天井裏のウロボロス
Section1-5 香雅里ちゃんを弄り倒そうの会
葛木香雅里は困惑していた。
――私と秋幡紘也だけ残してなにをしろって言うのよ、夕亜?
隣に並んで同じように意味がわからず戸惑っている秋幡紘也を見る。彼も彼で妹や夕亜の行動の真意を考察しているようだが、皆目見当がつかない様子だ。
――ん? 私と秋幡紘也の二人だけ?
なにか嫌な予感が香雅里の脳裏を過る。
――秋幡紘也と、二人っきり……ッ!?
「まさか……」
一つの結論が導き出されて頬に熱が籠り始めた――瞬間、香雅里の携帯電話がメールの着信を知らせて小刻みに振動した。
夕亜からだった。
件名は『ファイト!』と一言だけ。非常に内容を見たくない気持ちに駆られるも、香雅里は恐る恐るメールを開いてみた。
『私たちのことは気にしなくていいから、そのまま彼とデートを楽しんじゃいなよYOU♪』
――やっぱりそういうことぉおッ!?
かぁあああああああっ! と瞬間湯沸かし器のように顔面が真っ赤になったのが自分でもわかった香雅里である。
「ん? どうした葛木? メールか?」
「なんでもないわ!?」
「お、おう……」
なにも気づいていない秋幡紘也がこちらを向いたので慌ててメールを閉じた。平常心平常心と自分に言い聞かせて隣の彼に気づかれないように何度も深呼吸をする。
「どうする? ここでみんなが戻るのを待ってるか?」
「そ、そうね。来るなって言われたけど、別にこっちから合流したって――」
と、再び携帯電話が振動した。
『お買い物に付き合わせるのよ、香雅里ちゃん。お洋服とかいいわね。私たちを待ってたり追いかけたりしちゃダメ。じゃないと……九歳の頃の夏』
「それより買いたいものがあるんだけど付き合ってくれるかしら秋幡紘也!?」
「え? ああ、まあ、いいけど」
――夕亜ぁああああああああああッ!?
まさか親友に脅される日が来るとは思わなかった。夕亜は親友なだけに香雅里の他人様には知られたくない黒歴史を幾つも知っているわけで……今度記憶操作の術式でそこら辺を綺麗に掃除しようかと真剣に悩み始める香雅里だった。
「それで、葛木が買いたいものって?」
「……服を」
「じゃあ五階かな」
今は、従う以外の選択肢がなかった。
∞
四階――玩具売り場前。
「ふふふ、指示通りお洋服売り場に向かったわね」
エスカレーターを登っていく二人の様子を、日下部夕亜は物陰に隠れて眺めていた。
「覗き見とは趣味が悪いですね、夕亜さん」
同じく二人を目で追いながら秋幡柚音が冗談混じりな口調で言った。
「君もノリノリじゃない。えっと、柚音ちゃんでいい?」
「いいですよ」
そんななにかで通じ合ったらしい夕亜と柚音に、美良山仁菜は一歩引いた位置からジト目で告げる。
「ちょっと、秋幡先輩と葛木先輩をくっつける気ですか? ダメですよ。秋幡先輩には孝一先輩がいるんですから」
「それは仁菜ちゃんの妄想の世界でしょ。仁菜ちゃんだってコウ兄の彼女名乗ってるわけだし」
「ぐ、いきなり現実を真顔で言われるとぐーの音しか出ない……」
「ほらほら、無駄話してたら見失っちゃうよ」
「そうですね。追いましょう!」
健全な女子高生らしい野次馬根性の二人がそそくさとターゲットを追いかけ始める。仕方なく美良山も後に続いた。
「お兄の様子だと女の子と付き合ったことなんてなさそうだし、香雅里さんもお兄に気があるみたいだし、ここは妹として一肌脱がないとね」
「本音は?」
「パパに面白い土産話ができそう」
「だよね!」
根幹部分はブレない柚音だった。
ちなみにアニメグッズ売り場を頑として動こうとしないケットシーと、そのお目付役を命じられたケツァルコアトルは――
「にゃー、ご主人たちはにゃんの話をしてるにゃ?」
「我々が口出しをしてはならないことでございます。ここでお待ちしておりましょう」
主人たちを追いかけるわけでもなく、関わってはいけないと本能的に悟ったのか四階に留まることにした。
∞
五階の洋服売り場に訪れた香雅里は、とある問題に直面していた。
「服って普通、どう選んで買えばいいのかしら……?」
