比翼の鳥

風慎

第16話 蜃気楼(16)

「揚羽さんや、確かに調子に乗った俺も悪いが、いきなり手を上げるのは、どうかと思うんですけど」

「知らないもん……」

 そんな不毛なやり取りが、先程から、続いていた。

 まぁ、俺がからかい過ぎたのが原因なのは確かなので、そこは悪いとは思うし、謝りもする。
 だが、その対価が可愛い物とは言え、平手打ちと言う実力行使なのは、如何なものか?

 嫌な事があったら、平手打ちはしても良いとか、そんな女性の特権とでも言うべき物がある訳でも、無いだろうに。
 もし仮に、世の中の女性の幾人かでも、そんな特権がまかり通るとでも思ってるなら、俺は断固抗議するぞ!?
 大なり小なり、暴力は暴力でしかないのだ。
 男性と女性で力の差は勿論あるだろうが、暴力を振るうその本質は、変わらない。
 つまりは、意思の押しつけであり、一方的な蹂躙である。そんな事、人として歓迎できる人は少ないであろう。
 まぁ、深層心理で服従を望むような、ドMな体質な人は、歓迎するのかもしれないが。

 例えば、あの人のような……。

 ん? あの人? 誰だっけ?

 俺が疑問を抱いたその瞬間、頭の中を掻き削るような、激痛が襲う。

「っ!?」

 その激しい痛みに、思わず頭を抱えてしまった。
 そんな俺の突然の行動に、むくれていた揚羽も、心配になったようで、

「え、ちょっと、どうしたのよ……お兄さん?」

 そう声をかけて来たものの、俺はそれに答える余裕は無かった。

 痛みを意識するな。感覚をぼやかせ。緊張を、解いて……こんな痛み、いつもの頭痛と比べれば、対した事無い。
 自分にそう言い聞かせながら、意識的に深呼吸をし、頭の中を這いまわる激痛から意識を逸らす。
 流れる血液に意識を乗せ、体内の感覚を均一にするよう心がける。
 痛みが身体に拡散し、脱力した体に染み出る様なイメージをする事で、感覚を鈍化させ、痛みへと意識が向かない様にした。

 痛覚制御ペインコントロールとでも呼べば良いのだろうか。
 俺が鬱になり、群発頭痛を発症した時に得た、数少ない特技である。
 心が縮れ、痛みが身体を支配した時、俺はそれに抗うのではなく、受け入れ、薄めると言う、ちょっとした付き合い方を会得したのだ。

 ふと、俺の頭に、彼女の手が重ねられた。
 その手は暖かく、しかし、何かを恐れているのか、震えている。

「え、やだ、封印が中から食い破られている。何で、こんな事……お兄さん、これじゃぁ……」

 何か不穏な空気を伴った彼女の言葉を受け、俺は、少しだけ落ち着いた痛みを押しのけて、口を開く。

「大丈夫だ。暫くすれば、良くなる。」

 そんな俺の言葉に、彼女は首を振る。

「お兄さん、もう、良いよ。封印破っちゃってよ……」

 その声には、悲しさとどこか寂しさ、そして諦めが見え隠れしていた。

 そうか。原理は良く分からないが、封印とやらのせいで、この頭痛が起こっているのだというのは、分かった。
 だが、まだだ。俺はまだ、彼女から、その本心を聞いていない。

 だから、俺は小さく、首を振る。
 それだけで、少し痛みが強くなるも、俺はそれを表に出さず、痛みと向き合い、受け流す。
 俺のそんな行動が、彼女には理解できなかったのだろう。

「何で? 何でよ!? もう、そんな事しても意味ないじゃない! さっさと封印を破ってよ。もういいよ。……もう、疲れたよ。」

 そう、首を振りながら、彼女は叫びつつ、徐々にその声を小さくしていった。
 だが、今の言葉にこそ、俺の求めていた、彼女の本当の心が隠れていたのを、俺は見逃さなかった。

