絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~
第百七十三話 思い
崇人はマーズの長い昔話を聴き終えて、直ぐに何かをいうことが出来なかった。
理由は幾つかあるが、一番大きなところは、整理がすぐにつかない――といったところだろう。マーズ・リッペンバーが、こんな若いのに落ち着いてこのような立場についているのだから、何かしらの修羅場は潜ってきたのだろう、などと崇人は他人行儀に考えていたが、いざその話を聞かされると胸が苦しくなるものである。
「タカトには、強い意志を持って欲しい」
マーズは、気が付けば涙を零していた。
「私はレティシアの死を、一度は受け入れることが出来なかった。けれど、ほかのみんなが……私を慰めてくれた。それで私はここにいる。一度はリリーファーに乗ることのできない時もあった。リリーファーに乗ろうとしたら、あの時の様子がフラッシュバックして、吐いたこともあった。けれど、私はそれを『受け入れて』、今ここにいるの」
「乗り越えるのではなく、受け入れた……と?」
「ええ」
マーズは頷く。
「受け入れていくことで、私はここにいる。忘れるのではないの。胸の中に、心の中に、レティシアはいる。あなたもそうでしょう?」
「――俺は」
崇人は思い出す。心の中にあった、『彼女』との記憶を。
笑っている彼女の表情。怒っている彼女の表情。一緒に食事をした風景。リリーファーに楽しそうに乗っている彼女の笑顔。凡て凡て凡て……。
凡てが崇人にとっては懐かしくて、凡てが崇人にとって失いたくない記憶だった。
「……俺は!」
エスティ・パロングという存在は、崇人にとって失いたくない存在だった。
エスティ・パロングに、崇人は、自覚しないうちに――惚れていたのだということに気づかされた。
「もしかしたら俺はそのことを自覚していたのかもしれない。もしかしたらエスティも俺の気持ちに気づいていたのかもしれない。でも、結果として、俺は気持ちを伝えることなく……彼女は死んだ」
「逃げるんじゃない。向き合うんだ。見捨てるんじゃない、立ち向かうんだ」
崇人はエスティのことが好きだった。
崇人はそれをずっと言えなかった。
「……」
崇人は気が付けば、目に涙を浮かべていた。そして、それが溢れる――。
「泣いてもいいんだよ、タカト」
そう言ったマーズの言葉に従って、崇人はマーズの胸に頭を載せた。
◇◇◇
そのころ、法王庁自治領自由都市ユースティティア。
その地下にある牢屋に、ひとりの少女が手首を手錠で固定されて、床に横たわっていた。
フレイヤ・アンダーバード。
バルタザール騎士団の騎士団長だ。しかし、今は法王庁自治領の有するリリーファー『聖騎士』に負けてしまい、この牢屋に閉じ込められていた。言うならば、今の彼女は奴隷という扱いになる。
しかしながら、それも一般兵士ならば――の話だ。彼女は起動従士。リリーファーを操る存在である。そんな彼女に、まともに奴隷のような身分を与えられるだろうか?
それに起動従士はリリーファーの技術を持っている。そのため、捕まってしまった起動従士はその国に拘束されている間世界的に人権を有さないことになっている。そういう国際条約があるのだ。締結されているのだ。そして、法王庁もまた例外ではなかった。
即ち今の彼女がヒト並みの保護を受けられる可能性など、微々たるものである。
だが、彼女は諦めていなかった。
確かに彼女はこの時点では人権が存在しない。しかしそれも他国に拘束されている間、である。
即ち、ここから脱出して、ヴァリエイブルに戻れることができれば――人権を回復することが可能となるのだ。
だが。
彼女は不安だった。脱出できるまでの間、何をされるか解らない。どんなことをされるのか解らない。現に牢獄に捕らわれて残虐な拷問を行われた起動従士が多く存在することを、フレイヤは知っていたからだ。
それを知っているからこそ、フレイヤは怖かったのだ。
そんな曖昧な心で起動従士としていいのか、ということも考えられるが、しかし起動従士というのは、国民が考えている以上に強い存在ではない。寧ろ弱い存在なのだ。人が考えている以上に、起動従士は弱くて、意気地無くて、哀しい存在なのだ。
だが、負けるわけにはいかなかった。
彼女はそんな強い意志を持って、ここから脱出するための術を、再び探るのであった。
◇◇◇
その頃、ヴァリエイブル連合王国首都、ヴァリス城地下にあるリリーファー倉庫。
そこにはカーネルから接収したムラサメと、ニュンパイが五機づつ出動準備に入っていて、その時を待っていた。
「……まさか、この時がやってくるとはね」
バックアップのひとり、レナ・メリーヘルクは白の手袋を装着しながら、そう呟いた。
バックアップは基本的に自分のリリーファーを持たない。その理由は『バックアップ』という名前からも解るとおり、第一起動従士と呼ばれる、常にリリーファーを操縦することができる存在に何かあったときに、漸くリリーファーに乗ることができる存在だ。そこで活躍することによって、第一起動従士に昇格することもある。
即ち、バックアップの彼らにとって、今このタイミングは狙うべきポイントということなのだ。
「張り切っているな、レナ」
