比翼の鳥

風慎

第35話 マチェット王国動乱(4)

 リリーに背負われた俺は、勧められたソファ席へと向かう彼女の歩み越しに、お姫様モードのリザを観察する。

 その所作を見るに、同一人物とは思えない程、気品に溢れていた。
 そう、駄々をこねる様に拳を振り回していた、お姫様とは、どうしても結びつかないのだ。

 しかし、本当に残念なことだが、【サーチ】の結果は、無常にもこの目の前の人物が、あのお姫様と同一人物であると告げていた。
 魔力パターンはそうそう偽装できない。そして、この近辺に同じ魔力パターンは無い。双子なら或いは……とも思ったが、それも潰えた。
 ちなみに似た魔力パターンとして、恐らく、両親、或いはそれに近しい近親者であると思われる反応が、奥の扉から検出されている。
 まぁ、この【サーチ】の結果から見るに、その格好が扉に耳を当てている完全に不審者のそれでなければ、俺も気にしなかったのだがな。

 そんな不審者丸出しの二人の様子をちょっと伺うために聴覚を少し強化してやれば、その会話も捉えることが出来た。

「あなた……リザの様子は? 大丈夫かしら?」
「うむ、今のところ、大丈夫の様だ。しかし、あの気品あふれる声はどうだ。何と素晴らしい。流石私達の娘だ」
「ええ、あの子なら十分にこの国を引っ張っていけますわ。私達の可愛い子ですもの」
「そうだろう、そうだろう……」

 どう聞いても親馬鹿なそれである。
 この不審者たちはやはり彼女の親……つまり、現国王とその妃様になるのだろうか?
 そうなると、うーむ、ちょっと嫌な展開になりそうなんだが?

 色々と、問題の種が見えて来て、俺はそっと溜息を吐く。
 どうやら、リリーも二人の会話はしっかりと聞こえていたようで、俺の嘆息に同調するかのように、耳を一瞬ヘタレさせた。

 つまるところ、やはり、この目の前の人物は、猫を被ったお姫様と言う事なのだろう。
 そんな現実を目の当たりにして、俺は改めて女性って怖いなと人知れず恐怖する。

 もう、これは別人じゃないですか。ここまで見事な猫被りってそんな簡単にできる物なのか?

 ふと、そう言えば、元の世界で俺を精神的に追い詰めたあの女も、見事な猫被りを披露していたと思い当たり、身をすくませる。
 化粧然り、猫被りしかり、女性は化ける……その事実を、今、身をもって体験している事に、肩の力が抜けるようだった。

 しかし、何でまたそんな事になっているんだろうな?

 恐らく、俺達の前で見せていた姿が、本当の素の姿だろう。
 って言うか、むしろあの無礼極まりない態度が演技だったら、それこそ意味がわからない。
 まぁ、リリーが先程から口を開かないでいる状態……俺から見ればお仕事モードに入っている事が関係あるのか?
 もっと言えば、殆ど人が居ない様に見えるこの場所、そして、扉の向こう側にいる不審者……もとい、国王達の行動からも読み取れることがあるのかもしれないな。

 そんな事を考えていると、浮遊感と共に俺の視界が反転し、お姫様と俺が見つめ合う形になった。
 どうやら、背負っていた俺を、リリーが前に抱き直したようだ。
 背中にささやかながらも、心地良い温もりと柔らかさを感じる。

 一瞬、俺と目が合ったお姫様のこめかみに筋が浮かんだような気がした。
 だが、すぐにそれを引っ込め、何とも張り付いたような笑みを浮かべつつ、俺から視線を外し、リリーへと視線を移す。

「座って下さい、リリー」

 にこやかな表情だが、声に本当に些細な違和感と言うほどの硬さがあった。
 その言葉を受けて、小さく「失礼致します」と、応えたリリーは、柔らかそうな椅子へと腰を落とす。

 しかしなんだかな。
 あんだけ俺のことを弄っておいて、このお姫様は、まだ吹っ切れてないのか?
 それとも、それはそれで何か別の理由でもあるのだろうか?
 俺は少し首をひねり、うーんと考え込む。

