比翼の鳥

風慎

第12話 蜃気楼(12)

 落ち葉の絨毯特有のふわふわとした感触を返す地面を踏みしめ、俺は進む。

 既に、陽の光は無く、闇の中、木々のさざめきだけが、俺の鼓膜を震わせていた。
 普通であれば、こんな環境に置かれれば、心は数秒で恐怖に塗りつぶされるだろう。

 だが、俺の心を満たしていたのは、五感の一部を封じられている恐怖ではなく、まるで温かい湯船の中で揺蕩たゆたうような、安心感だった。
 そんなぬるま湯のような朧気な思考に身を委ねる一方で、歩みは止めなかった。

 この先に行かねばならない。

 俺が、そうしたいと願っている。
 それを自覚したのは、先程から胸の奥を叩く焦燥感のような物に従った結果でもあったし、それ以上に、理由のない確信のようなものが、俺を突き動かしていたからだ。

 ふと、視界の端に、誰かの影がチラつく。

 この暗闇の中で、なぜ影が見える?

 そう思いつつも、俺はそちらに視線を向けた。
 そこには、俺の肩までしか身長のない、老人が佇んでいた。いや、その後ろにも、多くの人々が控えている。だが、その存在は影のように朧気なもので、しっかりと姿を確認できるのは、そのご老人だけだった。
 その姿は、ゲームならば、長老と呼ばれるに相応しい貫禄を宿している。
 しかも、よく見ると、その老人は、その白髪の間から覗かせるように、似合いもしない獣耳のようなものを鎮座させており、手には何故か抜身の刀のようなものを手にしているのだ。

 いやいや、ここで変質者が登場とか、普通に無いから。

「誰が、変質者じゃ!」

 目の前のご老人は、そんな俺の思考を読んだかのように、激高し刀を振り上げるも、そのまま肩で息をしながら何とか、その刀を下ろし、挙動を抑える。

 ちょ、お巡りさん! 助けて!? 襲われるぅうう!!

「なんじゃい、そのオマワリサンと言うのは。はぁ……まぁよいわ。お主が意味不明な事をしでかすのは、今に始まったことではないからの。」

 なんだか、いきなり失礼な爺さんだった。
 しかし、鋭い眼光は向けたままだが、どうやら、俺を辻斬りするのは、諦めてくれたようである。そこは一安心だ。

「お主を切ったところで、どうせ届かんだろうに……。全く、最後になっても食えん奴じゃの。まぁ、それはともかくじゃ。」

 オホンと、咳払いをすると、そのご老人は、突然、真剣な眼差しを向けてきた。
 俺は、その視線を受け、佇まいを正すと、その目を真正面から受け止める。
 何故だか、そうしなければならないと、そう理解した。いや、そうせざるを得なかった。
 考えてみたら、その位、目の前のご老人から向けられた目に、覚悟とそして誠意を感じたのだと、後になって思い至る。

「まぁ、時間も無いしの。まずは、礼を言わせて欲しい。森を、我らを繁栄へと導いてくれて、お主には、感謝しておるんじゃよ。本当に、な。」

 そんな意外な言葉から始まったご老人の言葉を聞いて、俺は良くわからないまでも、反射的に首肯する。
 その様子を見て、ご老人も頷くと、打って変わって重い息を吐き、憂いとともに、言葉を紡ぐ。

「しかしのぉ、ここに至り、漸く、わしも理解したわ。所詮、わしらは、駒であり、部品でしか無いとな。」

 そんな事を口にするご老人の言葉は、意味不明ではあったが、その内容な明らかに不穏なものだ。しかし、飛び出た内容に対し、不思議と、その内容に過度の悲壮感はない。

「わかったとて、我らに出来ることは限られておる。それがただ、消費され、消え行くものであったとしても、じゃ。そもそも、そんな事すら、考える事でさえ、本来はあり得ない事だしの。そういう意味でも、お主らには感謝せねばな。」

 そう言うと、今度は深々と礼をする。
 晒された頭頂部から生えた獣耳が小刻みに揺れているのが、妙に印象的だ。
 そうして、たっぷり数秒経った後、ゆっくりと頭を元に戻すと、少し熱のこもった視線を俺へと飛ばす。

「しかし、そうは言っても、ただ、諦めるだけでは、悔しかろう? 折角、こうして自我を欠片でも得たのじゃからの。まぁ、残念ながら我らは、ここまでじゃが、そう悲観することもないわぃ。」