色とりどりの洋服が陳列する店内に呆然と立ち尽くす。この無限とも思えるくらい多種多様な中から一体なにを選べばいいのか、香雅里にはさっぱりわからなかった。
いや、服を買ったことがないわけではない。ただ普段通りに選ぶと実に味気ないものになってしまうだろう。それではどこかで監視しているかもしれない夕亜を納得させられない。
自分で選べないのなら、いっそ――
「秋幡紘也はその、どんな服が好みかしら?」
「は?」
「ごめんなさいなんでもないわ! 聞かなかったことにして!」
それはダメだ。それだけはダメだ。彼が選んだ服を買って着て本人に見せるなど恥ずかしくて死ねる。さっきから顔が熱くて火が出そうだ。香雅里の得意な術式は氷雪系統なのに。
「なにか目当てがあったんじゃないのか?」
「えっと……目当てというか、いつも機能重視でオシャレなんて考えたことなかったから」
「つまりオシャレな服が欲しいのか?」
「や、ちがっ、そういうわけじゃなくってなんというかえっとその――あ、またメール!」
あたふたとした状況から逃れるように香雅里は携帯電話を手に取った。
『テンパってる香雅里ちゃんってば新鮮! おもしろーい!』
「踏み潰すわよ!?」
「どうした!?」
「なんでもないわ!?」
携帯電話を床に叩きつけたい衝動を必死に抑える。メールにはまだ続きがあったからだ。
『ダイジョーブダイジョーブ。手は打ったから。そこで待ってて』
これには香雅里も眉を顰めた。この状況を打破する策ということだろうか? だとすれば、やはり夕亜たちはどこかから自分たちを監視しているに違いない。
と――
「なにかお困りですか、お客様?」
背後から店員が声をかけてきた。同時に夕亜が打った策を理解する。店員にオススメしてもらえばなんの羞恥もなくこの場をクリアできるではないか。慌て過ぎてそんなことにも考えが至らなかった自分が情けない。
「ええ、実は――」
振り向いて、香雅里は固まった。
そこには確かに店員がいた。艶やかな黒髪にスラリとしたスタイル。肌は健康的なミルク色で、天真爛漫を絵に描いたような笑顔を浮かべる少女だ。
というか日下部夕亜だった。
「なにしてるのよ、夕亜?」
「人違いです」
「いや日下部だろ。店員の制服なんて着てなにやって――」
「ひ と ち が い!」
秋幡紘也も一発で気づいて問い詰めるも、夕亜は有無を言わさぬ強い口調で頑なに否定した。それからその辺にかけてあった商品を手に取り、香雅里に勧めてくる。
フリル過多のブラウスとミニスカートを。
「香雅里ちゃ――ケホンケホン! お客様にはこの服などとってもお似合いですよ!」
「待って!? そんなフリフリ私に似合うわけないでしょ!?」
全力で拒否する。が、商品は減るどころかさらに積み重なった。もう一人の店員(偽)の手によって。
「これとこれもあとこの辺り似合いそうですよお客様」
「ワオ! 柚音ちゃんナイスセレクト!」
「柚音までなにやってんの!?」
「人違いです」
やはりそこは否定するらしい。
もはや逃げ出すしか選択肢がないと判断するも――がっし、と右手を夕亜に、左手を柚音に掴まれる。
「「向こうに試着室がありますのでどうぞどうぞ♪」」
「着ないわよ!? あなたたちこんな勝手やってお店の人に怒られ――ってちょっ!? 引っ張るのをやめなさぁあああい!?」
∞
一方その頃、秋幡邸建設現場。
「ハッ! 今紘也くんがラブコメに巻き込まれる気配を感じました!」
「……でも被害を受けているのはマスターではない気がします」
《己らはなんの話をしておる?》
「あのう、姐さんたち、そろそろ設計図返してくれやせんか?」
∞
なにがなんだかわからない。
試着室の正面に設置された長椅子に座らされた紘也は、さっきから自分たちの身に起こる展開についていけなくなっていた。
「秋幡先輩、逃げないでくださいね。一応、見張りを頼まれてますので」
逃げ道を塞ぐように背後に立った美良山は、なんだかやる気なさげだった。溜息すらつきそうなその様子に、紘也は三人が入った広めの試着室を見詰めつつ問いを投げる。
「お前は向こうには参加しないんだな」
