闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第四十九節/潜行】

 麻薬商たちの後をつけて地下へと潜り込んだ二人は、目の前に広がる大坑窟の光景に圧倒された。滅多なことでは動揺しないイスラでさえ、呆然と口を開いて目の前の現実を受け入れようとしていた。

「狐を追って、獅子の巣穴にたどり着く……とはこのことだな」

 言葉の割にギデオンは平静としている。今は驚くより先に、やらなければならないことがある。

「問題はどうやって入り込むか、だが……」

 二人は麻薬商の使う馬車の荷台に隠れていた。後ろめたい商売をしているためか、馬車にはしっかりと幌が張られており、お陰で出発直前に乗り込むことも出来たのだ。
 ただ、どうやって降りるかまでは、あまり考えていなかった。外の様子も幌の隙間から何とか見えているような状態だ。

 馬車は大坑窟の壁面にらせん状に造られた道をゆっくりと下っていく。道はしっかりと舗装されているが、壁面までは手が回らなかったのか、岩石がむき出しのままになっていた。
 行く手には小さな関所があり、二つの物見櫓の上に一人ずつ不死隊アタナトイが配置されている。

「……今なら降りて逃げられる。どうする?」

「確かにこの場は凌げるだろうが、出口に向かったところで捕らえられるのが関の山だ。ここに来るまでに何人か眠らせて・・・・来たからな。奴らもそろそろ目覚めているころだろう」

 それに、とギデオンは続ける。

「ここで引き下がったのでは、何のために張り込みをしたのか分からん。何としても内部に入り、この地下空間の存在を立証出来る証拠を手に入れるぞ」

「……結構無茶することになるぜ?」

「ユディト様には 長丁場になると伝えてある。それに、私とて徒に命を賭けるような真似をする気は無い。……よし、降りるぞ」

 イスラが異議を唱えるより先に、ギデオンは音も立てずひらりと馬車から飛び降りた。イスラも仕方なく後に続く。
 二人は壁面から突き出た岩の陰に身を隠し、馬車が中に入っていくのを見送った。

「……外側への監視は、存外薄いな」

「ああ。閉じ込めるためって感じがする。けどな、いくら何でも関所破りは出来ないぜ? あの壁の裏側にどれだけ敵がいるか分からねえ」

「無論だ。……ふむ」

 ギデオンは岩肌に手を当て、天井を見上げた。

「行けるな」

「……まさか岩壁をよじ登って行く、とか言わねえよな?」

「それ以外に無かろう。何、これだけ突起が多ければ簡単なものだ。外套の色も闇に紛れているし、そもそも外側への光源がほとんど無い」

「そういう問題じゃなくてな……俺はいけるだろうけど、あんたはどうなんだ」

 イスラが言った時には、すでにギデオンは岩壁に両手足をかけて登り始めていた。しかも、イスラが予想していたよりずっと早く、あっという間に三ミトラ(約3メートル)も登ってしまった。

「やはり簡単だな。これだけ手掛かりが多ければ、荷物を背負っていても十分動ける」

「おいっ……たく、先々行きやがって」

 イスラは背負った荷袋の紐をしっかりと腹に縛り付け、腰に吊るした剣が抜けないようしっかりと鞘の奥まで押し込んだ。

 風読みの里で鍛えた伐剣は滝に落ちたときに無くしてしまったため、今はユディトの用意してくれたファルシオンを帯びている。刀身が切っ先に向かうにつれて広がっており、伐剣と重心の位置が似ている。用途も断ち切りを主眼としているため、普段使うのとほとんど同じ感覚で振ることが出来た。
 それでもまだ今ひとつ物足りない感じがする。馴染んだ重みよりもずいぶん軽く、刀身の分厚さにも不安が残る。何より、刺突に向いた形状には作られていないため、手数が減ってしまうのが痛かった。
 とはいえ、エルシャの祭司が持っていた剣なだけあって、仕上がりは上々の一振りだ。これに文句をつけてはさすがに贅沢というものである。

 イスラは剣が脚の動きを遮らないよう、鞘とベルトを結んでしっかりと固定した。両手に唾を吐きかけてこすり合わせ、それから岩に手を掛けギデオンの後を追った。

 ギデオンの言う通り、確かに岩壁は登りやすかった。日常的に木登りをしているし、アラルトの大発着場の戦いでは、垂直の壁にさえ手足を掛けて登って見せたのだ。この程度の岩壁など、闇渡りであるイスラにとっては階段を登るよりも簡単だった。

 登り始めると、すぐにギデオンに追いついた。彼も危なげのない登り方をしているが、それでも速さはイスラとは比べられない。すぐ真横まで迫ったイスラを見て「さすがだな」とギデオンは言った。

「崖登りで負けたとあっちゃ、闇渡りの名折れだ。それよりどうだ、降りられそうか?」

「見てみろ」

 ギデオンに促されて真下を見ると、そこに広がっていた光景にイスラは思わず岩を手放しそうになった。

 大坑窟の壁面に沿うようにして広大な農作地が広がっている。今はわずかな篝火しかないため全貌は分からないが、わずかに見える範囲だけでも下手な農村の規模を上回っている。その中には無論、地上に運び出される麻薬の畑もあるのだろう。
 農地は碁盤のように小さな通路によって区切られており、泥棒を監視するための兵士が定期的に巡回している。大坑窟の穴側にはいくつも粗末な小屋が立ち並んでおり、小作人たちの住居であることが窺い知れる。
 農作地は大坑窟の壁面に沿って作られているが、各区画からそれぞれ一本ずつ大きな橋が伸びており、天井から垂れ下がる逆さ宮殿へと吸い込まれている。その構図自体が、この地下世界の権力構造を可視化していた。

「こりゃとんでもねえ所に来ちまったな」

「同感だ」

「何か証拠が要るって言ったよな? どこかアテはあるのか?」

「望ましいのは麻薬の生産や出荷に関する書類だな。それと現物も抑えられれば良い。まずは麻薬の作られている畑を特定し、そこから何らかの書類を頂戴する」

「脱出は?」

「状況に応じて臨機応変に対応する」

「……つまり、行き当たりばったりってことか」

「そう言うな、行き当たりばったりもなかなか楽しいものだぞ?」

 振り返りながらギデオンは軽く笑った。この男がそんな表情を作るのは意外だったし、言葉の内容はなおさらだった。

「あんた、何かノリが変わってないか? あの姉ちゃんといた時と、全然別人みたいだ」

「……そうか」

 肯定とも否定ともとれるような、曖昧な言い方だった。ギデオンの表情は影に隠れて見えない。あるいは見えないようにしているのかもしれない。イスラが追求しようとしたときには、ギデオンは壁を降り始めていた。

「……ま、何も抱えてない奴なんていないか」

 義人のシモン曰く、秘密はその主が語るまで知ってはならない、とある。イスラはその格言に従うことにした。

 登りと同様、下りも容易だった。闇に紛れた二人の姿は兵士たちからは見えず、二人もまた、口を閉じ音を立てぬよう忍びながら動いた。

 だが、農地を抜けていくとなると事情は異なる。不死隊たちは逃亡者を許すまいと網を張っており、隠れられそうな場所ほど重点的に警邏が往来する。二人も壁から降りるまでは良かったが、麦畑の陰に身を隠してからは、動きたくても動けない状況に陥った。

「……これは、朝にならんと動けんな」

「もう一度壁伝いに移動するか?」

「それでは探し物も見つからん。さて……」

 ギデオンは周囲に視線を巡らせ、そしてある物に目をつけた。

「あれを使うか」

「闇渡りのイスラと蒼炎の御子」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く