闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第三十七節/夢見のトトゥ 上】

 突き出された剣を切り払ったイスラは、返す刀で黒衣の敵に斬撃を浴びせかけた。だが、相手の構えた小盾によって防がれ、表面にわずかに傷を作るに留まった。
 そんな攻防を、かれこれ十回近くは繰り返しただろうか。

 襲い掛かってきた数は五人。うち二人はカナンに任せ、イスラは残った三人を相手取っていた。すでに一人斬っており、足元には血まみれの死体が横たわっている。

 不気味な相手だ、とイスラは思った。

 腕前のことではない。確かに、各々が均一な技量を身に着けていて、それなりに連携もとって仕掛けてくるが、捌けないほどではなかった。
 問題はその装備だ。動きやすさを優先して作られた黒い衣装に、同じく黒く塗装した胸当てをつけている。全員が同じ装備を持っていて、右手に細身の曲刀、左手には熊の掌を模した小盾を構えている。先端部に爪がついているため、武器として使うことも想定されているのだろう。
 だが何よりも奇怪なのは、彼らがつけている鉄製の仮面だ。顔全体を覆うように出来ており、目と口の部分の通気口以外は完全に隠されている。全体に波打つような装飾が施されていて、全くの無表情に作られていないところが返って不気味さを助長している。

 そして、彼らは一言も喋らない。
 先ほどイスラが斬った一人にせよ、わずかにうめき声を漏らしただけで、言葉は一切発さなかった。それは残りの四人も同じで、腹に蹴りを喰らっても少しも怒号を発さない。何事も無かったかのように、平然と、全く同じ調子で攻撃を再開する。
 仮に彼らがゴーレムの一種とすれば合点もいっただろうが、イスラの伐剣には赤い血液がべっとりと付着している。

「糞、こいつら……!」

 調子が狂う。テンションが上がらないのだ。
 戦いにおいては苛烈な姿勢をとるイスラだが、だからこそ沈黙という名の武器は効果てきめんだった。

 人間であれ他の動物であれ、戦闘とは生命を危険に晒す行為だ。本能的、あるいは生理的に精神は高揚させられる。そして、その高揚感を最も掻き立てるものは他でもない、敵の「顔」や「声」に他ならないのだ。敵意をむき出しにされれば、それに乗せられる形でこちらも敵意を露わにする。だからこそ、軍隊は戦闘に際してときの声や軍楽隊を必要とするのである。

 ところが、命を狙われている状況にありながら、敵が全くの無口、無表情であれば?

 当然、精神的な高揚は起こらない。残るのは本能的な危機感のみだ。
 軍隊は言わずもがな、個人であっても腰が引ける。こちらがいくら声を出し、敵意をぶつけたところで、刃以外には何も返ってこないのだから。

 この静けさこそが不気味さの源で、なおかつ敵の最強の武器なのだと思い至った時、イスラの動きに隙が生じた。
 敵は、それを見逃すほどお人よしではない。一人が身をかがめて突っ込んでくる。

「チッ!」

 確かにイスラは調子を狂わせていた。動きにも今ひとつ精彩を欠く。
 以前の彼であれば、あるいはこの手応えの無さに困惑し、討ち取られていたかもしれない。

 だが、この時――イスラの身体は完璧な反応を見せた。

 剣の柄尻で相手の突きを叩き落とし、その腕で相手の左腕を下から押し上げた。敵の二つの攻撃を、右腕一本で防いで見せたのだ。
 相手の腹を蹴り飛ばして、追撃しようとしていた二人目と衝突させる。

「オオッ!!」

 咆哮とともに剣を構え、イスラは突っ込んだ。お前らが叫ばない分、俺が怒鳴ってやる。そんな気持ちもあったかもしれない。
 伐剣は二人の敵をまとめて貫いた。だが突進の衝撃はそれだけでは収まらず、二人分の身体を浮かせて壁に叩き付ける。
 もろくなっていた石壁が崩れ、二つの影を覆い隠す。そこから這い出てくるような気配は、最早無かった。

「……役に立ったな、防御術」

 転ばされただけの価値はあったとイスラは思った。

「っと、こうしちゃいられねえ」

 イスラは反転し、獲物に飛び掛かる虎さながらに残った二人の敵を薙ぎ倒した。
 二人相手で手こずったのかと思ったが、カナンの衣服には傷一つついていない。なるほど悪い癖が出たな、とイスラは思った。

