、それとも自分には想像もつかないような理由が存在するのか……。

(今考えることじゃない、か)

 イスラは意識を切り替えた。
 サウルが彼をここに連れてきたのは、大地の深淵を覗かせるためではない。

 どちらかと言えば、この地下空間の天井に据えられた天火を見せたかったのだろう。

 ウルクの大坑窟と同じように、先日村から奪われた天火が、縦穴の天井付近で明々と輝いていた。その光の下では、連れ去られた人々や年老いた闇渡り達が、坑道を掘る仕事に駆り出されている。

「……あれが、分捕った天火ってやつか」

「そうだ。綺麗なモンだろ?」

 宝物という割に、天火を据える台座は貧相で、天火そのものも焚火程度の規模でしかない。それでも縦穴の上層部を照らし出せるのだから、天火がいかに強力な光を放つものか如実に語っている。
 台座は天井から吊るした数本の鎖によって固定されていた。そこに至る道は細い階段だけで、ほとんど宙に吊り下げられているような格好だ。

「……」

「どうした。言葉も出ないか?」

「いや……ああ、そうだ」

 イスラは適当に相槌を打ったが、サウルは意に介さなかった。もとより彼の反応など求めていないかのようだった。

「煌都の連中は、あんなに綺麗な物を独り占めしてやがる。俺たちにはその恩恵を少しも渡さずにな。これが不公平でないって言えるかよ?」

「今さらそんなことを言っても仕方が無いだろ。不公平なのが闇渡りってもんだ」

「ずいぶん枯れたことを言うな……だが俺は違うぞ!」

 サウルは熱を込めて怒鳴った。ウドゥグの剣を帯びごと外し、地底の暗闇の上で掲げて見せる。

「この剣さえあれば奴らに一泡吹かせてやることが出来る。この通路が完成すれば、都軍との戦いでも負けは無い」

「……どういうことだ?」

 危ない質問だということは自覚していた。現に、サウルの後ろに控えたアブネルは強くイスラを睨んだほどだ。
 だが、酔いの回った王はそんなことなど気にしない。むしろ悪戯の計画を思いついた悪童のように、嬉々として計画を語り始めた。

「間も無く煌都の連中がここに攻め寄せてくる。あれだけ派手にエリコを攻めたんだ、さすがに俺たちを討とうと動くだろさ。俺たちはそれをここで迎え撃つ」

「そいつは妙だな。俺たち闇渡りの本領と言ったら、森の中での戦いだろ? わざわざ引き籠ってどうするんだよ」

 イスラの指摘は的を射ていた。同時に、オーディスが懸念していた「城から出ての戦い」を彼らが考えていないことが驚きだ。
 闇渡りにとって最も有利な戦場は、言うまでもなく森の中だ。そもそも夜に慣れていない煌都の兵士達では相手にならないだろう。

 だが、サウルはイスラの疑問を一笑に付した。もとよりそんなことなど織り込み済み、それを理解した上で立てた作戦だと言うのだ。

「連中だって、俺たちが城籠りをするとは思っちゃいない。だからこそ面食らい、潜在一隅の機会を活かそうとするだろうさ。この廃鉱山を囲むように布陣すりゃあ、いくらでもやりようはある……そんな風に考えているだろう」

「別の作戦があるっていうのか?」

「ああ。昔に掘られた穴を利用して、表に出られるようなトンネルを造る。もちろん脱出用じゃない、都軍がここを包囲した時に、真後ろから強襲をかけるための穴だ。
 苦労したぜ、いかんせんここを掘るには天火がいるってんで、それを集めるところからだったもんなあ」

「……成程」

 奪われた天火の用途には興味があったが、全てはこのための布石だったのだ。たった一度の戦闘で都軍を殲滅するための布石として。

「面白いことを聞かせてもらった」

「なぁに、話のタネはまだまだある。戻って飲みなおそうぜ」

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