「ん~、あんまり乗る気分じゃないんですよねぇ。秋幡先輩と孝一先輩のカップリングだったらフィーバータイムのインフェルノなんですが」
「なに言ってんのかわからんしわかりたくないな」
夕亜と柚音の思惑については流石の紘也もなんとなく察しはついていた。これがウロたちだったならサミングの刑待ったなしなのだが、父親だったなら追加の魔力操作でぐっちゃぐちゃなのだが、そこまで紘也が強気に出れる相手じゃないため付き合うほかない。
美良山じゃなくても溜息が出そうだ。
「ちょっとやめてってば!? そんな可愛い服なんて」
「むむ、胸が足りない。柚音ちゃん、パッド」
「はい」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!?」
なにやら盛り上がっているらしい試着室のカーテンが、シャッ! とキレのいい音を立てて開いた。
「というわけでお披露目第一弾!」
満面の笑みで夕亜が告げると、柚音に押し出されるようにして商品を試着した香雅里が紘也の前に姿を現した。
「見ないで秋幡紘也!? お願いだから見ないで!? 似合ってないから!?」
顔を真っ赤にした涙目で訴える香雅里も珍しかったが、その服装は最初にオススメされたブラウスとミニスカートだ。フリルがこれでもかと装飾されたお姫様みたいな可愛い系である。
カガリ姫、爆誕。
なんて想像をしてしまった頭をぶんぶんと振り回し、紘也はなにかコメントせねばならぬ空気に必死に思考を働かせる。
・香雅里に同意して似合わないと言う。
▶・素直に似合っていると告げる。
・全く関係ないことを言ってお茶を濁す。
・突発的難聴症候群発動。
「いや、言うほど似合ってなくはないぞ。確かに葛木がそういう服着てるのは新鮮だが」
「んな!?」
ボン! と爆発音が聞こえそうなほど香雅里は一瞬で顔をより真っ赤にさせた。コメント選択肢間違えたのだろうか。
「はい次!」
口をパクパクさせてた香雅里が再び試着室へと引っ張り込まれ、カーテンが無慈悲に閉められた。
「――ってそれ胸元開き過ぎじゃない!?」
「ダイジョーブダイジョーブ! この『香雅里ちゃんを弄り倒そうの会』にまっかせなさい!」
「なに一つ任せられるネーミングじゃないわ!?」
「……柚音ちゃん、パッド」
「ラジャ」
「またなの!?」
そして第二ラウンドが開幕する。
カーテンを開いた夕亜は、殴りたくなるようなドヤ顔で――
「どうよ紘也君!」
「最初からだが正体隠す気欠片もないよな!?」
もうなんか店員を偽っている意味が微塵も感じられない。
「ハッキリ言って秋幡紘也!? 『これはない』って!?」
次に現れた香雅里は、Vネックの白いワンピースだった。夕亜が着ていたものよりも露出度が高く、涼しげなイメージの中に無垢な艶めかしさを感じさせる一品だった。
香雅里お嬢様と呼びたくなる。
ではなく、次は無難なコメントをしよう。
「……まあ、いいんじゃないか?」
「ふぁっ!?」
「どんどん行こう!」
まだ続くらしい。
「今度は体型にあまり左右されない生地がよく伸びるタイプにしようと思うの」
「胸なのね!? 胸のことなのね!?」
「これはそこまで大胆じゃないですよ。今までのネタと違って」
「やっぱりネタだったのね!? 覚えてなさいよあなたたち!?」
シャッ!
「はーい、第三ステージだよ!」
「もう、どうにでもして……」
げんなり、もといげっそりとした様子の香雅里は、スクエアネックのリブニットトップスとロングスカートを着せられていた。ピッタリしているがキツそうではなく、全体的にすっきりとした風に見える。
お姫様でもお嬢様でもない、普通のオシャレな女の子といった雰囲気だった。
「ほらお兄、コメント」
「あ、ああ、落ち着いた感じで似合ってるんじゃないか? さっきまでのよりは全然いいぞ」
「そ、そうかしら……?」
「ちょっと揺れたところで次行ってみよう!」
そうして、葛木香雅里のファッションショーは夕亜たちが店員に連行されて超怒られるまで続くのだった。
――私と秋幡紘也だけ残してなにをしろって言うのよ、夕亜?
