絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第百九十七話 攻略作戦、終盤Ⅲ

 キャスカの言葉にアタナシウスは頷き、そして一歩後ろに下がった。それは即ちキャスカがこの戦いを好きにしてよい――そんな意味を孕んでいた。
 キャスカは溜め息を吐いて剣を構えた。

「どれぐらいぶりかしらね……。この剣にそれほどの量の血を吸い込ませるのは!」

 ニヤリと笑みを浮かべて、舌で刀身を舐めていく。別にこのことに何の意味もないように見えるが、これをすれば心が落ち着くのだという。
 そして、そのやり取りを少し遠くから眺めていたバックアップのメンバーは焦っていた。リーダーであったグランハルトがあっという間に一刀両断されてしまったのだ。
 このままだと勝ち目など、ない。誰がどう見ても敗北のヴィジョンしか見えなかった。それは避けねばならなかった。それはヴァリエイブルがこの戦争で勝利を治めるためには、非常に重要なことだ。

「……さて」

 キャスカは剣を持ち替えて、正面に剣を構えた。目を細めて、ターゲットを確認す。
 そして。
 キャスカの姿は視界から消えた。
 リミシアは何処に消えてしまったのか、辺りを見渡すが、もう遅かった。
 彼女の視界が大きく二つに割れたのだ。

「クーチカ」

 彼女はコックピットに乗っていたうさぎのぬいぐるみ――クーチカを抱き寄せた。もうダメな気がしたから、もう終わってしまうような気がしたから。弱気な彼女だったが、しかし、彼女は悲しかった。
 悲しい。
 悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい――!!
 辛かった。悔しかった。そんな感情の渦に巻き込まれながらも、彼女はたった一言呟いた。


 ――死にたくない。


 そして。
 リミシアの乗ったムラサメが、グランハルトの同様に、爆発した。
 そしてそれを切欠にして、キャスカは他のリリーファーも一刀両断した。真っ二つに別れたリリーファーはそのまま凡てが爆発した。

「……終わりましたよ、アタナシウス。これで構わないのでしょう?」
「あ。もう終わったのか?」

 アタナシウスは立ったまま眠っていた。器用な男だった。
 キャスカに言われ彼が目を開けると、そこは焼け野原だった。

「いち、にー、さん……。うん、きっちり全部破壊されてある。この感じからすると起動従士の身体は左右対称と言えるくらい綺麗に真っ二つ、といった形かな? やれやれ、君の技にはいつも惚れ惚れするよ」
「止してください、本心でもないことを。神は凡てお見通しであられている。嘘をつけばそれは神にはまるっとお見通しですよ」

 それを聞いてアタナシウスは笑った。
 気がつけば、もう日は沈んで夜になっていた。真ん丸とした月が彼らを空高くから眺めていた。
 ただそれだけの、なんてことはない。
 その月を眺めて、聖人と呼ばれる二人は、再びクリスタルタワーへと戻っていった。


 ◇◇◇


 その頃。
 クリスタルタワーを歩いていたフレイヤとアルジャーノンは『第一研究室』という場所にやって来た。外にかけられていた看板とは違うような気もするが、中にある埃の被った古い看板にはそう書いていたのでそれで間違いないのだろう。フレイヤはそんなことを思いながら、探索を続けていた。

「ねぇ、アルジャーノン。起動従士の着る服ってないかしら。無いなら女性用の衣服でも構わないのだけれど……」
「ないことはないはずだ。聖騎士団だって女性も居るからね。きっと何処かにあるはずだ、ほら」

 そう言ってアルジャーノンは指差した。そこにあったのはクローゼットだった。
 そのクローゼットには、『起動従士用衣服(改良を加えると判断されたものばかりであり、必ずしもその品質を保証したものではない)』とラベルが貼られていた。フレイヤは括弧書きの部分がとても気になっていたが、今のこの状況を変えるには、それしか方法が無かった。
 フレイヤはクローゼットの扉を開けた。そこには色とりどりの服が並べられていた。どうやら神に仕えているからといって質素にする必要も無いらしい。その服を見てフレイヤは溜め息を吐くと、彼女の目に最初に入った、オレンジを基調とした服を手に取った。彼女が前も着ていた服もオレンジが基調となっていた。別にオレンジが好きだというわけでもないが、何と無く今まで慣れ親しんでいた色を選んでしまったのだろう。