 そうして、ご老人は意味不明の事を尚も続けるが、それを聞くたびに、何故か漠然とした不安と不快感が俺の心を塗りつぶしていく。

「何よりも……我らの意思を託せる者もおる。其奴が、何かやらかしてくれそうじゃしの。のぅ?」

 俺を見て、目の前のご老人は、表情を丸め、そんな風に、楽しそうな様子で語りかけてきた。
 それに対して、俺は何と返事をして良いのか、分からなかった。
 遠回しに、何となく馬鹿にされている気がするが、不思議と腹は立たない。
 なんだか、こんなやり取りが、妙に心地よく、懐かしくもあり……そして、悲しかった。

「なんじゃ、そんな顔をするな。これは必然じゃよ。もう、こうなる事は、決められておった。それが、お主達のお陰で、永らえた。それだけじゃ。」

 そんな言葉が俺の耳から虚しく抜ける。駄目だ、それは駄目なんだ。そう思うと同時に、何故か、もうどうにもならないとも、何ともなしに、理解できてしまった。もう、これは終わっている事なんだと。
 そして、その結果分かる事は、この老人とは、ここでお別れだという覆せない事実だ。それは、何故だか、理解できてしまった。理解したくなかった。

「じゃから、そんな顔をするなと。ふぅ……お主に、可愛い娘達を託すのじゃからの。これでは、先が思いやられるぞ?」

 ふと気づけば、俺は目から涙を止めどなく流していた。
 意味がわからない。……分からないが……この気持は間違っていないし、この涙も間違ってはいない。
 それだけは、誰に向けても、はっきりと誓える。そう、心が叫んでいた。

「はぁ……全くのぉ。ワシのために泣いてくれるか。この世界の小さな部品でしか無いワシにの。……じゃが、いや、じゃからこそ、お主に託せるというものじゃ。」

 ご老人は、音もなく俺の前に立つと、俺の手を取り、その手に持っていた刀を俺に持たせる。
 俺の手に持たせた刀の柄の上から、その皺くちゃな小さな手で、覆うようにそっと被せる。

 仄かに暖かさを伝えるこの皺の刻まれた手に、歴史があるのだろうか? いや、あるのだろう。
 俺は一部しか共有していないが、それでも、この人の歴史の一部になれた。それは、誇らしいことだ。

 だからこそ、泣くのは駄目だ。
 それ以上に、旅立つ人に、心配をかけるのも、宜しくない。

 俺は空いた左手で、強引に涙を拭い、目を閉じる。
 そして、深呼吸を2回。よし、落ち着いた。

「すいませんでした。貴方の……いや、貴方達の想い、確かに受け継ぎました。」

 俺は、目の前のご老人と、後ろに存在するであろう、影のような人影に向けて、敢えて言葉にした。
 これは、俺のなりの宣誓であり、決意だ。こんな俺だけど、その心は忘れない。絶対に。
 そんな俺の気持ちが通じたのだろう。

「……そうか。待ったかいがあったというものじゃな。」

 目の前の老人は、そう穏やかに微笑む。
 俺も、それに釣られて、微笑む。

 そこに言葉はなかった。だが、それで良かった。
 しばし、そうやって見つめ合っていたが、前触れも無く、ご老人の体から粒子が浮かび上がってくる。

「さて、ここまでかの。そうじゃ。森を飛び出すようなお転婆な孫娘じゃが、餞別代わりにくれてやる。……リリーをよろしく頼むぞ。」

 少し寂しそうに、だが、笑顔でそう言い切ったその声に、憂いはない。

「ええ、お義父さん。……いや、お義祖父じいさんですかね?」

「ふん。誰が、じじいじゃぃ。」

 俺のそんな言葉に、そう言い残し、目の前のご老人は、粒子となって消えた。

「どうしても必要な時は、わしの名を呼ぶが良い。少しくらいなら、力を貸してやらんことも無い。」

 そんな捨て台詞が聞こえて来たと同時に、俺の手にあった刀も光の粒子となって、消え去る。

「全く……最後まで素直じゃないなぁ。」

 俺は、そう呟きながらその光景を見送り、そして……暫くの間、声も上げず、その場で、ただ一人、涙したのだった。



 暫くして、俺はゆっくりと歩き出した。

 結局、俺は最後まで、あのご老人の名前を思い出さなかった。
 いや、敢えて、思い出そうとしなかった。

 この脳裏に居座る、不快感と閉塞感。恐らく、これが俺の記憶を閉ざしている原因だろう。
 そして、その封印とも言って良い物を、俺はもう自力で破ることが出来る所まで来ていた。
 だが、そこまで解っていても……いや、解っているからこそ、俺はそれをしたくなかったのだ。