隣に並んで同じように意味がわからず戸惑っている秋幡紘也を見る。彼も彼で妹や夕亜の行動の真意を考察しているようだが、皆目見当がつかない様子だ。
――ん? 私と秋幡紘也の二人だけ?
なにか嫌な予感が香雅里の脳裏を過る。
――秋幡紘也と、二人っきり……ッ!?
「まさか……」
一つの結論が導き出されて頬に熱が籠り始めた――瞬間、香雅里の携帯電話がメールの着信を知らせて小刻みに振動した。
夕亜からだった。
件名は『ファイト!』と一言だけ。非常に内容を見たくない気持ちに駆られるも、香雅里は恐る恐るメールを開いてみた。
『私たちのことは気にしなくていいから、そのまま彼とデートを楽しんじゃいなよYOU♪』
――やっぱりそういうことぉおッ!?
かぁあああああああっ! と瞬間湯沸かし器のように顔面が真っ赤になったのが自分でもわかった香雅里である。
「ん? どうした葛木? メールか?」
「なんでもないわ!?」
「お、おう……」
なにも気づいていない秋幡紘也がこちらを向いたので慌ててメールを閉じた。平常心平常心と自分に言い聞かせて隣の彼に気づかれないように何度も深呼吸をする。
「どうする? ここでみんなが戻るのを待ってるか?」
「そ、そうね。来るなって言われたけど、別にこっちから合流したって――」
と、再び携帯電話が振動した。
『お買い物に付き合わせるのよ、香雅里ちゃん。お洋服とかいいわね。私たちを待ってたり追いかけたりしちゃダメ。じゃないと……九歳の頃の夏』
「それより買いたいものがあるんだけど付き合ってくれるかしら秋幡紘也!?」
「え? ああ、まあ、いいけど」
――夕亜ぁああああああああああッ!?
まさか親友に脅される日が来るとは思わなかった。夕亜は親友なだけに香雅里の他人様には知られたくない黒歴史を幾つも知っているわけで……今度記憶操作の術式でそこら辺を綺麗に掃除しようかと真剣に悩み始める香雅里だった。
「それで、葛木が買いたいものって?」
「……服を」
「じゃあ五階かな」
今は、従う以外の選択肢がなかった。
∞
四階――玩具売り場前。
「ふふふ、指示通りお洋服売り場に向かったわね」
エスカレーターを登っていく二人の様子を、日下部夕亜は物陰に隠れて眺めていた。
「覗き見とは趣味が悪いですね、夕亜さん」
同じく二人を目で追いながら秋幡柚音が冗談混じりな口調で言った。
「君もノリノリじゃない。えっと、柚音ちゃんでいい?」
「いいですよ」
そんななにかで通じ合ったらしい夕亜と柚音に、美良山仁菜は一歩引いた位置からジト目で告げる。
「ちょっと、秋幡先輩と葛木先輩をくっつける気ですか? ダメですよ。秋幡先輩には孝一先輩がいるんですから」
「それは仁菜ちゃんの妄想の世界でしょ。仁菜ちゃんだってコウ兄の彼女名乗ってるわけだし」
「ぐ、いきなり現実を真顔で言われるとぐーの音しか出ない……」
「ほらほら、無駄話してたら見失っちゃうよ」
「そうですね。追いましょう!」
健全な女子高生らしい野次馬根性の二人がそそくさとターゲットを追いかけ始める。仕方なく美良山も後に続いた。
「お兄の様子だと女の子と付き合ったことなんてなさそうだし、香雅里さんもお兄に気があるみたいだし、ここは妹として一肌脱がないとね」
「本音は?」
「パパに面白い土産話ができそう」
「だよね!」
根幹部分はブレない柚音だった。
ちなみにアニメグッズ売り場を頑として動こうとしないケットシーと、そのお目付役を命じられたケツァルコアトルは――
「にゃー、ご主人たちはにゃんの話をしてるにゃ?」
「我々が口出しをしてはならないことでございます。ここでお待ちしておりましょう」
主人たちを追いかけるわけでもなく、関わってはいけないと本能的に悟ったのか四階に留まることにした。
∞
五階の洋服売り場に訪れた香雅里は、とある問題に直面していた。
「服って普通、どう選んで買えばいいのかしら……?」
色とりどりの洋服が陳列する店内に呆然と立ち尽くす。この無限とも思えるくらい多種多様な中から一体なにを選べばいいのか、香雅里にはさっぱりわからなかった。
