闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第五十五節/地底の遺物】

 長い坑道を抜けると、不意に空間が開けた。それまでは隊列全体を照らしていたカナンの天火アトルが、急に小さくなってしまったかのようだった。

 カナン一行の目の前に細い石造りの橋が架けられている。それは大坑窟の奈落を股にかけて、反対側にある円筒状の巨大な構造物へと繋がっていた。建物は、どうやら天然の岩棚の上に造られているようで、それを載せている岩にしても、一体どこから生えているのか分からない。

 建物の上部には木の枝のような物が無数に伸びている。遠いので具体的な大きさは分からないが、恐らく人が歩けるだけの幅はあるだろう。
 人工の枝は縦穴の上層に向かって伸び、そこに浮かんでいるいくつもの円形構造物に接続されていた。

「ここは……」

「あたしら岩堀族は、代々『動力塔』って呼んでる。ここまでの道は調査が済んでるけど……あの建物だけは、内部調査が済んでない。最後に稼働したのは、バルナバ爺さんが生まれる前だって」

「旧世界の遺物、ですね」

「ああ。でも、あそこの中にある装置を起動させれば、転移魔法陣を再起動させることが出来る。それだけは確かだ。
それに、説明書だってちゃんと持ってきたからね。頼りにしておくれ?」

 そう言って、ペトラは背中に括り付けた古書をポンポンと叩いた。

「問題は中に入ってからだぜ。以前、内部調査に送り込んだ連中は、一人も帰ってこなかった。どんな奴が潜んでいるか分からねえし、下手すりゃ夜魔だって出て来る。アテにしてるぜ、継火手さん」

「……はい」

 カナンは杖を強く握り締めた。

 サイモンは全員に抜刀を促し、先頭に立って橋を渡り始めた。
 四方は瘴土の重く澱んだ闇に包まれている。逆さ宮殿から垂れ下がる黒い天火でさえ、星明かりのように微かな光でしかなかった。カナンは深海はおろか、砂浜さえ見たことが無いが、書物に描かれた海獣レヴィアタンの棲む世界とは如此かくのごとくかもしれない。

 橋を渡り切った一行の前に両開きの大きな扉が現れた。建物の壁面と同じように、扉もまた鏡のように滑らかな造りになっていて、いったいどのような工作技術をもってすればこのように仕上げられるのか疑問が湧いてくる。

「ペトラ」

「あいよっ」

 ペトラは小さな手でペタペタと扉を触り、やがて目的の場所を探し当てると、背中の本を置いて呪文を唱え始めた。

「ちょーっとばかし、時間をおくれよ……」

 呪文に応じるかのように、扉に幾何学的な文様が浮かび上がる。カナンにはそれが、自分が法術を使う際に現れるものと同じに見えた。もちろん図形は異なるが、使われている文字は同じ物だ。
 光る文様は、水が染み渡るようにゆっくりと扉の表面を満たしていく。その光景に誰もが目を奪われていたせいだろう、敵の襲撃への反応が遅れた。

 集団の後ろの方から悲鳴が上がる。周囲を警戒していた剣士の首筋に、巨大な蛾のような生物が取り付いていた。

「わっ、うわあああっ!?」

「馬鹿、落ち着け!」

 怒鳴るサイモンを横目に、細剣を抜いたカナンは狙い澄ました刺突で蛾の胴体を貫いた。ギイィ! という腐った木戸のような悲鳴を上げつつ、蛾は絶命した。

「大丈夫ですか!?」

 カナンは倒れた兵士の傍に駆け寄ると、首筋に出来た咬み傷に天火の光を当てた。幸い傷は浅く、彼女の天火だけで十分に傷を癒すことが出来た。

「あ、ありがとう、助かった……」

 剣士は上ずった声で礼を言った。カナンは肩からホッと力を抜く。

「サイモンさん、この生き物は何ですか」

「俺たちは白妖蛾ウォーンゴーストって呼んでる」

 カナンは杖の先で白妖蛾の死体を転がしてみた。名前の通り全身が白く、口吻に当たる部分には牙が生えていて、それで敵の皮膚を切り裂き血を啜るのだ。

「気をつけろ、こいつが一匹出て来たってことは……!」

 サイモンの言葉が終わらないうちに、無数の羽音が闇の中に響き渡った。
 皆が顔を上げると、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの白い蛾たちが空中に渦を作っていた。それらがキィキィと音を立て、牙を突き立てようと狙いをつけている。

