天井裏のウロボロス

夙多史

Section1-5 新しい居候

「……イマイチ事情が呑み込められないのだけれど」
 ウロたちがヤマタノオロチをどこかに連行してから約十分後、通報を受けて飛んで来た葛木家次期宗主――葛木香雅里は、片眉をピクつかせながら対面のソファーに座る紘也を睥睨した。
 セミロングの髪に勾玉型のヘアピン、陰陽師・葛木家の戦闘服らしい黒衣を身に纏った少女である。猫のように吊り上った両目と口調はどことなくキツイ印象を与えるが、根はその辺の女子高生よりも断然優しいことを紘也は知っている。
「もう一度説明してもらえないかしら?」
「だから、ウロが妊娠したと思ったら卵を吐き出して中から幼女化したヤマタノオロチが復活して俺に呪いをかけた上に契約までしてしまった、ということだ」
「カオスね……」
 一気に掻い摘んで説明すると香雅里は疲れたように頭を抱えた。当事者である紘也だってそう思う。夢オチの結果が一番納得できそうだ。
 けれど、夢ではない。現に紘也には三つの魔力リンクができ上がっているのだから。
「それで、当のヤマタノオロチはどうしたのよ? ウロボロスとウェルシュ・ドラゴンの姿も見えないけど?」
「今ごろ警察のお世話になってなきゃいいけどな」
「は?」
 香雅里が知らないということは、個種結界は張っていないようだ。それでも上手くやってのけるのがあいつらだから心配はいらない。一般人に捕まるようなヘマはしないだろう。
「あいつらは放っときゃ戻ってくるとして、ヤマタノオロチが復活したってことは、日下部の封印術式も復活したんじゃないのか?」
 日下部家宗主・日下部夕亜には、ヤマタノオロチをその身に封じるための術式が心臓に刻まれていた。それはヤマタノオロチ消滅と同時に役割を失って自壊し、夕亜の身体に多大なる負荷をかけた。紘也が魔力干渉で負荷を緩和しなければ命に関わっていたほどだ。その術式までも復活したとなれば、八櫛谷での戦いはほとんど無意味だったことになる。
 香雅里は紘也を安心させるように優しく微笑む。
「その心配はないわ。さっき病院に連絡して夕亜本人に直接確認したけど、封印術式が戻ったりはしてないそうよ。あの時に完全に消滅したってことね」
「ならよかった」
 ウロに『喰われた』ことで『この世界から消えた』と術式が認識したのだと紘也は推測する。だが、病院に連絡したってことは、夕亜はまだ入院中ってことだ。やはり術式消滅の負荷が大きかったのだろう。
師匠せんせいはまだ退院できないのか?」
「ユアちゃん、早く元気になるといいねぇ」
 孝一と愛沙も心配そうに呟く。ちなみに孝一は神のごとく幸運を引き寄せる彼女のフィッシングに完敗し、師匠せんせいなどと呼んでいる。
「それで葛木、この呪いに関してなんだが――」
「ちょっと待ちなさい」
 香雅里が途端に険しい表情になって紘也の言葉を遮った。まだ日下部家について話してないことでもあるのだろうか? 
「なんで鷺嶋さんとついでに諫早孝一がここにいるのよ!? ていうかいつの間に湧いて出てきたのよ!?」
 違った。なぜか香雅里の矛先は孝一と愛沙に向けられる。
「愚問だな、葛木。ここは紘也の家だぜ? オレたちがいてなにがおかしい」
「その理論がまずおかしいわよ! 他人の家じゃないの!」
「他人じゃないよぅ。ヒロくんはお友達です」
「そういう問題じゃないの鷺嶋さん!」
「ところでオレの扱い『ついで』って酷くね?」
「黙りなさい諫早孝一!」
 ぜーはーぜーはーと息切れする陰陽剣士様は、荒んだ目つきで今度は紘也を射る。
「どういうことか説明してもらえるのかしら、秋幡紘也?」
「いや、あんたが来る五分前から普通にいるけど」
 ウェルシュからの着信が途中で切れ、かけ直しても出なかったので二人とも気になって直接訪ねて来たのだ(丁度紘也の家に遊びに行くつもりだったらしい)。愛沙は「お茶淹れるねぇ」と我が物顔でキッチンの方へ移動していたから見えなかったのだろうが、孝一はずっとリビングにいたはずである。陰陽師の香雅里にも気づかれないとは、孝一のステルス性能は日に日に向上しているらしい。
「なんか、前にも似たようなことがあった気がするわ」
 もうどうでもいい、と言うような疲れ顔で香雅里はソファーの背凭れに背中を預けた。極普通の一般人だが魔術側に幾度となく首を突っ込んでいる二人である。問い詰める気も失せたのだろう。
 紘也は愛沙が淹れてくれたジャスミンティーを一口啜り、
「で、俺にかけられたヤマタノオロチの呪いについてなんだが」
 と切り出した。
「日下部朝彦ならなんか知ってるんじゃないか?」
 夕亜の兄はヤマタノオロチ討伐のために入念な調査を行っていた。もしかすると解呪方法を知っているかもしれない。彼は宝剣強盗の罪で葛木家の監獄に収監されているので、香雅里を通してでないと意見を聞くことさえできない。
「そうね。一応訊いてみるけど、期待はしない方がいいわ。ヤマタノオロチについては私も相当調べたの。でも、あなたがかけられたっていう呪いについては記憶にないわ」
「だよな」
 紘也も父親の魔術書等で少なからずそっち側の知識は持っている。だがやはり〝霊威〟の呪いは初知りだった。
「葛木も知らない、か」
 急激に胡散臭くなってきた。ウロたちがうっかりヤマタノオロチを抹消していたら呪いは出まかせになるのだが……。

