天井裏のウロボロス

夙多史

Section2-6 葛木家の陰陽師

 蒼洋高校の屋上は昼休みのみ生徒に開放される。だから放課後であるこの時間に他の生徒がいるということはない。
 昼休み以外は鍵がかけられるのだが、その鍵の管理は風紀委員が行っているのか、香雅里がジャラリと取り出した鍵束の中の一つがそれだった。
「――というわけなんだ」
 紘也はどういう経緯でウロボロスがここにいるのかを簡潔丁寧に説明した。まさか今日一日で二度同じ話をするとは思わなかった。当の本人は話に加わる気ゼロであり、最初から向こうで孝一や愛沙と楽しくメルアド交換なぞしてやがる。
「なるほど、あの秋幡辰久の契約幻獣か。それで、今はあなたと契約していると。確かに魔力供給のパイプラインが構築されてるようね」
 香雅里はなにやらメモ帳に書き込んでいる。まるで警察の取り調べみたいで気分が悪い。
「昨夜に一回、今日の昼頃に一回、強力な個種結界が張られてたけど、それもあなたたちの仕業ね?」
 紘也は無言で頷く。あらかた話したのにまだ解放される気配がない。
「この辺りは私たちの管轄なの。勝手に暴れられると迷惑なんだけど」
「仕方ないだろ。こっちだって命かかってんだから」
「あのウロボロスが結界を張ってなければ、私が助けてあげたわよ。まったく、今日だって〝無限〟の特性のせいで結界内に入れても中心まで辿りつけなかったのよ。迷宮を攻略してる気分だったわ。おかげでお昼食べ損なったし」
 なんだろう、取り調べが一方的な愚痴に変わった気がする。そう感じていると、彼女の腹部辺りが、きゅるる、と可愛らしく鳴いた。
「……」
「……」
「……聞こえた?」
「ばっちし」
 かあぁぁ、と羞恥で顔を真っ赤にした香雅里に紘也は蹴り倒された。
「そうよお腹減ってるのよ悪かったわね私だって人間だもん空腹に勝てるわけないわよこの苛立ちはそのせいに決まってるわつまりはあなたたちのせいなのわかった?」
「わかった、わかったから蹴るのやめろよ!」
 無呼吸で捲し立てながらげしげしと蹴り続ける香雅里から紘也は転がって脱出する。集中攻撃を受けていた横腹のダメージが深刻だ。
「ふん、実はけっこう嬉しいんじゃないの? Mっぽい顔してるし」
「それは違うね」
 不機嫌そうに鼻を鳴らす香雅里の前にウロが立ちはだかった。孝一と愛沙もいる。どうやら香雅里が暴力行為に出たため心配して来てくれたようだ。
「紘也くんがMだって? 和風魔術師の目は節穴なんじゃあないの?」
「な、なによ」
 挑発的なウロに香雅里はたじろいだ。紘也は「大丈夫?」と訊いてくる愛沙に「問題ないよ」と答えながら二人の様子を見――
「紘也くんはSです! サドです! サディストです! それも隠れSなのです! あたしがちょいとお茶目しただけでこんな風に両目をぶすっとぎゃあああああああッ!?」
 隠れSの辺りから紘也の手がオートで動いていた。瞬速の目潰し攻撃は孝一や愛沙はおろか、陰陽師の香雅里にすら捉えることができなかったようだ。
「あうぅ、なんか一段とレベルアップしてるんだよ」
「まあ、なんとなくコツを掴んできたな」
 それはそれとして紘也がSとは心外だ。目潰し攻撃をするのは、刺した時の悶える姿が痛快――ではなく、調子に乗った彼女を鎮めるために必要なだけだからだ。
「今のはヒロくんが悪いよ」
「そうだな。彼女に謝るべきだ」
「やかましいぞ、外野」
「ウロちゃん、ほら、痛いの痛いの飛んでけぇ~」
「ありがとう、愛沙ちゃん。愛沙ちゃんだけがあたしの味方だよぅ」
「あれ? オレは?」