いや、服を買ったことがないわけではない。ただ普段通りに選ぶと実に味気ないものになってしまうだろう。それではどこかで監視しているかもしれない夕亜を納得させられない。
自分で選べないのなら、いっそ――
「秋幡紘也はその、どんな服が好みかしら?」
「は?」
「ごめんなさいなんでもないわ! 聞かなかったことにして!」
それはダメだ。それだけはダメだ。彼が選んだ服を買って着て本人に見せるなど恥ずかしくて死ねる。さっきから顔が熱くて火が出そうだ。香雅里の得意な術式は氷雪系統なのに。
「なにか目当てがあったんじゃないのか?」
「えっと……目当てというか、いつも機能重視でオシャレなんて考えたことなかったから」
「つまりオシャレな服が欲しいのか?」
「や、ちがっ、そういうわけじゃなくってなんというかえっとその――あ、またメール!」
あたふたとした状況から逃れるように香雅里は携帯電話を手に取った。
『テンパってる香雅里ちゃんってば新鮮! おもしろーい!』
「踏み潰すわよ!?」
「どうした!?」
「なんでもないわ!?」
携帯電話を床に叩きつけたい衝動を必死に抑える。メールにはまだ続きがあったからだ。
『ダイジョーブダイジョーブ。手は打ったから。そこで待ってて』
これには香雅里も眉を顰めた。この状況を打破する策ということだろうか? だとすれば、やはり夕亜たちはどこかから自分たちを監視しているに違いない。
と――
「なにかお困りですか、お客様?」
背後から店員が声をかけてきた。同時に夕亜が打った策を理解する。店員にオススメしてもらえばなんの羞恥もなくこの場をクリアできるではないか。慌て過ぎてそんなことにも考えが至らなかった自分が情けない。
「ええ、実は――」
振り向いて、香雅里は固まった。
そこには確かに店員がいた。艶やかな黒髪にスラリとしたスタイル。肌は健康的なミルク色で、天真爛漫を絵に描いたような笑顔を浮かべる少女だ。
というか日下部夕亜だった。
「なにしてるのよ、夕亜?」
「人違いです」
「いや日下部だろ。店員の制服なんて着てなにやって――」
「ひ と ち が い!」
秋幡紘也も一発で気づいて問い詰めるも、夕亜は有無を言わさぬ強い口調で頑なに否定した。それからその辺にかけてあった商品を手に取り、香雅里に勧めてくる。
フリル過多のブラウスとミニスカートを。
「香雅里ちゃ――ケホンケホン! お客様にはこの服などとってもお似合いですよ!」
「待って!? そんなフリフリ私に似合うわけないでしょ!?」
全力で拒否する。が、商品は減るどころかさらに積み重なった。もう一人の店員(偽)の手によって。
「これとこれもあとこの辺り似合いそうですよお客様」
「ワオ! 柚音ちゃんナイスセレクト!」
「柚音までなにやってんの!?」
「人違いです」
やはりそこは否定するらしい。
もはや逃げ出すしか選択肢がないと判断するも――がっし、と右手を夕亜に、左手を柚音に掴まれる。
「「向こうに試着室がありますのでどうぞどうぞ♪」」
「着ないわよ!? あなたたちこんな勝手やってお店の人に怒られ――ってちょっ!? 引っ張るのをやめなさぁあああい!?」
∞
一方その頃、秋幡邸建設現場。
「ハッ! 今紘也くんがラブコメに巻き込まれる気配を感じました!」
「……でも被害を受けているのはマスターではない気がします」
《己らはなんの話をしておる?》
「あのう、姐さんたち、そろそろ設計図返してくれやせんか?」
∞
なにがなんだかわからない。
試着室の正面に設置された長椅子に座らされた紘也は、さっきから自分たちの身に起こる展開についていけなくなっていた。
「秋幡先輩、逃げないでくださいね。一応、見張りを頼まれてますので」
逃げ道を塞ぐように背後に立った美良山は、なんだかやる気なさげだった。溜息すらつきそうなその様子に、紘也は三人が入った広めの試着室を見詰めつつ問いを投げる。
「お前は向こうには参加しないんだな」
「ん~、あんまり乗る気分じゃないんですよねぇ。秋幡先輩と孝一先輩のカップリングだったらフィーバータイムのインフェルノなんですが」