「ちょっと、アルジャーノン。着替えるから見張っていてくれない?」
「別に覗きなんてしないさ」
「いいから」

 フレイヤに念を押されて、アルジャーノンは後ろを向いた。即ち、ちょうど彼は入口の方を向いた形になる。
 視覚はそれで遮っても、聴覚は耳を塞がない限り聞こえてくるし嗅覚も鼻を摘ままなくては駄目だ。
 布が擦れる音、微かに匂う汗とそれに混じる血の匂い。そして呼吸の音。その他凡てが彼をそういうベクトルの想像へと誘わせるには充分すぎるものだった。
 アルジャーノンはそんなよこしまな想像をしてつばきを飲み込んだ。

「いいわよ」

 フレイヤの声を聞いて、アルジャーノンは振り返った。律儀にも前に着用していたボロボロとなっている服を折り畳んでいたフレイヤの姿がそこにはあった。彼女は初めて着たはずの服であったが、しかし彼女はすでにそれを着こなしていた。

「……この服、けっこういい感じね」

 彼女は服を一通り見てみて、言った。

「法王庁の研究班が開発した最新鋭の起動従士用制服、そのプロトタイプって書いてあるよ」

 アルジャーノンは机の上に散乱していたレポートを見て、そう彼女の言葉に答えた。
 フレイヤはそれを聞いて「ふうん……」とただ曖昧な答えをするだけだった。
 それはそれとして。
 彼女が乗っているリリーファー――ゼウスを探さねばならない。それを見つけてここから脱出することで、彼女は漸く安堵することが出来るのだから。
 意外にもあっさりとゼウスは見つかった。ゼウスは研究室に設置してあったのだ。まだ解体こそされていないようだったが、エンジンの幾らかが抜き取られていた。

「エンジンだけを先ずは調べようとでも思ったのかしらね……。全力は出せないけど、ここから退却することは出来る」

 彼女はコックピットに乗り込み、そう言った。
 その時だった。

「居たぞ、捕えろ!!」

 声が聞こえた。
 その声が法王庁の人間――彼女たちの敵であるということに気付くのに、彼女たちはそう時間を要さなかった。

「アルジャーノン!! 急いでリリーファーに乗り込め!! 私のコックピットでもいい!!」

 フレイヤは外部スピーカーを接続して、アルジャーノンに告げた。
 しかしアルジャーノンが彼女の言葉に、素直に従うことはなかった。アルジャーノンが向かったのは研究室の端にある機械だった。

「捕まえろ!! 裏切り者は殺せ!! リリーファーは機能を停止させろ!!」

 銃を構えている兵士たちは容赦なくアルジャーノンとゼウスに弾丸を撃ち込んでいく。ゼウスはリリーファーだからそんな攻撃屁でもない。
 だが、問題はアルジャーノンの方だ。彼は人間だ。いくらなんでも何発も弾丸を喰らえば、死んでしまう。
 彼は撃たれても撃たれても諦めることなく、何かを動かしていた。

『――聞こえるかい、フレイヤ』

 不意に、ゼウスのコックピットに声が聞こえた。
 それはほかでもないアルジャーノンの声だった。

「アルジャーノン、何をしている!! 急いでこちらに走ってこい!!」

 フレイヤはリリーファーコントローラを強く握って、『意志』をリリーファーに流し込む。
 だが。

『無駄だよ、フレイヤ。拘束具がエネルギーを奪っている。そしてその拘束具を外すのと、ゲートを開くのに僕は必要なんだ』
「ダメだ、アルジャーノン! お前のような人間が死んではいけない!」
『それは君だっていっしょだ! 君は平和のために戦っているんだろう。何か、強い意志のために戦っているのだろう。だったらそれは尊重すべきだ。僕のようなちっぽけな命でそれが守られるというのなら、安いもんだ』

 そう言ってアルジャーノンはスイッチを押した。
 ゼウスを拘束していたものは凡て外れ、それと同時にゲートは開かれた。
 ゆっくりとゆっくりと、壁が二つに割れて左右に動く。

「何がちっぽけな命だ! 命にちっぽけもクソもあるか!」

 フレイヤは涙を流していた。彼女がそれに気づいていたかどうかは――解らない。

『泣いてはいけないよ』

 アルジャーノンは声を聞いて、彼女が泣いているのだと理解した。そして、アルジャーノンの声が徐々に掠れていくのも、彼女は理解していた。
 もう――時間がない。
 決断するなら今だ。
 彼女はそう思って、リリーファーコントローラを強く握り締めた。
 その力は、今まで彼女がそれを握ってきた中で、一番強いものだった。

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