天井裏のウロボロス

夙多史

Section3-5 嵐の前の晩餐会

 時は夕暮れ。海水浴をこれでもかと堪能した紘也たちは、鷺嶋家の大広間で食事の席に着いていた。
 メニューは素晴らしく豪勢だ。舟盛りにされた鮮魚のお造りを筆頭に、太刀魚の塩焼きや栄螺の壺焼きが並んでいる。アサリのお吸い物はダシがよく効いているし、絶妙なプルプル加減に仕上がった海老入り茶碗蒸しは自家製だろう。
「この栄螺美味いだろ? オレが昼間採ってきたやつだ。ちゃんと味わって食えよ」
 栄螺の壺焼きを箸で摘まんだ孝一が自慢げに語っていた。確かに美味い。栄螺だけでなく、海の幸をふんだんに使った鷺嶋家自慢の懐石料理はどれもこれも絶品だ。なんでも愛沙の母さんは『調理師』の資格を持っていて結婚する前は高級料亭で働いていたとか。店出せばいいのに、と毎年思ってしまう紘也である。
 だがこれほど豪華な夕食が目の前にあるのに、今は誰もが手を止め、大広間の奥にある簡易舞台に注目していた。
 そこで白い小袖に緋袴を履いた愛沙が曲に合わせて踊っていたからだ。
 古典的で心落ち着く『和』のメロディ。愛沙は羽ばたくように腕を振るい、両手に握った扇子を広げては閉じ、ゆったりと体を回す。
 控え目に翻る黒髪と緋袴。足音一つ立てない物静かで流麗な移動。
 緩やかに、そよ風のごとく、違和感のない優雅な動作で愛沙は舞う。
 鷺嶋神社伝統の『巫女の舞』である。愛沙の練習に紘也たちも夕食ついでに同席させてもらったのだ。
 時間の流れが遅くなったような神秘的な舞踊は、見る者全てを魅了させるほど美しい。あのウロでさえ一言も喋らないくらいだ。
 気がつくと曲が終わっていた。
「……あうぅ、やっぱりヒロくんたちに見られてると恥ずかしいよぅ」
 舞いを止めた愛沙は朱に染まった頬に両手を持っていく。すかさずみんなで喝采を送った。
「いやはや愛沙ちゃん凄いですよ! まるで別人みたいでした!」
「また随分と上達したんじゃないか?」
「……愛沙様、綺麗でした」
 紘也たちが一斉に褒めちぎると、愛沙は「そ、そうかなぁ」と嬉しそうに照れ笑いした。素人目だが、紘也は毎年のように見ているのだ。初期の頃のぎこちなさを思えば段違いである。
 孝一も感心したように唸る。
「謙遜しなくていいだろ。もう一昨年くらいから愛沙は人前に出してもらってるんだぞ。でも本番だと百人以上の人に見られながら舞うわけだからな。オレらに見られたくらいで照れてちゃまずいだろ?」
「し、知らない人とコウくんたちとじゃ違うのです」
 悪戯っぽく笑う孝一に愛沙はムッと頬を膨らませるのだった。
「愛沙ちゃん愛沙ちゃん、それ今度あたしにも教えてください。ていうか巫女服着てみたいです!」
 立ち上がったウロがやかましく挙手する。さっきまでの大人しさはどこ行った?
「いや待てウロ、お前にあんな落ち着いた踊りができるのか?」
「んな!? ば、馬鹿にしてもらっちゃあいけませんよ紘也くん。幻獣界の大和撫子と呼ばれたこのウロボロスさんなら余裕です。巫女服着れれば余裕です」
「残念だが巫女服にそんな効果はない」
「……ウェルシュは巫女服持ってます」
「なんで持って……いやいい、察しはついた」
 どうせ紘也の父親が買ったものだろう。メイド服といい、なにがやりたいんだあの変態親父は。
《ああ。吾の愛沙ぁ~。吾の癒しぃ~》
 舞台の真ん前で愛沙の練習をガン見している山田は食事そっちのけだった。しかもなにやら陶器の瓶らしき物体を大事そうに抱えているが、アレはまさか――
 ――酒、か?
 いや見た目は幼女でも中身は計り知れないから紘也に注意するつもりはない。ないが、もうあいつはダメだろう。残念過ぎる。いろいろと。
「愛沙、回転する時だけれどもう少しゆっくり目に」
「う、うん、お母さん。じゃあもう一回やってみるよぅ」