 この封印を施したと思われる人物。

 その本人から、直接、話を聞くまでは、この封印へと無理に手を出すつもりはない。
 それが、俺なりの誠意の表し方であり、それ以上に、淡い願いでもあるからだ。

 短い間だが、一緒に過ごしてみて、どうしても、俺はあの子を悪い奴だとは思えなかった。
 しかし、実際、俺はこうして、あの子の力で、束縛されている。
 ならば、その裏には、そうせざるを得ない、彼女なりの理由があるはずなのだ。

 何となく、今までの経緯を見るに、あの子の自信の無さと、卑屈さが合わさって、こんなやり方になっているのだとは、推察できる。
 だからこそ、俺は彼女の口から、直接聞く必要があった。

 一瞬、あの子の落ち込んだ姿が、脳裏に走る。

 恐らく、今もそうして、答えのない迷路をグルグルと回り続けているのだろう。
 その姿を想像して、不覚にも苦笑してしまった。

 人の苦しんでいる姿を想像してにやけるとか、趣味が悪いのは重々承知しているが、これは仕方ないだろう。
 そもそも、俺も彼女と同じ立場だったのだ。だからこそ、余計にその苦しみと、それ以上にやっている事のバカバカしさがわかってしまう。
 そういう意味では、勿論、俺も、彼女の事を笑うことはできない立場だけどね。
 なんせ、10年以上、その迷路で迷い続けたんだからな。ある意味、大先輩だ。

 その大先輩だからこそ、彼女に言えることがある。

 ……いや、違うな。
 だからこそ、伝えたい事がある。
 そう。これは俺の贖罪であり、単なる自己満足でしか無い。
 だが、それでも、俺のこんなくだらない経験が生かせるならば、喜んでその痴態をさらけ出そう。

 それで、彼女の苦しみが少しでも軽くなるなら、俺にとって、これ程喜ばしいことはない。

 伝えたい事があるんだ。

 俺はそう願いながら、漏れ出る弱々しい光の下へと、ひたすら歩く。
 そうして、どれ程歩いただろうか?

 ふと気が付くと、俺は暗い部屋にいた。

 視線を巡らせると、天井には星の光のような瞬きが、儚げにゆれるのを確認できた。
 それは、幻想的な風景でありながら、どこか退廃的にも感じられる。

 壁に目を移せば、そこには吸い込まれそうな暗闇が広がっていた。
 そこに何かあるとわかるのに、視覚的には何もない。そんな騙されたような不思議な感覚に、俺は眉をひそめる。
 床を見れば、そこも果てのない暗闇だ。だが、地面はある。一歩踏み出せば、落ちてしまいそうな、そんな錯覚すら抱くほど、その深さを感じさせた。

 そして、そんな真っ暗な部屋の隅に、彼女はいた。

 まるで外界から自分を守るかのように、膝を抱きかかえて座っている。
 何というか、絵になると言ったら、凄く怒られそうだが、そうとしか表現しようがないほど、熟練され且つ自然な体育座りであった。

 俺はそんな自閉モードに入っている彼女へと、わざとゆっくりと歩いて行く。
 そんな俺の接近を、音で、そして気配で感知しているのだろう。
 益々、身を縮こませるように、力を入れて小さくなろうとする彼女を見て、少し同情してしまった。

 こんなになるまで、頑張らなくてはいけない事だったのだろうか?

 そう思うも、話を聞いてみない事には、どうにもならない。
 目の前まで来たが、彼女からの動きはなかった。
 なら、俺のやり方で、好きな様にやらせてもらうかな。

「やぁ、久しぶり。元気か? 揚羽。」

 俺は努めて明るく、おどけるようにそう口にするも、彼女は身動ぎ一つしない。
 またこれは、盛大に自傷モードに突入しているな。

「そうか。まぁ、んじゃ、隣……失礼するよ。」

 そう言うや否や、俺は、おもむろに、揚羽の隣に寄り添うように、同じように、座り込む。
 しかも部屋の隅だから、体の逃げ場がなく、自然と密着する状況になった。
 流石に、いきなり隣に、しかも、肌がくっつく勢いで座ってくるとは思っていなかったのだろう。
 一瞬、ビクリと体を強張らせるも、そのまま、意地でも声を上げてやるもんかとでも言うかのように、石のように頑なな態度で、姿勢を変えようともしない彼女が、何とも無しに、可愛く思えた。
 まぁ、とは言っても、その防御、こじ開けさせて貰うけどな。

 さてと、では、語り合うかね。覚悟してもらうぞ? 揚羽さんや。

 俺は彼女の体温を肌で感じながら、心の中で、そう呟き、隣で貝のように閉じこもっている彼女に、視線を向けたのだった。

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