「いやぁ、実にスッキリしました。紘也くん紘也くん、背骨に異常とか来してませんか?」
「マスター、ただいま戻りました」

 噂をすればなんとやら(心中だが)、ウロとウェルシュが実に活き活きとした顔になって帰還した。
 ウロの手に引きずられているボロ雑巾は……ヤマタノオロチか。漫画みたいに目を回して《あうぅ。太陽が……近い……》と譫言を呟いている。なにをやられたのか非常に気になるが、知らない方が幸せだろうと目を瞑る紘也だった。
「オゥ! かがりんに愛沙ちゃん、あとついでに孝一くんまで。皆さん顔揃えてどうしたんですか?」
「かがりんって呼ばないで! ヤマタノオロチの件で呼び出されたのよ。ていうか、幼女化したって本当だったのね」
 半信半疑だったのか、香雅里は床に突っ伏して動かないヤマタノオロチに複雑な視線を向ける。アレのせいで親友が十七年も苦しんでいたのだ、紘也にも気持ちはよくわかる。
「ウロちゃんとウェルシュちゃんにもお茶淹れるねぇ」
 給仕するのが楽しみと言わんばかりの笑顔で愛沙は再びキッチンに向かった。艶やかで長い黒髪と赤いリボンが嬉しそうに揺れている。
「ついで、二回目……」
 孝一は壁に手をあてて項垂れていた。
「……いらっしゃいませ、孝一様」
「ウェルシュ、お前は良い子だなぁ」
 不憫に思ったらしいウェルシュが声をかけると、孝一は感激したように泣きながら彼女の頭を撫でるのだった。
《……うぅ。酷い目に遭った。吾にここまでの屈辱を与えようとは。いつか必ず己らを喰らい殺してくれる》
 怨念をこれでもかと吐き散らしながらヤマタノオロチがむくっと起き上がった。あの弱々しさを見せつけられた後だからこれっぽっちも畏怖できない。
「ヤマタノオロチ……っ」
 と、香雅里が血相を変えて護符を取り出し、青い光を反射する日本刀に変えてヤマタノオロチの喉元に突きつける。斬った魔力を氷結させる葛木家の宝刀〈天之秘剣あまのひつるぎ冰迦理ひかり〉だ。
 一瞬の出来事に紘也たちはどうすることもできなかった。
《ふん。吾を殺すか。陰陽師の小娘。よいのか? そんなことをすれば――》
「聞いてるわ。それでも私はあなたを処罰しないと気が済まない。殺せないなら再び封印するまでよ」
 今のヤマタノオロチなら日下部家の封術師に頼めばリスクなく封印することができる。その手があった。
《いつの世も人間は勝手な生き物だな》
 ギロリ、とヤマタノオロチは睨み返す。オーラだけは一丁前だ。
《言っておくぞ。陰陽師の小娘。先に仕掛けたのは己ら人間だ。吾が己らになにをした? 吾は人間の雌に囲まれ平穏に暮らしておっただけだ! 人間を喰ろうたことも街を襲ったこともない! 人間の雄は好かんが。雄がおらぬと雌は生まれぬのでな!》
