絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第四十九話 魔法

 魔法。
 それは崇人の居た世界では存在しなかった学問。
 それは、この世界では一般的とされている学問。
 それは、かつて崇人の居た世界にもあった学問。
 そしてそれは、崇人の目の前でいとも簡単に実行されていた。

「……どうした? 魔法を見ておしっこちびっちまったか?!」

 ファルゴットは激昂する。
 崇人はその場を動けなかった。
 怯えていたわけではない。
 かといって、何か行動を立てようとしていたわけでもない。
 何も考えられなかっただけだった。

「……、」

 崇人はその場にただ立ち尽くすしかなかった。

「そうかい。そうかい。……それがあんたの決意って訳か」

 ファルゴットは、勝手に話を進める。

「そうすまし顔でいられるのも、何処までか見ものだね」

 そう言って、ファルゴットは右手を天に掲げた。
 ポケットから取り出したのは、小さな短冊だった。
 その短冊には細かな文字が書かれていた。そして、それを幾重にも重ね、右手に持つ。

「――響け!」

 たった、その一言だけだった。
 それだけだったのに。
 炎が、現れた。
 それは、炎で象られた龍だった。

「……これは」

 崇人は、それを見て呆然とし尽くすしかなかった。
 その様子を見て、ファルゴットはしたり顔で呟く。

「さあ、さっさと死んじゃいなよ。……ああ、でもダメなのか。殺しちゃダメって言ってたしなあ……。うーん、悩みどころではあるね」

 そう言うと、ぶつぶつとファルゴットは何か考え事を始めた。
 崇人にとっては、チャンスだった。
 直ぐに思考を再開させる。先ずは、あの炎の龍をどう対処するか、それが問題だった。
 相手は魔法のエキスパート――『魔女』といってもいい存在だ。対して、崇人は魔法に関してはドのつくほどの素人。その差は歴然だ。
 どうすれば、炎の龍を行動不能に陥らせることが出来るのか。
 それが、崇人にとっての難関だった。

「……まあ、いっか。消し炭にしない程度に甚振れば、問題もないっしょ」

 ファルゴットはそう軽い口調で呟くと、右手を崇人の居る方向に向けて伸ばした。
 それと同時に、龍は行動を開始した。
 龍はゆっくりとこちらに歩を進める。対して、崇人はそれをじっと見つめていた。
 怖いから、ではない。
 その場を、冷静に見極めるためである。

(一先ずは、あの龍の一撃を見なくちゃ話にならない。……待てよ? とすると、俺はまずあの龍の攻撃を最低一回は避けなきゃいけないってことか?)

 崇人は簡単に言っているが、常人にそんなことが出来るわけはない。
 そう、常人ならば、の話だが。

「そこで突っ立っちゃって。諦めた? もうちょい頑張ってくれると、なんとなく嬉しいんだけどなぁ……!!」

 ファルゴットはそんなことを言うと、小さく溜息をついた。
 そして。

「龍よ、その者を、焼き殺せ!!」

 その言葉は、崇人にとって若干予想外な言葉だった。
 なぜなら、先程自分で『シリーズに捕まえるよう命じられた』などと言っていたためだからだ。

「……おい! 二分前のお前の言葉を思い出してみろよ!」
「ぶっちゃけ目的とか任務とか、そんな堅苦しいこと大嫌いなのよねぇ」

 正直、そんなことを言われては元も子もない。
 そして、龍が崇人を取り囲んだ。

「――待て」

 その声を聞いて、崇人とファルゴットは振り返った。
 そこに立っていたのは、エスティだった。

「お仲間かい? まあ、別に子供の一人や二人増えたって消し炭になることには変わりないんだけどね」

 ファルゴットは呟くと、エスティの方を見たまま微笑んだ。
 しかし。
 ザグン!! とファルゴットの右手が容赦なく叩き切られた。
 それにはじめ、ファルゴットは吹き飛ばされた右手を見るまで、気付かなかった。