「トイレットペーパー現象だな」
「おふっ! 紘也、大変だ、オレの心が壊滅的ダメージを」
「ちょっとあなたたち黙りなさいよっ!!」
 声を荒げた香雅里がフシャーッ! と猫みたく紘也たちを威嚇していた。
「あ、まだいたの、和風魔術師」
 ウロが冷め切った視線を彼女に浴びせる。
「ふ、ふふふ、どうやら喧嘩売ってるみたいね! いいわ。いいわよ。やってやるわよ!」
 香雅里は懐から五枚の護符を取り出すと、聞き取りづらい呪文を唱えてそれらをばら撒いた。瞬間、宙に舞った全ての護符が等身大のサムライに変化した。
 式神と呼ばれる陰陽師の使い魔だ。全身真っ白で顔は目鼻口のないのっぺらぼう。どうも素材は紙のままらしいが、戦闘用の式神ならばその実力は計り知れない。それを一度に五体。香雅里は葛木家の次期宗主候補と言っていた。陰陽師としての実力はトップクラスなのだろう。
 ちょっと無視する形になっただけなのに……彼女の堪忍袋の緒は非常に脆く繊細にできているらしい。
「落ち着けよ葛木! なんでこうなるんだよ。争う必要はないだろ」
「私は落ち着いてるわよ」極めて冷静な声で、香雅里。「決闘よ、ウロボロス。私が勝ったらもう学校には来ないでちょうだい。妖魔が近くにいると目障りなの」
 決闘の理由がすこぶる自己中だった。彼女は妖魔(=幻獣)に嫌な思い出でもあるのだろうか。
「ウロ、お前とりあえず謝れよ」
「えー、そんなことするくらいなら戦って勝ちますよー」
 唇を尖らせるウロにはもう一発目潰しをくらわしてやろうかと思った。思ったところで、紘也はなにか見えない力に弾かれた。ウロと香雅里から遠く突き放されてしまう。
 見ると、孝一と愛沙も同様に弾かれていた。二人は「うわっ」「きゃっ」と悲鳴を上げながら屋上の床を転がっている。
「く、一体なにが……!?」
 紘也は腹部に一枚の護符が貼りつけられていることに気がついた。式神のものとはまた違った護符。これが対象に衝撃を与えて吹き飛ばしたのだ。
「あなたたちはそこで見物してなさい」
 紙のサムライに囲まれた香雅里が言う。彼女とウロの周囲には、さらに別の護符が辺で繋ぐと立方体になるように展開されていた。あれは恐らく結界。人払いや認識阻害ではなく、空間を遮断して内部を隔離するためのものだろう。
「ウロちゃん! カガリちゃん! 喧嘩はよくないよぅ!」
「紘也、どうにかならないのか!」
 孝一たちも認識できているのが証拠だ。なんにしても容易に侵入できるものではない。
「ダメだ。結界が張られている。俺らはこれ以上近づくことさえできないようだ」
 逆に考えれば、紘也たちの安全は保障されている。コロシアム気分で観戦していろと言っているのだ。もしかしたら、向こうにはもう声も届かないのかもしれない。
 既に戦闘は始まっている。紙のサムライが時代劇のようにウロを取り囲み、複数体同時に交代しながら休みなく斬りかかっている。
「ウロちゃん! カガリちゃん! もうやめようよぅ!」
 愛沙は泣きそうになりながら二人の名を叫んでいるが、ウロの心配の方が強いだろう。この短時間で相当仲良くなったみたいだから。
 孝一はウロの心配をしつつ、どうにかして決闘をやめさせる方法を考えている様子だ。面白いことには絶対賛成の彼だが、流石にこの決闘には面白さを感じないのだろう。
 そして紘也は――
「あいつ、やり過ぎて葛木殺さないよな?」
 ウロボロスの心配なぞ微塵もしていなかった。

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