 お姫様は、一瞬そんな俺の様子を視界の端に捉え、眉をしかめるも、そのまま口を開いた。

「本日、ここに来てもらったのは他でもありません」

 彼女は一瞬、言葉を切り、俺を見る。そして、またリリーへと視線を戻す。

「私の護衛として、魔導大国メイスタットに同行して欲しいのです」

 彼女の口から出た言葉は、前と同じ話だ。
 そして、この問題は結局のところ、決着していない。
 なので、そのお願いに対するリリーの答えも変わらなかった。

「ツバサ様と一緒であれば、お受けいたします」

 その答えに、ため息で答えるお姫様。そして、暫し、考え込む様に暫く、口を閉ざした。
 視線は何となく俺に向いているような気がしないでもないが、まぁ、とりあえずあまり刺激したくもないので、彼女からそれとなく視線を外しつつ、様子を見るに留める。

 しかし、魔導大国と来たか。ちょっと気になる。
 そもそも、俺は、この世界の地理を全く理解していないから、そこも何とかせねば。
 イルムガンドにいた時に、もう少し真面目に調べておけば良かった……。

「リリー、分かっているの? そのツバサ……様と崇めている存在は……とても危険なのかもしれないのよ?」

 短くない時間、沈黙を貫いた彼女であったが、それを破った言葉は、また唐突な物だった。
 そして、そんな言葉に対するリリーの言葉もまた決まりきっていた。

「ツバサ様は、危険なんかじゃありません」

 ん? そうだぞ。俺、危険じゃないよ? 悪い子じゃないよ?

 そんな思いを込めて、彼女と見つめ合う。少し意図的に目をうるませてみたりしたが、どうやら不評だったようだ。
 あからさまに彼女の顔が歪む。それはもう、苦虫を噛み潰したがごとくだ。
 そして、やはり短くため息を吐くと、彼女は口を開く。

「リリー、正直、私も害がない……そう思いたいわ。けど、考えれば考えるほど、その赤子の存在が、そうとしか思えないの。」

 そうとしか?

 彼女の言う『俺という存在』が『既にある何か』と重なるという言い回しだな。
 ここまで来て漸く、俺は、彼女が何を危惧しているのか、察する。

 ああ、そうか。そういうことか。

 何で彼女が俺を過剰に恐れているのか、漸く合点がいった。
 だから、俺に極端に敵対的なのか?
 しかし、どうも今までの行動を見るに、感情的な部分も多くあったから、それだけではなさそうだが?
 だが、彼女が何故、俺を恐れているかは、納得がいった。

「だって、その赤子……もし教団の伝承の通りなら……魔王よ?」

 いつの間にか素の話し方に戻った彼女の口から、俺の想像通りの言葉が飛び出し、俺は人知れずため息をつく。
 やっぱりですか。

「ツバサ様は、ツバサ様です」

 それに対し、毅然とそう言い切るリリーは、やはり何処まで行っても、愚直に俺の味方だ。
 それは嬉しいが、ちょっとこのままだと、また平行線になるのは確実だし、何より、俺も彼女の言う魔王の存在を詳しく知りたい。
 だから、お姫様が口を開く前に、俺は虚空に文字を描く。
 本当は魔力を乗せて話しかけても良かったのだが、扉の向こうで盗み聞きしているの事を考えると、この方がいいと思ったのだ。
 問題は、俺の書いた文字を彼女が理解できるかどうかだが……。

 《 ちょっと待って。お姫様 》

 俺は、彼女の目の前に文字を浮かび上がらせると同時に、唇に人差し指を当て、静かにするようにジェスチャーをした。
 一瞬、彼女の目が見開かれ、その後、数秒硬直したものの、声を上げることも、騒ぎ出すこともなかった。

 《 ねぇ、その魔王って、どういう存在なのかな? もし良かったら、教えて欲しい 》

 彼女は俺の書いたを目で追った後、数秒、沈黙すると、口を開いた。

「リリー。貴女は知らないかもしれないけど……教団の伝承にこうあるのよ?」

 そこで一瞬、俺の方を見ると、またリリーに視線を戻すと彼女は、まるで歌うように、次の一節をそらんじる。

「かの厄災は、砂漠より来たり。
 黒き力を持って、要塞都市を粉砕す。
 更に世の理を乱したかの厄災は、獣人を呪いにかけ、人族より奪わん。
 かの厄災を振りまき者、魔王と呼ばれ、人族を滅ぼさんとす。
 しかし、勇ましき者現われ、神の力を持って魔王の身体を7つに分けん。
 だが、心せよ。魔王は、未だ死なず。
 分かたれた身体は、なお黒き力を放ち、厄災を振りまかんとす。