「畜生、何て数だ!」

「こんなの防ぎきれねえよ!」

 浮き足立った男たちが悲鳴を上げる。サイモンは「ビビるな!」と叱咤しているが、瘴土の中で一度恐怖に囚われれば、逃れる術は無い。

 隊列の別の場所からも悲鳴が上がる。橋の上や崖の下に現れた夜魔たちが、恐怖を煽るようにゆっくりと接近してくる。しかも、そのうち三体が上位種のグレゴリだ。

「もうちょっと保たせておくれ! 頑張って開けるから!」

「保たせろったって、この数じゃ……!」

 カナンは杖の石突きで地面を叩いた。

 慌てふためいていた一行の視線が、彼女に吸い寄せられる。

「天を去られし神よ、汝が力を振るうことを許し給え。我に御怒りの代行者たる権威を与えよ」

 カナンの杖の先端から炎が燃え上がり、展開した魔法陣が不可思議な文様を浮かび上がらせる。

「我が蒼炎よ、焔の翼となり災厄を祓え、飛べよ霊鳥! 翼天使の鳩アラエルズ・ダヴズ!」

 カナンが杖を振るうと、飛び散った火の粉が鳥の姿を成して白妖蛾たちに襲い掛かった。蒼い翼は蛾の薄羽を引き裂き、次々と火達磨に変えていく。一発当たりの威力が低い代わりに、広範囲の敵を殲滅出来るため、今の状況には最も適している。

 だが、白妖蛾の雲は少しも晴れない。一時的に穴を開けても、すぐに埋められてしまう。
 数匹の蛾がカナンに向かって急降下して来た。彼女は杖を振ってそれらを叩き落とすが、きりが無い。

「なら、もう一撃……!」

「カナンさん、待って!」

 カナンの動きを制したのは、オルファたちに混ざって矢を射っていたトビアだ。トビアは矢を背負い直し、刺青の入れられた両手を高く掲げた。

「トビアさん!? ここでは、風霊は」

「大丈夫、任せてください!」

 言うなり、トビアは詠唱を始めた。

「空に踊る者たち、風の眷属よ! 契約に従い、刃となれ!」

 魔術の刺青が若葉色の光を放ち、緑風がその周囲に渦巻いている。「行けっ!」トビアが命じると同時に、無数の風の刃が白妖蛾に向かって放たれた。
 トビアの未熟さもあってか、威力はカナンのそれよりも低いが、貧弱な敵には十分だった。
 不可解なのは、トビアがどこから風を捉えたのか、ということだ。

「簡単です、カナンさんの力を借りたんですよ」

「ああ!」

 カナンは両手を打った。
 トビアがしたことは実に単純で、カナンの術で生じた気流の乱れを風読みの魔法で取りまとめただけなのだ。

 確かに威力は低いし、攻撃範囲もカナンの術とさほど変わらない。だが、法術から派生して技を出せるというのは、今までに考えたことも無い利点だった。

「上空の敵は僕が引き受けます! カナンさんは夜魔を狙ってください!」

 カナンはコクリと頷いた。隣では「やるじゃん、少年!」と快哉を上げたオルファが、トビアの肩をど突いている。

 カナンは冷静に周囲の状況を観察した。

 ペトラによる扉の解鍵は、およそ半分ほどまで来ている。逆に言えばまだそれだけの時間を稼がなければならない。地上の夜魔にはサイモンらが応戦しているが、さすがにグレゴリが三体もいるのでは、戦線の維持は難しそうだ。上空の蛾もトビアが抑えてはいるが、カナンの術の名残りが消えれば、必然的に術を維持出来なくなってしまう。