「お断りだな。」

 だからこそ、俺はその言葉を拒絶する。
 その言葉を聞いて、彼女は目を潤ませながら、首を振る。

「何で、よ。もう、駄目だよ。やめてよ。私を、拒絶してよ」

 嘘ばっかり。

 いや、半分は本心か。疲れたのも確かだろうし、それが嫌になったのも間違いないだろう。
 だが、その裏に潜む、僅かな期待は、誤魔化し様が無い。

 もっと、素直になればいいんだよ。

 諦めたなんてしなければ、もっと物事はシンプルになるのに。
 全く、素直じゃないんだよな。だから、俺は彼女を逃がさない。
 成り行きに任せて、逃げようとしたってそうは行かないよ。

「俺は、まだ……聞いてないからな。何で、俺に封印を施したんだ? 記憶を消したのは何で?」

 ずっと彼女に問い続けていた言葉を、俺は懲りずに、また投げかける。

「なんで、そんな事! もう良いじゃない!」

 彼女からすればそうだろうな。けれど、俺からすれば、これは本当に大事な事だ。
 その内容ではなく、彼女の口から、その説明を受ける事が……だが。

「……良くない。君は、優しい子だから……。俺は、君が、自分の為だけではなく、誰かのためにこの状況を作り出したと信じている」

 俺の言葉に、驚いた様子の彼女ではあったが、

「……私、優しくなんか……ないもん。そんな事、本当の私を知らないから、言えるんだ」

 何か投げやりに、そう答える彼女は、俺の視線から逃げるように目を逸らす。

「だったら、教えてくれ。俺は、君の本当の姿を、本当の君を知らない」

「嫌だ。知ったら、お兄さん、私の事、嫌いになるもん」

「今だって、このままじゃ状況は変わらないよ? それに……っ」

 俺は、突如強く襲ってきた痛みに、顔をしかめ、言葉を区切る。
 そんな俺を、心配そうに見つめる彼女。
 この状況で、そんな顔をしいてる子が、優しくない訳無いじゃないか。
 だから、俺は言葉を続ける。彼女が少しでも、一歩を踏み出せるように。

「……俺は、君に教えて欲しい。封印とやらが解けて、知ってしまうのではなく、君に教えて欲しい。もし、言葉で語るのが無理なら、せめて……君自身の手で、封印を解いてほしい」

 そう。封印が俺の手によって、強引に解かれることと、彼女が自発的にその封印を解くとでは、その意義に雲泥の差がある。

 彼女が、封印を解くという事は、彼女自身が、俺と向き合う意思を持つことを意味する。
 それが出来ないなら、彼女と俺の関係性はそこで終わってしまうだろうな。

 彼女は、封印をしてしまったという、罪悪感から逃れる事は出来ず、その贖罪の機会も失い、この先ずっと、その重荷を背負って生きることになる。
 そんな彼女が、俺と向き合い、健全な関係性を得るには、今以上に、多大な努力が必要となるだろう。
 そして、今の彼女を見るに、その努力を費やせるほど、俺に執着もしてなければ、強靭な意思を持っているようには思えない。

 彼女が後悔を残したままにならないように、俺はきっかけを与えたい。
 少なくとも、俺は、彼女に負の感情を頂かせるような、そんな存在にはなりたくない。

 だから、俺は彼女を真っ直ぐに見つめながら、そう懇願した。
 対して、俺の目をまっすぐ見る事の出来ない彼女は、それでも必死に考えているようだった。
 だが、それでも、何かが後押しになったのだろう。彼女は、おずおずと言った風ではあるが、俺を横目に捉えつつ、口を開いた。

「……分かった。けど、お願いがあるの。封印を解いて、全てを思い出しても、私とまた話してくれる?」

「ああ、約束しよう」

 それは、どの道、そうなるだろう。どんな隠し事があったにせよ、話をする必要はある。
 そんな俺の言葉を聞いて、少し安心したのか、続けざまに彼女は口を開いた。

「じゃあ、私の事、嫌いにならない?」

 流石に、その問いに即答は出来なかった。
 内容を理解してみない事には、俺も判断が付かない。
 実は、俺の身内を殺していましたとかいう事実が飛び出そう物なら、そう簡単に気持ちの整理は出来ないだろう。