 されど、恐れることなかれ。
 神の力にて、その厄災を希望の力に変え、封印す。
 厄災を統べ、神の力をもって、人族の幸福を追求せん。
 この力、神の御業にて、信ずるものに永久の幸福を与えるものなり。」

「以上よ……」。そう言って口を噤んだ彼女の目は、俺に向けられていた。

 なるほど。中々、盛大に俺を利用してくれちゃって。
 この一節で出て来る『かの厄災』……そして、魔王とは俺のことだろう。
 あのタカちゃんとかフザケてた教皇が、都合の良いように、経典として事実を改ざんしつつ残したんだろうな。
 ……いや、だがぶっちゃけ、今の一節だって、全部が全部嘘って言うわけではないんだよなぁ。

 まぁ、からすれば、獣人へ嫌悪感を抱く洗脳を強制的に破壊したのは、ある意味で厄災といえなくもない。ただで使える労働力を、簡単には使えなくしたのだからな。
 それに、教皇との戦いで、ちょーっとばっかりブチ切れて、イルムガンドを壊したのは事実だし。
 一応、俺の記憶では、そこまで酷いことにはなっていないはずだが、俺がやられた後にどうなったかは不明だ。
 あんだけの魔力溜め込んで、あの良くわからん力で分断されたなら、何が起きてもおかしくはないんだよなぁ。

 そんな風に、今の一節から、俺の状況を理解したのだが、リリーは、今の一節の意味を掴みかねているようだった。
 どうも、と、この一節で語られるが、一致しないらしい。

 俺はリリーの腕を叩き、腕に文字を書いて説明する。
 それで、漸く、彼女も、お姫様の言わんとしたことが理解できたのだろう。

「つまり……ツバサ様が、その一節にある魔王である、と?」

 へにゃっと萎れていた耳がゆっくりと、起立する。

「そうよ」

 弛緩していた尻尾が、ゆっくりとオーラを纏いながら天を衝く。

「つまり……ツバサ様が、酷いことをする悪者だと、そう言いたいのですか?」

「魔王は、人族に仇なす者だと、教団では言われているわ」

 まぁ、落ち着けリリー。別に彼女に怒ったって仕方ないだろうに。
 ちゅうか、お姫様も、言葉を選べばいいのに。そんなストレートに言ったら、彼女が益々誤解するじゃないか。
 って言うか、考えてみれば、ある意味間違ってないのか。厄介な。

 俺は、そんな事を考えつつ、文字で伝えながら、リリーを宥める。

 リリーの魔力でこの部屋が震えていた。
 ちなみに、扉の向こうで盗み聞きしている王様、王女様は、

「あれ、これは、ちょっと不味いんじゃないかな?」
「ええ、どうしましょう?」
「あああ、可愛い私のエリザベスが、窮地に!?」
「あらあら、どうしましょう?」

 とか、殆どこちらに丸聞こえな程大声で、うろたえていた。
 そんな声を聞いてか、近くにいる俺達にしか聞こえないくらい、本当に小さく舌打ちするお姫様。
 あ、やっぱり、そっちが素だよな。安心した。いや、そんな野獣のような目で睨まれても。

 俺が困惑するのを見て、仕方ないとでも言うように、お姫様も重い口を開く。

「……そうじゃないわよ。けど、教団の教えには、そうあるの」

 ぶっきらぼうに、そうため息を付きつつ、フォローとも言えない言葉を吐いた。
 全く、このお姫様も素直じゃない!

