比翼の鳥

風慎

第10話 蜃気楼(10)

 揚羽とゲーセンに行った日から、五日が過ぎた。

 あの日から、揚羽は、俺を起こしに来なくなった。
 そして、どうやら、学校にも来ていない様なのである。

 一日二日ならまだしも、ここまで音信不通となると、流石に心配である。
 そんな訳で、俺は、春香に彼女の様子を見てくるように頼んだのだが、返って来たのはこんな言葉だった。

「そう言えば……私は、揚羽の家には行った事が無いな。兄貴、兄貴は知らないのか?」

 そう言われた物の、俺も起こされるだけの関係だったし、毎度のことながら、彼女の方からちょっかいをかけて来ていたので、家どころかどの辺りに住んでいるのか、知る由も無かった。

 毎度の昼休みに、そんな事を四人で集まって話していた訳だが、どうやら、いきなりの手詰まりの様である。
 そんな風に、俺と春香が唸ったまま、口を閉ざしたのを見て、柴田が、徐に口を開く。

「佐藤君、調べようか?」

 一瞬、俺は、その言葉に、飛びつきたくなったが、考え直し、ゆっくりと首を振る。まだ、手はある。流石に、それは最終手段にしたかった。

「気持ちだけ受け取っておくわ。まだ、人事は尽くしてないからな。」

 そうは言った物の、どうするかと一瞬考え込み、正攻法で攻める事に決めた。

「春香、悪いんだが、職員室で揚羽の家の住所を聞けないか? 流石にこれだけ休んでいたら、教師も思う所はあるだろう? お見舞いに行きたいとか、尤もらしい理由で、住所を聞き出して欲しいんだが。」

「分かった。じゃあ、放課後待ち合わせよう。」

 そう言いながら頷くと、春香は、話は終わったとばかりに、席を立ち、迷うことなく職員室へと向かう。
 その頼もしい背中を見送りながら、駄目だった時も含めて、その後の事を考える。

 ふむ。しかし、揚羽この状況は、やはり、あのメイドが関係しているんだろうな。
 その少し前から、妙に神妙ではあったが、あの子を見てから、明らかに彼女はおかしくなった。

 やっぱり、俺のこの違和感と彼女には関係があるんだろうなぁ。

 そう。最初からずっと感じていた違和感。
 それは、まるでボタンを掛け違えたかのような、気持ち悪さを伴って、今も俺を蝕み続けている。
 彼女が姿を消してから、この一週間、それは次第に大きさを増し、そろそろ何かの限界を迎えようとしている事が、何とも無しに感じられる程度まで、膨れ上がっていた。

 やっぱり、揚羽は、何かを隠している。
 それも、俺に関わる、重要な何かを。

 それが何なのか?
 見極めておかないと、この先、動きようがないと、俺は心の底から確信していた。
 まぁ、今迄の経緯を踏まえると、彼女は、どうも悪意でどうこうしているようには見えないのが、せめてもの救いだろうか。

「しかし、揚羽ちゃん、どうしたんだろうね?」

 ふと、鈴君が漏らした言葉に引きずられる様に、俺は思考の海から、浮かび上がる。

「佐藤君が言っていた、メイド服の人が原因なのかね?」

 揚羽が来なくなった次に日には、もうその時の出来事を、皆には伝えておいた。
 一応、俺の主観ではあるが、そういう話で彼らとは情報共有もできている。まぁ、彼女が姿を消した理由は、それだけでは無いだろうが、皆も思う所があったようで、口には出さないで今日まで来ていた。
 そんな柴田の言葉に俺は、「そうかもしれないな。」と、無難に返すと、珍しく、鈴君が別方面に興味を示す。

「けど、そのメイドさんって、獣っ子のコスプレだったんでしょ?」

「ああ、凄い再現度だったぞ。耳とか尻尾とか、まるで生きているみたいだった。」

 そんな俺の言葉に、二人がため息を漏らす。

「良いなぁ。一回、そういうの見てみたいよね。」
「なんで写真取らなかったのさ。」

 そんな事を口走る二人を見て、俺は苦笑しつつ、ある提案しておく。

「コミケに行けば、幾らでも見られるじゃないの。」

「中年のおっさんのセーラー服も一緒に見る事になるけどね。」

 鈴君がそう何気なく口にした瞬間、その言葉を紡いだ本人も含めて、その場から言葉を消し去った。

 三人で初めて訪れたコミケのあの異様な情景を、俺は一生忘れる事は出来ないだろう。
 黒い雲海に、粘つく汗、そして、香る体臭の波。
 狂気と熱気が入り交じり、異界と化したあの地は、何が起きてもおかしくは無かったと思う。