 愛沙は母親の指南を受けつつ曲なしで舞いの動きを確認する。稽古の場に紘也たちを招くほど温厚で優しく茶目っけのある愛沙ママだが、『巫女の舞』と料理を教える時だけは厳しいらしい。目の前で酒を飲む幼女にも厳しくあってもらいたいものだが、稽古に夢中で気づいてなさそうだ。
「こういうのも、たまにはいいわね」
 紘也の前に正座する香雅里が穏やかに微笑んだ。太刀魚の塩焼きをほぐす彼女の箸使いは模範解答みたく丁寧だ。流石はリアル和風お嬢様だと少し感心する紘也だった。
 と、紘也と香雅里の目が合う。
「あっ……うあ……」
 海水浴の悲劇でも思い出したのか、香雅里は仄かに赤面して目を逸らした。顔を隠すようにアサリのお吸い物を啜る。正直、紘也も直視しづらい。
「くぉらそこラブコメ禁止ッ!」
 ウロが行儀悪く箸で紘也たちを指した。孝一が「なんかあったのか?」とニヤニヤ顔で訊いてきたが……親友には大変申し訳ないことだがスルーさせてもらう。
《おぅい。人間の雄ぅ~》
 愛沙が部分的な練習に入ったためか、山田がつまらなそうに戻ってきた。ただし目がトロンとしており、ふらふらと足取りも覚束ない。
《吾に酌せいぃ~。陰陽師の雌でもよいぞ。ヒック》
「お前酔ってるだろ!? あとどっから持ってきたんだよその酒?」
《外で働いておる人間の雄どもが『じゅーす』だと言って献上したのだ》
 祭に浮かれまくったおっさんどもの仕業だった。
 ヤマタノオロチは酒桶に頭突っ込んで酔わされたところを討伐されるくらい酒好きだ。山田も例外ではないらしい。
「むむむ、山田だけ汚いですよ! 寄越しなさいあたしも飲みます! そんで酔った振りして紘也くんとイチャイチャするんですっ!」
「! ……ウロボロスにはさせません。そのシチュエーションはウェルシュが貰います」
《のあっ!? なにをする金髪!? 返せ! 吾の酒だぞ!》
「はん! なにをするかですって? 脳味噌空っぽのあんたにもわっかりやすく説明してあげますよ。あたしの物はあたしの物。ここまでは理解できますね? とすると、あんたの物は誰の物になるんでしょうね? 簡単です。あたしの物です。異論は認めない」
《理不尽だ!?》
「ならウロボロスの物はウェルシュの物です」
「おわっ!? こ、こんの腐れ火竜それはあたしの酒です速やか早急に一刻も早く直ちに光の速度で返しなさいっ!?」
「異論は認めません。あとウェルシュは腐ってません」
「んにゃにをっ!?」
「すみません。すぐにこの馬鹿ども黙らせますんで気にせず稽古を続けてください」
 いきなり暴れ出した幻獣たちに驚き困惑する愛沙ママに紘也は平謝りすると、一本の酒瓶を奪い合うアホどもに振り返った。今の紘也がどんな表情をしていたのか自分ではわからないが、ウロ、ウェルシュ、山田の三人はまるで魔神にでも出会ったかのようにピタリと硬直した。
「あ、あの、紘也くん、どどどどうしてそんな般若みたいな顔して――」
「……お前ら……」
「「《――ッ!?》」」
 呼ぶと、三人は涙目で抱き合って奥歯をガタガタと震わせた。紘也は静かに、一歩ずつ彼女たちへと歩み寄り、
「あんまり、愛沙んちに迷惑かけんなよ」
 ポン、と。
 ウロとウェルシュ、二人の頭に優しくそっと手を乗せた。
「ま、マスター? ――あうっ!?」
「あれ? 紘也くんなんか優しぎゅああああああああああああっ!?」
 魔力干渉。
 魔術を捨てた紘也に唯一残された卓越した魔力制御能力の応用。相手の体内に自分の魔力を打ち込むことで、相手の魔力をめっちゃくちゃに掻き乱す荒業である。並の魔術師ならば卒倒、強い魔術師でも一時的に麻痺させられるそれは、全身に常時魔力を巡らせている幻獣に対しても強烈なダメージを与えることができる。つまり、めっちゃ痛い。
 ドサリと倒れてピクピク痙攣するウロとウェルシュ。紘也は二人の間に挟まっていた山田に視線を落とし、告げる。