 自分の過去を吐露するヤマタノオロチからは必死さが伝わってきた。内容は馬鹿に聞こえるが、それだけにその言葉が真実だとわかる。だが――
「なんだかんだ言っても人は攫ってたんだよな? なら十二分に討伐対象になると思うが?」
《吾の姿を見た人間が畏怖し。勝手に娘を生贄に捧げ始めただけだ。生贄の娘を一度帰してやったこともあるが。その娘は生贄の務めを果たせなかったと火炙りにされた。以降。帰ることのできない娘どもに吾の世話をさせることにしたのだ。なにが悪い?》
「一言『生贄はいらない』と言えばよかったんじゃ?」
《……》
「……」
《……それでは『神聖不可侵の所』が築けぬではないか》
 ゴッ。
 気づけば紘也はヤマタノオロチの頭をグーで殴っていた。
《おおぅ。おおぅ》
 頭を押さえて蹲るヤマタノオロチ。実は可哀想な奴なんじゃ、と一瞬だけでも同情した紘也が馬鹿だった。
「ウロちゃんにウェルシュちゃん、あと、えっと……ヤマタノオロチさん? お茶入ったよぅ」
 三つのティーカップをお盆に乗せた愛沙が戻ってきた。彼女ののんびりとした口調はリビング内に満ちた喧噪を一気に和ませる。
「愛沙ちゃんマジ癒しボイスですね」
 ウロはわけわからんことを言っていた。
《!》
 愛沙を一瞥したヤマタノオロチが急にトトトトッと駆け出した。そして愛沙の足に抱き着いたと思えば、人見知り少女のごとく後ろに隠れる。危険はないと思うが、なにがしたいのだろう?
「えへへ、懐かれちゃったのかな?」
「鷺嶋さん、そいつから離れて!」
「え? でも可愛いよ?」
 愛沙はテーブルにお盆を置くと、しゃがんでヤマタノオロチの頭を軽く撫でる。ニコニコふわふわの笑顔だった。
「あんた、愛沙ちゃんになんかしたら今度はシベリアの空を翔ぶことになりますよ?」
「……アイスランドの火口という火口に落とします」
「お前ら、俺に呪いがかかってること覚えてるよね?」
「「あっ」」
 しまった、という顔をする契約幻獣たちに先行きの暗闇を確認する紘也だった。
《人間の雌。吾を抱け》
「うん、いいよぅ」
 なんの疑いも警戒も抱くことなく愛沙は頷くと、ソファーに腰を下ろし、その膝にヤマタノオロチをちょこんと乗せた。まるで人形のようである。
「ちょっと、鷺嶋さん!」
「まあ待てよ、葛木」
 強引に引き剥がそうとする香雅里を手で制したのは孝一だった。
「見てみろ」
 顎をしゃくる孝一に、紘也たちは視線を愛沙からヤマタノオロチに下ろす。