 そんな中、とある場所で見かけた、異様な集団。
 原色が眩しいセーラー服と、ビニールテープを割いたウィッグを身に着けた、すね毛塗れのおっさんの集団。
 これは見ては駄目だ……と、警鐘が脳内で響くも、何故か呪いでも受けたかの様に、その異様な物体から目を背ける事はかなわなかった。
 あれは、思春期の俺達の心に、少なからず傷を与えるに足る光景だったよ。

 それ以来、俺達は一度も、コミケには足を運んでいない。

「まぁ……あれだな。もし、春香が駄目だった場合、そのメイドさんを探す方面から攻めるのも、ありかもしれんな。」

 そんな俺の言葉に、トラウマを呼び起こしたであろう二人は、力なく頷く事にしかできなかったのだった。



 個人情報の関係から、住所が聞き出せない事も想定していた俺達だったが、幸運な事にそんな心配は杞憂だったようだ。
 あっさりと住所をゲットした春香を水先案内人にして、俺達は揚羽の家と思しき場所に赴いた。
 そして、その住所前で俺達は、暫し硬直する事となる。

「……うーん、どう考えても、豪邸だな。」

「そうだね。中々良い雰囲気だね。」

「うーん、そう? この規模なら、十数億程度じゃない?」

 どっかの馬鹿一名が、庶民感覚との差を見せつけて来るのを見て、俺と鈴君は溜息を吐く。
 柴田の言う豪邸と、俺らの言う豪邸に、格差があるのは知っていたが、こうして直に聞くと、何か肩の力が抜ける気分だ。

 ちなみに、柴田談で言う、この程度の豪邸とやらの広さは、軽く見積もっても、400平米はあるだろう。
 ただ、植え込みが家の周りを囲い、中の様子は殆ど見る事が出来ない。良く見ると隠れる様にセンサーの様なものある。更に、馬鹿でかい門扉を設え、対照的にどこか落ち着いた雰囲気を持った洋風の家が遠くに見える。門から玄関まで歩いて30秒。庶民感覚からすれば馬鹿じゃないの? と思わなくもないが、横で呟く柴田は、もう少し広いと良いよねとか、言ってたりするから達が悪い。
 ともかく、俺からすれば、これを豪邸と言わずしてなんというのだろうと言う規模である。ちなみに、そんな豪邸の鎮座するこの場所は、かの有名な、高級住宅街の田園調布であるのは蛇足だ。

 気を取り直し、門扉の横を観察する。カメラ付きインターホンと表札にはローマ字で「TAKAHASHI」の文字。
 高橋? なるほど。あの子は、高橋揚羽って言うのか。

 一瞬、何かの記憶に触れるも、俺は頭を振り、インターホンへと手を伸ばした。
 ちなみに、本来なら春香が表に立つべきだと思うのだが、何故だか、頑なに拒まれた。大方、元気に出てきた揚羽に絡まれるのが嫌だったのだろう。
 何処か間延びした電子音が響くのを聞きながら、待つ事数秒。

「はぁ~い? どちら様ですか?」

 と言う、少し気の抜けた優しい声が響く。
 恐らく母親だろう。召使とかが出てきたらどうしようかと思っていたが、ある意味ラッキーだった。
 そう思った俺は、一呼吸置くと、ゆっくり丁寧に、言葉を紡ぐ。

「突然の訪問、失礼致します。私、揚羽さんと同じ学校でお世話になっております、佐藤翼と申します。最近、揚羽さんが欠席しているとの事でしたので、心配で様子を伺いに参りました。お忙しい所、申し訳ございませんが、揚羽さんのご様子は、如何でしょうか?」

「あらあら、そうなのですか。暑い中、ご苦労様です~。」

 そんな母親と思われる声が、俺に労いの言葉をかけつつ、しかし、どこか戸惑ったように言葉を続けた。

「……けれど、困りましたわ~。うちには、揚羽と言う子はいないんですよ~?」

 その言葉を聞いた瞬間、俺達は、言葉を失ったのだった。



 その後、その女性の言葉を信じられなかった春香が、インターホン越しに詰め寄った場面もあったが、どうにかして、引き剥がし、謝罪した後、丁寧に対応してくれたご婦人と話を交え、状況を整理していった。

 その結果、この家には、兄と妹の二人の子供はいる物の、やはり揚羽と思しき人物は存在しないという事が判明した。
 ちなみに、兄は某有名私立校に通う天才君で、妹は、生まれてからずっと身体が弱く、病院で入院生活をしているので学校には通っていないとの事だ。
 そもそも、そんな個人情報を、見ず知らずのおっさんに話して良いのかと思わなくもないが、どうやら、その夫人は相当、ストレスが溜まっていたらしい。その境遇と言う名の愚痴を延々と聞く事となり、ご主人への不満や、果てはお気に入りの美容師さんの話まで、話が飛びまくってインターホン越しに2時間ほど拘束されたと言う、良く分からない状況ではあったが、何とか必要な事を聞き終え、穏便にその場を辞する事が出来た。

 全く、昼下がりの奥様達は、ストレスを抱えてていかんのぉ。しっかりしろよ! 旦那!

