天井裏のウロボロス

夙多史

Section5-2 荒れる戦場

 アトランティスの上空は真紅の炎が乱れ飛んでいた。
「ほらほらほらほら! どうしたんですか避けてばっかりじゃあないですかっ!」
 あらぬ方向からいきなり出現する火炎の乱射は、さしものグリフォンと言えど回避に徹するだけで精一杯のように思われた。
 ウェルシュ・ドラゴンが射出する〈拒絶の炎〉を、ウロボロスが空間連結でグリフォンの死角を的確に突いた位置から出現させているのだ。それだけなら先程までウロボロス単体でやっていたことだが、役割を分担することで効率や精度が格段に上がっている。威力に置いてもウロボロスの圧縮魔力弾よりウェルシュ・ドラゴンの〈拒絶の炎〉が上――というか〝拒絶〟の特性はほとんど一撃滅殺なのだ。無論、〈ウロボロカリバー〉も今は必要ない。
 ウロボロスの魔力弾やヤマタノオロチの水流砲は弾いたり突貫していたグリフォンだが、流石にこれだけは避けるか相殺するしかない。
「……ウェルシュは自分で戦っている気がしません」
「文句言うんじゃあねえですよ、腐れ火竜。時給ぜろ円、適当に炎飛ばすだけの簡単なお仕事です。あと魔法陣三つ増やしてもいいですよ」
「むぅ、割に合いません。あとウェルシュは腐ってません」
 ぷくっと無表情のまま頬を膨らませるウェルシュだったが、それでも言われた通りに手数を増やし、合計六つの魔法陣から〈拒絶の炎〉を放射する。
 ウロボロスも六つ同時に空間を繋ぎ合わせ、様々な角度からグリフォンを襲うように炎の出現位置を調整する。
 だが――
「調子に乗るな爬虫類どもがぁあっ!」
 六本の火炎流がグリフォンを捉えようとした刹那、絶叫と共に全方向へ爆風が吹き荒れた。炎は全て消し飛び、グリフォンは超高速でウロボロスたちに向かって飛翔する。
 旋風を纏って接近するグリフォンにウロボロスがニヤァと人の悪い笑みを浮かべた。
「にょはっ、気でも狂ったんですか? そっちから突進してくるなんて夏の虫もいいところです!」
 ウロボロスは野球ボールを握るように構えた右手を前方に突き出す。途端、右手の周囲の空間が広範囲に歪み、陽炎のような揺らめきが龍の頭に似た姿を形成する。
「そのまま牢獄用無限空間にぶち込んでやりますよ!」
 かつてヴァンパイアを呑み込んだ空間の龍顎が、ウロボロスの右手の動作に合わせてさらに開いていく。
「調子に乗るなと、王たる俺が言ったぞ!」
 ザシュッ!
 飛翔するグリフォンが腕を振るっただけで、まさに彼を呑み込もうとしていた龍顎が真っ二つに引き裂かれた。
「ホワッツ!? 大量の魔力注いで作った牢獄用無限空間ですよ!? 風であっさり引き裂くとかあんた一体ナンバーショット!?」
「貴様らの小細工には飽きた」
 高速飛翔からの蹴りがウロボロスに炸裂する。またも地面に叩き落とされたウロボロスはその身で森の木々を薙ぎ倒しつつ、舞い上がった土煙でアトランティスの大地に横線を引いた。
 続いてグリフォンはウェルシュを狙う。放たれた風刃が咄嗟に〈守護の炎〉を纏ったウェルシュを打つ。
「平伏せ」
「……っ!?」
 鷲獅子の鋭い眼光に乗せた〝王威〟がウェルシュを怯ませる。弱まった〈守護の炎〉を斬り裂き、風刃はウェルシュの衣服、肌、肉を抉って鮮血を流させる。普通なら滅多に味わうことのない強烈な痛みにウェルシュが顔を僅かに顰めた時、グリフォンは既に彼女の眼前にまで迫っていた。
「トドメだ、火蜥蜴」