「善処は、する。だけど、時間はかかっても、揚羽と向き合うという事は約束する」

 だから、これが今の俺に答えられる、精一杯の回答だった。
 そんな俺の答えに、揚羽少し寂しく微笑むと、

「ふふ、お兄さんらしい答えだわ。けど、今はそれでいいよ」

 そう、寂しく笑い俺をしっかりと見据える。
 その表情に、もう迷いはなかった。

 俺は痛む頭を抑えながら、それでもそんな彼女に笑みを返す。
 だが、俺の表情を見て、彼女は、泣きそうになっていた。
 どうやら、笑顔を作る事に失敗したらしい。全く、駄目な男だ。

 そのまま彼女は優しく俺の頭を、その胸へと抱きかかえる。
 控えめだが女性らしい弾力と温もりに包まれた俺は、そのまま彼女に身を委ねた。

「今、小さいって思ってるでしょ……」

「そんな事は無い。女性の胸は、等しく素晴らしい」

 迷いのない俺の返答を聞いて、何故か嘆息する彼女。
 おかしい。俺はただ、正直に答えただけなのに。

 その息遣いがそのまま顔へと伝わって来る不思議な感触は、俺の心に、小さな明かりのような幸福感をもたらした。
 そんな俺の様子から、何かを感じ取ったのだろうか?
 彼女は落ち着いた声で、小さく呟く。

「じゃあ、封印……解くわね。」

 その声が染み渡ると同時に、俺の頭の中にあった形容のし難い違和感が、端から溶けて無くなっていく。
 それは、数秒の間に終わり、あまりの呆気なさに、俺は拍子抜けした。
 だが、対して封印を解いた揚羽は、震えていた。そんな彼女の様子を不思議に思い、声をかけようとした瞬間、

「お願い、お兄さん。嫌いに、ならないで……」

 そんな声が聞こえ、俺は言葉を失う。
 もう、頭に封印は無い。それは何となく、感じられた。だが、俺に変化は無い。
 そう、意識を向けたからか、何かが、俺の頭の中で鎌首をもたげる。

 それは、俺の中で爆発するように、一気にその存在感を増し……。
 その瞬間、俺の意識は、俺の物ではなくなったのだった。

 流れていく。
 俺の失っていた、記憶が。

 走馬灯のように、全てが、音を、光を、熱を持って、俺の中を通り抜けていった。

 ああ、森での生活、楽しかったな。
 ディーネちゃんと、我が子達である、此花と咲夜。
 リリーとレイリさんや、森の仲間達。
 それに、宇迦之さんと龍たちは、今も元気だろうか?

 人族の街に入っても、色んな人達と触れ合ったよな。
 ギルドマスターや、ボーデさんとライゼさんには、随分迷惑をかけた。
 親方とポプラさんも、俺達が急にいなくなって、大丈夫だったかな?
 ライトさんとクリームさんは、心配するまでもないか。

 そして、忘れたくても忘れられない子。

 ルナ。

 俺は、どうしてこの子を忘れていたんだろうな?
 いや、そりゃ、封印されていたんだからだろうけどさ。
 ちょっと、あっさり忘れすぎだろ。
 もう少し根性見せても良かったんじゃないのか? 俺。

 彼女がいなければ、あの異世界での楽しい日々は有り得なかった。
 ルナが笑い、その場に光が舞ったように思えた。
 ルナが怒り、その場が凍りついたように思えた。
 ルナが哀しみ、その場が海の底に沈んだように思えた。

 それでも、彼女が横でただ、いるだけで、俺は満足だった。
 大変なことも多かったけど、それ以上に、楽しい日々だった。

 ……それが、壊れた。

 胸の奥から、粘性のある何かが、ゆっくりと湧き上がる。
 それは、汚らしい音を響かせ、徐々に俺の中から這い出してきた。

 誰のせいだ? 俺のせいか? そうだな、俺も悪い。守れなかった。

 木の槍が、彼女の胸を貫く。

 今にも吐きそうなほど、気持ちが悪い。
 同時に、楽しくもないのに、笑いがこみ上げてくる。

 誰だ? 俺のルナを、俺の幸せを壊したのは、誰だ?