《はふぅ。吾の女神だぁ》

 この上ないくらい幸せな表情をしていた。放っておいたらアイスクリームのように蕩けそうである。
「なあ、しばらくは様子見ってことにしないか? 害があるわけでもないんだろ?」
 孝一の提案に紘也たちは顔を見合わせる。
 その通り、実害はない。今のヤマタノオロチは一般人の小学一年生にすら喧嘩で負けるだろうし、土地からの魔力吸引も難しいことが判明している。紘也が最小限の魔力だけを与え続けていれば特に問題はないのだ。
 紘也はもう一度だけ至福の蕩け顔で愛沙に抱かれるヤマタノオロチを見る。
「わかったよ。保留だ」
「紘也くん!?」
「アホだけど根っこから悪い奴じゃないと思う。理不尽に封印されてちょっと人間に恨みを持ってるだけなんだよな」
《知った風に吾を語るな。人間の雄》
 ゴッ。
《おおおおぅ》
「という具合に、ぶっちゃけると雑魚だから放っといていいだろ。俺んちの居候が増えるだけだ」
 ウロボロス一匹で既に騒がしさの限界に挑戦している状態なのだ。今さら幻獣の一匹や二匹増えたところで変わらない。
「よーし、家主がオーケーって言うんだから文句は心に仕舞っておこうぜ」孝一はパンパンと柏手を打ち、「オレはこういうシリアスっぽい話は好きじゃないんだ。それよりもっと楽しい話をしよう」
 時には傍観者として一部始終を見守り、展開が気に入らなければ介入してリーダーシップを発揮する。それが紘也の知る諫早孝一という人間だ。リーダーはともかく、傍観者なんてやっているから影が薄くなるのだ、と紘也は思わなくもない。
「もう勝手にすればいいわ」
 香雅里は我関せずを決め込むつもりか、すっかり温くなったジャスミンティーに口をつける。
「楽しい話をするに前に一つ決めないとな」
「なにをだ?」
「決まってるだろ。ヤマタノオロチの呼び名だよ。流石にそのまま呼ぶわけにもいかないだろ? 外に出た時困るぞ?」
「あー、それもそうか」
 孝一の言うことはもっともだ。あまり馴染みがなく人名っぽさもある『ウェルシュ』はいいとしても、この日本で『ヤマタノオロチ』の名前を知らない人間は少数派だろう。それにどう聞いても人名には聞こえない。
 となれば――
「なあ、お前、本当の名前はなんていうんだ?」
《ふん。己は吾にどれだけ恥をかかせるつもりだ》
「なんで幻獣どもはどいつもこいつも揃ってみんなこうなんだよ! ふざけんなよ!」
「オゥ!? 紘也くんどして突然ブチ切れてんですか!? そこはいつものスルースキルを発動してくださいよ。どーどーどー」
 ウロに宥められて冷静になる紘也。我ながら見苦しく取り乱してしまったと反省する。
「で、実際なんて呼べばいいんだ?」
《吾は――》
「こんな奴は『山田やまだ』で充分でしょ」
「じゃあそれで」
《ふざけるな己ら! なんだその適当な名前は! 吾はヤマタだ!》
「ほらほら、本人も山田やまだって言ってます」
《ヤマタだ!》
 どの道、濁点を抜いても漢字にすれば同じだった。
「よろしくな、山田やまだ。オレは諫早孝一だ」
「鷺嶋愛沙だよぅ。よろしくねぇ、山田やまだちゃん」
「秋幡紘也、山田やまだがなにかしたらすぐに私を呼びなさい」
「了解です。山田やまだですね」
《うわぁああああああああああああああああああああああああああああん!?》
 周りからの『山田』攻めに、ヤマタノオロチはついに見た目相応の少女らしい悲鳴を上げるのだった。
 声だけは変わらず八重だったが。

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