「お前にこれやると殺してしまうかもしれないんだが……喰らってみるか?」
《……な。なかよく。のみます。ご。ごめんなひゃい》
 山田は酔いが醒めたように顔面を蒼白して震えていた。わかればよろしい。紘也は別に酒を飲むなとは言ってないのだ。もしこいつらが見た目通りの人間だったら全力で注意していたが。
「鬼……いえ、悪魔ね、あなた」
「ははっ。全くだ。ホント、幻獣相手だと容赦ないな、紘也」
 香雅里と孝一は呆れながら何事もなかったかのように食事を続けていた。「ほっとけ」と呟き、紘也も自分の席に戻る。向こうでは魔力干渉の麻痺から復帰したウロとウェルシュが山田と一緒に大人しく酒盛りを始めていた。
 そのまま愛沙の練習をぼんやりと眺めながら食事を進めていると――ガラッ。大広間の障子戸が慌ただしく開いた。
 何事かと紘也が思った直後――
「香雅里様! 今よろしいでしょうか!」
 叫ぶようにそう断りを入れ、焦燥とした表情の男性が大広間に転がり込んできた。葛木家の術者だ。
「なにかあったの?」
 香雅里は啜っていたお吸い物を置き、表情を引き締めて訊ねた。すると葛木家の術者は呼吸を整え、彼女にそっと耳打ちする。瞬間、香雅里の双眸が驚愕に見開かれた。
「どうかしたのか、葛木?」
「『黎明の兆』の構成員らしき術者が見つかったわ」
 香雅里は伝えられた情報を簡潔に説明してくれた。が、どうもそれだけではないようだ。
「場所は私の家――葛木宗家。今、襲撃されてるらしいの」
「!?」
 葛木宗家の襲撃。『黎明の兆』は連盟の魔術施設を破壊したり魔導具を奪ったりしていると聞いた。葛木家そのものの崩壊か、葛木家が所有しているなにかを奪うことが目的なのだろうか。かつての宝剣強盗・日下部朝彦が〈天叢雲剣〉を狙っていたように。
 だとすれば、紘也の予想は全く見当違いだったことになる。
「敵術者の数は五十名ほど。加えて複数体の妖魔を使役しているため応援が欲しいとのことです」
 葛木家の術者が今度は紘也たちにも聞こえるように報告する。
「わかったわ。すぐに向かう」
 すっと香雅里が立ち上がった。
「ウロとウェルシュも行かせようか?」
 相手はドラゴン族すら蹴散らせる力を持っている。葛木家だけではヴァンパイア戦の二の舞になり兼ねない。
 香雅里もその辺りは身に染みているため、「そうね……」と顎に手をやって逡巡した。
「その妖魔の強さは?」
「確認されているところですと、昨日の昼間に襲撃してきたものと同等程度だと思われます」
「それなら私たちだけで大丈夫そうね。あなたたちは残ってくれて構わないわ」
「いいのか?」
「危なそうなら呼ぶわ。それに――」
 香雅里は視線を横へと向けた。紘也も倣ってそちらを見る。

「ふぁ~、なんかウロボロスさん火照ってきましたよヒックうぃ~。暑いんで上着脱ぎましょうか」
「……すー すー すー。ハッ! うぇ、ウェルシュは寝てません」
《ふん。この程度で酔うとは情けない。ところで金髪。己はいつから三人に増えた?》
「なんれすと? ウロボロスさんは酔ってまへんよ! あたしゃドラゴンでふよ? 人間の酒で酔い潰れるわけないじゃあないれふかむにゃむにゃ……」
「……すー すー すー」
《くかー》

 たかが酒瓶一本で三人とも泥酔状態だった。
「あんな状態のウロボロスたちに来てもらっても、邪魔」
「なんか、すまん」
 紘也には謝ることしかできなかった。あいつらは絶対に兵士になれるタイプではないことだけがよく理解できた。
「じゃあ行って来るわ。秋幡紘也、あなたも一応警戒だけは怠らないで」
 香雅里はそう念を押すと、葛木家の術者を連れて大広間を後にした。

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