 あいつか。

 笑いながら槍を蹴り込んだ、あの教皇と曰わった奴。
 そして、あの空に浮かんだ目。

 そう、あいつか。

 此花の額に目が。その目が俺を見て……。

 あいつらが……あいつらが、あいつの!!

 遠くから声が聞こえる。
 そして、同時に、何かが吠えているような……いや、叫んでいる様な、そんな雑音が響く。

 なんて、鬱陶しい。
 そして、なんて下品な。

 目の前には、涙を流しながら必死に俺にしがみつく、女。

 目が合う。

 ああ……なんだ。か。
 ルナを傷つけ、此花を奪い、俺の幸せを壊したのは、お前か。

 激しい憎悪が、俺の心から湧き上がる。
 殺したい。その首をねじ切って、血反吐をぶちまけさせたい。
 そんな衝動が俺を動かす。それはスムーズに実行され、その細い首が、俺の手に収まった。

 笑いが止まらない。

 ――!

 こいつを殺して、それで、次は、あの野郎だ。

 ――ろ!!

 目の前の女は、大して抵抗もせず、俺に首を締められ苦悶の表情を浮かべる。
 その手が俺の頬に届くも、力が入らないのか、ただ添えられるだけだ。

 そうだ、俺の受けた苦しみを、お前も存分に味わえ。
 そうでないと、俺の心が埋まらない。
 彼女を失った、この心が、空っぽの、隙間を。

 ――いい加減に……しろ!! このバカ野郎が!!!――

 不意に俺の視界が目まぐるしく動き、そして、火花が散る。
 それは、何回も、何回も、頭が、衝撃が、俺の、意識を……。

 ――ふっざけんなよ! 俺は、そんな事! 許さねぇぞ!?――

 そして、意識が混濁する。俺の中に別の存在がいる。

 なんだ、お前は。何故、邪魔をする。

 ――お前は、俺で、俺もお前だ!――

 何故、俺が、俺の邪魔をする。憎いだろう? あの野郎が。殺してなぶりたいだろう? この女を。

 ――憎しみがある事は否定しない。だが、俺は、それを不条理にぶつける事を、望んではいない――

 馬鹿か。憎しみをぶつけなければ、俺は俺を維持できない。

 ――なら、俺にぶつければ良い――

 それこそ、馬鹿か。何故、自分で自分を傷つける必要がある。

 ――それで他人が苦しまなくて良いなら、その方がずっと良い――

 自分に比べれば、他人など、等しく価値の低い存在だろうが。

 ――そんな事はない。俺は、自分より他の人の笑顔が好きだ――

 他者に何をされたか、覚えていないわけではないだろう? あの女も、この女も、全部、あいつらが、俺を不幸にした!

 ――それでも、幸せを運んでくれた子もいた!――

 なんなんだ、お前。本当に、俺なのか?

 ――ああ、お前は俺の一部で、俺も俺の一部だ。どちらも側面でしか無い――

 はぁ、なんだか疲れてきた。もう良いや。お前が俺と言うなら、俺はお前に任せる。暴れるのも疲れる。

 ――ああ、任せろ。それでこそ、俺だよ。お前も俺が引き受けた。――

 ああ、馬鹿な俺。あんまり、無茶すんなよ。俺の心の闇は、きついぞ?

 ――ああ、暴れん坊の俺、あんまり心配すんな。俺だから大丈夫だ――

 じゃあ、行くか。

 二人が、同時に、そう意識を向けた時、俺らは混ざりあった。
 それは、俺の心奥に渦巻いていた、負の感情を、俺の中に再度、撒き散らすことになる。
 だが、俺は、それを受け入れる。

 足元を見ると、涙を流し俯く揚羽の姿。
 その姿を見た瞬間、俺はその胸中に湧き上がった、複雑な感情を持て余す。

 だが、まずは、確認が先だった。
 そして、それが最悪の結果だったとしても、俺は彼女を恨む気にはなれない自分を見つけて、大丈夫だと自覚する。
 俺は屈み、俯いていた彼女をそっと抱きしめる。