「なに言ってんのかわからんしわかりたくないな」
夕亜と柚音の思惑については流石の紘也もなんとなく察しはついていた。これがウロたちだったならサミングの刑待ったなしなのだが、父親だったなら追加の魔力操作でぐっちゃぐちゃなのだが、そこまで紘也が強気に出れる相手じゃないため付き合うほかない。
美良山じゃなくても溜息が出そうだ。
「ちょっとやめてってば!? そんな可愛い服なんて」
「むむ、胸が足りない。柚音ちゃん、パッド」
「はい」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!?」
なにやら盛り上がっているらしい試着室のカーテンが、シャッ! とキレのいい音を立てて開いた。
「というわけでお披露目第一弾!」
満面の笑みで夕亜が告げると、柚音に押し出されるようにして商品を試着した香雅里が紘也の前に姿を現した。
「見ないで秋幡紘也!? お願いだから見ないで!? 似合ってないから!?」
顔を真っ赤にした涙目で訴える香雅里も珍しかったが、その服装は最初にオススメされたブラウスとミニスカートだ。フリルがこれでもかと装飾されたお姫様みたいな可愛い系である。
カガリ姫、爆誕。
なんて想像をしてしまった頭をぶんぶんと振り回し、紘也はなにかコメントせねばならぬ空気に必死に思考を働かせる。
・香雅里に同意して似合わないと言う。
▶・素直に似合っていると告げる。
・全く関係ないことを言ってお茶を濁す。
・突発的難聴症候群発動。
「いや、言うほど似合ってなくはないぞ。確かに葛木がそういう服着てるのは新鮮だが」
「んな!?」
ボン! と爆発音が聞こえそうなほど香雅里は一瞬で顔をより真っ赤にさせた。コメント選択肢間違えたのだろうか。
「はい次!」
口をパクパクさせてた香雅里が再び試着室へと引っ張り込まれ、カーテンが無慈悲に閉められた。
「――ってそれ胸元開き過ぎじゃない!?」
「ダイジョーブダイジョーブ! この『香雅里ちゃんを弄り倒そうの会』にまっかせなさい!」
「なに一つ任せられるネーミングじゃないわ!?」
「……柚音ちゃん、パッド」
「ラジャ」
「またなの!?」
そして第二ラウンドが開幕する。
カーテンを開いた夕亜は、殴りたくなるようなドヤ顔で――
「どうよ紘也君!」
「最初からだが正体隠す気欠片もないよな!?」
もうなんか店員を偽っている意味が微塵も感じられない。
「ハッキリ言って秋幡紘也!? 『これはない』って!?」
次に現れた香雅里は、Vネックの白いワンピースだった。夕亜が着ていたものよりも露出度が高く、涼しげなイメージの中に無垢な艶めかしさを感じさせる一品だった。
香雅里お嬢様と呼びたくなる。
ではなく、次は無難なコメントをしよう。
「……まあ、いいんじゃないか?」
「ふぁっ!?」
「どんどん行こう!」
まだ続くらしい。
「今度は体型にあまり左右されない生地がよく伸びるタイプにしようと思うの」
「胸なのね!? 胸のことなのね!?」
「これはそこまで大胆じゃないですよ。今までのネタと違って」
「やっぱりネタだったのね!? 覚えてなさいよあなたたち!?」
シャッ!
「はーい、第三ステージだよ!」
「もう、どうにでもして……」
げんなり、もといげっそりとした様子の香雅里は、スクエアネックのリブニットトップスとロングスカートを着せられていた。ピッタリしているがキツそうではなく、全体的にすっきりとした風に見える。
お姫様でもお嬢様でもない、普通のオシャレな女の子といった雰囲気だった。
「ほらお兄、コメント」
「あ、ああ、落ち着いた感じで似合ってるんじゃないか? さっきまでのよりは全然いいぞ」
「そ、そうかしら……?」
「ちょっと揺れたところで次行ってみよう!」
そうして、葛木香雅里のファッションショーは夕亜たちが店員に連行されて超怒られるまで続くのだった。
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