終わった世界の復讐者 ―僕はゾンビを操ってクラスメイト達に復讐する―
第73話 『王冠(ケテル)』VS『慈悲(ケセド)』
死刑宣告に顔を青くする春日井を見て、トバリは満足げな笑みを浮かべた。
トバリの全身を、全能感が包み込んでいる。
色褪せていた世界が輝いて見える。
これが『王冠』の力というわけだ。
――あまり身を任せると、飲み込まれる。
直感的にそう思ったのは、間違いではないだろう。
かつてトバリが対峙した『知恵』は明らかに正気ではなかった。
元々の人格が信心深く、神の声を耳元で囁き続けられたらああなってしまうのも仕方ないことなのかもしれない。
そしてそれは、今のトバリにとっても同じだ。
「わかったから、もう黙っててくれ」
トバリがそう言うと、耳元の声が止んだ。
物分かりのいい神で助かる。
単に、トバリの信仰心が無さすぎるせいなのかもしれない。
身体のほうは、まだ本調子ではない。
バラバラになっていた身体を、無理やりに繋ぎ合わせたのだ。
一応動くというだけでも奇跡的だろう。
それでも、春日井一人屠るのになんの問題もないが。
左手には、春日井の右手がある。
さっき春日井自身に千切らせたものだ。
少しだけ齧ってみたが、以前までの食感とは雲泥の差があった。
優しい旨味と林檎のような食感が、トバリの食欲を掻き立てる。
林檎とも違うが、肉というよりは果実に近い。
これならいくらでも食べられそうだと、トバリは思った。
「さて」
一通り齧り終えた手を捨てたトバリは、春日井のほうを見る。
それだけで、春日井は蛇に睨まれた蛙のような表情をしていた。
まだ手を握りつぶさせただけだというのに、大層な警戒である。
「……な、舐めんじゃねぇぞ! カスの分際でぇ――ッ!!」
春日井がそんなことを囀っている間に、トバリは彼との距離を詰めていた。
何かしようとしていたようだが、あまりに遅い。
驚きに表情を歪める春日井の顔に、まずはストレートパンチを叩き込む。
「ぐぁぁああああッ!!!」
頬の骨が砕ける音と共に、春日井の身体が床を転がっていった。
トバリの足元には、殴打の衝撃で折れたと思しき歯が落ちている。
それを踏み潰し、トバリは春日井のほうへと歩いていく。
「はぁ……はぁ……っ、なんだよ……それ……ふざけんなよテメェ……」
「おいおい。僕がどれだけお前にめちゃめちゃにされたと思ってるんだ? 最低でも同じ目に遭わせないといけないんだからもっと頑張れよ」
「ひっ……」
トバリの言葉に、春日井はわかりやすい恐怖の表情を見せた。
もっと頑張ってほしいというのは、トバリの心の底からの本音だ。
あっさり殺してしまうのは忍びない。
殺すのは、春日井の罪状をできる限りその身体に刻み込んでからでなければならない。
というより、トバリにしてみれば春日井がなぜここまでトバリのことを怖がっているのかよくわからない。
単純な筋力で言えば、今のトバリでもまだ春日井より弱い。
トバリの力も以前と比べると強くなっているが、春日井のような馬鹿力は出せないようだ。
まだ身体が本調子ではないからなのか、普通に『王冠』にそこまでの力がないのかはまだわからない。
春日井の馬鹿力は、『慈悲』のセフィラの力によるものなのは間違いない。
しかし、『慈悲』のセフィラの力がそれだけということはないだろう。
トバリが見たところ、春日井は『慈悲』の力を十全に引き出せていない。
となると、『慈悲』が覚醒して面倒なことになる前に殺してしまったほうがいい。
だが、すぐに殺してしまうのはトバリの本意ではない。
そのあたりのさじ加減はなかなか難しいところだ。
「ぐぇっ!!」
そんな他愛のないことを考えながら、トバリは立ち上がりかけていた春日井を足蹴にする。
何かを潰したような感触をつま先に感じた。
内臓が破裂してしまったのかもしれない。
春日井の身体はテナントの外にある通路の方まで転がっていき、手すりのところにぶつかってその動きを止める。
その顔には僅かほどの余裕もなく、ただ強い恐怖に彩られた表情でトバリのほうを見ていた。
抵抗する様子もない。
「ぐぁあぁっ!!」
トバリはそんな春日井の身体を、さらに蹴り上げる。
手すりの下に張られていたガラスが割れ、春日井の身体が一階まで落下した。
鈍い音と共に、春日井の呻き声が聞こえてくる。
セフィラによって身体を強化されているせいか、まだ生きているようだ。
トバリも下へと飛び降りた。
『王冠』として覚醒したトバリの身体能力は飛躍的に向上している。
二階や三階程度の高さなど、なんの脅威にもならない。
一階には、大量のゾンビたちがさまよい歩いている。
そんな中でも、いまだにたしかな意思を持って這っている男がいた。
足を痛めたのか、起き上がる様子はない。
「クソ……がぁ……! この俺を、誰だと、誰だと思ってやがる……!」
「知ってるよ。ただのクソ野郎だろ」
「……ッ!!」
地面に転がりながら、ブツブツと何事かを呟いていた春日井の頭を後ろから掴み上げると、それを思い切り壁に叩きつけた。
何度も何度も、これまでの鬱憤を晴らすように。
春日井の顔は見るも無残な状態になり、元の顔が思い出せなくなる程度には顔面が腫れ上がっている。