「ごめん、乱暴な事して。」

 ビクリと体を震わせた彼女だったが、俺の様子が戻った事を理解したのだろう。おずおずと、口を開く。

「お兄さん、なの?」

「ああ、すまん。余りにも激しい感情で、自分を見失った。」

「お兄さん……あれを、抑えたの? 世界を滅ぼしかけている、あんなものを?」

 その言葉に、俺は眉を潜める。
 何か、とんでもない情報が出てきているような気がするが、とりあえず、今は優先して確認したいことがある。
 そう、此花の事だ。

「うん、とりあえず、大丈夫。それよりも、確認したいことがあるんだ。揚羽。」

 俺の真剣な色を含んだ言葉に、彼女は一瞬、躊躇したが、すぐに頷いた。

「此花と言う俺の子供……精霊の子を、君はどうした?」

 そんな俺の言葉に、彼女は拍子抜けしたようだ。息を吐くと、

「なんだ、そんな事? すぐに制御を解いたわよ? その後は、分からないわ。」

 そう軽く呟く。

 そうか。とりあえず、その後、此花は揚羽に何かされている訳ではなかったか。ならば、一安心だ。
 俺のホッとした様子が、彼女にも伝わったのか、お互いに緊張の糸が解れるのを感じた。
 そうしてどちらともなく、包容を解き、お互い見つめ合う。

「でも、記憶が戻って真っ先に聞かれたことが、まさか甲種第一類の事とはね。けど、お兄さんらしいと言えば、お兄さんらしいのかしら?」

 最初に口を開いた彼女は、少し饒舌になっていた。それだけ、安心したからなのだろう。
 少なくとも、俺は彼女に対し、一方的に拒絶するつもりはない。
 それが分かったからなのかも知れない。

 しかし、甲種第一類? 何かどっかで聞いた言葉だな。
 ああ、セレネがそんな言葉を使っていたか。
 今の話の通りなら、甲種第一類と言うのは、精霊を指しているということになるが。

「ああ、心配だったからね。ところで、甲種第一類と言うのは、精霊を指しているという事で、間違いないかな?」

「そうよ。甲種第一類が、精霊と呼ばれる種族の総称。第二類は、人形の生物全般という設定ね。」

 念のために確認してみたが、揚羽はあっさりと、肯定した。
 第二類もあるのか。今の言い方では、人族や獣人族などを指すのだろう。
 俺が考え込む姿を見て、何故か揚羽は嬉しそうに微笑む。

「けど、お兄さんが、私の事、拒絶しなくて本当に良かった。これでまた、一緒にいられるわね。」

 その言葉は本当に、その未来を疑っていない様子で、それだからこそ、俺はかえってその事実を不思議に思ってしまう。
 そして、そんな嬉しそうにはしゃぐ彼女の姿を見てしまうと、一瞬、その言葉を否定するのを躊躇われた。
 だが、その事は、はっきりとしておかないと、いけないことだった。

「確かに、俺は君の事は嫌いではないよ。だが、ここに一緒にいることは出来ない。待っている人がいるからね。」

 俺の言葉を聞いて、彼女は一瞬、その言葉の意味を理解できなかったようで、動きを止める。

「え? 嘘、何で?」

「いや、だって、まだ皆がいるでしょ? 俺の家族もほったらかしには、しておけないし。」

 改めて俺の言葉を聞いて、揚羽は一転して、その感情を散り散りにさせた。

「駄目! 駄目だよ! お兄さんは、ここで私といるの! だって、意味ないでしょ! そんな事。」

「意味がない? それはどういう事?」

 先程から言葉の端々に出てきている、不穏な言葉が、いよいよ現実味を帯びて、俺へと襲いかかるイメージが見える。
 そんな俺の思いから、言葉が強い口調になったが、そんな事は、今の彼女には関係なかったようだ。
 彼女はそのまま口を開く。

「だって、もう世界は滅びかけているもん。お兄さんが行っても無駄だよ。」

 そんな物騒な言葉を、軽く口にした彼女は、まるで出来の悪い生徒をたしなめる、教師のような顔をしていたのだった。

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