 風を纏った手刀が振るわれる。その寸前、グリフォンの体がガクリと下がった。
「くふふ、捕まえましたよ」
 足下の空間から出現したウロボロスがグリフォンの両足首を握っていた。その隙にウェルシュはバックステップをするように宙を飛んでグリフォンから距離を取る。
「貴様……放」
「すと思ってんですか馬鹿ですか死ぬんですか?」
 苛立つグリフォンをウロボロスはニヤニヤ笑って空間に引きずり込もうとする。直接グリフォンの位置に異空間の入口を開ければ楽なのだが、対象座標範囲に物体がある場合はそうもいかないのだ。だから向こうから飛び込ませるか、こうして引っ張り込まないといけない。
 とはいえこちらは収納用無限空間。敵をこの世界から完全に放逐することは叶わない。魔力切れで消滅する前に脱出されるのがオチだろう。それでも弱らせることはできるが。
「放せと言っている!」
「おっと」
 ギン! と放たれた〝王威〟の一瞥が刺さる前にウロボロスは手を離して異空間内に引っ込んだ。だがすぐにグリフォンの背後に出現し、その体をガッシリと羽交い絞めにする。
「今です腐れ火竜! あたしのことは構わずこいつを焼いてください!」
「貴様、俺を道連れにするつもりか?」
「いえいえ、そんな気は全くこれっぽっちもないですよ? あたしには〝再生〟がありますし、腐れ火竜の〝拒絶〟は対象を選べますからね」
「わかりました。ではウロボロスごとグリフォンを〝拒絶〟します」
「ちょ!? なんでそうなるんですかっ!?」
 特大の魔法陣がウェルシュの前方に展開される。赤々と燃える魔法陣には果たしてウロボロスも拒絶対象に含まれているのかどうか。ウェルシュ・ドラゴンのポーカーフェイスからはさっぱり掴めない。自分でやっておきながら冷や汗が大量に流れ始めるウロボロスである。
「くだらんな。このような遊びに王が付き合わされるとは。貴様だけ勝手に燃え尽きるがいい」
 ぐるんとグリフォンが縦方向に回転する。とつてもないGが体にかかって振り払われそうになるウロボロスだが、一度絡みついたからにはそう簡単に剥がされたりしな――
「オゥ?」
 気がついた時、ウロボロスは真紅の魔法陣に向かって飛んでいた。一拍遅れて両腕に凄まじい痛みが走る。見れば、左も右も肘から先がなくなっていた。
 慌てて翼で制動をかけて停止する。同時に魔法陣も消えた。
「せめて例の鎧を纏っておくべきだったな」
 睨んだ先には、ウロボロスの両腕を雑に放り捨てるグリフォンがいた。
「あんたコラ! さっき翼ももぎやがったのに今度は腕ですか! そういえば昨日も右腕持って行かれましたね! まったく、〝再生〟するこっちの身にもなってくださいよ!」
 ブシャア! と決して心地いいとは言えない音を立ててウロボロスの両腕が切断面から綺麗に〝再生〟した。よくわからない謎体液が腕を伝って指先から滴るその様を見て、グリフォンは不快そうに表情を引き攣らせる。
「俺とてそのような気持ち悪いものは見たくもない。〝再生〟するのは構わんが、二度と俺の前で見せるな」
「……ウェルシュも見たくないです」
「うっさいですよあんたら!? あたしだって好きでこんな〝再生〟の仕方してるんじゃあないんですよ!?」
「ギャーギャー喚くな。鬱陶しい爬虫類が。安心しろ、二度と〝再生〟できぬよう次で欠片も残さず消してやろう」
 ビュオオオ、と。
 風に似た音が響き、グリフォンの魔力が急激に高まっていく。

