闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【プロローグ】

 少女は歴史の中を旅をしていた。

 目の前を様々な風景が、まるで大河のように流れていく。

 少女は創世の瞬間に立ち会っていた。
 神の呟きとともに世界に光が現れ、天と地が分かたれる光景を見た。そして大海原から、この世のすべての生き物たちが這い出してきた。

 最後に出てきたのは、人間だった。

 時は流れ、地上は人間で溢れた。平原といわず、海辺といわず、あちこちに街や村が出来て、それをまかなうための広大な麦畑が拓かれていった。
 少女はその畑の間を歩き、あるいは賑わう市場を眺めた。鍛冶場ではすきくわが鍛えられたが、やがてそれは剣や槍の穂先へと変わっていった。

 まるで増えすぎた数を減らそうと欲するかのように、人々は争いを繰り返した。少女の見下ろす下で幾万もの人間が衝突し、騎兵の翻す旗が大地を埋め尽くした。
 陥落した都には火が放たれ、壮麗な城塞が炎にまかれる一方で、虐殺される民の悲鳴や連れ去られる女たちの嗚咽、勝利を喜ぶ兵士たちの鬨の声が入り混じり響き渡った。それは何度も何度も、地の果てから果てまで、あらゆる場所で常に行われた。

 やがて戦乱の時代が過ぎると、一つの巨大な帝国が出来上がった。と同時に、異質な力が世界に現れ始めた。人々はそれを「魔法」と呼んだ。

 魔法の力によって、人間の文明は飛躍的に発展した。不治の病が癒されるようになり、不毛の地を草木が覆うようになった。海水を真水に変え、天気を自在に操り、果ては命そのものにさえ手を加えるほどになった。

 だが、そのような人間の傲慢を神が赦すはずがなかった。
 神は人間に絶望し、世界を捨てた。少女は、神が太陽に覆いを掛けて、一切の光を奪うところを目の当たりにした。



 …………そして、永遠の夜が訪れた。
 


 最早、人々は栄華を保つことが出来なくなった。広大な都市は廃墟と化し、麦畑は木々と雑草に飲まれていった。市場からは活気が失われ、港に泊められた船は静かに朽ちていく。

 だが、一切の恵みが失われたわけではない。

 神は人間たちに、太陽の代わりとして天火アトルを授けた。

 人々は寄り集まり、神の炎を戴く大燈台ジグラートを築いた。闇に覆われた世界のなかで燈台の周りだけが人の住める場所となった。かつてほどではないものの、限られた居住圏で人々は作物を育て、商いをし、命をつないだ。

 だが文明が崩壊しようとも、人間は寛容にはならなかった。それどころか以前よりも一層狭量で排他的になり、公然と差別を行うようになった。

 都市の指導者たちは、一部の人間を不要と切り捨て、暗闇の中へと追放した。

 城門が開かれる。わずかな荷物とともに、背中を丸めた人々が光り輝く都から押し出される。少女はその後姿を見送った。

 また、視点が切り替わる。少女の想像力は暗い森を通り抜け、冷たい山脈を乗り越え、砂漠の砂の上を駆け抜けた。

 遠く、遠く、ここではないどこか。きっとあるはずの楽園エデンを求めて……。


◇◇◇


 目が覚める。長椅子の上に横たわっていた少女は身を起こし、毛布を払い落した。

 苦しくなるような夢だった。人間の歴史を学べば学ぶほど、その不毛さに虚しさを覚えてしまう。
 だが、これから自分のやろうとしていることも虚しい悪あがきに終わってしまうかもしれない。それを思うと、あまり見下したような考え方は出来ないな、と思う。

 少女の長椅子のそばには本が山のように積み上げられていた。四列の書架はすべて満杯になっていて、それでも収まりきらなかった本は床に直接置かれている。少女は素足のまま、本の塔を崩さないよう慎重に部屋の奥へと向かった。

 壁に一枚の地図が掛けてあった。少女はペンを持つと、『エルシャ』と書かれた点から一本の線を伸ばした。森を越え、山を越え、先へ先へと……やがてある一点にたどり着くと、少女はそこを丸で囲み『エデン』と書き込んだ。

「私は、必ず……」

 少女の手の平に、蒼い炎が生じた。羽ペンが炭に変わる。

 少女は手をかざし、今しがた線を引いたばかりの地図に火をつけた。蒼い炎は乾いた紙を即座に燃やし、灰へと変えていく。

 地図など無くとも良い。どこへ、どのように行くか、すべて頭の中に納まっている。必要なことはすべて憶えた。力の制御にはまだ不安があるが、時を逸するとこの街から出られなくなってしまう。今でも十分扱うことは出来るのだ。問題は無い、と言い聞かせる。


 だから、あと必要なのは、ついてきてくれる仲間だけだ。

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