絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第百二十九話 水中戦(後編)

 その頃、聖騎士421号と呼ばれるリリーファー内部では、起動従士が笑みを浮かべていた。
 笑っているのも当然のことだろう。あの女神マーズ・リッペンバーが慢心して、情報漏洩の危険があるにもかかわらず作戦を言っていくという初歩的なミスを犯した――それを見て笑う人間は居なかった。
 起動従士――レティーナ・ヴォクシーは笑っていた。その喜びを隠そうとしても口から笑みが溢れるのだ。

「作戦をいとも簡単に漏らすとは」

 慢心は身を滅ぼす。それは誰にだって言えるし、それに様々な分野では上手い人間の方が慢心しやすい――なんて言う言葉があるくらいだ。
 マーズが犯したミスはとても小さなミスだが、致命的なミスでもあった。
 それを使わない手はない。思う存分使ってしまった方が、或いはこの戦いの勝者が決まるということになるのだ。

『……作戦は以上。まぁ、簡単な話だから、無理に覚えなくていいかもね。或いは私の独断で構わないかもしれないし』

 どうやら作戦説明が終了したらしい。レティーナはそれを悟って強く頷いた。
 マーズは今強化ワイヤーを使って『聖騎士』を拘束する……そう言った。
 なら、ワイヤーさえ気にしていればいい。もっと言うならばアレスさえ気にしていれば何の問題もない。
 彼女はそう試算していた。

『……さて、それじゃあもう一つの問題に入りましょうか』

 マーズの声のトーンが変わったような気がした。

『どうした、マーズ。もう一つの問題とは何だ?』

 それにもヴァルベリーは予想外のことだった。
 それを聞いて、レティーナは耳をそばだてる。

『あぁ。それはたった一言だから聞きそびれないようにしてくれよ。…………誰がワイヤーを主に使うって言ったかどうか、私はそれだけが気になるのだよ』
『ワイヤーを?』
『そうだ、ワイヤーだ。ワイヤーの装備はしているが、私だけがそれを使うなんて一言も言っていないからな……その意味が解るか?』

 それを聞いてレティーナは身震いした。
 まさか、まさか、まさか。
 マーズはそれすらも仕組んでいた……とでもいうのだろうか? ただそれに気付かなかっただけではないのか。
 レティーナは様々な可能性を模索したのだが、

『……きっとこれの通信はまだ盗聴されているはずだ。気付かれないとでも思ったのか? ただの安っぽい手段だ。ヴァルベリーは随分身体を竦めているようだが……私には敵うわけがない』

 マーズは明確にレティーナのことを意識していた。
 終わった、終わってしまった。
 やはりマーズ・リッペンバーに敵うことなどなかったのだ。
 女神マーズ・リッペンバーは彼女の一手も二手も先を読んでいたのだ。
 そして。
 聖騎士0421号の身体がまるで何かに縛られたような、強い衝撃を受けた。
 これが先程の強化ワイヤーとやらなのだろうか。レティーナは考えるも具体的に行動を移すことが出来なかった。
 慢心は人の油断を招く――とは、まさにこれを言うのだとレティーナは感じながら、ただ動くこともせず、そのまま従った。


 ◇◇◇


 その頃。
 ヴァリエイブル連邦王国の首都にあるヴァリス総合病院の、ある病室にて。
 一人の少年が窓から外を眺めていた。

「どうだいタカト・オーノ。身体の調子は?」

 ノックもせずに入ってきたのはカルナ・スネイク、彼の主治医だった。
 彼女は医者のエキスパートでありどんなものでも治すことが出来る――そんなことすら言われていた。その彼女が「今回こそは危なかった」と言わしめたのがタカトだった。

「……まぁ、いいか悪いかと言われれば普通……と言ったところかな」
「そうか。まぁいい、これからリハビリの時間だ。少し遅れ気味だが、まぁ近いうちにはまた日常生活が送れるようになるぞ」