これ以上顔が面白くなることはなさそうだったので、トバリはその頭から手を離した。
春日井はその場に倒れ込み、おもいきり咳き込んでいる。
鼻から大量の血を流し、目には涙も浮かんでいる。
まだ涙を流せる程度の苦痛しか与えられていないという事実に、トバリは満足していた。
春日井の戦意は完全に無くなっている。
先ほど三人の人間を殺した悪鬼とはとても思えない。
「……わ、わかっだ。お、俺が悪かっだ……」
「あ? なんだって?」
鼻血を流しているせいで何を言っているのかよくわからない。
春日井の頭を足で軽く小突くと、心底怯えた表情をトバリに向けてくる。
「お、俺が! 悪かった! だから許して……許してくれ!」
「……なるほど。自分がどれだけ酷いことをしてきたのか、少しは理解できたか?」
「わ、わかった……わかっだがら……」
「いや、全然わかってないだろお前」
トバリは右足で春日井の横腹を思い切り踏み付けた。
今度は先ほどより力が入ってしまったのか、薄い皮を突き破って肋骨を踏み抜いた感触があった。
春日井の周りが血の色に染まり、完全に腹部が破裂しているのがわかる。
「ぎゃあぁぁぁあああああ!!!!」
「というかここまでしておいて見逃されるとか本気で思ってたのかお前? 頭の中お花畑にしても限度ってものがあるだろ」
あまりにも腹が立ったので、強烈な一撃を叩き込んでしまった。
狂ったように叫び続ける春日井を見て、それほど長い時間は保たないだろうなと結論を出す。
血と塗れた足を抜き、絡みついた謎の筋を口に運ぶ。
肉と比べると味は落ちるが、こちらもなかなか美味だ。
「ん?」
トバリは春日井の腹の中に、青色の光を発している小さな球体を見つけた。
『慈悲』のセフィラだ。
春日井の腹の中に腕を突き入れ、それを取り出した。
血に塗れた球体は、ただ青色の光を発するだけだ。
「か、かえ、せ……俺、の……」
「もうお前には必要ないだろ?」
これで春日井はもう、放っておけば死ぬだろう。
だが、そんなことはさせない。
春日井には惨たらしく死んでもらわなければならない。
「――そいつを食え。遠慮はいらない」
トバリがそう命令すると、徘徊していたゾンビ達が一斉に春日井の方を向いた。
その様子に、春日井が小さな悲鳴を漏らした。
セフィラが無ければ、ゾンビに襲われないという性質も消える。
その事実を教えてくれているのは、トバリの中の『王冠』だった。
「お、俺、を、だれ……だと……思っ……」
「だから知ってるよ。クズ野郎だろ?」
「ふざ、け……ぁあああああ!!!!!」
春日井の悪態が終わるより先に、ゾンビ達が春日井に食らいついていた。
春日井の手が、腕が、足が、脚が、腹が、胸が、首が、肩が、顔が、頭が、ゾンビ達に蹂躙されていく。
春日井の絶叫がショッピングモールに響いている。
ショッピングモール中のゾンビが集まってきているのか、その数は増える一方だ。
その光景を見て、トバリは死体を啄む黒いカラスの群れを連想していた。
春日井の悲鳴も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
永遠に続くかと思われたそれも、終わりがやってきたようだ。
「…………」
手元の『慈悲』のセフィラを見る。
それは無害そうに、トバリの手の上で大人しく転がっている。
こびりついた赤黒い液体だけが、それが決して清浄なものではないという証左だった。
「……あれ」
無意識のうちにそれを刹那に埋め込まなければと思っている自分がいることに、トバリは驚愕していた。
なぜトバリは、刹那を蘇らせたいと思っていたのだろうか。
刹那に対して、何か思うところでもあったのだろうか。
刹那は死んだ。
決して生き返ったりなどしないのだ。
そもそも、セフィラを死んだ人間に埋め込んだりしたらどんなことになるのか、『王冠』として覚醒したトバリにはわかってしまう。
何も知らなかったとはいえ、よくこんなものを三田に埋め込もうなどと思ったものだ。
『王冠』として完全に覚醒した今、トバリにはその球体がどれだけおぞましいものなのか理解できる。
「まだいるんだな。お前」
『――――』
答えはない。
だが、間違いなくそこにいるはずだ。
トバリも一瞬だけ、そこにいたことがあるのだから。
春日井の魂とでも呼ぶべきものが、『慈悲』のセフィラの中に宿っている。
こんなものを人間に埋め込めば、そのうち中にいる魂が器のそれと取って代わるだろう。
つまり、この『慈悲』のセフィラを誰かに埋め込めば、そのうち春日井の人格は復活する。
そんなことは許されない。
禍根は絶たなければならない。
「じゃあな」
トバリはその球体を思いきり握りつぶす。
それだけで、『慈悲』のセフィラは粉々に砕けた。
青い破片をその辺に捨てると、それらは空気中に霧散して消えていく。
『慈悲』のセフィラが存在していた痕跡は、跡形もなくなっていた。
こうして、トバリは『王冠』として完全に覚醒したのだった。
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