「……な?」

 それとともに、龍は統率を失い、その場にただ崩れていく。

「人の腕って、簡単に千切れるのね」

 エスティはうんざりしたような声で言った。
 エスティの話は続く。

「人間は強いとか言ってるけど、だったら肉食動物に簡単に引きちぎられたりはしない。結局、人間の身体は恐ろしい程に弱い。そのために、人間は技術を発達させたり、魔術やら何やらを行使したりした。だがね、それでも基本的な肉体フィジカルの強さは変わらなかった。
 人間ってのはそういう弱い生き物だよ。たとえ、あなたの羽織っているそのマントが魔装兵器の一つだとしても、ね」

 崇人にはエスティの言っていることが解らなかった。しかし、ファルゴットが舌打ちをして苦い表情を見せていることを鑑みると、どうやら敵方にとってはよくないことだったらしい。

「……魔装兵器だと、何故わかった?」

 ファルゴットは既に叩き切られてしまった、右手があった場所を抑えて言う。その場所からは、血は全く垂れていなかった。

「私が、貴方にそれを言う必要があるとでも?」

 エスティは髪をかき上げ、笑う。
 彼女の言うとおり、ファルゴットが羽織っていたマントは――魔装兵器『アイギス』だった。アイギスは絶対の強度を誇る『盾』だった。
 だが、今アイギスを羽織ったファルゴットは、その盾を使っていたにもかかわらず、腕を叩き切られていた。
 その事実を、彼女は一瞬飲み込めなかった。
 果たして、どういうことか。
 どうして、アイギスを持つファルゴットがいとも簡単に攻撃させられて、傷を負ってしまったのか。

「……まさか、あんた、魔法を使えるというのか!? 起動従士に魔法を使える人間など、聞いたこともない!」

 ファルゴットは恐れ戦いた口調で、そう言った。

「だって、私は起動従士じゃなくて、それを目指している人間だからね」

 それは戯言に過ぎなかった。
 だが、ファルゴットは、彼女がファルゴットに加えた攻撃こそが、魔法でしか証明出来ないと思っていた。だから、それは間違っていないと考えていた。

「……もういい、凡て、凡て! 死んでしまえばいいんだ!」

 そう言って、ファルゴットは残された左手で、短冊を幾枚か掲げた。

「遅い」

 ザグン!! と今度はファルゴットの左手が叩き切られた。

「うがあああああああああああああああ!!!!」

 ファルゴットは、血走った目でエスティを見つめる。エスティは涼しげな顔で、睨み返した。

「……これで終わりかしら?」

 エスティはそう呟いた。
 ファルゴットは倒れ、そのまま動かなくなった。

「弱いわね。……ったく、いったい何が起きているんだか……」
「それはこっちのセリフだ。エスティ、お前魔法使えるのか?」
「魔法? ……ああ、そうね。一応、ね。父親が魔法学者だったから、それで本を読んで齧ったくらいだけど。本格的に学んだ人には劣ると思うけど、それなりの魔法は使えるよ」

 先ほどの攻撃が魔法だとすれば、それは『それなり』に入るのだろうか――崇人はそんなことを考えたが、それは野暮なことだった。

「さて」

 エスティは伸びをして、呟く。

「急いで、アーデルハイトを追いかけなくちゃ、ね?」
「ああ、そうだな」

 崇人はそう言うと、再び走り出した。エスティもそれを見て、追いかけていった。
 崇人たちが離れていって、しばらく経ったとき。
 ファルゴットの死体がゆっくりと動き出し――立ち上がった。
 小さくため息をつくと、左手と右手があった場所から、新たに腕が生成された。

「……まさかあんな『隠し玉』があるだなんて。私も考えられなかったわ……、少し考えなくちゃね」

 そう言うと、ファルゴットも崇人たちの走っていった方向へと駆け出していった。

コメント

コメントを書く

「SF」の人気作品

書籍化作品