 そう言ってカルナは微笑んだ。

「あぁ」

 それに対して、崇人の反応は非常に淡白だった。
 崇人が目を覚ましてから約一ヶ月が経過したが、ずっと反応はこんな感じだった。
 すっかり魂が抜けてしまったようにも思えた。
 カルナはそれを『目の前で友人を亡くしてしまったことによる精神的ショックの影響』だと位置付けたが……ここまで治りが遅いのも珍しかった。

「……なあ、タカト・オーノ。少し外に出てみるのはどうだ?」

 カルナはそう言った。
 精神が荒んでいるのならば、外に出て様々なものを見るのもいい。
 それによって様々な影響を受けて、精神が回復していくことはよくある。
 だからそう促すために、言ったのだ。
 だが、崇人はそれに対してなんにも反応しなかった。

(症状は厳しいな……身体はもうすっかり治っているのに、精神がこの状態じゃあ、リリーファーに乗ることはおろか日常生活を送ることすら危うくなるかもしれない)

 カルナはそんなことを考えて踵を返し――外に出ようとした、その時だった。
 入口に、花束を持った女性が立っていた。
 茶がかった髪に顔には疲れが見えていたが、カルナを見ると微笑み、その疲れも幾分見えなくなる。

「すいません、ここは面会謝絶となっていまして」

 カルナが言うと、それに反して女性は病室に入っていく。

「あ、あの」

 カルナが止めようとするも、それよりも早く女性は崇人の前に立った。
 崇人は女性が来てもまだ窓から視線を戻そうとしなかった。

「……タカトくん、覚えているかしら」

 女性の声を聞いて、崇人は何かを思い出した。


 ――懐かしい、声だった。


 それを聞いて、涙がこみ上げてきて、思わず彼は振り返った。

「エスティ――――――!!」

 だが。

「……いいえ、違うわ」

 そこに立っていたのは、エスティではない。
 崇人はその顔を見て、思考が停止した。

「……久しぶりね。本当に久しぶり。一回きりだったと思うから、ちょうど一年くらいにはなるのかしら」

 そう言ってベッドの隣にある机に置かれている花瓶に花を入れていった。
 白い、小さな花だった。

「覚えているかしら、私の名前。リノーサという名前を、あなたは覚えている?」

 崇人はそれにゆっくりと頷く。
 それを見てリノーサはほっとため息をひとつついた。

「別に私は責めているわけじゃないの、タカトくん。あなたが目の前でエスティが死んでしまったのを見て、なんだというの? あなたが別に殺したわけでもないのに、そんなことをしていたらエスティがどう思うかしら?」
「リノーサさん、そうあんまり責めてはいけない」

 責めていない、とは言うが表現がそうなのだ。責めている風に本人が受け取ってしまえば精神はさらに荒んでしまい、悪化してしまう。そうなったら治すのがとても難しくなってしまう。
 カルナは必死だったが――あっさりとリノーサはその言葉に従い、一歩後退する。

「リノーサさん、あなたは」
「私はリノーサ・パロングといいます」

 それを聞いてカルナは凡てを理解した。マーズから聞いていたタカトの病状の原因が『友人であるエスティ・パロングの死を目の前で見てしまったから』ということを思い出したからだ。
 同じ苗字ということはリノーサはエスティの家族ということか――ひとりカルナは理解して、心の中で頷いた。

「パロングさん……ということは彼の親族ではないということですね?」
「ええ。そうです。ですが……どうしても彼に会いたかった、そう思って来ました」

 リノーサはそう言うと、カルナは顎を触りながら考える。
 カルナはガチガチに規則を守る人間だというわけではない。時にはルールを破ったりしている人間だ。だが、彼女はそれ以上に功績があるために帳消しされている、というのが現状だ。
 リノーサ・パロングがなぜタカトにお見舞いに来たのかは解らないのだが、その見舞いを邪魔するわけにもいかないだろう、と思ったカルナは、

「わかりました。それでは私はこれから少し席を外します。その間でしたら面会を許可しましょう」
「……ありがとうございます」

 そしてカルナは病室をあとにした。

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