そう声をかけたのはグランハルト・レーボックだった。彼もまたバックアップのひとりだ。
「張り切らないほうが変でしょう? 今回の任務は騎士団を探し出し回収する仕事になるけれど、それでいい成果を上げれば昇格できるんですから」
「そりゃそうだ」
そう言ってグランハルトは微笑む。
グランハルトはレナの肩に手を通し、小さく呟いた。
「……まあ、だからといって、そう肩に力を入れないほうがいいよ? 肩に力を入れると普段はできることもできなくなってしまうからね」
「解っているわよ」
その手を払って、レナは歩き出す。グランハルトは小さく溜息を吐きながら、彼女の後ろをついていった。
「ついてこないでよ」
「それは無理な相談だ。だって、君のいく目的地と僕のいく目的地が一緒なんだから。だって同じ『バックアップ』として出動を命じられたんだ。その者どうし、ちょっとは仲良くなろうぜ?」
「何が、仲良くなろう……よ。あんたみたいに女を消耗品のように変えていくやつと友達になろうとなんて思わないわ」
「君は別だよ。特別な存在さ」
「どうだか。あんたの言葉は上辺だけで信じられないのよね」
そんなやりとりをしながらレナとグランハルトは歩いていた。
レナとグランハルトのやりとりはバックアップ、いやヴァリス城の地下にいる人間ならば有名なことで、いつも起きたときは「ああ、またあの二人痴話喧嘩してるよ」などと噂をするのである。
そしてその噂はレナとグランハルトのほうにも入ってくる。グランハルトはそんなことどうでもよく、寧ろその噂が広がることで二人の関係が公式に認められるなどとおめでたい思考をしているが、レナは正反対だ。彼女としてはそんな事実無根な噂は徹底的に排除しておきたいし、流すのをやめてほしいと思うくらいだ。
だから噂が流れているのを、或いは彼女たちが通る時にヒソヒソ話をしている人間はいないかをいつも探しているのだ。そして見つけ次第カンカンに怒るのだ。「そんなに怒らなくていいのに、だって真実じゃない」などとうつつを抜かすグランハルトにもついでにお灸を据えるのが、もはやレナの日課になってしまっていた。
「……まったく、むかつくことね。むかつく連中だわ。こんな黴臭い地下で面白いことなんて限られているから、こういうことを見つけてはハイエナのようにまとわりつくのよね……。ああ、めんどくさいったらありゃしない……」
レナは呟きながら、ある部屋へとはいっていった。一歩遅れてグランハルトも入っていく。
理由は幾つかあるが、一番大きなところは、整理がすぐにつかない――といったところだろう。マーズ・リッペンバーが、こんな若いのに落ち着いてこのような立場についているのだから、何かしらの修羅場は潜ってきたのだろう、などと崇人は他人行儀に考えていたが、いざその話を聞かされると胸が苦しくなるものである。
「タカトには、強い意志を持って欲しい」
マーズは、気が付けば涙を零していた。
「私はレティシアの死を、一度は受け入れることが出来なかった。けれど、ほかのみんなが……私を慰めてくれた。それで私はここにいる。一度はリリーファーに乗ることのできない時もあった。リリーファーに乗ろうとしたら、あの時の様子がフラッシュバックして、吐いたこともあった。けれど、私はそれを『受け入れて』、今ここにいるの」
「乗り越えるのではなく、受け入れた……と?」
「ええ」
マーズは頷く。
「受け入れていくことで、私はここにいる。忘れるのではないの。胸の中に、心の中に、レティシアはいる。あなたもそうでしょう?」
「――俺は」
崇人は思い出す。心の中にあった、『彼女』との記憶を。
笑っている彼女の表情。怒っている彼女の表情。一緒に食事をした風景。リリーファーに楽しそうに乗っている彼女の笑顔。凡て凡て凡て……。
凡てが崇人にとっては懐かしくて、凡てが崇人にとって失いたくない記憶だった。
「……俺は!」
エスティ・パロングという存在は、崇人にとって失いたくない存在だった。
エスティ・パロングに、崇人は、自覚しないうちに――惚れていたのだということに気づかされた。
「もしかしたら俺はそのことを自覚していたのかもしれない。もしかしたらエスティも俺の気持ちに気づいていたのかもしれない。でも、結果として、俺は気持ちを伝えることなく……彼女は死んだ」
「逃げるんじゃない。向き合うんだ。見捨てるんじゃない、立ち向かうんだ」
崇人はエスティのことが好きだった。
崇人はそれをずっと言えなかった。
「……」
崇人は気が付けば、目に涙を浮かべていた。そして、それが溢れる――。
「泣いてもいいんだよ、タカト」
そう言ったマーズの言葉に従って、崇人はマーズの胸に頭を載せた。
◇◇◇
そのころ、法王庁自治領自由都市ユースティティア。
その地下にある牢屋に、ひとりの少女が手首を手錠で固定されて、床に横たわっていた。
フレイヤ・アンダーバード。
バルタザール騎士団の騎士団長だ。しかし、今は法王庁自治領の有するリリーファー『聖騎士』に負けてしまい、この牢屋に閉じ込められていた。言うならば、今の彼女は奴隷という扱いになる。
しかしながら、それも一般兵士ならば――の話だ。彼女は起動従士。リリーファーを操る存在である。そんな彼女に、まともに奴隷のような身分を与えられるだろうか?