 だから、今自分が打てる最適解は、グレゴリになるべく爆風の生じる術をぶつけることだ。

「あまり使いたくない術だけど…………我が蒼炎よ、破邪の拳となりあだを砕け、唸れ剛腕! 裁天使の殴打ラグエルズ・ビート!」

 カナンは両手の杖と剣を頭上に掲げ詠唱する。二つの武器の間に魔法陣が現れたかと思うと、その中から拳のような形をとった炎弾が発射された。蒼炎の拳は暴れまわっていたグレゴリの一体に直撃し、巨大な爆風によって周囲の夜魔もろとも木っ端微塵に吹き飛ばした。灰交じりの風がカナンの髪を揺らす。
 すかさずトビアはその爆風を捉えて術へと転化させた。

「いっけぇ!」

 勢いを取り戻した風が白妖蛾を次々と叩き落していく。そちらに気を取られているトビアは、どうしても守りがおろそかになったが、そこはオルファたちがカバーした。夜魔相手でも果敢に立ち向かい、二人一組、時には三人一組で確実に敵を倒していく。
 その様子を横目で見ていたカナンは、トビアを彼らに任せ、自分は残った二体のグレゴリに向かって突撃した。

「ハアアッ!」

 裂帛の気合とともに、低い体勢で突進する。突き出された三叉槍を杖で弾き、懐に飛び込んで真横に一閃。グレゴリがわずかに後ずさったため致命傷にはならなかったが、カナンは即座に二の太刀を振るった。横薙ぎの勢いに身を任せつつ膝を曲げ、グレゴリの両足首を杖で払う。上体に比して細い関節では耐え切れず、グレゴリの巨体が音を立てて倒れた。
 彼女に向かって別の一体が突進してくるが、カナンは冷静にその場から飛び退った。無論、止め刺すことを忘れてはいない。後退と同時に細剣に天火をまとわせ、投擲。細剣の切っ先はあやまたず夜魔の頭部を貫き、全身を灰に変えた。

 杖だけとなったカナンは、それでも少しも不利になったとは思っていない。

 手の中で杖を回転させ、槍のような両手持ちの構えに持ち替える。奇しくも槍対槍という恰好だ。射程や体格に圧倒的な差があるにも関わらず、カナンの表情は坑道を歩いていた時よりも平然としている。
 スゥと息を吸い込み、カナンはグレゴリに先んじて突進した。
 グレゴリの槍が真正面から迫る。三叉槍であるぶん、普通の槍に比べて突きの範囲が広く、見た目にも威圧感がある。だが、カナンは冷静にそれを捌いた。穂と穂の間に杖の先端を絡め、外側に向けて捻る。カナンの手も絡まったような形になるが、石突きでグレゴリの腹を打撃し、ひるんだところに追撃を加える。

 右肩に一打、伸ばされた左腕をかわしつつ腹部に三連打、ぼろぼろに崩れたところに、中心――人間ならば心臓に当たる箇所――へ止めの一撃を叩き込む。

「……ふぅ」

 カナンが息を吐きつつ杖を回転させた時、そこにはすでに灰の小山しか残っていなかった。

「め、滅茶苦茶強ぇ……」

 サイモンが引き攣った笑いを浮かべながら言った。数人がかりでも勝てるか分からないグレゴリを一瞬で屠った事実は、にわかには受け入れられない。ましてや、ここに来るまでカナンの今一つ冴えない部分ばかり見ていたせいで、内心彼女を侮ってもいた。それが一気に裏切られた形だ。

「これで時間は稼げたはず……ペトラさん!」

「よっしゃ、一丁上がりっ!」

 ペトラが快哉を上げるのと同時に、扉が音を立てて開いた。「先に行って!」剣を拾い上げたカナンは、最後尾に立って夜魔を迎撃する。最後の一人が中に入るのを確認してから、カナンは行きがけの駄賃とばかりに、最後の法術を詠唱する。

「我が蒼炎よ、御怒りの奔流となり悪を滅せよ、出でよ断罪の光! 能天使の閃光エクシアス・ブレイズ!」

 杖の先端に生じた閃光の柱を、左から右へ薙ぎ払う。数十体の夜魔を灰に変えたカナンは、閉じる寸前の扉に向かって飛び込んだ。


◇◇◇


 扉が閉じられた直後、イスラとギデオンは動力塔の真上に到達した。

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