「考えものだな」

 伐剣を振って血を払いながら、イスラは言った。

「……」

 彼の言葉の意味を察したカナンは俯いた。それを見たイスラは隣を通り過ぎながら右手を返し、小ぶりな尻をぴしゃりと叩いた。

「ひえっ!?」

 不意打ちに驚いたカナンは、その場でピョンと飛び上がった。

「イイもん持ってるじゃねえか」

「は、破廉恥!」

 イスラは非難の声には一瞥もくれず、カナンの尻を叩いたその手で今度はトビアの頬を叩いた。

「おい、いい加減にシャンとしろ」

「……イスラ、さん……どうして……」

 彼は少年の襟首をつかんで引き寄せ、額と額を打つける。「下らねえこと言うんじゃねえぞ」イスラは先回りして言った。

「大酔漢のダン曰く、ゲロは吐いても弱音は吐くな、だ。キツいのは分かるけどな、それで全部放り出すのは勿体無いだろうが」

「勿体……無い……? あなたがそれを言うんですか? 外の世界で散々苦しんだあなたが!?」

「だからだ。長生きしてりゃ、尻の引き締まった女と旅が出来るんだ。悪くねえぜ」

 背後でカナンが「んなっ!?」と奇声を上げたが無視した。我ながら、らしくない物言いをしているなと思いつつも、それでこの空気を解消出来るのなら道化役だって買って出るつもりだ。

「でも、僕なんて……」

 苦し気な表情を浮かべたままトビアは顔をそむける。が、その表情が途端に別の意味を含んだものに変わるのを、イスラは見逃さなかった。
 トビアの視線を追うよりも、イスラは彼の身体をかばうことを優先した。

 その右肩に、短い矢のような物が突き刺さる。

「イスラさん!」「イスラ!?」

 二人がそろって声を上げる。イスラは小さく舌打ちしてそれを引き抜く。チクリとしたくらいで、痛みはほとんど感じないが、だからこそ嫌な予感がした。
 手に取ってみると、それは矢というよりも針に近かった。イスラは危機感を強める。

「惜しい」

 声のした方に目を向けると、石柱の上に一人の男がかがみこんでいた。黒を基調としながらも、服の所々に緋色を配した独特の衣装を着ている。フリルの多さといい、広がった袖といい、まるで道化だ。何より顔の上半分を覆う黄金の仮面が、その印象をますます強めている。
 手には、イスラを撃つのに使ったであろう長い鉄製の吹き筒を持っていた。こちらにも金細工が施されている。

「そこの美しい少年を狙ったのだがね。もう追いかけるのも面倒だ」

 男は懐から、シムルグの頭部を模した大きな雁首を取り出し、吹き筒の先端にはめ込んだ。草は最初から入れてあるらしく、男は火口箱を使って手際よく着火した。
 もちろん、余裕を見せる相手とまともに付き合うイスラではない。カナンに合図し、トビアを連れて逃げようとするが、適わなかった。柱や崩れかけた壁の後ろから、先ほどと同じ鉄仮面を着けた黒衣の者たちが現れる。

 男は深く煙を吸い込み、ため息とも嘆息ともつかないような声でそれを吐き出した。

「行かせないよ。当たり前だろ? さてさて、そこのヌルいお嬢さんに六人の不死隊アタナトイの相手が務まるかな。これだけの数の差があれば、生け捕りだって出来るはずさ……ねえ?」

「おい、俺を忘れてるぞ」

「うん? ああ、お前……闇渡りはどうでもいいや。掃いて捨てるほどいるし、何の取柄もなさそうだし、何よりあの御方の趣味と合わない。でも一番厄介そうだから、僕がこの場で始末するよ」

 いかにも興味なさげに男は言った。しかし、敵から殺意が陽炎のように立ち昇るのをイスラは感じ取っていた。
 紫煙をまといながら男はふわりと降り立ち、懐から小瓶を取り出した。コルクには細い針が刺さっていて、中の液体に先端を浸している。
 男はそれを引き抜くと、首筋の血管に刺しつつ命じた。

「かかれ、不死隊アタナトイ。ただし傷一つつけるなよ」

 影が一斉に動き出す。

「カナン、トビア!」

「はい、こっちは……」

 すぐ真後ろで剣戟の音が聞こえ始めたが、無論振り返ってなどいられなかった。
 降り立った時と同じように、まるで風に吹かれたかのように男が接近し、純金製のシムルグの嘴を振り下ろしてきた。イスラはそれを受け止めるが、見た目や予想よりもずっと力が強い。

 否、確かに力は強いが、それ以上に自分が弱くなっている。

 その事実に気付いた瞬間、真横から飛んできた拳がイスラの頬を捉えた。
 踏ん張ることが出来ず、イスラはあっさり転がされる。

 もうイスラも、何が起きたか気付いていた。

「ヤクか……!」

「情緒の無い言い方をするんじゃあない……これは夢の世界の、鍵。だからあの御方は……僕に夢見のトトゥと名乗れと、そう仰せられた」

 トトゥは煙を吸い込み、惚けたように口を緩めながらそれ吐き出す。

「お前もせめて……この夢の中に沈めてから、滝に放り込んであげよう」

「闇渡りのイスラと蒼炎の御子」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く