 そんな悪態を心で吐きつつ、長時間、無理に笑顔を保っていたせいか、顔に半分張り付いたままの愛想笑いが戻らず、春香に「キモイぞ、兄貴。」とか、言われ軽くへこむ。
 そんな感じで、結局、情報は得られたものの、揚羽の足取りは全くつかめなかった俺達は、肩を落としながら帰路についていた。

「困ったねぇ。一体どういう事だろう?」

 鈴君が心底不思議そうに、首を捻るのを横目で見つつ、俺は思案していた。

 学校から貰った住所が間違っていた? もしくは、嘘だったのだろうか?
 いや、そんな訳は無い。それならば、ある意味、大問題だろう。
 しかし、そもそも、冷静に考えてみれば、この住所からしておかしい。

 ここ田園調布と、俺の住んでいる東戸塚は、高校の位置を真ん中に置くと、真反対と言っても良い場所にある。
 そんな所まで、彼女が朝早くに起こしに来るのか? どんだけの労力なんだよ。そんな事、普通しないよな?
 そもそも、あの子、家庭の話をした事、一度も無いし。情報がまるでないぞ。

 うーむ、これは、本格的に、困ったな。やはり、ダメ元で、この前のファーストフード付近を当たってみるか?

 そんな風に、考えていると、ふと、視界の端で、柴田が良い笑顔を浮かべながら、サムズアップする姿が見えた。
 ああ、言いたい事は分かる。「行っとく?」って言う幻聴も聞こえた。

「いや、遠慮しておく。」

「何でよ!?」

 断られると思っていなかったのだろう。柴田は、何故か絶望したような表情を浮かべると、俺を半分、涙目で睨む。

 いやいや、どんだけ俺に借りを返したがっているのよ。

 まぁ、彼曰く、俺に返しきれないだけの恩があるから、その一端でもこういう時に返しておきたいっていう気持ちがあると言うのは、長い付き合いで何となくわかるんだが。
 そもそも、彼が勝手に恩に感じて、借りだと思っている事も、俺から言わせれば大した事ないし。返してもらう理由も無い。
 それに、そんな貸し借りで成り立つようなやわな関係でもないしな。
 第一、君が号令かけたら、その瞬間、想像もつかないような大事に発展するのは目に見えている訳で。
 俺は、過去に起こったとある騒動の顛末を思い出し、身を震わせる。

 それに、これは勘……と言うより、確信に近いが、そもそも柴田が頑張っても、多分、空振りに終わる。

 元々、彼女は彼らの手に負える領域では無い。そう、これは、俺と彼女の問題なんだろう。
 俺が本気で彼女をどうにかしようと思わないと、恐らく、どうにもならない。

 ここが、頃合いなのだろうか。

 ふと、心の片隅で、そんな思いが、浮かぶ。
 その瞬間、以前にも感じた事のある、あの不快感が、脳裏に湧き出て来た。
 頭の中で砂を噛む、あの独特の不快感。それが、細かく、連続して俺の頭を蹂躙する。

「どうしたの? 佐藤君……。顔、真っ青だよ?」

 急に立ち止まった俺の行動を訝しんだ鈴君が、俺の顔を覗きこみ、そして、心配そうに声をかけてきた。
 だが、俺は余裕が無く、手を上げて制する事しかできない。

 脳裏に閃く、何かの情景。
 青い月。獣の様な耳を生やした人々。龍としか思えない巨大生物。そして……白い少女。

 ガラスにヒビでも入ったかのような、心を軋ませる音が、脳裏に響く。

 そして……唐突に、サイレンが鳴り響いた。ふと、脳裏の音が、不快感が消え去る。
 その音は、どうやら俺だけでなく、皆にも聞こえているようで、突然の出来事に、各自が周りを見渡していた。

 暫く、そうしてサイレンが鳴り響いた後、余韻を残すかのように、警戒心を煽るその音が消え去る。しかし、その後に響いたアナウンスを聞いて、皆、言葉を失う事となった。

「近隣の皆様にお伝えいたします。先程、当該地区におきまして、猛獣が確認されました。近隣の皆様は、速やかに屋内に非難した後、しっかりと施錠して下さい。繰り返します……。」

 は? 猛獣って何?

 俺はこの馬鹿みたいな内容を繰り返す放送を聞いて、思わず周りの皆を見渡す。
 勿論、誰もが顔に、意味が分からないという言葉を貼り付けていた。

 ふと、突き刺す様な、強烈な視線を感じ振り返る。

 日も低くなり、世界が赤く染まりかけていた。
 そんな世界を切り取ったように、そいつの姿は、日常をかけ離れていた。

 金色に光る眼。日の光に負けない程、輝く毛並み。
 そこには……人の大きさを一回り超える黄色い虎と、小さな黒い虎が、二頭……静かに佇み、こちらを見つめていたのだった。

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