 天を衝くような巨大竜巻が五本も出現したのは次の瞬間だった。

「んな!? あんた昨日はこれほどの力持ってなかったじゃあないですか!?」
「当然だ。昨日より多くの魔力を補給したからな」
 腕組んで上昇し、高みからウロボロスたちを見下すグリフォン。五本の竜巻は互いに衝突し合い、弾くことなく融合してさらに巨大になっていく。樹齢何千年という大樹が何本も根っこから巻き上げられ、細切れになって吹き飛ばされる。
「アレに呑み込まれたら死にはしませんが、ただじゃあ済みそうにないですね」
「グリフォンの意志を離れています。ウェルシュの〝守護〟では防げません」
「攻撃ぶち込んで相殺しますよ!」
「了解です」
 ウロボロスが魔力弾を、ウェルシュが火炎を射出する構えを取ったその時だった。

 彼方から猛スピードで飛んできたオレンジ色の輝きが、高みの見物を決め込んでいたグリフォンに直撃したのだ。

「なんですかあれは!?」
「ヴィーヴル……」
 グリフォンに激突したのは、全身をオレンジ色の炎に包まれた――いや、頭と胴体以外の全てが炎で構成された半竜人だった。今の一撃に即座に対応して防御したグリフォンも流石だが、半竜人の女性から放たれる殺気はウロボロスやウェルシュすら震え上がらせるほど強烈だった。
「よう。久し振りだなぁ、クソ鳥」
 鮮やかな緑髪を熱波に躍らせ、〝宝石眼の蛇龍〟――幻獣ヴィーヴルは隻眼の顔に凶悪な笑み浮かべる。
「フン、連盟の犬に成り下がったドラゴン族か。もう片目も俺に差し出しに来るとは、なかなか気前がよいではないか」
「ふざけんじゃねえ!! 私の目を返しやがれぇえっ!!」
「断る!」
 グリフォンは蹴り上げと共に突風を放ち、ヴィーヴルを天高くまで吹き飛ばした。ヴィーヴルは回転しつつも体勢を整え、その瞬間にいくつもの小太陽を上空に出現させる。
「ほう、片目になってもそれほどの力が残るのか」
 感心するグリフォンに小太陽が隕石のように落下していく。だが、小太陽の全てが精密にグリフォンを狙っているわけではない。そもそも狙いなんてつけていない。島ごと沈める勢いの範囲攻撃は、グリフォンが生み出した竜巻と相まって恐ろしい人外魔境を作り出している。
 グリフォンは小太陽をかわしつつヴィーヴルに接近し、しかし肉弾戦はせず風を使って彼女のからだを削っている。
「……あのグリフォン、やはりヴィーヴルとの戦い方を知っています」
「〝炎体〟の特性ですか。炎の体に単純な物理攻撃は効きませんからね」
 幻獣ヴィーヴルは地下で暮らすタイプのドラゴンだ。しかし地上に出ることもあり、その際は体が炎になると伝えられている。
「呆けてる場合じゃあないですよ。あのヴィーヴル、正気に戻ってるようで全然正気じゃあありません。このままメテオされてたら紘也くんたちが危険です」
「……ヴィーヴル、見境がなくなっています」
 よくよく耳を澄ませば、各地から様々な悲鳴や怒号が飛び交っているのが聞こえる。葛木家の術者と『黎明の兆』の構成員がもろに被害に遭っているようだ。
 このまま放置してはおけない。
 グリフォンも、ヴィーヴルも。
 すると、ウェルシュがなにやら決意の色を赤い瞳に宿した。
「……ウロボロスはグリフォンをお願いします」
「あんたはどうするんですか?」
「ウェルシュはヴィーヴルを止めます。そういう約束です」
 ウェルシュはエリクサーの時のことを言っているのだろう。確かにそのような条件でウロボロスは彼女に最後の一本を譲った。今の今まですっぽり忘れていたが。
「そういえばそうでしたね。そんなら頼みますけど、こっちの邪魔にならないようにしてくださいよ」
 コクリと頷くウェルシュ。お互いの役割が決定したところで、二人はそれぞれの相手に向かって飛び立った。

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