それに起動従士はリリーファーの技術を持っている。そのため、捕まってしまった起動従士はその国に拘束されている間世界的に人権を有さないことになっている。そういう国際条約があるのだ。締結されているのだ。そして、法王庁もまた例外ではなかった。
即ち今の彼女がヒト並みの保護を受けられる可能性など、微々たるものである。
だが、彼女は諦めていなかった。
確かに彼女はこの時点では人権が存在しない。しかしそれも他国に拘束されている間、である。
即ち、ここから脱出して、ヴァリエイブルに戻れることができれば――人権を回復することが可能となるのだ。
だが。
彼女は不安だった。脱出できるまでの間、何をされるか解らない。どんなことをされるのか解らない。現に牢獄に捕らわれて残虐な拷問を行われた起動従士が多く存在することを、フレイヤは知っていたからだ。
それを知っているからこそ、フレイヤは怖かったのだ。
そんな曖昧な心で起動従士としていいのか、ということも考えられるが、しかし起動従士というのは、国民が考えている以上に強い存在ではない。寧ろ弱い存在なのだ。人が考えている以上に、起動従士は弱くて、意気地無くて、哀しい存在なのだ。
だが、負けるわけにはいかなかった。
彼女はそんな強い意志を持って、ここから脱出するための術を、再び探るのであった。
◇◇◇
その頃、ヴァリエイブル連合王国首都、ヴァリス城地下にあるリリーファー倉庫。
そこにはカーネルから接収したムラサメと、ニュンパイが五機づつ出動準備に入っていて、その時を待っていた。
「……まさか、この時がやってくるとはね」
バックアップのひとり、レナ・メリーヘルクは白の手袋を装着しながら、そう呟いた。
バックアップは基本的に自分のリリーファーを持たない。その理由は『バックアップ』という名前からも解るとおり、第一起動従士と呼ばれる、常にリリーファーを操縦することができる存在に何かあったときに、漸くリリーファーに乗ることができる存在だ。そこで活躍することによって、第一起動従士に昇格することもある。
即ち、バックアップの彼らにとって、今このタイミングは狙うべきポイントということなのだ。
「張り切っているな、レナ」
そう声をかけたのはグランハルト・レーボックだった。彼もまたバックアップのひとりだ。
「張り切らないほうが変でしょう? 今回の任務は騎士団を探し出し回収する仕事になるけれど、それでいい成果を上げれば昇格できるんですから」
「そりゃそうだ」
そう言ってグランハルトは微笑む。
グランハルトはレナの肩に手を通し、小さく呟いた。
「……まあ、だからといって、そう肩に力を入れないほうがいいよ? 肩に力を入れると普段はできることもできなくなってしまうからね」
「解っているわよ」
その手を払って、レナは歩き出す。グランハルトは小さく溜息を吐きながら、彼女の後ろをついていった。
「ついてこないでよ」
「それは無理な相談だ。だって、君のいく目的地と僕のいく目的地が一緒なんだから。だって同じ『バックアップ』として出動を命じられたんだ。その者どうし、ちょっとは仲良くなろうぜ?」
「何が、仲良くなろう……よ。あんたみたいに女を消耗品のように変えていくやつと友達になろうとなんて思わないわ」
「君は別だよ。特別な存在さ」
「どうだか。あんたの言葉は上辺だけで信じられないのよね」
そんなやりとりをしながらレナとグランハルトは歩いていた。
レナとグランハルトのやりとりはバックアップ、いやヴァリス城の地下にいる人間ならば有名なことで、いつも起きたときは「ああ、またあの二人痴話喧嘩してるよ」などと噂をするのである。
そしてその噂はレナとグランハルトのほうにも入ってくる。グランハルトはそんなことどうでもよく、寧ろその噂が広がることで二人の関係が公式に認められるなどとおめでたい思考をしているが、レナは正反対だ。彼女としてはそんな事実無根な噂は徹底的に排除しておきたいし、流すのをやめてほしいと思うくらいだ。
だから噂が流れているのを、或いは彼女たちが通る時にヒソヒソ話をしている人間はいないかをいつも探しているのだ。そして見つけ次第カンカンに怒るのだ。「そんなに怒らなくていいのに、だって真実じゃない」などとうつつを抜かすグランハルトにもついでにお灸を据えるのが、もはやレナの日課になってしまっていた。
「……まったく、むかつくことね。むかつく連中だわ。こんな黴臭い地下で面白いことなんて限られているから、こういうことを見つけてはハイエナのようにまとわりつくのよね……。ああ、めんどくさいったらありゃしない……」
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