 俺は、お姫様を睨みつけ、

 《 ちゃんと本心で話さないと、またこじれるぞ? 》

 そう、脅し文句とも取れる文字を虚空に書く。
 そんな俺の言いたいことは、流石のお姫様でも察せられたようで、眉間にしわを寄せ、一瞬迷った後、ほぼやけくそ気味に、更に言葉を続ける。

「だけど、私はそれを信じていない。だって、そうでしょ? この国に教団は無い。それは、貴女と私が、教団と完全に関係を断つ為に尽力したから。それくらい、わかるでしょう? リリー」

 その言葉で、リリーも漸く、怒りを収める。

「けど、なら、どうして、ツバサ様をそんなに……」

 こういう事は、王族としては決して言ってはいけない事なのだけど、と前置きした上で、彼女は口を開く。

「……怖いのよ」

 それは、偽り無く彼女の本当の気持ちなのだろう。

「信じていなくても、それでもひょっとしたらって思ってしまうの。ましてや、その赤子は、間違いなく常識の範疇から外れた存在だわ。魔王と言われた方が、まだ信じられてしまう位には……ね」

 それはそうだろうな。

 リリーのように猪突猛進型は別としても、普通の人は、そんなものだろう。
 別に神を信じて無くても、すがりたくなる時はあるだろう。
 同じように、罰を恐れることだってあるだろう。
 そんなものだ。人間の感情は0や1の様に、ロジックで簡単に区切れる物ではない。
 常にふらついて、自分の都合の良い様に、様々なものを取り入れていく。だからこそ、多様性が生まれる。
 そういう風に出来ているんだから仕方ない。

 だから、俺も言葉を返す。
 そんなどうしようもなくグチャグチャな人間の一部をシンプルにする為に。

 《 ふーん? つまり、俺の事が信用できれば良いんだよね? 》

 本当にサラッと書いた俺の文字の意味が理解できないようで、お姫様は一瞬、言葉を失う。
 だが、俺はそんな彼女の反応を流しつつ、更に続けた。

 《 結局のところ、俺と君の関係性が浅いし、端的に言って信用できない。そういうことでしょう? 》

 お姫様は、俺の文字を読み進め、そのまま首肯する。

 《 じゃあ、話は簡単だよ。俺がお姫様の信頼を得れば良い 》

 あっさりと、そう書いた俺を、何か変な生き物でも見るような目で、見てくるお姫様。

「確かに……ツバサ様が信頼できないなら、一から作るしか無いです。ツバサ様の良さがわからないなんて、本当に腹立たしくはありますけど」

 何かリリーが物騒なことを呟いているが、取り敢えず置いておくとして、結局の所、それしか無いのだ。
 信頼なんて、一緒に何かしたり、経験を共有しないとそう簡単に築けるものじゃないし。
 そもそも、得体が知れないから怖いんだよ。なら知ってもらえばいいさ。

 《 まぁ、そうは言っても、今の状態じゃリリーについて回って、一緒に何かするのが関の山だけどね 》

 残念ながら、俺はまだ一人では、移動すら覚束無おぼつかない身だ。
 一応、その辺りは勘弁してもらいたいので、それとなく、言質を取るように仕向ける。

「そうですね。私と一緒に、魔物を狩るのも良いかもしれません」

 リリーが何故かとても嬉しそうに、そして、積極的に食いついてきた。
 そんなリリーを見て、お姫様は若干眉をひそめるも、少し難しい顔をしながら、「確かに、一理あるわね……」と呟く。

 そんな風に、話が上手く纏まり出した所で……廊下側が急に騒がしくなった。
 皆、訝しげに視線を騒がしい扉の向こうへと送る。

【サーチ】で確認すると、数名の……これは、兵士かな?
 兎に角、その数名が、「伝令! 伝令!」と、叫びながら、廊下を進んで来るのが分かる。

 あ、あかんよ、このタイミング、この状況。
 本気で、嫌な予感しかしない。

 そして、何故かこの部屋の前で止まると、乱暴にノックがされる。

「入りなさい」

 お姫様がそちらを注視しながら、口を開くと、すぐに扉が開き、軽装ではあるが、革鎧を身にまとった壮年が飛び込むように、入ってきた。
 そして、身を落とすとそのまま、口を開く。

「ご報告いたします! 魔物の軍勢が、向かっております!」

「数は?」

「100は下らないかと!」

 矢継ぎ早に交わされる報告を聞いた後、お姫様は、その男を下がらせる。
 そうして、彼女は深い溜め息をついた後、俺とリリーに向かって、予想通りの言葉を口にしたのだった。

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